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先輩が好き2
【東峰 春side】
先輩と海に足だけ浸けて入ってから、俺たちはそばにあった木陰の木の椅子に腰を下ろした。
ここの海は本当に人が少なくて、人の目を気にせずに先輩と過ごせた。
「東峰、なんだかんだ言って服濡れてるじゃん」
先輩に言われて、俺は自分の服を見てから、手でパタパタと乾かす仕草をした。
「だって、先輩が」
「おい、俺は水散らすような真似した覚えはないぞ」
先輩のツッコミに、俺は声を出して笑った。
先輩といると、落ち着く。
先輩の隣にいると、安心する。…ドキドキする。
「もう暗いですね」
俺が言うと、そうだなと先輩が言った。
先輩は、髪を軽く手で触ってから、ふぅと息を吐いた。
先輩の手が、おもむろに俺の隣に置かれた。
何となく、先輩のその手に触れたくなった。
「あー…」
先輩の言葉を探すような声を耳にしながら、先輩の手に自分の手を伸ばした。
ベンチの上に手を置いていた先輩の手は大きくて、ごつごつしてて、俺のひ弱な手とはまるで違った。
そっと手の甲に触れると――先輩がパッとすぐに、俺の方へと振り向いた。
「え、」
目を開いたような、驚いた先輩の顔。
その表情を見た瞬間、急に羞恥が襲った。
「ご、ごめんなさいっっ」
ていうか俺、何やってるんだろうっっ!
慌てて手を引っ込めると、いや、と先輩が言う。
「謝らなくても、いいんじゃない…?」
俺はまだ胸をどきどきとさせながら、先輩の声を聞く。
「だって俺たち、付き合ってるんだし」
先輩の言葉に、心臓がどくんと甘く跳ねた気がした。
付き合ってる…
そっか、俺たちって、付き合ってるんだ……。
少し視線を逸らして、下を向いてから、再び先輩の手に手を伸ばそうとして――
不意に、頭にある光景が過ぎって、俺は動きを止めた。
「……先輩、あの人と」
「え?」
「葉月さんって人」
俯く俺を見て、先輩は黙って話の続きを待った。
「……先輩、前に、あの人とバイク乗ってた」
「…あれは」
「先輩、あの人と付き合ってた。一緒に帰ってた」
遮るように言うと、違う、と先輩が言う。
「付き合ってないよ、そういう噂が流れただけで。あの時は、彼女の事情があって」
葉月さんのことをまるで庇うかのように話す先輩に、急に怒りがこみ上げた。
「なにそれ」
両手の拳をグッと握る。
「結局先輩、誰にでもそうなんじゃん。付き合ってないって、その割に先輩、満更でもなさそうだったじゃん」
急にムカムカとし出す自分の気持ちを抑えられず、勢いに任せて喋ると、先輩は目を大きくして俺を見ていた。
「東峰」
「先輩は結局、誰にでも優しいんでしょ。俺のことなんて、やっぱりただの試しみたいなもんなんでしょ」
すっとベンチから立ち上がる。
……俺、何やってるんだろう。
だけど、先輩が俺以外に優しいなんて嫌だ。
先輩が、俺以外の人に笑いかけるなんて嫌だ。
俺は、不安で不安で仕方ない。
俺は独占欲が強い。ものすごく。
俺は、やっぱり大人には、当分……到底なれない。
「どこ行く気?」
そのまま歩いて先輩から離れようとしたら、すぐに後ろから腕を掴まれて足を止めた。
先輩の今の行動に、一つの迷いもなかった。
先輩はいつだって、真っ直ぐなんだ。
俺はいつも、歪みまくってばっかりだ。
「…ちょっと、散歩に」
「はあ?お前何言ってるの」
テキトーに放った言葉に、呆れたような声を出す先輩。
……わかってる、分かってるよ。俺が子どもで、先輩が大人なことくらい。
今も困らせて、先輩に引き止めてもらって、俺の我が儘に付き合わせてることくらい…。
「東峰?」
「……」
「もしかして、……泣いてる?」
俺は静かにぱたぱたと涙を落としながら、ずずっと鼻をすすった。
先輩が甘やかすから、俺きっと、超がつくくらい泣き虫野郎に成り下がったんだ。
先輩のせいなんだ。…全部、全部。
