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第4話

 ――悟志さんには気をつけた方がいいよ。  倫の言葉が耳に痛い。珍しく、采配を間違えたか、と陽太は悩む。  悟志を切る、という選択肢は陽太の中にあった。けれど、家の内部が破綻するのを防ぐため、実行には移せなかった。個人を尊重するあまり、家庭内部が回らなくなっては元も子もない。古株を半数も切ったのだ。これ以上の損失は、瀬野家にとってよろしくない。  悟志は瀬野家に仕える歴が長く、祖父に近かった人物だ。しかし同時に、執事長としての仕事ぶりは評価に値する。  それに、悟志は陽太に心酔しているように感じる。陽太の采配に何一つ文句を言わず、畏まりました、と恭しく頭を垂れる。何か相談事があれば、必ず陽太を通して指示を仰ぐ。祖父がいても、だった。  本来なら、一番に敬うべきは祖父で、次いで父、陽太は最後だ。それを通り越して、悟志は陽太に絶対の忠誠心を見せていた。  一言、「春陽を無碍に扱うな」と忠告すればいいかもしれない。そう陽太は思う。  もしくは春陽が「あの人は嫌い」とでも素直に言ってくれたなら、即首にしてもいい。けれど、春陽はそんなことは絶対に言わない。 「困ったことはない?」そう聞いても、「大丈夫」と微笑むだけだ。 「悟志さんはどう? 怖くない?」  と、夕食の時に一歩踏み込んで聞いた。しかし…… 「……怖いけど……俺に、上流階級のマナーとか、いろいろ……教えようとしてくれるから……。なかなか上手くいかないけど、頑張る……!」  と返されてしまっては、何も言えなくなってしまう。悟志を通して、少なからず春陽も学ぶことがあるのなら、その機会を奪いたくはない。  はぁ……と思わずため息を吐いて、陽太は執務机に並べられた書類に印を押した。落ち着いたオレンジの調光の中で、デスクライトだけが、強く陽太の手元を照らす。 「そろそろ切り上げられてはいかがですか?」  押印された書類を集めながら、雅明は促す。時計を見ると、もう九時前だった。うーん……と陽太は唸る。 「久しぶりに、眉間のしわが濃くなっていらっしゃいますよ」 「そう?」 「はい。春陽様がお戻りになられてから、一番深いように思います」  雅明がそう言うなら、そうなのだろう。陽太は手の甲でぐりぐりと眉間をマッサージした。  と、部屋の扉が叩かれる。ノックの仕方で陽月だと分かった。  どうぞ、と声をかけると、陽月は加谷とともに部屋へ入ってくる。少し不貞腐れたような表情で、応接スペースのソファーにどっかりと座った。  ああ、これは春陽に相手にしてもらえなかったな、と即座に理解する。夏休み明けのテストがあまり良くなかった、と言っていたから、「宿題が先!」と春陽の部屋から追い出されたのかもしれない。  長居する気なら、お茶の一杯もあった方が良いだろう。陽太が執務椅子を立つと、意図を汲み取ったように雅明が動く。  陽太は陽月の向かいに座り、それぞれの前にお茶の用意が整う。 「何かあった?」  陽太が切り出すと、あったも何も、と陽月はあからさまに怒って言った。 「悟志の態度。あれ何なんだ? 春陽にガン飛ばすとか、舐めてるとしか言いようがないんだけど」  正直、今は陽太の胃に痛い話だった。春陽に追い出された、とかの愚痴聞きの方が、まだ胃に優しい。 「……はるがそう言ったの?」 「春陽は何も言ってない。俺が気付いた」  また“番のなんとやら”なのだろうか。思ったけれど、わざわざ聞くことでもないなと思う。 「で、ひいはどうしたの?」 「牽制したよ。春陽に言いたいことがあるなら俺が聞くって。そうしたらあいつ、絶賛してきた」 「絶賛?」 「素晴らしいですよ〜陽月様〜。春陽様も陽月様の様に、お強くなって頂ければいいのに〜。きっとお美しいですよ〜。……だってさ」  あの時の悟志の態度を真似て、陽月は言う。陽太は無言でそれを見て、何のコメントも返せなかった。側に立つ雅明と加谷も、互いに視線を見合わせている。  つまりは、あの春陽に自分たちと同じ様な緊張感を求めるというのか……。  陽太はそれを想像してみた。顔は陽月と一緒なのだから、きりっとした表情は想像出来た。