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第4話
「今日、幸の誕生日なんだよ」
月曜日の朝、右隣りの席で基依が大きなため息をつきながら言った。
「そうなんだ。幸君4月生まれなんだね」
良杜は当たり障りのない返しをする。
なぜ恋人の誕生日がそんなに憂鬱そうなのかは突っ込まない。きっと基依自ら言ってくるだろうと思ったからだ。
案の定、基依はもう一度大きなため息をつくとめんどくさそうな顔で続けた。
「普通誕生日って恋人がいりゃ恋人と過ごすじゃん?それなのにあいつさぁ、誕生日は明と昴と過ごすからとか言ってさ。明は兄弟だからまだいいけど・・俺は結局あの幼馴染より下なのかよって!それで昨日喧嘩してさぁ」
「そ、そうなんだ」
困ったような笑みを浮かべながら良杜は相槌を打った。恋人同士のいざこざで良杜が言えることなど何もない。経験がないのだから、アドバイスのしようがないのだ。
「昔から誕生日の日には3人で証明写真を撮りに行くのがお約束なんだと。それが去年はできなかったから今年は絶対やるんだとさ」
「・・それに、基依君が混ざるっていうのはダメなの?」
「ダメだってよ。俺も一緒に行っていいか聞いたら断られた。あいつ、そういうところ頑固で柔軟性がないんだよなぁ」
基依が不貞腐れたような顔をしていると、廊下から基依の名前を呼ぶ声が聞こえた。
そちらを見ると明が手を振っている。
「おー、明。誕生日おめでとう〜」
基依は席を立ちながら大声で言うと、明の方へと近づいていった。
確かに幸が今日誕生日ならば、双子の明も今日誕生日のはずだ。そこまで頭が回っていなかった自分の鈍さが恥ずかしい。
後で明にお祝いの言葉をかけに行かなくては。そんなことを考えながら、良杜は明と基依が話している様子を見つめた。
明は困ったような顔で笑いながら頭を下げている。何かを謝っているようだ。基依はそれに応えるように口の端を上げると、明の肩をポンと叩きこちらの方に戻ってきた。
「まったくさぁ。あいつは弟にまで気を使わせやがって」
席に座るなり基依は再び大きなため息を吐く。
「明君、なんだって?」
「幸が冷たい事言ってごめん、写真撮り終わったらすぐ連絡するからそしたら合流しようってさ」
「あっ、そうなんだ。よかった」
「よかねーよ。みんなで幸の機嫌うかがってんだから。本当あいつは周りを巻き込むのが得意で面倒くさい」
そう言いながらも基依はどこか楽しそうだ。
そんな基依を見ながら、良杜はおずおずと口を開いた。
「あ、あのさ・・もし大丈夫だったらでいいんだけど、今度幸君と2人で話せないかな・・?」
「え?2人?」
「あ・・うん。その、Ωのことで聞いてみたいことがあって・・」
「・・あぁ。なるほどな」
基依は最初驚いたような顔をしていたが、すぐに納得したように頷くと手をパチンと鳴らした。
「オッケ!幸に聞いてみるよ。ていうか連絡先知らないんだっけ?」
「うん。この間会った時は聞きそびれちゃって」
というよりは、こちらから教えて欲しいとは言いづらくて聞けなかったのだ。
「なんだ。じゃぁ次会った時は聞いてみろよ。あいつ、相談なら結構親身に話聞いてくれるから」
「うん、ありがとう」
やはり幸の話をする時の基依は楽しそうだ。
αとΩではなくても。ましてや『運命の番』ではなくても。
愛し愛されるというのは、こうやって相手を慈しみ愛おしく思うことなのだろう。
良杜は一昨日の創の言葉を思い出した。
『だから出会った瞬間になにか感じたのかなって。ほら、運命の番って出会ったら自然と惹かれ合うらしいじゃん?』
それは・・愛おしいという気持ちなのだろうか?
他の人とは違う、何かが『運命の番』にあるとしても。それは本能に刻まれたもので気持ちに直結するものではないのではないか?
