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第3話
体力をつけさせよう。
そんな父親の独断でサッカー教室に入れられたのは小学四年生だった。
小学校のグラウンドを使って週に一回行われているその教室には、たくさんの同級生が参加していた。
しかしその中のほとんどは別のサッカーチームにも入っており、小学四年生で素人同然なのは良杜だけだった。
「迎!そっち!ボールいったぞ」
同級生の言葉に振り回されながら、良杜は必死に走り続ける。それでもなかなか追いつけない。
息が上がり足を止めれば「あぁー!もう!」と怒った声が飛んできた。
なんでやりたくもないサッカーをやっているのだろう。
そう思いながら乾いた喉を潤していると、隣に置かれた水筒を取りに来た男子と目が合った。
「あぁー、あっついなぁ」
少年はパタパタと手で顔を仰ぎながら、水筒に口をつけてゴクゴクと飲み始めた。
彼のことは知っている。
隣のクラスの天谷創。
意志の強そうな吊り目に日に焼けた肌。
そしてよく通る大きな声。
その存在感の強さは学年一と言ってもいいだろう。
「お前、2組の迎だよな?どっかのチーム入ってんの?」
創に聞かれ、良杜は大きく首を横に振った。
「う、ううん。俺はどこにも・・あの、天谷は?」
「俺は入ってるよ。だから土日もほとんど練習と試合ばっかり」
「そ、そうなんだ。すごいね」
初めての創との会話に良杜は緊張してどもってしまう。
彼のような影響力のある人物にどう思われるか。それは学校生活においては死活問題なのだ。
「迎もどっか入ればいいじゃん!そしたらもっと上手くなるぜ。お前入ってきた時、なんか気が合いそうだなって思ったんだよね」
「え・・えぇ。そう、かな・・」
思ってもみないことを言われ、良杜は戸惑いながら笑みを浮かべた。
気が合いそうとは全く思わないが、悪い印象は持たれていないようだ。そのことが嬉しかった。
けれど、サッカー教室や学校で会うたび、やはり自分と創は全く違う人種なのだということを痛感した。
それでも創はまだ気が合うと信じているのか、悪気のない笑顔で話しかけてくる。
それに対して良杜は眉尻を下げた笑顔で応えるのだが、創の周りにいる友人達からは怪訝な顔をされた。
「なんでこんな奴に話しかけているのか?」
そんなことが言いたげな顔だった。
「迎、冬休みの合宿来るだろ?」
サッカー教室に入れられて半年ほど経った頃、合宿の案内の用紙を見ながら創が聞いた。
このサッカー教室では夏休みと冬休みに一泊の合宿がある。
良杜が教室に入った時には夏合宿は終わった後だったので、今回が初めての案内だ。
一泊ということもあり、ほとんどの生徒が参加するイベントらしい。
良杜はうーん、と小さな声で唸った。
正直なことを言うのなら全く行きたくない。
今だにサッカーというスポーツには慣れず、他の生徒とも馴染めずにいる。話すのは創くらいだ。
それなのに一泊で合宿なんて・・
良杜が歯切れの悪い態度でいると、創が吊り目の瞳をさらに吊り上げてズイッと迫ってきた。
「なんだよ?もしかして迷ってんの?行けば絶対楽しいぜ!部屋は5人一部屋だから同じ部屋にしてもらうようにコーチに言っとくし!な?行こうって!」
「えぇ・・う・・ぅん」
創の迫力に負け、良杜は困った顔で頷いた。
「おし!決まりな!」
「・・・ぅん」
消え入りそうな声で返事をする。
良杜はこっそりと小さなため息を吐いた。
創はよく一緒にやろうと誘ってくるが、彼は他の友人からも求められる。
そうすると結局自分がポツンと一人になってしまうのだ。
それならば最初から誘わないでくれればいいのに。
そう思いながらも、自分も創を抗えない。
怖いからとか、そういうことではなく。
なぜなのだろう。なぜだが創という存在に惹きつけられているのだ。
出来ることなら・・そばにいたい。
そう内心では思ってしまうほどに。
「はーい、お疲れ様でした!みんな食堂に戻ってお昼ご飯だよー!」