「違う人…見るから…」
「え?」
「俺、…ぅ…以外の人に、優しいから」
先輩はきっと、意味不明って思ってんだ。
だって俺、我が儘が過ぎるんだ。
自分でもこんなのうざいって、そんなことは嫌というほど分かっているんだ。
なのに俺は、どうしていつもこうなるかな。
先輩みたいになりたいって、本当にそう思っているのに。
いつも、格好悪い姿ばっか、先輩に晒してる。
「…東峰」
先輩に掴まれた腕にばかり、意識が集中した。
顔見えないけど、先輩、後ろから俺のこと見てるんだろうな…。
情けなさやら恥ずかしさやらで振り向けずにいると、――後ろからふわりと、先輩に体を包まれた。
え……
涙が止まった。
先輩の大きな胸に、緊張で体が強張って、昂っていた気持ちが収まっていく。
「……あのさ」
先輩の声に、体が妙に敏感に反応した。
先輩は、そうやっていつも俺をドキドキさせられて、…いいな。
「もしかして、嫉妬してる?」
先輩の低くて優しい声は、意地を張った俺の心を一瞬で溶かす。
先輩の何気ない一言に、笑顔に、仕草に、俺は簡単に心を奪われる。
「それ以外に、何があるって言うんですか……」
先輩は俺に告白をした。
それは予想外で、全然現実味がなくて。
でも、先輩は何で俺のことを好きなのかな。先輩は俺くらいに、俺のことを好きかな。
俺は先輩が好きで、好き過ぎて、先輩のことをずっと独り占めしていたいって思ってるくらいなんだ。
先輩も俺のことを、そんなふうに想ってくれているのかな。
「…先輩は」
もう夜で、顔も見えないし、だからこんな質問できたんだ。
「何で俺のこと、好きなんですか」
心が不安で押し潰されそうで、聞かずにはいられなかった。
「うーん」
耳傍で、先輩の唸る声が聞こえる。
何て言われるんだろう…?胸をドキドキさせながら心待ちにしていたら、
「パーカーなとこ、……かな?」
………は…。
ぽかんとしていると、先輩が、あ。と口を開いた。
「違うからな?その、パーカーだったら誰でもとか、そういうことじゃ勿論ないからな?」
先輩の伝えたいことは、俺にはよく分からなかった。
「東峰の顔…とか」
……何それ。
「ほら、色白いし」
……は。
「可愛いし、東峰」
〜意味わかんない、意味わかんない意味わかんない!
全然っっ嬉しくない……!
「もういいです!」
なるほどよく分かった、先輩は俺の見かけだけが好きで、俺の中身は特に好きじゃないってことか。
そんな浅い好きって理由だったんだ……!
俺は、前に回された先輩の腕を振りほどこうとする。
「……離してください!」
「東峰、待てよ。…ああもう、どうやったら伝わるんだよ」
苦悩するような先輩の声。
「だって、わかんないんだよ。仕方ないだろ。でも、好きなんだよ――お前のこと」
そうやって逃げるんだ……
そう言いたかったのに。
先輩の好きの言葉に、すぐ舞い上がってしまう。
それでもいいか…なんて、途端にそう思ってしまったのは、冬森先輩が好きだから。
結局俺は、この腕から逃れるつもりなんて、最初からひとつもなくて。
先輩に体をくるっと回されて、俺は暗がりで見る先輩の顔に、きゅんと胸を締め付けた。
「俺が好きなのは、東峰だから」
先輩は視線を逸らしながら言った。
「……だから、安心してほしい」
先輩の気恥しげな表情に、俺は自然と顔に笑みが浮かんだ。
先輩は自分の頭に手を伸ばし、髪を無造作にぐしゃぐしゃと触っていた。
多分、照れていたんだと思う。
そのあと、先輩と一瞬だけキスをして、手を繋いで俺たちは車へと戻った。
帰りの車の中。
その時初めて知ったことだけど、今日のドライブは、どうやら先輩から俺への誕生日プレゼントだったみたい。
まあ…物の方が良かったかもしれないけど。
と、照れたように話す先輩の横顔を見つめ、俺はまた、先輩に対する想いが募るのを感じた。
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