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第3話

 聞き慣れたチャイムが一日の終わりを告げ、友達に手を振って、春陽は教室を後にする。  昇降口から出ると、駐車場の片隅に陽月の車を発見する。春陽の姿を見つけた加谷が、車から降りて後部座席のドアを開けた。 「おかえりなさいませ」 「ただいま、加谷さん」  声を掛け合って、車に乗り込む。 「おかえり」 「ただいま、陽月」  声を掛け合って、キスをする。  最初こそ、目立つ恥ずかしさから送迎は遠慮していた。けれど、雨が強く降ったあの日、迎えに来てもらって以降は、学校までの送迎が当たり前になっていた。  もちろんクラスメイトからは「あの高級車何!?」「誰!?」「番!?」と数多の質問攻めを受けたのだが……。 「今日はどうだった?」  陽月に聞かれて、春陽は一日の流れを話す。授業の内容がすんなり理解出来なかったこと、いつも面白い先生のこと、仲良くしてくれる友達のこと。 「でね、田村がさぁ……」  春陽がクラスメイトの名前を出すたびに、陽月の頭の中では、クラス写真で見た顔が浮かぶ。春陽のクラスメイトの名前と顔は、陽月の脳内に完全にインプットされていた。  本来なら、春陽と離れた時間を過ごすことは嫌なのだ。けれど、自分の通う学園へ春陽を編入させられるかと言えば、少し難しい。だから、このまま公立の学校へ通わせると決定した陽太の判断に文句はない。 ――「はるのクラスの名簿と写真、陽月にあげておくね」  どこから入手してきたのか、陽太が差し出してきたそれを受け取る。 「はるにはナイショだよ。"二人とも怖い。ストーカーみたい"って言われちゃうから」  唇に人差し指を乗せて、陽太はほくそ笑んだ。言われずとも分かっている。数分眺めて、側に立つ加谷へ回した。加谷も同じように眺めて、数分後に陽月へ返却する。陽月はそのまま、陽太へ。 「覚えた」 「さすが」  陽太は返却された紙をそのまま横に流す。雅明の手が無言でそれを受け取り、シュレッダーにかけた。これで証拠は隠滅だ――。 「……って事があって、遠藤と丸本と一緒に三人でお昼に食べた」  楽しかったなぁ、と春陽は笑う。 「そっか。良かったな」  なんて、陽月は笑顔で返したけれど、内心穏やかではなかった。  俺の春陽とお菓子のシェア。許せん……。  口に出したら、春陽の心が縮こまってしまうのが分かるので、春陽の行動は出来るだけ何も言わずに飲み込む。  春陽の話には、だいたい同じクラスメイト出てくる。だから、もし会う事があれば「こんにちは、番です」とにこやかに挨拶をして、牽制しておけばいい……なんて、密かに思っていたりする。恥ずかしがり屋の春陽は、嫌がるかもしれないけれど。  春陽の賑やかな声をBGMに、車は自宅へ到着する。降りる際に、春陽の手をとってエスコートする陽月は、もう家中の誰もが見慣れた光景だ。  お帰りなさいませ。使用人たちが次々に頭を下げて二人を出迎える。 「ただいま」 「ただいま、帰りました」  陽月の後に続く春陽も、使用人に言葉を掛ける。と、列の中に山霧の姿を見つけて、軽く会釈した。「山霧さん、ただいま」と胸中で呟くと、山霧も気付いたように少しだけ口元をほころばせる。  えへへ、と春陽も笑みをこぼして、正面に向き直る。と、突き刺さるような視線を向ける悟志と目があった。心の中に、ヒヤリと冷風が吹く。  今の、見られていただろうか……。頭を下げるなと、言われていたのに……。また、後から怒られるかもしれない。  ドキドキと緊張する心臓。落ち着いて、と思っていると、陽月の背中にぶつかった。先を歩いていたはずの陽月が急に立ち止まって、春陽はそれに対応出来なかったのだ。 「っ、わっぷ!」 「……春陽、先に加谷と部屋へ戻っていて」 「ふえ?」  よく分からない声をこぼして、春陽は陽月を見た。声や表情は穏やかなのに、怒っているような気がした。陽月? と呼んだけれど、陽月は春陽の声には答えなかった。 「加谷」 「かしこまりました。春陽様、参りましょう」  加谷に促され、春陽は一足先に部屋へ向かう。  