けれど、その緊張感は一瞬で、すぐにいつもの『ふにゃん』とした、可愛い顔に戻ってしまう。  思わず、ぶはっ! と息を吐いて陽太は笑いだす。 「あははっ……ちょっと、それ……それは……」 「なぁ? どう考えたって無理だろ」 「うっ、うん……あははっ……! ごめ……つ、ツボった……」  普段冷静な陽太が、腹を抱えて笑っている。こんなに笑うことあるんだなぁと、どこか遠くで陽月は思う。そして 「えっと……、そうだね……うん。……たまにはいいかもしれない」  視線を横に流しながら、そう陽太はそう呟く。「なんで?」と陽月は突っ込んだ。  あれだけ笑っておいて、良いかも、とは? 陽太の感覚は、少し陽月には理解が難しい。多分、「たまにはそういう高圧的な態度もいいね(でも腹立つから許さん)」とか……そんなことだろうけど。  息を整えながら咳払いをして、陽太は自分を落ち着かせる。 「そうか……悟志はそれが狙いか……」  瀬野の跡継ぎたるもの……と、構文の如く祖父が言っていた事を思い出す。良くも悪くも、悟志はそれと同意見なのだ。 「俺は今の春陽のままで構わないけど、陽太はどうなんだ?」 「僕? 僕も今のはるで十分だよ」 「違う違う、家の中の話じゃなくて。連れ出す時の話」  外交的な意味で、と陽月は言う。  随分と大人な考えだな、と陽太は思った。そんなことにまで気が回るようになったのかと、陽月の成長に、少しばかり感動する。 「俺は……言っても次男だし、多少は気にされるかもしれないけど、陽太ほどじゃないだろ」 「まぁ……そうだろうね」 「あいつの指導は正直腹が立つけど、陽太にとって必要なら、俺は目を瞑る」  つまりは、自分の横に立たせた時に、どう春陽を見せたいか。また、その判断を自分に委ねる、と陽月は言うのだ。  もちろん陽太とて、もう少し春陽が自立してくれたら言うことはないが、正直今のままでも十分魅力的ではあると思う。  今の春陽が社交場に出たとしたら、自信がなく、おどおどとしてしまうだろう。困り顔に浮かべながら、陽太の後をぴったりと付いてくるかもしれない。  しかしながら、DomとしてのSubなら、春陽以上の逸材はいないと言い切れる。先程の自信のなさが、逆に絶対的な信頼感に映るのだ。そうして、そっと陽太に寄り添ってくるのは目に見えている。恐らく番としても、側に置いて守りたくなる弱さとして、印象付けるだろう。  では、悟志が望むような春陽になればどうだろうか。陽太としても、他人に揺るがぬ強さがあれば、安心は出来るかもしれない。少し目を離したとしても、周りの貴婦人たちと“仲良く”談笑してくれたら、それはそれで助かる。  けれど、それは恐らく春陽の本質ではなくなってしまう。  オメガ性にしても、ダイナミクス性にしても、とにかく春陽は保護欲を抱かせるのが上手だ。無論、本人が無自覚なのがこれまた愛おしい。  何もわからぬまま、本能のままに自分たちを頼りにしてくるのだ。他人の目があっても、それは変わらない。むしろ不安が倍増する分、より強く出るのではないか。人の上に立つ才能を持つ者として、この上ない優越感を春陽は与えてくれる。 「あー、どうだろうなぁ……。悩むよね、どっちのはるでもおいしい気がする。ひいはどっちがいい?」 「どっちでもいいよ。手が届く範囲に必ずいるんだから」  頭を悩ませる陽太に対して、けろりと陽月は言った。どこに行こうが、常に春陽の隣にいる事が、陽月の中では絶対事項だ。  揺るがない言葉に、いいねお前は、と陽太は呟いた。それを受け取って、陽月は俯く。  所詮、陽月は二番手だ。陽太のようにはなれないし、陽太のように、社会から求められることもない。だから、陽太よりずっと自由だった。 「陽太に難しいことばっかり任せて……ごめん」  まさか謝られるとは思わず、陽太は驚いて陽月を見る。本人にはどうすることも出来ない問題を前に、やるせなく目を伏せる陽月が愛おしい。 「大丈夫だよ。これは俺の仕事だから、ひいが気に病むことはないんだよ」  にこ、と笑顔を向けると、陽月も少し寂しそうに微笑んだ。 「悟志のことは考える。とりあえず、家庭内部のことだから、父さんにも相談するよ」 「うん……」  陽月は素直に頷いた。