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願っていたことは2

【東峰 春side】 先輩に掴まれた、右手首が熱い。 先輩に向けられる目に、酷く動揺している自分がいた。 何を言えばいい?何て言えばいい? 俺のことほんとはどう思ってるんだ…なんて、何て返せばいい? 分からない答えに、俺はぐるぐると思考を巡らせ、先輩から目を逸らした。 「どうって…別に、何も」 「何だよそれ」 ――ドクン いつもと違う、先輩の声。 力強く掴まれた手首。 先輩の体温。匂い、息。 逃げられなかった。 どうしよう……。 先輩の全てにドキドキして、どうしたんだろうか…?俺は。 「東峰のしてること…言ってること、俺全然わかんねぇよ」 顔を上げると、先輩は本当に苦悩したように、髪をクシャッとさせて困った表情を浮かべていた。 「お前は俺を振ったし、俺のことそんなふうに見れないんだって思ったよ。だから、身ィ引いたよ。だけど何だよ」 真剣に話す先輩。 いつもあまり話さない先輩が、こんなにもよく話すのは、珍しくて新鮮な光景だった。 こんな時なのに俺は、こんなことばかり考えてるんだ。 けれど、いま聞こえる先輩の低い声とか、先輩の手の温もりとか、すごく意識してしまう…。 お酒にまだ酔っているのか、酔っていないのか、自分で自分がわからなかったけど、確かに鼓動だけは、早まっていて。 「酔ってるだけか?それだけなら、…いいけど」 「……」 「でも、なんでここに来たいとかって、言うの?」 先輩の声に、自分でも分かるくらい、また目が泳いだ。 「ここにいろとか、泣いたりとか。東峰……俺、ちゃんと言ってくれないと、何もわかんない」 もしかして、今なら… 「本当に酔ってる?本当に酒のせいで、変になってるだけなのかよ」 ……受け入れて、もらえるだろうか? 先輩に俺のことをまた、好きって、そう言ってもらえるだろうか? 以前のように。あの時のように。 頭をしたに下げる先輩を見て、胸がドクドクと音を立てるように脈打った。 ごくり、息を飲む。 今、ならば……。 ううん、きっとチャンスはもう、今しかない―― 俺は意を決した。 「俺、」 「……悪いけど」 しかし、ちょうど被った先輩の声に、足止めさせられる。 「…とりあえず今日は、やっぱり帰って欲しい」 耳にした先輩の低い声に、俺は口を開けたまま、声も出せずに体をピタリと硬直させた。 目の前が、真っ暗になる感覚がした。 先輩に告げられたたった一言に、強い絶望が襲った。 なんで… 何でそんなこと、言うの? 「両親とか、心配してんだろう。…送るよ。東峰、ほら…」 話しかけてくる先輩の声なんて、もう聞こえなかった。 ただ、悲しみだけが胸の内を巡って、収まっていたはずの涙が再び流れ出そうになるのを感じた。 帰って欲しいなんて言うのは、俺が面倒だから? 嫌いだから…? 先輩はやっぱり、もう俺のことなんて何とも思っていないんだろうか。 焦りと不安が渦を巻くように、頭の中をぐちゃぐちゃにかき乱した。 あの時は…”付き合うの嫌なら言え”って言われたときは、迷わず「そうじゃない」って答えたんだ。 そうしたら、続いた。続いたんだ。恋人同士で、いられたんだ。 だったらまた、言えばいい。 先輩のことを離したくない。渡したくない。 誰のとこにも、行って欲しくない。 嫌だ、嫌だ、――絶対に嫌だ…! 「……え、東峰?」 玄関へ向かおうとする先輩の背中を、必死で追いかけて、後ろから抱きついた。 先輩は同じ男なのに、大きくて、俺より何倍も頑丈な体つきをしていた。 それは当たり前で、 俺はいつだって、先輩には到底及ばなくて。 だって、先輩はいつだって、 俺とは一番、“遠い場所にいる人”だから―― 「行かないで、先輩……」 ぎゅっと、先輩の背中に顔を押し当てて言った。 久々にこんなにも密着して触れる先輩の体は、温かくて、ドキドキするのに、不思議と落ち着く心地がした。 大胆なことをしてるだなんて、そんな意識はもうなかった。 ただ、先輩を離したくない。 その一心だった。 「帰れなんて言わないで……先輩」 先輩は戸惑って、きっと俺のことを変に思ってて。 もしかしたら本当に、嫌いになったかもしれない。 さっさと離せって、思ってるかもしれない。 でも、止めらんなかった。 止められなかった。 今言わなければもう、本当に全部、終わる気がした。 もう二度と、前みたいな関係に戻れなくなる気がした。 そう思ったら、もうあれだけ躊躇していた想いが、言葉が、今ようやく言える…そんな気がした。 「先輩は…俺のことはもう嫌いで、だから、別の女の子のところに行くんだ」 「、は…?」 溢れていく。 先輩に抱いていた気持ちが、本心が。 堰を切ったように、抑えられなくなっていく。 「俺のこと帰らせて、先輩はもう、俺じゃない他の子と付き合うんだ……!」 「東峰、お前さっきから何言って…」 瞳から、我慢し切れない涙がぼろぼろと零れていく。俺は唇を強く噛み締めながら、先輩の体に回す手に力を込めた。 誰にも渡したくない。 「そんなの…絶対、いやだ……」 冬森先輩を――誰にも渡したくない。 俺を見てほしい、 俺のことだけ、ずっと見ていて欲しい…。 「俺、いやだ…… 嫌なんです…… 先輩……、先輩……」 ――もう、何をどう思われてもいい。 全て、思っていることを言おう。 言ってしまおう。 そして今日で、俺は先輩のことを、潔く諦めよう。 やがて、前に回していた俺の手に、先輩の温かくて大きな手が、そっと触れた。

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