その姿を見送って、陽月は視線だけで悟志に人払いを命じた。 「それぞれ持ち場へ戻るように」  悟志が使用人たちに指示を出す。ぱらぱらと皆が捌け、陽月は悟志と二人で向き合った。 「何が言いたい」  唐突に、陽月は悟志へそう投げた。 「何が、とは……?」 「春陽に対して、何か言いたい事があるなら、聞く」  端的でも、怒りを含んだ口調だった。陽月の圧が漂って、悟志は背をヒヤリとさせる。 「私は……何も……」 「隠さなくてもいい。春陽をよく思っていないんだろう」  俺を騙せると思うなよ、と陽月は冷笑を称えた。  恐怖を感じながらも、悟志は陽月のその態度に魅入ってしまう。  ……これだ、この強者感……。背筋が凍るほど恐ろしく、目が離せない美しさ。そして堂々たる立ち振る舞い。瀬野家の人間の最たるもの。陽太様に……よく似ている。 「素晴らしいですよ、陽月様」  悟志の賛辞を受けて、陽月は眉を寄せた。自分の問いの答えになってない。 「春陽様も陽月様の様に、お強くなって頂ければいいのに」 「…………」 「きっとお美しいですよ」 「…………」  いや、何の話だよ? と陽月はふっと圧を弱めた。訳が分からなさすぎて話にならない、と判断したからだ。 「お前は、春陽にも、俺たちのような振る舞いを求めるのか……?」 「左様でございます。"瀬野家の人間としての立ち振る舞い"というものを、覚えて頂きたいと考えております」  にこ、と悟志は笑った。それはとても素直な、理想に対する笑みだと、陽月は思う。  他人に圧を飛ばす春陽? ……いや、無理だろ。イメージすら湧いてこないんだが……?  陽月の中にいる春陽が、再現不可能な理想を他人に掲げられる……。正直、気持ちが悪い。しかしながら、そこには悟志の執事としての、純粋な思いがあるとも伝わってくる。  どうしたものか……と、陽月は思わず頭を抱えた。  ※※※※※  加谷と共に陽月の部屋へ。慣れた空気に包まれても、春陽の心はどこか落ち着かない。  陽月……怒ってた……どうしたんだろう? 「春陽様。鞄はいかが致しましょうか。お部屋にお運びしましょうか?」 「えっと……」  加谷に聞かれて、春陽は迷った。特にすぐ必要になるものは入っていないから、部屋に運んでもらっても構わない。 「じゃあ、部屋へ……」  頼もうとして、やはり言葉を切った。加谷は陽月の執事だ。自分事を頼むのは、些か図々しいのではないか……? 「かしこまりました。お部屋へお運び致しますね」  加谷は全く気にも留めず、春陽の鞄を持ち出そうとする。 「あっ、待って下さい。やっぱり良いです。大丈夫」 「よろしいのですか?」 「はい。大丈夫です」  そう言って俯いた春陽に、加谷はそっと声を掛ける。 「遠慮なさらないで下さいね。春陽様は陽月様の番なのですから。私にとっては、春陽様も、陽月様同様、大切にするべきお方なのですよ」  おずおずと春陽は顔を上げ、戸惑いの瞳を加谷に向ける。  いつもそうだ。決して強くないのに、自分よりも他人を優先するせいか、自信がなさそうで、人を頼るのが苦手で……それなのに"この人に頼りにされたい"と、周りに思わせる。……そんな魅力が春陽にはあった。 「ですから、何かあった時は命令して頂いて構いません」 「命令だなんて……」 「では、お願いで。私も、雅明さんも、春陽様のお願いなら、喜んでお応え致しますよ」  深々と頭を下げられる。自分は、そんな優位に立つような存在ではない。それを求められるのは、正直心苦しい。けれど、穏やかに“春陽のわがまま”を強請る加谷の気持ちが嬉しかった。 「ありがとう……ございます。本当に、加谷さんや雅明さんみたいに、こんな俺でも、受け入れてくれる人ばかりだといいのに……」  ぽつり、と春陽の口から本音が漏れる。その一言で、春陽が気苦労しているのが加谷には分かった。 「私で良ければ、お話をお伺い致しましょうか?」 「えっ……?」 「何か、お話したいことがあれば、お伺い致しますよ。無論、お望みであれば、陽月様のように春陽様の全てを肯定致しますが?」  加谷の申し出に、春陽は「あはは」と軽く笑った。 