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第3話
古い布の寄せ集めに身を横たえる。
張り型を入れたままだと、違和感がすごいけれど、子種が出てくるのは嫌だ。
僕はそのまま目を閉じた。
旦那様との楽しかった思い出や、幸せな日々、最後の怒った表情…、色んなことがぐるぐるとしてなかなか寝付けない。
魔力も体力も枯渇寸前なのに。
「ふふ…、もう旦那様に会いたくなっちゃった…」
涙が溢れてきて、必死に拭うけれど、全然間に合わない。
ぐずぐずと鼻を啜っていると、僕のプレハブが吹き飛んだ。
「…え」
目の前には旦那様。
う、うそ…、もう!?
もう見つかっちゃったの!?
僕が真っ青になって彼から目を離せないでいると
「リナリア…、悪いが今回君を許すことはできない」
と地を這うような声で旦那様が言った。
「あ、ご、ごめんなさいっ。
許してください!!
どうか…、命と子種だけはっ…、どうか」
僕は床に跪いて許しを乞う。
「なんでもします!なんでもしますから!!」
一生タダ働きでも、なんでもする。
娼館で得た金銭を全て明け渡してもいい。
でも、旦那様との子供だけは…
「なんでも?」
「なんでもします!!」
「ならば、今すぐ屋敷に戻れ。
私との婚約を破棄することは許さない」
「はい!今すぐ屋敷に戻って婚約を…
え?」
僕が驚いて彼をもう一度見上げると、旦那様は怒ってなんかいなくて、今にも泣き出しそうだった。
「だ、旦那様?」
僕が恐る恐る声をかけると
「何が不満だったんだい?
私のことが嫌いだった?
もっといいαがいたのかい?」
と泣き始めた。
ええ!?え???
「ちがっ!違います!
僕は旦那様のことが大好きです!」
「ならば、どうして?
子供は欲しいけれど私のことは要らないなんて…、そんなひどいことを…」
「い、要らないのは僕の方では?」
と、困惑した声が漏れた。
旦那様が泣いているのに、突き放すような言い方をしてしまった。
なんて不敬な、と焦っていると
「要らない…?私はリナリアがいないと夜も眠れないのに?」
思いもよらない言葉に、今度は僕が困惑する。
「だって、お聞きしたんです。
旦那様が思いを寄せていた方とご婚約なさると。
そしたら僕のようなΩが同じお屋敷に住むわけには…」
「ちょっと待ってくれ。
さっきも言っていたな”思いを寄せる相手”と。
そんなの、リナリア以外にいるわけがないだろう」
「え?」と旦那様の目を見る。
嘘をついているようには見えない。
「あと数か月もすれば、リナリアは18歳になる。
その誕生日の後に、きちんとプロポーズをする予定だった。
そのあとにはヒートが来て、君を番に…、と思っていたんだけどな」
ちょっと悲しそうに説明する旦那様に、僕は段々と青褪めていった。
僕の早とちりのせいで、旦那様を苦しめてしまった。
計画を台無しにしてしまったんだ…
「も、申し訳ございません!!
僕…、僕が…」
半泣きで狼狽えていると、旦那様は困ったように笑った。
「リナリアを不安にさせてしまった私が悪いね」
「そんなっ…」悲しそうに言う旦那様に申し訳なくなり、そんなことありません!と言おうとした僕の言葉を遮り、旦那様は言った。
「だが、私を好いていながら、私の元を離れようとしたリナリアはもっと悪いね」
「え…?」
すっと僕の目の前に旦那様が手のひらを翳した。
そしてゆっくりと薄らいでいく意識…
「ゆっくりおやすみ。
起きたら、たっぷりと分からせてあげるからね」
そんな旦那様のお声が聞こえた気がした。
目を覚ますと、あたりは真っ暗だった。
でも、背中に感じるベッドの感触はふかふかだ。
あれ…、僕…
体を起こしてみたけれど、真っ暗すぎて自分がどこにいるか分からない。
手探りで這っていると、どうやらベッドの終わりに辿り着いたようで、手を踏み外して床に落ちた。
「わっ…」
ドシャっと音を立てて、顔から床にダイブした。
床はひんやりとしている。
お屋敷と同じ大理石の感触…
そういえば、子種泥棒をしようとしたことを思い出した。
それで、旦那様が追いかけてきて、それで…
それで、どうしたんだっけ?
