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最終話

涙が止める間もなく溢れてきて頬を濡らした。 こんなに泣いたのはいつぶりだろう。 嬉しかったのか、安心したのか。 それはよく分からなかったけれど、頬を伝う涙のように心の中もほんのり温かく感じられた。 「落ち着いた?」 男子トイレの鏡の前で幸が濡れたハンカチを差し出しながら聞いた。 良杜はそれを受け取り小さく頷く。 「うん。ありがとう、幸君」 「泣きすぎて目が真っ赤だよ。冷やした方がいい」 「うん・・」 良杜は幸から借りたハンカチを目元に当てる。 ヒンヤリとして気持ちがいい。 「今、昴と天谷君にはフードコートで席探してもらってるから。みんなでご飯でも食べて帰ろうよ」 確かにお腹が少し空いている。今は何時ぐらいだろう。 そんなことを考えながらハンカチで目を冷やしていると、幸が鏡越しにこちらをじっと見つめてきた。 「?どうしたの?」 良杜はハンカチを離して鏡越しに視線を合わせる。 すると幸は「ねぇ・・」と小さく呟いて続けた。 「・・本当に、天谷君と番になっていいの?」 「・・・え」 「良杜君、番になるってどういうことかわかってる?一生、その人にしかヒートを治めてもらえないんだよ?」 「・・・うん。わかってるよ・・」 良杜は口元を少しあげて頷いた。 番になれば、Ωのフェロモンはその番相手にしか効かなくなる。そのため発情期がきたら番と身体を重ねヒートを治めてもらう。 Ωはその番なしではいられないということだ。 けれどαは違う。 例えば他に好意を寄せる相手ができたならば、αは運命の番だとしてもその関係を解消することができる。 もしそうなれば、捨てられたΩは発情期を一人で耐えなければならない。 番が見つかることは幸せだというけれど、そういった可能性もあるのだ。 だから本来ならば、心から信頼できる愛し合っている相手と番になることが望ましい。 それはわかっている。 「・・でも俺は・・天谷と番になることが運命ならそれに従いたいんだ」 良杜の言葉に幸が怪訝そうに眉を顰めた。 「・・運命の番って、そんなに大切?良杜君は天谷君のこと好きではないんでしょ?」 その質問に良杜は口を一文字に結ぶ。 はっきりと彼への感情を表現するのは難しい。 けれど・・ 「天谷のことを、前向きな気持ちで捉えたことが今までなくて。でも、いつも彼の存在を意識してた。どう思われるかとか嫌われないかとか・・俺は天谷に見限られるのが怖かったんだ。だから先に自分から離れた。でも・・それでもずっと、心の中にいた。トラウマとしてだと思ってたけど・・」 「・・・」 「・・でも違った。多分、本能が彼を求めてたんだと思う。不思議とそう思えるんだ。好きって単純な感情より、俺はその本能に従ってみたい」 「・・・ハァ」 幸は小さくため息を吐くと、理解できないといった顔で首を横に振った。 「何それ・・運命の番ってそんなに何か特別に感じるものなの?」 「・・・うん。うまく言えないけど・・・さっき、天谷に『番になりたい』て言われた時『やっと見つけた』って思ったんだ。自分の欠けていた部分を・・」 「欠けていた部分?」 「そう、自分に足りなかったもの・・自信とか希望とか。自分を満たすもの。それを全部持っていたのは天谷だったんだって感じたんだ。だから天谷と、一つになりたい・・」 良杜は溢れてくる感情そのままに話した。 なぜこんなにも彼に惹かれるのか、心が温かく感じたのか。 言葉にしてみたら、うまくまとまらなかった天谷への気持ちがわかってきた。 「・・・そう・・良杜君がいいならそれでいいけどね・・」 幸は納得はしていなさそうだったが、少しだけ目元を緩めると優しく微笑んだ。 「そろそろ大丈夫?