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どうにもなんないこと1

【冬森 郁斗side】 最近、東峰とは随分距離が遠退いた。 というのも、俺は必要最低限なことしか東峰に話しかけなくなったし、東峰も仕事に慣れたのか、稀にしかミスをしなくなったからだ。 でも、これでいい。これでいいんだ。 だって俺たちはもう、恋人でも何でもないんだから。 「冬森さん、あの」 「うん?」 それから最近、新しくバイト先に女の子がやってきた。 名前は葉月さん。いつもニコニコしていて、ふんわりとした緩い雰囲気を纏った、一つ年下の女の子。 東峰とは、同い年ということになる。 *** 「おい郁斗〜〜」 本格的に夏に突入してきたある日のバイトの休憩中。 1人のんびりスマホをつつきながらくつろいでいると、同じバイト先にいる友人に肩を小突かれた。 「なに?」 彼の名は、矢木 巧。 彼は高校から仲の良い友人で、性格はかなりのお調子者だ。 俺と同じように耳にピアスを開けている。 「痛い。なんだよ」 ぐりっと肩の痛いところに入ったそれに若干顔をしかめると、つれねぇな〜と巧が笑いながら話す。 話しかけてくる彼の話に相槌を打ちながらスマホを触っていると、おもむろに休憩室の扉がガチャっと開いた。 それに何気なく、ちらっと視線を上げたとき。 目に入った、“彼”の姿にどきりとする。 緊張で体が強ばり、無意識に前髪に触れる。 軽く咳払いをして、背筋を伸ばした。 「つーかさぁー」 そばでどーのこーのと言う巧の話など、もうほぼ聞いていなかった。 …予想してなかった。東峰が来ることなんて。 俺の意識はすべて、近くに座る彼に集中した。 だから、巧が突然そんなことを言うなんて全然予想もしていなかった。 「お前、新人の葉月さんお持ち帰りしたって話、まじ〜?」 巧の耳を疑うような話に、俺は一瞬の間を空けて眉を寄せ、目を大きくさせる。 「は?お前、何言って……」 「とーぼけんなよ〜?葉月さんバイクに乗っけて帰ったんだろ?やっぱやるぅ〜郁斗」 肩を組まれる感覚に、俺は言葉を失った。 すぐそこにいる東峰に、焦燥感を抱いた。 「ついに彼女できたのか〜!良かったな〜郁斗っ!お前全然付き合ったりとかしないから、もしかしてこっちなのかと… あはははっ」 「……やめろよ」 頭に、手に、思い出すのは、 彼の声、彼の体温。肌の感触。 帰り道の、他愛のない会話。 「なんだよお前、そんなに照れなくても…」 「やめろって言ってんだろ……!」 思わず立ち上がり、大きな声を上げた俺の方に、東峰は振り向かなかった。 その代わり、巧とその周りにいた数人のバイトメンバーたちが、俺を見て目を丸くしていた。 ……ああ、畜生。 くそっ……イラつく、ムカつく。 俺は髪の束をくしゃりと掴んで、すぐに休憩室を後にした。 東峰…もしかしてさっきの巧の言葉、信じた? でも、もう俺は東峰の彼氏でも何でもないんだし。 だから、勘違いされたって、別に…。 ――だけど、誤解されたくないと思っている自分がいる。 話さなくても、たまにしか姿が見えなくても、俺の中からはまだ、彼への気持ちが消えているわけなど少しもあるはずなかった。 *** 東峰とはそれ以降も、仕事以外で口を利くことはなかった。 これでいいと望んだはずなのに、あまりにもその心の溝は大きくて。 「冬森さん、最近元気ないですね」 バイトの日。 新人の葉月さんにまで、俺の心情を見抜かれてしまった。 「あはは、そうかな。普通だよ」 慌てて愛想笑いをしてニコッと笑うと、葉月さんは軽くにこりと笑い返した。 「あ、そういえば……。冬森さん、先日はありがとうございました」 心做しかぼうっとする俺に向け、ぺこりとお辞儀をする葉月さん。 「家までわざわざ送っていただいて…」 ……ああ、あれか。 「あー、いいよいいよ。あんなの」 そういや、そんなこともあったっけな。 「いえ。私、あの日は本当に助かったんです。先輩がいなかったら、私、ほんとに」 「はは、大袈裟だよ。電車もあの日止まってて動かなかったんだし、どうせ俺は家帰るついでみたいなもんだったからさ」 笑って返すと、すぐそばから誰かに見られている視線を感じた気がした。 ちらっと振り返って見ると――そこには、東峰の姿があった。 「先輩?どうしたんですか?」 「あ、いや」 こちらを見ない、東峰の後ろ姿に、哀しさが一気に胸に込み上げてくる。 …まさか見てるわけないよな、彼が。 俺と葉月さんがどうにかなってたとして、東峰が何か思うわけがない。 彼に、葉月さんとの関係を勘違いされていたとしても、それを俺が弁解したとしても、東峰にとっては、どうでもいいことなんだ。 東峰はそんなことされたって、思われたって、 最初から、俺のことを好きだったわけではない……。 「先輩」 呼ばれた声に振り向くと、葉月さんが笑って俺を見つめていた。 「先輩って…実はすごく真面目ですよね」 「え?」 俺は葉月さんに向け、力なく笑いかける。 「真面目って、なに?俺のこと、不真面目だと思ってたの?」 冗談めかしく言って、すぐに声に出して笑おうとしたとき、葉月さんの頬がほんのり赤いことに気付いた。 俺は笑ったまま彼女を見つめ、表情を固まらせた。 「……私、先輩のこと、好きになってもいいですか?」 心臓がどくりと、大きな音を立てた。 それは、彼女からの告白に対してではなかった。 そばに立つ東峰に、今の彼女の声が聞こえたのではないかという紛れもない俺の焦りだった。

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