例え、彼のことを考えて身体が熱くなっとしても・・・愛しさからくるものではない、紛い物の欲望なのでは・・
ーー
「えぇ、そうやって考えるのはもったいない気がするよ」
幸はポットの紅茶をティーカップに注ぎながら口をへの字にして言った。
「そ・・そうかな。あ、ありがとう」
目の前にカップが置かれ、良杜は慌ててお礼を言う。
あれから、すぐに基依が幸と会える日をセッティングしてくれ金曜日の今日がその日となった。
良杜は遠慮がちに周りを見回す。
綺麗に整理れたオシャレな部屋だ。幸のイメージに合っている。
Ωについての話をしたいと言ったら、外ではない方がいいだろうということで放課後に幸の家で会うことになった。
明と基依は今日は部活動の日だ。親御さんは仕事で不在のようで今この家には幸と良杜の二人しかいない。
まだあまり慣れていない幸と二人きりというのは緊張する。
良杜がソワソワとしていると、幸が「ふふ」と小さな笑い声を上げた。
「良杜君、そんなに緊張しなくていいよ。ゆっくり寛いでよ」
「あ、ごめん・・」
目の前で綺麗な幸に微笑まれ、良杜はさらに身体を固くする。
「それで、さっきの話だけど・・」
幸は紅茶を飲みながらチラリと良杜に目配せした。
「ヒートを促されるってことは、少なくとも身体はその人を求めてるってことなんだよ。試しにその本能に従ってみたっていいと思うけど」
「え・・で、でも好きでもないのに?」
良杜のその言葉に幸の左目がピクリと揺れる。
それから整ったこの部屋を見回すと、意味深な笑みを浮かべた。
「好きでもないのに、か。俺はね、ヒートになるとどうにかその熱を解消したいって欲が出てくるんだ。今まで、そういう時に好きではない人と寝たことはあるよ」
「・・・え」
「昔は、告白してくれた人で悪い人じゃなかったら付き合うようにしてた。それで発情期近くなるとこの部屋に呼んで・・セックスしてた」
「・・・」
艶かしい言葉を聞いて良杜は息をのむ。
それから部屋にあるベッドに目を向けた。
こんなに綺麗で、空間そのものが幸の雰囲気を纏っているこの部屋で。
そういった行為がおこなわれていたのか。
良杜は思わず床から腰を少し浮かせた。
「ふふ。そんな驚かないでよ。ヒートを持て余す辛さは良杜君にはわかると思うんだけど・・」
幸は意味深な笑みを浮かべて、こちらに鋭い視線を送る。
理由はわかっている。
この部屋に入って、最初に相談したのが『そのこと』だったからだ。
創に会った日、ヒートがきたこと。そのまま部屋で自慰行為をしてなんとか落ち着かせたこと。
それが辛く、そして怖かったことを相談したのだ。
「・・たしかに、すごく苦しかったけど・・でも、だからって好きじゃない人とは俺はできないよ」
良杜は俯きながら震える声で言った。
「・・良杜君の言う、好きな人ってどういう人?」
「え・・・」
幸の質問に良杜は顔を上げて固まった。
好きな人の定義など考えたこともない。
「俺は、少なくとも身体を重ねてる間は相手に好意的な気持ちを持っていたなぁ。気持ち良くしてくれてありがとうって」
「でも・・それは好きな人とは違う、よね?」
「まぁ、精神的な好きとは違うかもしれないけどね・・でも、その瞬間に身体から湧き出る好感ていうものはあるよ。この人に今すぐ触って欲しいとか」
「・・・ごめん。よく、わからない」
良杜は項垂れるようにして謝る。
自分とは次元の違う話のようで、理解が追いつかない。
「・・良杜君は、天谷君に会って心より先に身体が反応したんじゃない?」
「・・身体が・・?」
「そう。心が追いついてないだけ。そう思えば、彼が好きな人ではない、とは言い切れないと思うけど」
「・・・」
「だから、まずは身体から重ねてみる。それもありだと思うんだけどね」
幸は冷めかけの自身のティーカップに手を伸ばし、中身を全部飲み干しながら言った。
良杜はそんな幸の綺麗な横顔を見つめながら思った。
簡単に言ってくれるものだ。身体を重ねてみればいいだなんて。
いや、普通のΩならそう出来るかもしれない。甘美な良い匂いのフェロモンを纏い、αに近づけばαはたちまち身体を熱くして求めてくるのだろう。
だけど・・自分は例外なのだ。
フェロモンを纏ったところで、きっと逃げられてしまうだろう。
逃げられるだけならまだいいかもしれない。