フードコート行こうか」 「うん、話聞いてくれてありがとう」 良杜も笑いながらお礼を言うと、幸と共に歩き始めた。 フードコートでの食事は終始穏やかなものだった。主に三人が通うK高校のことが話題の中心で、県内屈指の進学校と自分が通う高校との差に良杜は驚いたりしていた。 それから食事を終えると、幸達は基依達と合流するからといって駅で解散となった。 「じゃあ、また。良杜君、何かあったらいつでも相談してね」 幸が微笑んで言いながら、チラリと創に目配せする。 「何だよ。俺に警告してるみたいじゃん」 不機嫌そうに創が唇を尖らせた。 それを見て良杜はクスクスと笑う。 「うん、ありがとう。また」 良杜が小さく手を上げると、幸と昴が並んで手を振ってくれた。 「なんか、すっかり四十万達と仲良くなったな」 駅のホームへ降りる階段で創は両手を頭の後ろで組みながら言った。 「思ってたより話しやすかったわ、四十万も矢野も。学校じゃ2人ともすましてる感じだからな」 「へぇ。そうなんだ」 相槌を打ちながら、良杜は自分の身体に起こり始めている異変に気がついた。 創と二人になってから、心臓の鼓動が速い。 先ほど四人でいた時は冷静さを保てていたのに。 二人になって緊張しているのだろうか・・ そう思いながら横の創に目をやると、創と視線がぶつかった。 彼もこちらを見ていたようだ。 心なしか創の頬も紅潮しているような気がする。 「・・おかしいな・・ラットの抑制剤飲んだはずなのに・・」 創は独り言のようにボソリと呟いた。 「・・悪い・・俺ちょっと離れるわ」 「え・・・」 「お前から・・匂いがする。クラクラするような・・」 「・・・」 その言葉を聞いて良杜はグッと息を止めた。 『匂いがする』と言われると無意識にそうしてしまうのだ。 しかしそんな良杜の様子に気がついたのか、創は少し悲しそうに微笑んで首を振った。 「違うからな・・めちゃくちゃいい匂いだから。今ギリギリで理性保ってるけど・・外じゃなかったらやばかった・・」 「・・ほ、本当に?」 「あぁ・・」 そう言って頷く創の息遣いはドンドン荒くなっていく。 それに釣られるように良杜の鼓動も速くなってきた。 「・・天谷・・」 良杜は指先で優しく創の袖口を引っ張る。 「・・体が・・熱くて、苦しい・・かも」 「・・・」 創は目を見開き良杜を見つめると、唾を飲み込んだ。 自分でも驚いている。なんであんな、誘うような言葉が出てきたのか・・ けれど、自然と口から溢れたのだ。 この人には言ってもいいのだと・・ この熱く欲情している身体を、この人だけが受け止めてくれるのだと。 わかったからかもしれない。 気がつくと、良杜は先ほど入ったはずの駅の改札を創に引っ張られるようにして出ていた。 駅員には創がうまく説明してくれたようだ。ボゥっとする頭でそれを眺めていたはずだが、あまり覚えていない。 創に手を引かれ良杜はさらに駅の外に出る。 創はそこから目指す場所がわかっているのか、迷うことなくドンドンと歩みを進めていく。 創の背中を見ながら引っ張られるようにして歩いていくと、白い建物の前で急に創がぴたりと止まった。 良杜は創の後ろから様子を伺う。 その建物の前にある立て看板に目を向けると『宿泊、休憩』という文字が目に飛び込んできた。 ホテルだ・・・ 良杜は心の中で呟く。 存在は知っていたがこんなに近くまで来たのは初めてだ。 「・・ここに、入るの・・?」 恐る恐る口にしてみる。 「・・・嫌か?」 創はこちらに目を向けて聞いた。 「・・・」 良杜は唾を飲み込むと、ゆっくりと頭を振る。 「・・嫌ではない。けど、怖い・・」 「怖い?ホテルが?」 「ううん、違うよ。怖いのは・・自分。自分がどうなっちゃうのか、分からなくて怖い・・」 「・・・」 「でも・・」 そう言って言葉を切ると、良杜は自身の胸に手を当て創を上目遣いで見つめた。 