午前の練習が終わるとコーチが生徒達に声をかけた。
良杜はふーっと長い息を吐いて膝を折る。
なんとか合宿一日目の半分を終えた。
合宿所は隣町のスポーツ施設で行われている。こんな近くでやるならわざわざ泊まる必要があるのだろうか、と思ったがそれは口には出さなかった。
寝食を共にして練習することで絆が深まると、案内用紙には書いてあったのでそういうことなのだろう。
しかし今のところ、絆が深まっている気はしない。
むしろ創と部屋割りが一緒なことで一部の生徒から陰でキツく当てられている。
どうやら自分が創に取り入って部屋を一緒にしてもらったと思われているらしい。
とんだ勘違いだ。そう反論したかったが、言ったところで信じてもらえないだろう。
創は相変わらずみんなの輪の中心で楽しそうにしていて、気が向けばこちらにも話しかけてくる。
予想はしていたが、やはりお世辞にも楽しい合宿とは言えない状態だ。
頭も少し重たいような気がする。そう、それになんだか喉も・・
「おい、大丈夫か?」
ボーッとしていると後ろから声が聞こえてきた。しかしその声にも素早く反応できず良杜はゆっくりと振り返った。
「あ、ごめん。なに?」
「何じゃねーよ。迎なんかダルそうじゃない?顔赤いしさ」
創はそう言うと両手で良杜の頬を包み込む。その手が冷たくて良杜は思わず肩をすくめた。
「わっ!だ、大丈夫だよ・・」
「いや、なんかお前熱いって!コーチ呼んでくる。待ってろよ」
創はそう言うと、コーチのいる方へと駆けて行った。
口調はキツいし自己中心的なところはあるが、創はまわりをよく見ている。
こんな自分にも気にかけてくれる。
だから、そう・・嫌いになれないのだ・・
良杜はそんなことをぼんやりと思いながら遠くなる創の背中を見つめた。
どれくらい寝ていたのだろうか。
ふと目を覚ますと、見慣れない天井が目に入った。
良杜はゆっくりと起き上がる。
身体の節々が痛い。喉も乾いた。
部屋には時計がないが、窓から入ってくる光を見る限りまだ夕方にはなっていないようだ。
創がコーチを呼んできてくれた時には、すでに良杜の身体は限界を迎えていた。
熱があることが分かると、良杜は誰も使っていない部屋へと連れていかれ寝ているように言われた。
その後の記憶はない。今までぐっすり眠ってしまっていたようだ。
「あ、起きてるじゃん」
声が聞こえそちらに目をやると、部屋の引き戸を開けた創が顔を覗かせていた。
「飲み物持ってきた!大丈夫か?」
創はそう言うと、ペットボトルを見せながら部屋の中に入ってきた。身体中泥だらけだ。激しい練習でもしてきたのだろうか?
「・・ありがとう・・」
良杜は肘をついてゆっくりと起き上がる。
「コーチがお前の親に連絡したって。もう少ししたら迎えにくるってさ」
「え・・本当?」
その言葉を聞き思わず声が弾む。
「なんか嬉しそうじゃね?」
「いや、べ・・別に!」
慌てて手を振ったが、実際かなり嬉しかった。
これでもう練習しなくてすむ。今日の夜もここに泊まらなくていいのだ。
身体はだるいが心はグッと軽くなった。
良杜が笑いを堪えるようにして座っていると、隣に座った創が匂いを嗅ぐように鼻を良杜の方へ向けてきた。
「・・・?天谷、何してるの?」
「うん?いや、さっきもそうだったんだけどさ。お前なんか美味そうな匂いするなって」
「え?何それ?」
思いがけない言葉に良杜は目を見張る。
すると創は楽しそうに目を細めた。
「さっき迎の様子見に来た時もさ、なんか美味しそうな匂いしてたんだよ」
「・・さっき?」
「おう。三十分前くらいにも様子見に来たんだよ。お前怠そうだったから心配でさ」
「あ、ありがとう・・」
良杜は頬を染めながら俯いて言った。
やはりなんだかんだ創は面倒見がいい。そういうところが憎めないし人を惹きつけるのだ。
「俺お腹空いてんのかなぁ。あんまりお前から美味しそうな匂いがしたからさぁ—・・」
創はそこまで言うと、続きを言うのを躊躇うように笑いながら目を泳がせた。
「・・・したから?」