もしも否定的な言葉を言われたら。
嫌悪に満ちた目で見られたら。
想像するだけで、胸の下あたりが痛くて気持ちが悪くなる。
こちらが発情し身体を熱くしても、向こうは近寄ることすら嫌がるだろう。そんな惨めな思いはしたくない。
良杜が考え込むように黙っていると、幸は空になったティーカップに紅茶を足しながら言った。
「良杜君自身は、天谷君が運命の番だって思えるの?」
「え・・・う、うーん・・」
良杜は片手を額に当て考えるように首を傾げた。
正直、今まではそんなことは思いもしなかった。運命の番どころか、避けるべき相手だと思っていたからだ。
けれど・・
「この間、天谷と会った時2回もヒートになったのは・・やっぱり普通ではないのかなって・・」
「・・最初に天谷君に会った後すぐに抑制剤飲んだよね?それで一回はヒートを抑えられた。けどまた会ってしまって、再びヒートを起こした、か・・確かにあんまり聞かない話だね。抑制剤をちゃんと飲んでいたのにヒートになるなんて」
「そ、そうだよね・・・でも俺、今までαっぽい人は避けてきたから。だから天谷だけに反応したのかはよく分からなくて・・それに天谷は昔俺のフェロモンに不快感を示してた。だから、やっぱり運命の番とは違うのかなとも思うし・・」
「それ、本当に嫌そうな顔してたの?」
「・・うん。匂いを嗅がないように顔を背けられたから・・」
中学時代のあの日の事を思い浮かべる。あの時、創は鼻に手を当て辛そうな顔をしていた。
「だから、運命の番ではないと思う。ヒートを起こしたのは、今まで避けてきたαと接触したから・・とかかな・・」
掌をギュッと握り、良杜は俯いて言った。
そう。やはりどう考えても、天谷創が『運命の番』とは思えない。
いや、思いたくないのだ。『運命の番』にすらも不快なフェロモンであったなら、この先自分はどうすればいいというのだ。
「・・そう。αを今まで避けてきたの・・」
良杜の話を聞いて幸は顎に指を当て考え込む。
それから何かを思案するかのように目を泳がせると、ニコリと微笑んだ。
「ねぇ、明日の土曜日またみんなで遊ばない?明や基依君も誘ってさ」
「え・・う、うん!もちろん!」
急な誘いだったが、良杜は嬉しくなり大きく頷く。
「よかった!じゃぁ俺から明達には言っておくね。遊ぶ場所決まったら良杜君には俺から連絡するから。パァッと気分転換しようよ」
「あ、うん。ありがとう」
ウジウジ悩んでいることを心配してくれたのだろうか。
確かに、またみんなで遊べばこんな気分も晴れるかもしれない。
良杜は明日を楽しみにすることにした。
待ち合わせの時刻は十五時ちょうど。場所はK駅裏にある商業施設の入り口ということだった。
良杜は落ち着かない様子であたりを見回す。土曜日ということで施設の中は若者や家族連れで賑わっている。
高校生になって、休みの日に友人とこうやって遊ぶ約束をしたのは初めてだ。
一年生の時の友達とはそこまでの深い仲にはなれなかった。
つくつぐ自分の消極的な性格が恨めしい。
良杜はガラスに映る自分の姿をじっと見つめた。
普段あまり服装には無頓着だか、今日は少し気合を入れて選んできた。
ダサいと思われなければいいのだが・・
そんな事を考えていると、良杜の後方でこちらを見つめる人影がガラスに映っていることに気がついた。
「・・?」
ゆっくりと振り返り、その人物の顔を確認する。
しかし良杜には見覚えのない人物だった。
黒い瞳が印象的なバランスの良い目鼻立ち。それにスラリと高い身長。
服装は部活帰りと思われるスポーツウェア姿だが、スタイルが良いので立っているだけで様になっている。
こんな人物が知人なら忘れる事はないだろう。
「・・・?」
良杜はそんな彼がなぜこちらを見ているのか分からず、小さく首を傾げた。
すると、その彼が一歩前に出て良杜に言った。
「あの、ここで幸と待ち合わせしてる、良杜君ですか?」
「え・・・」
突然幸の名前を出され、良杜は目を丸くする。
「そう、ですけど・・」
「あ、よかった。俺、幸の友人の矢野昴って言うんですが幸が待ち合わせに遅れるらしくて。それで、君を一人で待たせたら悪いからそこのカフェで何かご馳走してあげててって言われて」
そう言うと、青年はすぐ近くのチェーン店のカフェを指差した。
「遅れる?えっと・・どうして・・」