「天谷が、欲しいって・・なぜかすごく思っちゃうんだ・・・こんな自分でも・・いい?」 潤んだ瞳で良杜がそう言った瞬間、創は良杜の手を引きホテルへと勢いよく引き込んだ。 無人のカウンターで空いてる部屋を選択すると、二人は無言のままその部屋へと急いだ。 心臓が痛いくらいの鼓動で揺れる。 何も考えられない。息が・・苦しい・・ 「・・っ・・ふっ・・うぅ・・」 部屋に入り扉を閉めると、確認する間もなく創の唇が良杜の口を塞いできた。 先ほどの息苦しさとはまた別の苦しさに良杜は声を漏らす。 「・・っ・・ぁぅ・・」 身体に力が入らなくなり、良杜はすがりつくように創の腕を掴んだ。 「あ、あまた・・に・・」 なんとか名前を呼んだ瞬間、ヌルリと生暖かなものが口内に入り込み中を埋め尽くす。 それが創の舌であることに気がつくのに数秒かかった。 良杜にとって人と触れ合うことも、もちろんキスも全てが初めてなのだ。 見聞きした知識だけでなんとかこの場に立っている。 次にどうすればいいのか・・ 興奮で熱くなった頭でなんとか思考を巡らせるが、答えがわからない。 そんな良杜の気持ちに気がついたのが、創は絡めていた舌をゆっくり離すとじっとこちらを見つめて言った。 「・・大丈夫だから」 「・・・」 その真剣な眼差しに応えるように、良杜は小さく頷く。 「・・うん。俺、天谷のこと信じるよ・・」 熱く湿った肌がぶつかり合う音が耳に響く。 しかしそれ以上に自分のあげる喘声が部屋中に広がっていた。 いつの間にかそれを抑えようという気は吹っ飛び、ただ彼の与える快感に酔いしれたい気持ちになっている。 自分がここまで欲に忠実な体を持っていったなんて知らなかった。 「ぅ・・あっぁあ・・」 お腹の中を熱いモノが動いているのが分かる。 しかし、それはもう溶け込んでいるかのように馴染んでいて異物感は感じない。 自分の身体をただただ満たしてくれるものだ。 「あっ・・ぁ、あまたに・・まって・・」 その初めての満たされる気持ちに心が追いつかず、拒否するように首を小さく振った。 「やだ・・・あっ・・まって・・」 「待って?本当に?・・こんなにキツく抱きついてきてるのに?」 額から汗が吹き出した創が口の端を上げて笑う。 創の言うとおり、彼の首にはキツく良杜の腕が絡みついてる。 無我夢中で求めるようにしがみついていたのだ。 「あっ・・だっ、だってぇ・・」 甘えるような声を震わせながら、良杜は目に涙を浮かべて創を見つめた。 「こんな・・訳わからなくなるくらい、気持ちいいなんて・・思わなくて・・もう、怖い・・」 「・・・何それ。狙ってんの?」 「え・・・」 「めちゃくちゃ可愛い」 創はふっと頬を緩めると、先ほどよりも激しく腰を動かし始めた。 「あっ!あっぁあっ!や、まって!」 ズンと重く当てられた動きに良杜は大きな声をあげる。 「ぁあっ!あん!あっ・・ぁあ」 「・・はぁ・・迎・・可愛い。もっと・・」 「・・ぅぅう〜」 『可愛い』だなんて、自分の人生で全く縁のない言葉だと思っていた。 自分の見た目が地味で平凡だということは自覚している。 それでも熱い目をした彼に『可愛い』と囁かれたら、自分にも少しは魅力があるのではないかなんて思ってしまう。 今の、熱に浮かされた状態からでた言葉だとしても。 求められ、愛しそうに見つめれる喜びを知ることができて心が満たされる。 「っっ・・迎・・いきそう・・」 創が熱った頬で顔を歪めながら呟いた。 「お前のここ、噛んでいいか?」 熱い指が良杜のうなじに触れる。 「ぅん、かんでぇ・・」 迷うことなく良杜は答えた。 「噛んでほしい・・お願い・・」 まだ生涯の番を決めるには早い年齢かもしれない。 けれど、自分には彼しかいない。 後にも先にも、求めてくれるのは彼だけなのだ。 だから迷う必要なんてない。 