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第5章-2 虚無 ― 喉に引っかかる“恋人”
―― 正解は眩しすぎて、目を焼く
ある夜、縁談の相手からメッセージが届いた。
〈ご両親にも会ってほしい〉
短い文の中で、“正解”だけがまぶしく光る。
眩しすぎる光は、目を焼く。
返信欄に指を置く。
「はい」と打とうとして、
一文字も進めないまま、画面は暗くなった。
暗い鏡に、冬の水面みたいな自分の顔。
そこに“恋人”の影は見えない。
見えないはずなのに、耳の奥では命令の残響が巡っていた。
――三分で。
――立て。
――従え。
身体が覚えているのは、あの言葉だけだ。
⸻
空気が薄い。
窓を開けても、風は入らない。
部屋の隅に置いた封筒の白だけが、夜の中で浮いていた。
翌日も仕事は回る。
ナレーションの修正、秒数の管理、送出。
指は正確に動き、心だけが遅れていく。
「真咲、ここ一拍置いて」
違う。
置かれているのは俺の心だ。
⸻
帰りの電車。
吊革の冷たさが掌に移る。
車窓の黒に街の明かりが流れ、顔がうっすらと重なる。
“恋人”という二文字が喉の途中で止まり、飲み込めない。
未送信メッセージがまた増える。
――『どこにいますか』
――『今、話せますか』
宛先欄は、ずっと空白のまま。
⸻
橋の上に立つ。
風がコートの裾を揺らし、指先の痺れだけが現実を保証する。
欄干に額を当て、数えて、吐く。
息は形だけ整い、意味は戻らない。
街の灯は遠すぎて、温度を持たなかった。
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