訳がわからず戸惑っていると、良杜のスマホからメッセージの受信を知らせる音が鳴った。
見てみると幸からの連絡だった。
『ごめん良杜君!遅れそうなのでカフェで待っててて下さい!ちょうど予定の空いてた幼馴染を派遣するのでご馳走してもらってね』
そのメッセージを読んでから、改めて目の前の青年に目をやる。
「・・・幸君の幼馴染さん?」
「そう。矢野昴って言います」
青年はもう一度名前を言う。
『矢野昴』どこかで聞いたような名前だ。
幸や明が話していたとかだろうか。
しかし幸が遅れるとして、他の二人はどうしたのだろう。
「あの、明君や基依君は?」
「・・・え、明達は今日は午後練習試合だったはずだけど・・」
昴は少し驚いたような表情で言った。
「え・・・」
一体どう言う事だ。みんなで遊ぶと言う話ではなかったのか。
急に知らない青年と二人きりにされても困ってしまう。幸は何を考えているのだろう。
良杜は不安気な表情で俯いた。
「・・・」
するとその様子を見て何かを察したのか、昴は眉尻を下げて言った。
「あの、とりあえずカフェ入りましょうか」
「え・・あっ・・は、はい・・」
良杜はショルダーバックの紐をギュッと握りしめて返事をする。
それからゆっくりと昴の後ろをついて行った。
「大丈夫、幸に頼まれているから。気にしないで下さい」
良杜が鞄から財布を取り出そうとすると、昴は手をすっと出してそれを制止した。
「コーヒーは飲めますか?」
「え、あの・・俺、あんまり飲んだ事なくて・・でも苦いのよりかは甘い方がいい、かな」
良杜は見慣れないカフェのメニューを見て答える。
「そっか。あ、この季節限定のジュースはどうですか?」
そう言って昴が指差したのはさくらのフレーバーの炭酸ジュースだ。ピンク色の宣伝ポスターは明るく目の引く作りになっている。
味のイメージは掴めないがコーヒーよりは飲みやすそうだ。
「じゃ、じゃぁそれにしようかな・・」
「了解。買ってくるから先に座ってて下さい」
そう言うと昴は優しげな笑顔をこちらに向けた。
「あ、ありがとうございます・・」
良杜は思わず胸を高鳴らせながらお辞儀をすると、店内を見まわした。
土曜日ということもあり、席はほとんど埋まっている。
テーブルを挟んだ二人用の席は無さそうだ。
良杜はガラス張りの壁沿いにあるカウンター席に空いてる席を見つけ、そこに座ることにした。
カフェの外を歩く人達からは丸見えになってしまう場所だが致し方ない。
それから程なくして、昴がトレイに二つのグラスをのせてやってきた。
「はい、どうぞ」
そう言って、一つのグラスを良杜の前に置く。
ほんのり桜の香りがする薄ピンク色の液体が、シュワシュワと小さな音を立てている。
「あ、ありがとうございます」
良杜はペコリと頭を下げた。
それから横に座った昴の手元に目をやる。そこには良杜と同じピンク色の炭酸ジュースが置かれていた。
「俺も同じのにしちゃった。部活帰りで喉乾いちゃって」
昴はそのジュースを一口啜ると、眉尻を下げて笑った。
「ぶ、部活帰りだったんですか?それなのにわざわざ・・」
「今日は地域の集まりでこの後体育館使う予定らしくて、部活が2時半までだったんです。その後予定は何もなかったし。だから気にしないで下さい」
遠慮がちに微笑みながら昴はストローに口をつける。
スタイルも良く整った顔立ちなのに、驕った雰囲気もない。
こんな人もいるのだなと、良杜はじっと見つめた。
「でも、じゃぁ部活終わってすぐ来てくれたってことですよね?すみません」
「大丈夫。俺の学校K高校だからすぐ近くだし」
「え・・K高校・・」
その単語に思わず肩を振るわす。
しかしすぐに昴の顔を見て別のことが頭に浮かんだ。
「あ!もしかしてK高校のバスケ部の・・」
思い出した。基依達の練習試合を見た時に、K高校で一際目立っていた選手だ。
「そうです。あれ、もしかしてこの間の練習試合見に来てくれてた・・?」
昴も良杜の顔をじっと見つめて聞く。
「え・・はい、そうです。行きました」
「やっぱり。明が同じ高校の友達が試合見に来てくれるって言ってたから。もしかして良杜君の名字は迎君?」
「そ、そうです、そうです!」
良杜はこくこくと忙しなく首を動かして頷いた。
「そっかぁ。それでさっき明や基依君の名前が出たんだね。明から迎君の話は時々聞くんです。名前は聞いてなかったから、気づかなかった。そっか、だから・・」