「・・おれを・・天谷の、ものにして・・」 良杜は力強く創を抱き締めながら言った。 その言葉を合図に、創の動きはより一層激しくなる。 「あっ・・っ!あぁあ!」 「はぁっ、はっ・・・」 良杜の喘声に創の息遣いが混じり合う。 身体は沸き上がるように熱くて実感はあるのに、まるでふわふわと浮かんでいるようだ。 「あっ・・!」 良杜が大きな声を上げた瞬間、お腹の中にドクドクと脈打つものを感じた。 それと同時に首筋にピリッとした痛みが走る。 痛いのに、気持ちがいい。 温かくて優しい。 不思議な刺激だ。 「・・迎・・大丈夫か?」 創は気遣うような表情でこちらを見つめた。 「うん。大丈夫」 良杜は微笑みながら頷く。 「これで・・おれ、本当に天谷の番になったんだよね・・」 「・・あぁ」 「よかった・・」 「・・本当に、よかったか?」 創は真剣な眼差しで聞いた。先程までの熱を帯びた瞳はもう消えている。 「え・・もちろん・・なんで?」 なぜそんなことを聞くのだ。 良杜の心に不安の色が広がってくる。 「だって・・俺が、お前を縛ったようなもんだろ。昔、中途半端に噛んで他のαを寄せ付けないようにして・・本当だったら、お前には番を選ぶ権利があったのに」 「・・・」 「お前を俺しか選べないようにした・・お前は俺のこと好きでもなんでもなかったのに」 弱々しい声で創が俯く。 いつだって明るく自信に溢れた顔をしていた彼が・・ 「・・天谷・・」 良杜はそっと腕を伸ばし創の頬に触れた。 そこはまだ温かい。 「・・例えば、俺が他に好きな人がいたとしても・・でも俺は最後には天谷を選ぶと思う」 「・・・なんで?」 「運命の番、だから」 その言葉に創は眉間に皺を寄せる。 「・・それって、つまり本能には逆らえないからってことだろ。それって、選んだことになんのかな」 「・・じゃあ天谷は、他の人と番になる想像・・できる?」 「え・・・」 「俺はできないよ。俺の魂が天谷が良いって叫んでる。一緒にいたいんじゃなくて、一つになりたいって思うんだ、天谷と・・」 「・・・・」 「きっと天谷以外じゃ足りない。天谷じゃなきゃ永遠に満たされない。だから、天谷がいい。それじゃダメ?」 良杜の瞳から涙が一つポロリと溢れた。 「あ、天谷が・・いつか俺以外の人と、一緒になりたいって思う時がきたら・・そしたら俺は、ちゃんと引くから・・だからそれまでは、天谷の番で・・い、いさせてほしい」 良杜は懇願するように喉を震わせて言った。 ポロポロと溢れ出てくる涙を抑えようとしたが止まらない。 「なんだよ、それ・・」 創は眉尻を下げると、涙を流す良杜を両手で抱きしめた。 「俺は、お前のことが好きなんだよ。ずっと昔から。無意識に半分番にするくらい・・なんでその俺がお前を振るみたいな話するんだよ」 「だ、だって・・わからないじゃん・・俺と違って、天谷はいつも人の輪の中心にいて、みんな天谷のこと好きで。その中で天谷がいいなって思う人が、現れたら・・」 「はぁ?ふざけんなよ。今までに告られた事なんて何回もあるけどな、けどそれでも俺は、お前のことずっと忘れられなかったんだよ」 「・・・」 抱きしめられたまま、良杜は鼻を啜る。 「お前に避けられるようになって、だったら俺も忘れなきゃって部活一生懸命やったり友達と騒いだりしてたけど・・結局お前が心の中からいなくなることはなかった。だから、お前と再会した時は驚きすぎて・・周りに四十万とかいたから上手く話しかけられなかったけど本当は緊張してた」 「え・・」 「うちの高校にバスケの試合見に来てた時だよ。あの時、お前途中で逃げ出しただろう?あれ、ヒート起こしてたんだよな?」 「・・・あぁ、うん・・そう。急に身体が熱くなってビックリしたんだ・・」 「・・・やっぱりな。お前が走っていった後、俺四十万に聞いたんだよ。『迎Ωなのか?』って。