けれど、少し間を置いて「え?」と聞き返す。 「いや、それ……大丈夫なやつ?」  素直に不安そうな顔をする。陽太とて、多少同じ思いを抱いてはいる。 「……うーん……。まあ……間違いなく“切れば”って言うよね……」  大人しく無言を貫く執事達も、ここぞとばかりに深く頷いた。  陽太たち三人の父――瀬野家当主である翔は、一言で表せば破天荒である。  婿養子になる翔の実家は、外交を主な生業としているため、翔も外交を得意としている。多数の事業を手掛ける瀬野家にとって、外交分野は翔が、国内分野は陽太が、明確にその役割を分けていた。  そのせいか、家にはほぼ帰らず、今もどこの国にいるのかも分からない。加谷の父と、雅明の弟の二人を執事に付け、プライベートジェットで0泊5日、世界中を飛び回ることも平気でやって退ける。  家庭の事もそっちのけな翔だが、不思議な事に、陽太も陽月も“愛情だけは掛けてもらっている”と感じていた。  祖父と真逆で、翔は二人のやりたい事を一切否定しない人だからかもしれない。  やりたいなら、自由に。  決めたなら、最後まで。  結果良ければ、すべて良し。 「困ったら言ってね。俺がなんとかするから」と、笑っているような父だ。  実際、先日松前を叩きのめした時も、こんなに早く片が付いたのは、翔の手腕があってだった。松前が社長を務めていた里山商事は、外交を主な生業としていたため、陽太は即、翔に里山商事のデータを送った。  ちょっと今すぐ対応して欲しい事があるんだけど、と連絡をすれば、「ひなが頼ってくるなんて珍しいねー! なになに?」と、さも嬉しそうに翔は笑った。 「パソコンにデータ送った。里山商事が関わってる会社、ちょっと潰すか何とかして」  端的にそれだけ伝えた。いつもより早口になってしまい、少しばかり冷静さを欠いていることは、恐らく翔には伝わっていたと思う。翔も、いつもの砕けた口調は封印して、陽太のわがままに付き合ってくれた。 『了解。で、理由は?』 「うちの春陽に手ぇ出した」  へえ、なるほど。と電話口で翔は冷ややかに笑った。 『ひな、手抜かなくていいからね』 「抜かないよ。早くして」 『10分で処理する』  それだけ答えて、ぷつり、と電話は切れてしまった。けれど、その数分後に里山商事の株は暴落した。最速で仕事を遂行する父を称賛する一方で、どんな手を使ったのか、陽太ですら分からない。  後日、また翔から連絡があった。 『どうだったー? はるは無事だった?』  そう聞いてきたので、 「とりあえずはね。取り返したよ」  まだ不安定だけど、とは言わず事実だけを伝えた。 『よくやったー! さすがひな!』  手を叩いて翔は喜ぶ。はいはい、と陽太は適当にあしらった。すると、 『今度帰ったら、はるをうんと甘やかしたいな。はる、どこへ遊びに行きたいかな? あ! 帰る時に、はるにお土産買って帰るからね! ところで、はるは今何が好きかな? コアラとか好きかな? 可愛いもんねコアラ!』  などと言い出したので、これはまたとんでもない事を考えているな、と陽太は思った。 「いや、コアラ連れて帰られても困るから」 『困る? ユーカリ付けるよ?』 「どこに植えるんだよ?」 『庭』 「いらない。絶対いらない。それに、コアラ飼うには許可がいるだろ。動物園とかじゃないと飼えないよ」 『じゃあ、動物園作るしかないね!』 「勘弁してよ本当に!」  そういうノリで、過去に植物園も水族館も作ったのだ。最終的にそれを管理するのは、他でもない陽太だというのに。  もちろん、その話は陽月も陽太から聞いていた。だから、今回の事を相談したらどうなるか……。  ひいが嫌いなら切っちゃえば? むしろ何で残してんの? ひなの優しさ? いらなくないそういうの。俺なら即切り捨てちゃう。だって必要ないじゃん。……とか、こういう事こそ、冷酷にあの人は言うのだ。 「正直な事を申し上げれば、翔様は悟志さんのことを、あまり快く思っていらっしゃいませんからね」  今まで沈黙していた雅明が口を開く。 「完全に極端にいらっしゃいますからね。あのお二人は」  加谷も雅明に続いた。 「……達臣さんは駄目だったの?」  陽月の言葉に「声はかけたんだけどね」と、陽太は返す。  