何かを納得したように昴も小さく頷く。
良杜は昴が何に合点したのか分からず戸惑った表情を浮かべた。
「え、えっと・・・?」
「いや、部活が終わってスマホ見たら幸からメッセージが来てて。良杜君っていう大切な友達を一人で待たせちゃうからご馳走してあげててって」
「・・大切な友達」
良杜は頬を赤く染めて呟く。まさか幸がそんな風に思っていたなんて意外だ。
「実は、いつの間に幸に新しい友達が出来たんだろうって不思議に思いながらきたんです。でも、明や基依君繋がりで仲良くなったんですね」
「あ、はい。その・・」
そこまで言って良杜は口を閉ざす。
Ωの相談がしたくて幸を紹介してもらったと言えば、自分はΩだと自ら言っているようなものだ。
わざわざ自分からその話題を出すのは気が引ける。
「ゆ、幸君と気が合いそうだからって、紹介してもらって・・」
濁すように言いながら、良杜は話題を断ち切るためにジュースに再び口をつけた。
その様子を見て、昴は特にその事に追及することなく穏やかに微笑む。
「そうなんだ。きっと明や基依君がそう言って紹介したなら本当に合うんだろうね。幸、今日みたいに待たせちゃったりマイペースなところもあるけど仲良くしてやってください」
「あ・・はい・・」
その笑顔からは慈愛のようなものを感じた。
幸が昴から大切に思われていることが伝わってくる。
「仲良いんですね、幸君と。幼馴染ってことは小さい時から高校までずっと幸君と一緒ってことですよね?」
「・・うん。保育園から高校までずっと一緒。家も隣りだから」
「えぇ!それはすごい・・」
縁の深さに良杜は心から驚いた。
綺麗な幸とこの整った顔立ちの昴が小さい頃からずっと一緒とは・・まるで物語の主人公とヒロインのようだ。
ずっと一緒にいてお互い意識することはなかったのだろうか?
「ところで・・」
良杜が物思いに耽っていると、昴がゆっくりと伺うような視線をこちらに向けてきた。
「今日は幸の他に明や基依君もくる予定だったの?」
「え・・あっ、そうです。そう聞いてました!」
良杜は慌てて大きな声を出す。急な事に戸惑ってすっかり忘れていたが、みんなで遊ぶと言う話だったはずだ。
手元のスマホを見てみたが連絡は誰からも来ていない。
「昨日、幸君が今日みんなで遊ぼうって誘ってくれて。明君達には幸君から伝えてくれるって言ってんだけど・・忘れちゃったとかかな・・」
「・・・」
昴は何かを考えるように顎に手を当て黙ったが、すぐに小さく頭を振った。
「いや、幸は今日明達が試合だって知ってるはずだよ。基依君と遊べないって不満そうなこと言ってたから」
「え・・じゃぁ、なんで幸君はあんなこと・・」
先ほど『大切な友達』と言われて綻んだ心がギュッと固くなる。
もしかして騙されたのか?それとも揶揄われたのか?
幸の綺麗な笑顔が怖く感じ始めた。
「あ・・でもきっとなにか幸に考えがあるんだと思うから・・そんなに不安そうな顔しないで下さい」
良杜の表情を見て心配そうに昴が言う。
「・・す、すみません・・」
項垂れるように頭を下げ、良杜は手に持ったコップをキツく握った。
「・・明から聞いたけど、良杜君は今年基依君と同じクラスなんですよね?」
別の話題を振るように昴が尋ねた。
「はい。席が隣でそれで話すようになりました」
「そうなんだ。明とはじゃぁ基依君繋がりで?」
「そうです。俺に似てる友達がいるって言って・・」
「え・・」
昴が一瞬目を丸くして固まる。しかしすぐにクスリと笑って「確かにそうかも・・」と呟いた。
その柔らかい微笑みに良杜は思わず頬を染める。それを誤魔化すように良杜は聞いた。
「・・す、昴君は明君とも仲良いんですね。やっぱり小さい頃は幸君と三人で遊んでたんですか?」
「うん。3人でよく一緒に遊んでました。今は基依君もいるし、色々関係は変わったけど・・」
穏やかな視線を外に向けて昴が言う。
どこか含みのある言い方だ。
幸が基依と付き合う事になって、やはり幼馴染同士の関係は変化したと言う事だろう。それが彼にとって良い事だったのかその表情からは読み取れない。
「・・・あ」
良杜は何か言わなくてはと口を開きかけた。
しかしその瞬間。
強い力で肩を後ろに引っ張られ、バランスを崩しかける。
