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先輩、ねえ先輩2

【東峰 春side】 「冬森さん、あのーこれってー…」 バイトの後輩に話しかけられている冬森先輩を、俺はその日、遠目に見つめていた。 今日、バイトに入ってから、もうかれこれ軽く1時間は経過していた。 俺と先輩はまだ、一言も会話をしていない。 別にいいんだけど、用もないし、いいんだけど…でも、なんか変な感じがする。 「あはは、そうなんだ」 最近入ったばかりの新人の女の子と、楽しそうに笑う冬森先輩の声がする。 顔を見ていなくても、声だけで判断できてしまう。 先輩の声は、低くて、でも優しくて。 本当はよく笑うんだってこと、俺、最初は全然知らなかったんだ。 見た目の割に優しいから… だから俺は、初めて会った日から、先輩のことがこんなにもずっと、頭にあんのかな。 騒がしい店内で、嘘みたいに、背後にいる先輩の声だけが、耳に届く。 ……は。……俺、きもちわる。 恋する乙女かよ。きも、まじきも。 でも、ちょっといま、…涙出そう。 先輩が、俺を全然見てくれないから。 先輩が、俺を全然呼んでくれないから。 先輩が、俺がいるのに、他の子と楽しそうにしてるから。 先輩……何で? 何で俺のこと、見てくれないの? 気のせいなんかじゃなかった。 先輩は、俺のことを――避けていた。 先輩とバイトが被った日は、一緒に、……先輩と、 歩いて帰る。 それが、俺と先輩の最近の決まり事で。 それなのに、先輩は、 「お疲れ様でしたー」 バイト終わり。素早く服を着替えると、ゆっくりと着替える俺の方にはチラリとも見ようとせず、そのまま部屋を出ていく先輩。 その瞬間感じる、――言いようのない焦り。 ……なんで? 先輩に、…無視された。 俺は脱いでいた服を、ぎゅっと手で握った。 話せなかった。 先輩に、声をかけられなかった。 違う子とは話して、俺とは話さなくて。 何でそんなことするの?…先輩。 ひどい…… 酷いよ、先輩…。 俺のこと、嫌いになったの…? 気づいたら――服を急いで着替えて、更衣室を飛び出している自分がいた。 先輩と話したくて。先輩に会いたくて。 冬森先輩は案の定、お店の裏にいた。 バイクのメットを持って、頭に被ろうとしている先輩を見つけ、自然と口角が上がる。 「先輩…っ!」 そう叫ぶように呼んだ。 だけどそれは、俺の声じゃなかった。 声の先へ目を向けると、そこには、先輩の元に駆け足で向かう、誰かの姿。 あれは、暗くて見えづらいけど、多分新人の女の子。 なんで……? 何であの子が、先輩のとこに行くの? 先輩は女の子に気付いて、ヘルメットを被るのをやめた。 そばに俺がいるのに、先輩は気付くことなく、楽しげに彼女と談笑していた。 それを見た途端、自分の腹の中をうごめく、黒いきもち。嫉妬。 俺が先輩の恋人なのに。先輩は俺が好きなのに。 邪魔しないで。……帰って! 俺は本当に勝手。 受け入れて、振って、それなのに今の俺はなんだ。 嫉妬…? 馬鹿らしい。馬鹿らしすぎる……なんだよ、それ。 何で今更…大体俺は、先輩のことなんて、ホモとしての意味で好きなんかじゃな―― ブルルルっ と、不意にかかるバイクのエンジン音に、俺は隅で隠れて立ったまま、体をびくりと震わせた。 え……? 目の前の光景に、俺は自分の目を疑った。 先輩は、女の子を後ろに乗せて、俺を1人置いて、バイクで夜道を帰っていった。 なん……で……? なんで、なんで、なんで…? 途端に湧き上がる疑問の波。 そして気づけば、我慢していた涙が、次々に溢れて流れ出ていた。 先輩の嘘つき。先輩の嘘つき…… 俺のこと、全部好きって、そう言ったくせに…… 言ったくせに―― ズルズルと、俺は崩れ落ちるように、その場にへたり込んだ。 涙は、留まることを知らなかった。 最近俺、泣いてばっか。 弱虫、優柔不断。馬鹿みたい、馬鹿みたい。 ………本当は分かってた。 本当は気付いてたんだ、自分の気持ちに。 だけど肯定していいのか、いつも、ただ分かんなかったんだ。 だって、認めてしまったら俺は…きっと先輩に、身も心も溺れてしまう。 それが怖かった。 だってあなたは、…俺とは違うから―― 「先、輩…」 視界が歪んで、見える景色がゆらゆらと揺れた。 優しい先輩の表情と声が、脳裏に浮かんでは消えていった。 〝ああ、…よろしくな〟 〝東峰って彼女いんの?〟 〝東峰って可愛いな〟 〝違うとかっていうそれ、前も言ってたけど、それなに…?〟 〝東峰って、真面目で、一生懸命で、可愛いじゃん〟 〝東峰……ごめんな〟 「ふ……っ……ぁあ………っっ…」 俺は地面に向かって、大量の涙を落とした。 ―――好きだった。 冬森先輩のことが、……好きだった。 ずっと、自分の心に否定し続けてきた。 傷付くのが怖くて。 認めたくなかった。いつも抗い続けてきた。 あなたを想う気持ちを、必死で抑え続けてきた。 好き… 俺は心の中で、初めて、そう小さく叫んだ。 …本当は大好きなんです、先輩が好きなんです。 あなたのことが、好きなんです……。 もう遅すぎるこの想いは、先輩には届かないことを察して、俺は口元を手で押さえながら、いつまでも泣いた。

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