「陽月は優しすぎるんですよ。何でも許してくれるから。ひな兄も、甘やかしが過ぎるから。……俺、どんどん駄目人間になっていく気がします」 「駄目などと……。陽月様は春陽様が大切過ぎるのですよ。春陽様に意識が向いているせいか、春陽様の事となると、やたら勘が働きますからね、陽月様は」 「そうなんですか?」 「ええ。逆に、春陽様が側にいらっしゃらない時は、結構不機嫌ですし、年相応の顔をなされる事もございますよ」 「……想像つかないですね……」  春陽の側にいてくれる陽月は、まるで王子様みたいに、優しくて、優雅で、完璧だから。自分と双子だと思えないほど、陽月は大人だと、春陽は思う。  けれど、年相応の……そんな姿の陽月がいるなら……少し、可愛いかもしれない。  想像してみて、ふふ、と小さく笑う春陽に、加谷は話を戻すように告げた。 「ですから、今も。何か思うことがあって、残られたのではないかと存じます」 「何か、って?」 「恐らく、悟志様についてでしょう。悟志様が、春陽様に厳しい態度を取られているのは、陽月様も気付いていらっしゃると思いますよ」  加谷の言葉に、あ……と春陽は視線を落とす。春陽が山霧に会釈してしまった際の、あの刺すような悟志の視線を、陽月は気付いていたというのか……。 「誤解なさらないで下さい。陽月様が悟志様に何か仰るとしても、それは春陽様のせいではございません。陽月様の、番としての本能がそうさせるのです。こればかりは、自身でコントロールしようにも、難しい部分がございますので……」 「そう……なんですね。…………あの、聞いても、いいですか?」 「はい。何なりと」 「俺が加谷さんたちに敬語を使っているのは……やっぱり、おかしいですか?」  まっすぐに加谷の瞳を見つめて、春陽は問う。真摯な瞳は、陽月によく似ている。  正直に言ってしまえば「おかしい」のは確かだ。けれど、春陽が他人に強く出られる性分ではないことは、加谷も重々承知している。だから…… 「左様ですね。率直に申し上げますと、『おかしい』と言うより『私たちにとって普通ではない』と表現する方が近いと思います。春陽様は、私たちが敬うべきお方でいらっしゃいますから、本来ならば私たちに敬語をお使いになる必要がないのです。しかし、春陽様が他人に対してお優しいのも理解した上で申し上げますと、敬語を使うのが不自然と言うより、遠慮なさるのが不自然、なのではないでしょうか」 「遠慮する方が……?」 「左様です。先程の鞄一つにおかれても、遠慮などなされなくてよろしいのですよ。一言“部屋へ運んで”と仰って頂ければ、それで良いのです」  分かって頂けますか? と加谷は微笑んだ。なるほど、それならば春陽も出来るかもしれない……。 「練習してみられますか?」 「良いんですか?」 「はい。いつでも。『加谷、鞄持っていっておいて』とでも仰って頂ければ」  テーブルに置いていた春陽の鞄を、加谷は持ち上げる。決心したように、春陽は両手を握りしめて息を吸った。 「か、加谷! 鞄を持って行っておいて!」  声を大にして、叫ぶように春陽は言った。その瞬間、扉が開いて陽月が戻って来る。  普段は聞かないような春陽の大声に、陽月は目をぱちくりとさせた。春陽も、声を張り上げたままの状態で動きを止める。その中で「おかえりなさいませ」と加谷だけが冷静に答えた。 「……何のPlay?」  思わずそう聞いた陽月に、加谷は笑う。 「春陽様の、遠慮しないようにする練習です」 「……つまり?」 「そうですね。……お願い、でしょうか?」  その加谷の言葉に、陽月はあからさまにむっとする。 「ずるいぞ。俺だってそんなに“お願い”されたことないのに」 「されてますよ?」 「されてない。その鞄を寄越せ。俺が持っていく」  そんな二人のやり取りを、春陽はどこか遠くに見ていた。  ……頑張って言ってはみたものの、やっぱり、誰かにものを頼むのは苦手かもしれない……。  春陽は、とほほ……と頭を垂れた。

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