「わっ!」
驚いて声を上げながら良杜は後ろを振り返った。
「・・・え」
目に入ってきた人物の顔で、ギュッと心臓が潰されたように痛くなる。
「・・天谷?」
「こんなところで、矢野と何やってんの?」
部活帰りなのか、ジャージ姿の創が不機嫌そうな顔で立っていた。
「え・・あ、あの・・」
良杜は何から言えばいいのか分からず言葉に詰まる。
するとそれをフォローするように昴が創の方を向いて言った。
「幸を待ってるんだ。これから一緒に遊ぶ予定だから」
「四十万を?」
創は眉間に皺を寄せて昴に目をやる。それから再び良杜の方に視線を戻した。
「迎、矢野とも友達だったのか?」
「と、友達というか・・」
今さっき知り合ったばかりです、とは言えず良杜は下を向く。
「・・天谷も部活帰り?今日サッカー部練習してたよね」
戸惑っている良杜の様子に気づいたのか、昴が別の話題を創にふった。
「あぁ。終わったからみんなで何か食って帰ろうと思ってここ来たんだよ。そしたらカフェの中にいる迎と矢野を見つけたから・・」
創はそこまで言うと、唇を尖らせて上から下になぞるように良杜を見た。
「なんか迎オシャレな服着てるし、デートでもしてんのかと思ったわ」
「えっ!」
良杜は顔を真っ赤にし両手で自分の体を隠すようにクロスさせた。
気合いを入れて着てきた服だとバレてしまったことが恥ずかしい。
「・・良杜君と天谷は、何の知り合いなの?」
昴は服装の事には触れず、良杜と創の両方に目配せしながら尋ねた。
「小中が一緒なんだよ。な?」
そう言って創は同意を求めるように良杜に声をかける。
「う、うん・・」
良杜はそう返事するのがやっとだ。
創が現れてから、心臓の鼓動は速くなり息が少し苦しくなってきた。
まさかこんな所で会うなんて。
K高校の近くであることを失念していた。
それに昴と創が知り合いだったとは・・けれど同じ高校なのだから、それもおかしなことではない。
創と会うのは走って別れたあの日以来だ。
あの時の醜態のことを聞かれたらどう答えればいいのだろうか。
良杜は手のひらに汗が滲むのを感じながら、強く両の手を握りしめる。
しかしそんな緊張状態の良杜とは裏腹に、創はいい事でも思いついたように明るい声で言った。
「なぁ!俺も一緒に遊んでいいか?」
その言葉を聞いて良杜は俯いたまま大きく目を見開いた。
一体何を言い出すのだ、そんなのは嫌だ・・そう言いたかったが、声がうまく出てこない。
すると良杜の代わりに、昴が困惑した表情で言った。
「え・・でも・・今日はもともと幸から誘ったみたいだし・・」
「いいじゃん、別に。迎も四十万も俺のこと知ってんだし。人数多い方が楽しいだろ?」
創は昴の戸惑いなど気にせずニコリと歯をみせて笑う。
「部活の仲間はもう先にフードコート行っちゃったし。お前らの方に俺が合流しても問題ないから!」
冗談じゃない。こちらは問題大有りだ。
良杜は強く握った拳を見つめながら心の中で返事をする。
早くキッパリ断らなくては・・
それなのに、なぜ・・声が出ない。息が苦しい。
体がまた、熱くなってきた・・
なぜまた・・天谷創の前でばかり・・・
「・・良杜君?」
昴が心配そうに良杜の顔を覗き込んだ。その声につられて上を向く。
しかし昴と視線があった瞬間、彼の表情に変化があったことを良杜は見逃さなかった。
それはほんのわずかではあったが、確かに昴の表情に困惑と不快の色が滲んだのだ。
「・・・す、昴君、て・・」
良杜は唇を震わせながら恐る恐る声を出す。
「もしかして・・αなの・・?」
「え・・うん。そうだけど・・」
昴は眉尻を下げ答えた。
その答えを聞いた瞬間、心の内側が冷えた気分になり体が固まる。
よく考えればわかりそうなことだったのに・・
こんなに見た目も中身も完璧な人は、αである可能性が高いということに・・
けれど、幸は自分がαを避けて生きていることを知っているはずだ。
なのになぜ、それを知っていてαの昴を呼んだのだろう・・
良杜が胸を抑えたまま黙っていると、再び昴が良杜の表情を伺うように覗き込んできた。
「あの・・大丈夫?なんか・・良杜君様子が・・」
昴はそっと手を伸ばし、良杜の肩に触れようとする。
しかしその手が良杜に触れるよりも前に「離れろよ」という創の凄みのある声が聞こえた。
顔を上げて見ると創の手が昴の腕を強く掴んでいる。