そしたら『ヒートかと思ったけど貧血みたい。αの君には関係ないよ』って警戒心もろに出しながら言ってきてさぁ」 「・・・え」 「なんか秘密にしてる感じ。あの時俺ちょっと嫉妬したんだよな。お前が新しい環境で楽しくやってるみたいで・・だからあの後、道でお前と偶然会えた時、お前を試すようなこと言っちゃったし」 「試すようなこと?」 「四十万を狙ってみようかなって。本当はそんなこと微塵も思ってなかったけどさ」 「あ・・そういえば・・」 確かにそんなこと言っていたことを思い出した。 「お前がどんな反応するかなって思って言ったけど、めっちゃ普通に返してきて傷ついた。迎は俺のことなんとも思ってないんだなって」 「だ、だって・・あの時は俺、天谷にヒートになったら嫌われるって思ってたから。気が気じゃなくて・・」 「・・そうだったんだな。最初から全部俺のせいだった。自分で自分の首絞めてたようなもんだな・・」 「それは、俺も勝手に勘違いしてたっていうか・・自信がなくて自虐的ところもあったし・・」 良杜は申し訳なさそうに下を向く。 すると創は少し身体を離し、覗き込むように良杜の方に顔を向けた。 「それは、俺がそうさせたようなもんだろ。お前が悪いわけじゃない」 「・・でも」 「お前には悪いことしたけどさ・・けど、そうやってお前が誰とも番にならないでいてくれたから、もう一度お前との関係、繋ぐことができた」 創は口の端を上げて微笑むと、優しく良杜の首筋に触れた。 「・・天谷」 「だから、俺はもう二度と離れないよ。やっと捕まえたんだ、お前を。離れるもんか・・」 「・・・」 良杜はグッと喉を鳴らして息を吸う。 それから再び涙を流すと「うん・・うん・・・」と小さく頷いた。 創はそんな良杜の額に優しく口付けをする。 それから自然と二人で視線を合わせると、再び唇を重ね合った。 柔らかな舌がするりと入り込むと、お互いを求めるように絡め合う。 きつく抱きしめた身体からはお互いの体温だけしか感じない。 身体が溶け合うってこんな感じかな・・ 境界線がわからなくなるような・・ 出来ることなら、このままずっとこうしていたい。 離れないで。彼の一部でいさせて欲しい。 良杜は瞳を閉じながら、全身で感じる創の温かさにそんなことを思った。 —— 二回、乾いた号砲の音が響いた。 部活対抗リレーのアンカーがゴールテープを切った合図だ。 「おぉー!サッカー部1位だ!すごいなぁ、天谷君!」 隣で明が嬉しそうな声を上げた。 「体育祭のヒーローじゃん!」 その言葉に思わず良杜が自分のことのように照れ笑いをしてしまう。 「矢野も頑張ってんだから応援してやれよ、明」 さらに明の隣にいる基依が意地悪そうな笑みを浮かべて言った。 「それを言うなら基依だって幸のことちゃんと見ててあげなよ」 「あいつは最初からやる気なさそうにしてるからな。応援のしがいがねーよ」 そう言ってチラリと基依が視線を向けた先には、幸が何人かの友人に囲まれて談笑している姿があった。 「はぁー。相変わらずあいつはあんな感じか」 つまらなそうに口を尖らせて基依がぼやく。 「幸だからね」 明が反撃するようにニヤリと笑って基依を見つめた。 よく晴れた五月の終わり、天気に恵まれた今日はK高校の体育祭の日だ。 良杜は基依に誘われ、明を合わせた三人で応援にやってきた。 創にも『見に来てよ』と言われてはいたのだが、一人で行く勇気はなかったので誘ってもらえて助かった。 「あ、昴!」 明が遠くを歩く昴に気がつき大きく手を振る。 それに応えるように昴も柔らかく微笑んで手を振った。 「・・けど、びっくりしたなぁ。明君の恋人が昴君だったなんて」 二人のやり取りを見ながら良杜はボソリと言った。 「伝えるの遅くなってごめんな。てっきりもう基依が言ってるもんだと思ってたからさぁ」 「俺は人の恋愛事情をベラベラ話すような人間じゃねーよ」 基依が心外そうな顔をする。 