「・・うん、あー。いや!なんでもねぇ!とりあえず目覚ましてよかった!」
誤魔化すように笑うと創はポンと良杜の肩を叩いて立ち上がった。
「じゃぁ、迎えがくるまで休んでろよ。次の夏の合宿こそは一緒に泊まろうぜ」
創はそう言うとバタバタと部屋を出て行った。
良杜は閉じられた扉をじっと見つめる。
次の合宿でもまた一緒にと創は言ってくれた。来年の夏の合宿までには、他のみんなとも仲が良くなっていればいいのだけど。
良杜はそうぼんやり思うと、もう一度布団に倒れ込み目を瞑った。
しかし、結局来年の夏の合宿には参加する事はなかった。
良杜がサッカー教室を辞めたからだ。
辞めたのは冬の合宿からわずか二ヶ月ほど経った頃。五年生になる前だった。
理由は簡単だ。他の生徒達からのあたりがキツく居づらくなったからだ。
『いじめ』というほどのものではなかったかもしれない。
話しかければ応えてくれるし、チームを組んでの練習にも仲間には入れてくれる。
けれど明らかに一人下手くそな良杜に対して、生徒達から冷ややかな目線を向けられたり時には嘲笑されるような場面もあった。
おそらく創はそれに気づいていなかっただろう。
みな創の前ではやる気と協調性に満ち溢れたような顔をしていたからだ。
しかし創が気づかない場面では多々そういうことがあった。
我慢できないほどではなかったかもしれない。
けれど、それに耐えて続けるほどの情熱も良杜にはなかった。
親には『塾に行きたい』という理由をつけてサッカー教室を辞めさせてもらうことにした。
それから、創との関わりはほとんどない。
サッカー教室を辞めた後、何度か学校の廊下で呼び止められたが小さく会釈だけしてそそくさとその場を去った。
合わせる顔がないというのもある。
しかしそれよりも辞めた理由を咎められるのが怖かった。
弱い自分を露呈したくない。
『気が合いそう』だと思ってもらえた、そのままの自分でいたかった。
——
「なんか、こうやって迎とちゃんと話すの久々だよな」
電車に揺られながら創はチラリとこちらを見て言った。
K高校から帰るには電車で三駅ほど乗る必要がある。
座席は空いていなかったため、扉付近にもたれるようにして並んで立った。
「たしかに、そうだね・・」
良杜はなるべく創の方は見ずに、車窓の景色に目を向けながら応えた。なんとなく向き合うとまた匂いが出てしまう気がしたからだ。
「迎は今なんか部活とか入ってんのか?」
「え・・あ、いや。俺は帰宅部だよ」
「ふーん。中学の時はパソコン部だったよな?」
「え?よく覚えてるね・・」
良杜は目を見開いてチラリと創の方に視線を送った。
「卒業アルバムで見たから」
「卒業アルバムって・・」
確かに卒業アルバムには部活ごとに撮ったページがある。
運動部に入る気がない面々が集まったパソコン部は、文化部の中でも吹奏楽部の次に部員数が多かった。
良杜はそんな中で端っこの方でピースサインをして写っている。
よくあの大人数の中から自分の姿に気付けたものだ。
「中学の時は迎とはほとんど話さなかったろ。なんかお前サッカー教室やめてから冷たくなった気がしたし」
「・・・」
どう答えて良いか分からず、良杜は再び窓の外の景色を見るふりをした。海に沈みそうな太陽が赤く輝いている。
「・・別に、元々学校ではそんなに話さなかったじゃん・・?」
かろうじて絞り出すような声で言うと、誤魔化すように口の端を上げて笑った。
「天谷とはグループ違ったしさ。俺には天谷のグループは近寄りがたかったっていうか」
「はぁー?別に同じ中学の同級生なんだから近寄りがたいとかないだろ?」
これだからヒエラルキーの上にいる奴は・・
などと心の中で思いつつ、良杜は笑ったまま表情は崩さなかった。
「俺は・・迎と初めて会った時、なんかすごい気になったっていうか。前から知ってる奴だっけ?って思ったくらい親近感が湧いたっていうか」
創はそう言いながら少し恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