「え・・・」
昴は目を丸くして創を見つめたが、すぐに掴まれた腕を引っ込めると一歩後ろに下がった。
昴が離れたのを確認すると、創は良杜の正面に立ち鋭い視線を投げかけて言った。
「迎、お前やっぱりΩなんだろ?」
「っつ・・・」
良杜は怯えたように肩を震わせる。
もう・・誤魔化すのは無理なのだろうか。
創の真剣な眼差しが嘘をついていた自分を責め立ててくるようで良杜は思わず視線を逸らした。
しかしそんな良杜の様子に苛立ちを覚えたのか、創は良杜の両肩に掴み掛かかり強い口調で続けた。
「おい、本当のことを言えよ。絶対そうだろ?だってお前・・」
「ちょっと、何やってるの?」
緊迫した空気の中に凛とした声が響いた。
声がした方に目をやると、幸が怪訝な顔をして立っている。それから今がどんな状況か気づいたのか、横にいる昴に目をやって言った。
「昴、天谷君を良杜君から離して!」
「え・・?」
「良杜君、ヒートを起こしてる。だからαから遠ざけないと」
「・・っ!わかった」
幸の言葉に昴は焦りの表情を浮かべると、勢いよく創の肩を引っ張った。
引っ張られた創は、昴の方をキツく睨みつける。
「何するんだよ?!」
「今幸が言ったこと聞いたでしょ?俺達は良杜君のそばにいたらダメだ」
「俺はいいんだよ!」
創はそう言うと、掴まれた肩を払い除けた。
「こいつは!迎は!俺の運命の番だ!」
「え・・・」
創の言葉に昴は目を見開いてたじろぐ。
その隙を見て創は再び良杜に詰め寄った。
「迎!正直に言えよ?なんで嘘つくんだよ?」
「・・・あっ・・」
良杜は肩を震わせて怯えるような表情で創を見つめた。
怖い。けれど確かに身体が彼を見て疼いている。このままそばに居たらおかしくなってしまいそうだ。
「・・っ!」
良杜は勢いよく立ち上がると、創の横をすり抜ける様にして走り出した。
「あっ!おい!また逃げるのか?!」
後ろから創の怒ったような声が聞こえる。
「昴!天谷君抑えてて!」
それから続けて幸の緊迫した声も聞こえた。
しかし良杜は止まることなくカフェを飛び出すと、人気のない所を目指して走り続けた。
休日の商業施設だ。どこにαが居いるか分からない。
そんな中でヒートを起こした自分が現れたら・・
頭の中に中学時代の創の歪んだ表情が浮かんだ。
早く人のいないところに行きたい・・
良杜は施設の入り組んだ場所にある人気のないトイレを見つけると、奥の個室に入り鍵をかけた。
それから鞄の中から急いで抑制剤を出すと、口の中に放り込んで飲み込む。
しかし走ってきたからなのか、ヒートを起こしたからなのか。早鐘のように揺れる心臓の鼓動はなかなか治まらない。
良杜はそれを落ち着かせるために大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出した。
それでもまだ胸の鼓動は速い。
体も火照ったままだ。
やはり・・創は運命の番なのだろうか。
昴もαと言っていたが、彼と話している時はヒートになることはなかった。
天谷創にだけ・・つまりそれは、彼が『特別』であるという証・・
そんなことを考えていると、ポケットに入れていたスマホが振動した。
見ると幸からの着信を知らせる表示だった。
少し緊張した面持ちで電話に出る。
「・・も、もしもし」
『良杜君?出てくれてよかった。今どこ?』
幸は安心したような声で言った。
「あ、あの・・と、トイレの中・・」
『トイレ?どの辺りのトイレ?迎えに行くから教えて』
「で、でも・・」
『天谷君なら大丈夫。昴が今落ち着かせてるから。良杜君にも近づかないように言ってあるよ』
「・・・本当に?」
『・・うん。騙すようなことしてごめんね。釈明もしたいからいる場所教えて?』
「・・・わかった」
良杜は電話越しに小さく頷いて答えた。
それから数分して、良杜がトレイの前で待っていると幸が駆け寄ってきた。
「この辺り、全然人がいなくて穴場だね。よかった」
幸は辺りをキョロキョロと見回す。
「抑制剤は?飲んだ?」
「うん。だいぶ落ち着いてきたよ」
薬が効いてきたのか、先ほどより身体の火照りは治ってきた。
今ならαが近くにいても大丈夫かもしれない。
「・・・ごめんね、良杜君。騙すようなことして」
幸が伏目がちにこちらを見て言った。