「それに矢野はαだから良杜はあんまり関わりたくないんじゃないかと思ったんだよ。それなのになぁ・・」 そこまで言って基依は再びチラリと幸の方に視線を送った。 「あいつが勝手なことしてさぁ」 「本当、ごめん良杜君。後から幸に聞いてビックリしたよ」 明が言っているのは幸の策略で昴と会うことになった時のことだ。 あの時何があったのかは、二人が部活動を終え幸達と合流してから聞いたらしい。 自分達の名前を勝手に使った事に基依はかなり怒ったようだが、幸が軽くあしらったのが想像できる。 「ううん。逆に幸君には感謝してるよ。だってあの日のおかげでこうやって天谷と番になれたんだから」 良杜はそう言って微笑むと自身のうなじあたりを擦った。 創の付けた跡の感触が指先から伝わってくる。 「まぁ、結果オーライってことならいいけど。幸に功労賞でもあげとくか」 「あはは!そうだね」 基依が小さくため息を吐いて言うと、明は面白そうに笑った。 そんな会話をしていると『リレー選手は集まるように』との放送が流れた。 いよいよ体育祭も最終種目だ。 「こうやって見てると、同じ体育祭でもうちの学校とは雰囲気違うなぁ」 基依が目の前のグラウンドを見つめながら言った。 「K高は競技一つ一つに力が入ってるよね。うちのY高はお祭り騒ぎがメインって感じだけど」 二人の会話を聞きながら良杜が小さく相槌を打っていると、目の前を創がちょうど通りかかった。 バチっと目が合い、思わず戸惑いの表情を浮かべる。こんな時どんな反応をすればいいのか、いまだに分からない。 「よぉ!天谷もリレー出るんだろ?」 良杜よりも先に基依が明るく創に話しかけた。 「当たり前だろ。俺が出なくて誰が出るんだよ」 自信満々と言った顔で創は腰に手を当てた。 「迎、ちゃんと見てろよな」 創はそう言って良杜に視線を送ると、駆け足で去って行った。 その後ろ姿を良杜は無言で見つめる。 何か声をかけるべきだったのに。咄嗟のことでなんて言っていいかわからなかった。 そんな不甲斐ない自分が嫌になる。 「天谷君、雰囲気柔らかくなった気がするね」 明が去っていく創の背中を見つめて言った。 「え・・そうかな・・」 「うん。初めて見た時は少し怖そうに感じたから」 「やっぱり恋人ができて心に余裕が持てるようになったんじゃねーの?」 「そうかもね。良杜君のおかげだ」 「・・えぇ。う、うん」 その言葉に良杜は恥ずかしそうに頷いた。 余裕ができたというなら自分も同じだ。 ずっと、外を歩くのも怖かった。 人から嫌悪の目を向けられたらと不安だったからだ。 けれど、もう違う。 例えば今この身にフェロモンを纏ったしても、誰にも気付かれない。 気づいてくれるのは彼だけだ。 「けど、運命の番って本当にすごいんだな。俺感動しちゃった」 明が高揚した声で言った。 「え、感動?」 「うん。だってずっと無意識に惹かれ合ってたんでしょ。特に天谷君なんてαだって自覚する前から、良杜君を番にしてしまおうとしたくらいだし。運命の番って生まれた瞬間から魂に刻まれてるようなものなのかな」 「わ、わかんないけど・・でも、確かに他の人とは違う何かがあるんだと思う。天谷のこと自分の半身のように感じるんだ・・」 「半身?」 「うん。天谷といることでやっと本当の自分になれてる気がするんだ。本能的に彼の存在を必要としてる。一緒にいたいんじゃなくて一つになっていたいっていうか・・」 「おおぉ〜!大胆なこと言うじゃん、良杜〜!」 揶揄うように基依が言ったので、良杜は恥ずかしそうに首をすくめた。 しかしその横で明は目を輝かせている。 「へぇ〜!やっぱすごいな、運命の番って」 「あ、はは。ありがとう」 確かに『運命の番』はすごいのかもしれない。 