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優しい声2

【東峰 春side】 俺、酔ったかな。 酔ったって、どういうことを言うのか、お酒初めて飲んだから、よく分からないけど。 でもぼうっとするし、なんかずっと涙出るし、先輩は女の子といちゃついてるし…。俺は1人で、泣いてるし……。 やだ。嫌だ、どうしよう。 止まんない、止まんない…。なに、これ……。 「東峰?」 机に顔を突っ伏せて泣いていると、先輩の俺を呼ぶ声が、近くで聞こえた気がした。 …そんなわけがないのに。幻聴でも聞いてるかな、俺。 だって先輩は、俺の横にいるはずないんだ。先輩は、もう違う人のものになったんだ。 先輩は、冬森先輩は…、やっぱり俺とは相応しくなんかないんだ。 でも、 「なに酒飲んでんの?…何で泣いてんの。…どうしたんだよ、東峰」 いま、目の前にいるのは――紛れもなく、冬森先輩で。 「…先輩」 机に顔を横向きに突っ伏して、そばにいる冬森先輩の顔を目だけで見上げ見つめた。 「……なに?」 じーっと、冬森先輩の茶色い前髪と端正な顔を見つめていると、先輩は目をほんの少しだけ泳がせていた。 なに?…か。 先輩を見つめ、俺はぼやけた頭で考えた。 何でかな、何でだろうな…。 でも、なんか、こうして先輩の顔を見るのが久しぶりで、こんなにも近くに、先輩がいるのが久しぶりで。 先輩の目に、俺が映るのが久しぶりで…なんだかもう、それだけでたまらなくなって。 だから俺、こうして先輩のこと、ずっと見入っちゃうのかな。 冬森先輩が俺から目を逸らして、前髪を手でくしゃりと触った。 それを見て思った。 前からずっと思ってたけど、先輩って… 「いいから東峰…とりあえずこれ、酒、やめろよ」 もしかして、前髪触るの癖なのかな?とか…。 「…だって」 「うん?」 ――ドキン 不意に聞こえた、予想もしていなかった、先輩の優し過ぎる声に、俺は目を開いて、口元を小さく震わせる。 先輩の声が、優しくて。 先輩の目が、俺を映していて。 ドキドキするんだ、先輩といると。 ドキドキしてたまらないんだ、冬森先輩といると…。 いつから俺、こんなふうになってるんだっけ。 「東峰?」 先輩に名前を呼ばれることが、たまらなく嬉しい。 先輩にいま心配されていることが、たまらなく嬉しい。 俺を見てくれている先輩が、この光景が、…たまらなく嬉しい。 先輩が好き。冬森先輩のことが好き。 先輩、俺のことだけ見て、…先輩。 「……せ」 「…ごめん」 口を開こうとして、先輩の声と被る。 心臓がどくんと音を立てた。 ごめんって、なに…? 体を起こして先輩を見ると、先輩は俺から目を逸らした。 「俺、…あっち戻るな」 耳に届いた先輩の台詞に、俺は潤んだ瞳を大きくした。 途端に悲鳴を上げる、心の悲痛の声。 嫌だ。嫌だ、嫌だ、いやだ……! 行かないで、先輩、行かないで…! 「えっ」 咄嗟だった。 「ちょ……なに……」 気づいたら、立ち上がろうとする先輩のTシャツの裾を、俺は左手で掴んでいた。 俺って女々しい。 自分で振ったくせに。こんなの先輩からしたら、ウザいとしか思えないに決まってる。ていうか俺、……ウゼェ。 「…東峰?」 賑やかな店内で、俺と先輩だけは、まるで異空間にいるような、そんな感覚。 先輩だけが、一気に俺の頭を支配する。 「ここにいて…くだ、さい……」 耐えきれず、俺はいつの間にか、そう口にしていた。 何言ってんだこいつって、今更何って、思ったかな。 だけどどうしても、先輩にここにいて欲しかった。 俺以外の人のそばに、行って欲しくなかった。 俺以外の人と、笑わないで欲しかった。 先輩の裾を離せずに、ぎゅっといつまでも握っていると、先輩は俺を見て驚き、困惑するような表情を浮かべていた。 「おいおい、東峰結局酒飲んでんのー?」 と、先輩の隣から、陽気そうな声が飛んでくる。 「結局って…勧めてたのお前らだろう」 楽しげに笑うバイトメンバーに、冬森先輩はガミガミと何か咎めるように話をする。 「先輩」 それを見てくいっと先輩の服の裾を引っ張ると、先輩はびくっとして俺の方に振り向いた。 「な、どうした…東峰」 「……違う。俺が、飲みたいって…言ったから」 「えっ?」 言うと、目を丸くする先輩。 なんだか可愛い。 こんなときなのに、そんなことを思ってしまった。 「おっ、冬森〜〜っ!ちょうどいいところに〜。お前、東峰の面倒見てやってな〜」 「、はあっ?」 すると今度は、向かいに座る店長から声がかかり、先輩は素っ頓狂な声を出して反応した。 「ちょっと、…待ってくださいよ。ていうか面倒って」 「お前、面倒見いいだろうが。東峰、多分初めて酒飲んだんだよ。だから心配だろう?だから見てやっててくれよ〜、な。頼んだ!」 何か言おうとする先輩の声がかかる前に、店長はすぐ他のバイトメンバーと笑いながら話をし出していた。 俺の隣に、ストンと腰を下ろす先輩。 「……はぁ」 片手で頭を抱えるようにして吐く先輩のため息に、悲しくて胸が傷んだ。 俺の面倒見るの、ため息をつくぐらい嫌なのかな。 でも、そりゃそうだよね。 先輩、もう俺のことなんて好きじゃないんだろうし。 「東峰……お前」 だけど…俺、先輩に迷惑かけて、面倒くさがられたいわけじゃない。 嫌われたいわけじゃない。 先輩に、――好かれたい。 もう一度俺のことを、好きになってほしい。 でも、今じゃもう、やっぱりそれはもう、無謀なことなのかな……先輩。 「何でお前酒……て、え――東峰っ?」 先輩は、再び泣き出す俺を見て、きっと鬱陶しいって思った。 俺って元は泣き虫なんだ。 先輩と同じようにいつもカッコよく、仕事も卒なくこなして、涼しい顔してクールでいたいけど、でも俺は、先輩みたいになれない。 本当はドジ。本当はすぐ慌てる。それに仕事もできない。 本当は先輩ともっと色んなこと喋りたいし、先輩と笑いたい。 本当は先輩が好き。 本当は、好きで好きでたまらない。 先輩にまだ言えてないこと、できてないこと、ほんとはいっぱいあるんです。 だから、だから俺…… 「、…東峰」 ――離さない…… 俺は目元を潤ませて唇を結びながら、先輩の裾を強く握り続けた。

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