やはり騙されていたのかと胸がチクリと痛む。
「・・みんなで・・遊ぶっていう話は、嘘だったの?」
「・・うん。明と基依君には今日のこと言ってない。反対されると思ったから」
「反対?」
「・・良杜君に昴を会わせるの。二人とも良杜君がαに苦手意識を持ってるの分かってるから、昴とは会わせない方がいいって言うと思って」
「・・・なんで、幸君は俺と昴君を会わせようと思ったの?」
良杜が聞くと、幸は綺麗な瞳をこちらに向けて言った。
「良杜君にとって、天谷君が特別かどうかがわかるんじゃないかと思って・・」
「え・・」
「良杜君、ヒートになったのはたまたまαの天谷君と接触したからだって言ってたでしょ。でも、それなら他のαでもそうなるのか試してみればいいんじゃないかなと思ってね。だから昴に会わせてみた。昴なら万が一良杜君がヒートを起こしても自制が効くと思ったから」
「・・昴君のこと信用してるんだね」
「まぁ、ね・・」
何か含みを持った間を空けながら幸は頷いた。
「それで、どうだった?昴と二人きりの時は?」
「え・・」
「俺一応遠くから見てたんだけど、遠すぎてよく分からなくて。そしたら急に天谷君が現れて明らかに良杜君の様子がおかしくなったのが分かったから出てきたんだ。天谷君が現れるまでは大丈夫だった?」
「・・う、うん。大丈夫だった。昴君がαだって気が付かなかったくらい・・」
「あはは。昴はαの割には性格地味だからね」
「・・・」
「良杜君?」
良杜が考え込むように黙り込むと、幸は申し訳なさそうな顔をこちらに向けた。
「・・あの、本当に騙すようなことしてごめんね?」
「あ・・・ううん。それはもう、大丈夫・・ただ・・」
「ただ?」
「やっぱり、本当に・・天谷は俺にとって特別なのかって思って・・」
「・・・」
「本当に運命の番なのかな・・・でも、もしそうなら、俺のフェロモンは運命の番にも不快なものだってことだよね・・」
良杜は俯き下を見つめた。
絶望にも似た気持ちだ。『運命の番』ならばと、一縷の望みを持っていたのに・・
「ねぇ、それなんだけど・・」
幸が眉を顰めながらゆっくりと口を開く。
「本当に天谷君は不快に感じたのかな。良杜君の勘違いじゃないのかな?」
「え・・・」
良杜は顔を上げ幸を見つめた。
「さっき良杜君がヒートを起こした時、確かに昴は何か感じたのか少し険しい顔をしてたと思う。それでもあの子はそれを口に出すタイプではないけどね。でも、天谷君はそういう感じには見えなかった」
「・・・」
「むしろ、君に惹きつけられていっているように見えたよ。本能のままに・・」
「・・そ、それは・・俺がΩじゃないって嘘をついてたから・・それを確かめようとして・・」
「それでも、そんな不快な香りがするならわざわざ近づいていくかな?彼にはそんなそぶりは見えなかった」
「・・・でも・・じゃあ、あの中学の時のあれは・・なんだったの・・」
良杜は両手で顔を覆うとしゃがみ込みその場で項垂れた。
頭が混乱して何から考えたらいいのか分からない。
先程の創の態度はどうだった?表情は?
分からない。興奮して体は熱くなって何も考えられなくなっていたのだから・・
「あれ・・ねぇ、この痕は何?」
頭上から幸の不思議そうな声が聞こえた。
「え・・」
良杜はしゃがんだまま顔だけ上に向ける。
「痕って・・?」
「今、良杜君が俯いてたから首の後ろの辺にある痕が見えたんだよ」
「え?」
良杜は咄嗟に首の後ろを摩る。しかし触っただけでは自分では分からない。
「ねぇ、もう一回見せて」
幸はそう言うと、良杜の後ろに周りうなじの少し下のあたりを触った。
「やっぱり・・この痕・・」
「な、何?何があるの?」
良杜は顎を引き下を向けたまま、後方の幸に話しかける。
「ここ、この辺り。微かだけど痕がある」
トンと人差し指で触りながら幸は言った。
「噛まれた痕・・ちいさな歯型だけど」
「え・・・」
ドクンと心臓が揺れる。
すぐには理解できず幸の言葉をゆっくりと頭で反芻した。
噛まれた痕・・?
どういうことだろう・・
なぜそんなものが首筋に・・
「それは俺が噛んだ痕だ」
少し離れた所から声がして、良杜は顔を向けた。
創が歪んだ表情でこちらを見つめていた。
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