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Ⅳ.
メトロノームが、規則的な音を刻み始めた。
「私の声に集中してください」
シャルムの声が、無意識にビロードのように低くなった。医師としての訓練された声。しかし、今夜は何かが違う。
「深く、ゆっくりと呼吸を」
アントンの胸郭が上下する。シャツのボタンの隙間から、白い胸元が見え隠れする。肋骨が薄く浮き出ている。
「今、あなたは階段の上にいます」
アントンの瞼が重くなっていく。長い睫毛が震える。
「一段ずつ、ゆっくりと降りていく」
その時、シャルムの能力が完全に発動した。
アントンの無意識が、まるで開かれた本のように見えた。
いや、聴こえた。
複雑に絡み合った愛の旋律。罪悪感の不協和音。そして、その全てを貫く激しい欲望。
「フリードリヒ」
アントンの唇から、愛する者の名が零れた。
「なぜ死んだ……俺のせいか……」
涙が、閉じた瞼から溢れ出す。
「あの夜、第九の後で……手を握ったから……」
シャルムは患者に近づいた。医師として適切な距離を保つべきだったが、体が勝手に動いた。
「父親が……伯爵が見ていた。あの目には明確な殺意があって……」
アントンの手が、無意識に宙を掻く。失われた恋人の手を探すように。
その手を、シャルムは思わず握った。
瞬間、電流のような感覚が全身を貫いた。
アントンの記憶が、濁流のように流れ込んでくる。
オペラ座の暗闇。震える手と手。禁じられた口づけ。そして、――。
「ッ……!」
シャルムは手を離した。額に汗が滲んでいる。
自身の同性への欲望を病理として受け止めているシャルムにとって、いまの映像はあまりにも衝撃的すぎた。
これは、診療ではない。もっと危険な何かだ。
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