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第5章-1 逃げ ― 外の自由は甘さを持たなかった

―― 朝焼けの街は、救いの温度を持たない 朝焼けの街を、一人で歩いた。 ビルの硝子に、眠っていない自分が薄く映る。 胸ポケットの中で、縁談のカードが角を主張していた。 「離れれば楽になる」 そう言い聞かせるたび、呼吸は浅くなる。 足は前に出るのに、鼓動はずっと後ろに取り残されていた。 駅の売店で水を買う。 キャップを回す手が、やけに震える。 冷たい水が喉を落ちても、渇きは残るだけだった。 ⸻ 数日、予定を詰めてみた。 会食。収録の立会い。クライアントへの挨拶回り。 空白を埋めれば、胸の穴も塞がると思った。 夜、紹介されたαと会う。 仕事の話は途切れない。 相手の笑顔は、きれいに整っている。 席の端でグラスを持つ手だけが、終始冷たかった。 「Ωなら、番で安定するのが一番だよ」 相手は善意で言っている。 善意ほど重い石はない。 テーブルの下で足が痺れ、言葉は笑顔の形だけをなぞった。 ⸻ 会計を終え、店を出る。 タクシーのドアが閉まる音が胸の奥まで響く。 スマホの画面に、未送信の文章がいくつも残っていた。 ――『今日、遅くなります』 ――『今、帰ります』 宛先はどこにも設定されていない。 送る相手を思い浮かべるだけで、指が止まった。 ⸻ 別の夜、別の店。 「恋人はいるの?」 「いません」 相手の表情が少し柔らかくなる。 それを見て、心のどこかが軋んだ。 “恋人”という語の輪郭が、喉に引っかかったまま降りていかない。 歩道橋の上で風に吹かれる。 街の光は遠く、足元のアスファルトだけが現実だ。 欄干に額を当て、数えて、吐く。 息は数だけ整って、意味は戻らない。 ⸻ 仕事は回る。 タイムラインは進む。 カットの継ぎ目は正確だ。 ただ、呼ばれる名前がない。 編集室の白い光が、視界の端で揺れる。 椅子の背にかけた上着から、社員証の影が床へ落ちる。 ――名前を、呼んでほしい。 それだけが、過去と現在を繋ぐ唯一の橋だった。

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