「だからお前がサッカー辞めたのも、学校で話しかけようとしたら冷たくされたのもショックで。それでどうしたらいいか分かんなくて、あんまり話さなくなったけど・・でもなんでかやっぱり気になってお前の名前とか写真とか無意識に目で探してたんだよなぁ」
「・・・え・・」
思いがけない告白に良杜は目を点にさせて言葉を詰まらせた。
まさかそこまで創が自分のことを気にしてくれていたなんて、考えもしなかったからだ。
中学ではその存在を感じながらも、どこか別の世界で生きている人物だと思っていた。それに彼にとって自分の存在など取るに足らないものだと。
良杜が何も答えられず黙っていると、創は真剣な眼差しを真っ直ぐに向けてきて言った。
「なぁ、お前本当にΩじゃねーの?」
良杜の瞳がパッと大きく開かれる。
しかしすぐに動揺を悟られないように、外に目を向けた。
夕陽が海に飲み込まれそうだ。紫色に空が染まりつつある。もうすぐ夜だ。
このままこの秘密も、闇に隠してしまいたい。
あんな不快なヒートを起こすΩだとバレたくない。
「な、なんでまた聞くの?違うって言ったじゃん」
ぎこちない笑みを浮かべながら良杜は外を見て言った。
「・・・なんでだろ」
創も外に目を向ける。
「わかんねーけど、お前がΩだったら納得いく気がして」
「・・納得?」
「あぁ。もしお前がΩなら運命の番なんじゃねーかなって」
「え・・・」
良杜は扉に付いていた掌をキツく握ると、ゆっくりと創を見つめた。
「だから出会った瞬間になにか感じたのかなって。ほら、運命の番って出会ったら自然と惹かれ合うらしいじゃん?」
「・・・そ、そんなの・・」
否定の言葉を言おうとしたが、喉が詰まって続きが出てこない。
創を初めて知ったのはいつだっただろう?
目立つ存在だったから、いつの間にか勝手に知っている気になっていた。
知っていて、彼を見つけると目で追って。けれど自分とは違うタイプの人間だからと、関わることは微塵も考えずにいた。
そんな彼がもしかしたら『運命の番』?
もしそうなら、創がやたらと気が合いそうだと言ってきた理由もわかる気がする。
けれど・・・
「・・違うよ」
絞り出すような声で良杜は呟いた。それと同時に電車が降りる駅に到着する。
電車の扉が開くと、良杜は創の方は見ずに勢いよく飛び出した。
「あっ・・おい!」
後ろから焦ったような創の声がする。
しかし良杜は振り返ることなく駅を出ると、家へ続く道を走り続けた。
創は足が速い。油断していたらすぐに追いつかれてしまう。
前へ前へ。足を進める。
何も言われたくない。何も聞かれたくない。
だって、違うのだから。
自分は彼の『運命の番』などではない。
あんな歪んだ顔をさせるような、そんな人間が彼の運命であるはずがない。
家に着くと、良杜は勢いよく玄関を開けバタバタと自分の部屋に逃げ込むように入った。
母の驚いたような声が聞こえたが返事はしなかった。
心臓が痛い。
また体が熱くなってきている。息も苦しい。
これは久しぶりに全速力で走ったからか?
ドクドクと強く脈打つ胸に手を当てる。
体が興奮しているのがわかる。
下半身はなんだか窮屈だ。
良杜は布団に潜ると、自分のそこに手を当てた。
硬くなっている。ゆっくりそこに触れると、思わず肩が痙攣を起こした。
「っつ・・な、なんで・・」
瞳からジワリと涙が溢れてくる。
嫌なのに。苦しいのに。疼いて仕方がない。
「ふぅ・・うぅ〜・・」
良杜は涙をポロポロと溢しながら、自身の前と後ろを同時に弄っていく。
苦しくて悲しいのに、気持ちが良よくて止まらない。
抑制剤は今日飲んだのに。まだ周期ではないはずなのに。
創に会ってからおかしい。
なんで、なんでこんなことになっているのだろう。
まるで、見えない『何か』に犯されているようだ。
良杜は布団にくるまりながら、声を押し殺し自身のその熱を一人静かに収めていった。
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