偶然にも幼い頃に出会ってしまったがために、その力に引っ張られ彼に無意識のうちに囲われてしまった。 あの頃からもう、自分の運命は決まっていたのだ。 辛い思いはしたけれど・・ でも、他の人と番になることなく、運命の相手である自分の半身を手に入れられたのはその力のおかげだ。 今、満たされているのだからそれでいい。 「お!リレー始まった」 基依の言葉を聞き、良杜はグラウンドに目を向けた。 一斉にスタートした選手達が同じくらいの速さで走ってくる。 「頑張れ〜!昴〜!」 隣りで明が大きな声で叫んだ。一走目の選手の中で昴が一人飛び出してきている。 昴はそのまま綺麗にカーブを曲がると後方の選手をさらに離し次の選手へとバトンを渡した。 「昴〜!すげ〜」 嬉しそうに明が叫ぶ。その瞳はキラキラと輝いていて眩しいくらいだ。 こんなに興奮している明を見るのは初めてかもしれない。 愛しさというものは、こういう風にも表現できるものなのかと思った。 良杜は順番を待つ選手達の中に、真剣な眼差しでレースの行方を見守っている創の横顔を見つけた。彼はアンカーのようだ。 自分も明のように、創に何か声をかけてあげたい。 良杜は祈るような気持ちで創の出番を待った。 昴のスタートで一位をキープしたまま、アンカーの創へとバトンが繋がる。 バトンを受け取ると、創はまっすぐ前だけを見て走り出した。 「あ・・」 声を張ろうとしてどもってしまう。 それでも震える口元をもう一度キツく結び直すと、スッと息を吸ってお腹に力を入れた。 「頑張れ〜!天谷〜!」 自分の声が耳にこだまする。こんなに大きな声を出したのはいつぶりだろう。 「おお!いいぞ、良杜!もっと応援してやれよ!」 基依が楽しそうに言った。 「う、うん!天谷〜!いけ〜!」 一度声を出してしまうと不思議と心は軽くなる。 先ほどよりも声を張り上げて良杜は叫んだ。 その声が届いたのだろうか。 創のスピードがはさらに速くなる。 ただでさえ開いていた後ろとの距離はどんどん離れていき、創はぶっちぎりの一位でゴールテープを切った。 ワッと歓声が上がる。 グラウンドの色々なところから創の名前を呼ぶ声が聞こえた。 それに応えるように創は右手を高く突き上げて周りを見回す。 そんなヒーローさながらの姿に良杜が思わず見惚れていると、だんだんとその姿が近づいてきた。 「え・・」 気がつくと目の前に創が立っている。 何かあったのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていると、突然身体を引っ張られ強く抱き締められた。 「・・・!?」 驚きのあまり、良杜は声を出せないまま目を見開く。 創の身体で視界は遮られ周りの様子はわからないが、騒つく声は聞こえてきた。 「・・ありがとな、迎」 しかしそんな喧騒をかき消すようにボソリと創の声が耳元を掠める。 「え・・・」 「応援してくれたろ。すごい嬉しかった」 「・・・天谷」 もぞもぞと腕の中からもがくように顔を出し、じっと創を見上げた。 頬が赤い。走り終わって熱っているせいだけではなさそうだ。 「迎が、俺の番になってくれた。それだけで俺はなんでもできる気がする」 創はそう言って嬉しそうに笑う。その笑顔を見て良杜の目頭が熱くなった。 「・・・うん、俺も。天谷がいれば何も怖くない」 そう言った途端、一粒の涙がこぼれた。 大勢の前で、誰かに抱きしめられる日がくるなんて。 それを恥ずかしいとか後ろめたいとか思わず、堂々と受け止められる自分がいるなんて。 全ては彼が、捕まえていてくれたから。 弱い自分を見離さず、繋いでいてくれたから。 奇跡なんかじゃない。 遠回りしたけれど。 これが、彼と俺の『運命』だった。

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