ひんやりを頬で味わっていると、ドアが開く音がして光が目に差し込んだ。
ま、眩しい…
「リナリア!?」
旦那様の声がして、人影が僕の前までくる。
逆光でお顔が見えないけれど、旦那様?
僕を床から拾い上げた。
「どこも怪我をしていないかい?
しかし、真っ暗にするとこういう危険もあるのか…」
そう言いながらも、旦那様は僕をベッドに戻らせた。
「あの、旦那様?」
「ん?どうしたんだい?」
あのことは何もなかったかのように話す旦那様。
でもあれは絶対夢じゃない。
「ここは、どこですか?」
「…」
「あの、暗くて旦那様のお顔がよく見えないのが怖いです。明かりは…」
「明るかったらまたリナリアは逃げてしまうだろう?
現に、布団から出て一体どこに行く気だったんだい?」
急に声が低くなって、僕は反射的に体を震わせた。
旦那様が怒っているところを今まで見たことがなかった。
けれど、逃げた僕を見つけた時の旦那様はとても怖かった。
怒った旦那様は怖いんだ…
「リナリアは悪い子だね」
「ご、ごめんなさいっ!
逃げません。逃げませんから、灯りを…」
「どうして私が裏切り者のリナリアの言うことを聞かなきゃいけないんだい?」
裏切り者、と言われて僕は悲しくなった。
旦那様に嫌われてしまった。
だから、「なんでも叶えてあげる」と言ってくれた旦那様はいないんだ。
「う、うぅ…、ごめんなさい」
ひたすら謝りながら涙をこぼす。
悲しくて仕方がなかった。
「ああ、そんなに泣かないでおくれ。
リナリアが逃げなければいいだけだからね。
リナリアが大人になって、私と結婚したら、ちゃんと外に出してあげるから」
旦那様の言葉に、僕は顔をあげる。
「まだ僕と結婚してくださるんですか?」
とっくに捨てられるものだと思っていた。
勘違いして暴走して、旦那様を襲った挙句、迷惑をかけたのに。
「当たり前だろう?
むしろ、リナリアには断る権利はないよ。
さぁ、まずはこれを飲んで」
そう言って旦那様はコップと白い粒を下さった。
廊下からの明かりしかない薄暗い部屋でもわかる。
これはいつも飲まされる避妊薬だ。
「嫌です!これは飲みたくないです!」
僕が拒否すると、旦那様の声が低くなる。
「どうして?番になってから子を作ればいいだろう?リナリアが結婚してくれるならいつでも種付けするよ?」
「嘘付かないでください!
いつも、旦那様は僕に避妊薬を飲ませます。
僕との子を作りたくないのは知ってるんです!」
こんなふうに言い返すのは初めてで、手が震えてコップが揺れ、少し水が溢れた。
「なるほど…、そんな風にリナリアは考えていたんだね。
私は子を作るなら、リナリア以外となんて考えていないよ」
「それなら…、どうして…」
「リナリアが私のもとに来て、2年。
たったの2年しか2人の時間を過ごしていない。
私はもっとリナリアと2人だけで過ごす時間が欲しい。
それに君はまだ17歳で、体が完成していないんだ。
出産の際に母体に何かあったら…、万が一にでもリナリアが死んでしまったら…、考えたくもない」
そんな風に僕の事を考えていてくれたなんて…
僕は自分の事ばかり考えていたんだと思い知らされた。
僕は自分勝手だ…
「旦那様、ごめんなさい。
僕、自分の事ばかりで…」
手に握った白い錠剤を飲み下す。
旦那様はいつか、僕との子を成してくれる。
そう信じて。
「良い子だね、リナリア」
そう言って旦那様は僕の頭を撫でると、グラスを受け取って部屋を後にした。
「とっくに日付を超えているから、大人しく寝なさい」と言い残して。
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