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第5章-3 帰還 ― 欲しかった言葉(後半)
涙は、もう止まっていた。
代わりに、呼吸が深くなる。
肺の隅まで空気が届く感覚が戻る。
名前を呼ばれなくても、呼ばれたのと同じぐらい救われた。
春臣は立ち上がり、玄関の方へ歩く。
数歩先で振り返り、顎で寝室の方向を示す。
「シャワー。タオルは棚。
十五分で出てこい」
命令。
甘やかしでも、恋人の誘いでもない。
なのに、足はすぐに動いた。
脱衣所の鏡に、泣いた顔が映る。
水を出すと、湯気が曇りを作り、輪郭が消えた。
頭から温度を浴び、数えて、吐く。
心拍が、命令のリズムに戻っていく。
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タオルで髪を拭きながら戻ると、部屋の照明はさらに落ちていた。
窓の向こう、街の光だけが薄く揺れる。
ソファの背に、ブランケットが掛けられている。
春臣は机の前に立ち、資料をまとめていた。
「今日はここまででいい」
それだけ言って、指で向かいの席を示す。
座ると、膝の震えはもうなかった。
「……戻ってきて、すみません」
謝る言葉は、出るべき場所を間違えている。
それでも、一度口にしないと前に進めなかった。
春臣は肩をすくめる。
「勝手に来て、勝手に帰れ」
次の一言が、喉の奥まで降りてきて、
最後の瞬間で形を変えた。
「寝ろ。明日も早い」
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ソファに横になる。
ブランケットの重みが、骨の手前まで沁みていく。
瞼の裏で、封筒が遠ざかる。
“正解”という活字は、もう光を持たない。
欲しかった言葉は、最後まで与えられなかった。
それでも、別の言葉が胸に残っている。
――俺以外、許さねぇ。
それで、充分だった。
いや、充分以上だった。
檻は閉じたのに、呼吸は広くなった。
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ブランケットの隙間から、夜風が小さく入り込む。
遠くでサイレンが鳴り、すぐに消えた。
まぶたが重くなる。
眠る直前、心の中で言ってみる。
――恋人じゃなくていい。
――この檻で、十分だ。
そして、真っ暗なところで、安堵が静かに灯った。
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