達臣は雅明の父であり、祖父の執事だった男だ。気短な祖父と違い、物静かで気配りの上手な人だった。  陽月は祖父が嫌いだった。極力近づかないようにしていたのだが、達臣はそれを分かっていて、常に陽月の視界に入る位置に立っていた。達臣がいる場所こそが、祖父のいる場所だったから。  もちろん、それをはっきりと言われたことはない。けれど、達臣の視線は祖父とは正反対に、優しく陽月を映していたから。  陽月も、悟志よりずっと、達臣の方が信頼出来ると感じている。陽太もそれを分かっていたから、残って欲しい気持ちは山々だった。けれど……、 「断られたよ。主人が不在になった家に、私の居場所はないでしょう、って」  もちろん、それは嫌味ではなく、達臣の謙遜だと分かっている。主人がこの世を去ったのだ。自分も執事の任を降りるのは、当然の事と言えば当然だ。  父のその行動については、息子の雅明も異論はない。自分も、いつかその時が訪れることがあるなら、潔く瀬野家を後にするだろう。それが、陽太に仕える執事としての誇りでもある。主人は生涯、ただ一人だけで良いのだ。  沈黙が部屋を埋める。答えは恐らく出ているのに、現実的に動かすには難しそうだ。 「……とりあえず、この件は僕が預かる。ひいも、はるが辛そうにしていたら助けてあげて」 「当たり前だ」 「雅明と加谷には、悟志以外に不審な動きをする者がいないか、可能な範囲で目を光らせておいてほしい」 「「かしこまりました」」  陽太の命に、雅明と加谷は揃って頭を下げた。  ※※※※※  加谷と二人、陽太の執務室を後にする。自室へ帰る途中で、陽月は加谷に帰宅を促した。 「今日は助かった。春陽の相談に乗ってくれて」  陽月が礼を言うと、加谷は恭しくお辞儀をした。 「僭越ながら、随分とお悩みになられていた様子でしたので。陽月様の事も気にされていらっしゃいました。もちろん、陽月様が春陽様を思っての行動だと、伝えは致しましたが」 「ありがとう。その気持ちだけで十分だ」  にこり、と陽月は微笑む。自身の執事に付いてから、加谷は陽月の気持ちをよく汲み取ってくれている。多くを語らずとも、加谷には伝わるのだ。それが心地良いと、陽月は感じる。  ――陽月様……。陽月様が望まれる事があるならば、その道をご選択下さい。私はいつでも陽月様のお側におります。  いつだったか、加谷はそう言ってくれた。陽月の執事になって、半年を過ぎた頃だったと思う。  その頃の陽月は、正直、加谷に心を開くつもりはなかった。むしろ、この家に留まる気すらなかったのだ。  陽太には悪いと思う。けれど、やはり優先するべきは、自分の半身だった。  祖父が春陽を追い出したのは分かっていた。祖父がいるこの家に、春陽を連れ戻すことは出来ないだろう。ならば、この家にいる理由は、陽月にはない。  いつか、春陽を見つけて、この家を出て、一緒に暮らしたい。春陽が一緒なら、瀬野家の地位なんて、捨てても構わない。  だから、こんな先のない自分の人生に、加谷を付き合わせる必要はないと……そう思っていた。加谷は良く出来た執事だ。自分には、勿体無いくらいに。  それを正直に話せば、加谷は首を横に振った。「何をおっしゃるのですか」と、優しく笑って。 「私は、陽月様の執事です。仮に陽月様が瀬野家を去られる……その時が来たなら、私も一緒にここを去ります」 「けど……」 「陽月様が望まれる事があるならば、その道をご選択下さい。掴みたい未来があるのなら、迷わずにお進み下さい。私はいつでも陽月様のお側におります。それが、私の望みです」  十二歳になったばかりの陽月に、その加谷の言葉は、純粋な重さを持って届いた。  当時の自分は何と答えただろう。「分かった」と、ただ一言だけだったかもしれない。  それでも、加谷の存在はいつでも陽月を強くしてくれた。誰かに支えてもらえる事が、こんなにも人を強くするのだと、陽月は実感した。  また、自分が信頼を置く相手に、春陽も信頼を寄せてくれたのは、単純に嬉しかった。 「……陽月様?」  物思いに耽っていた陽月に、加谷が声をかけてくる。 「如何なされましたか?」 「いや……なんでもない。おやすみ、加谷」  陽月が告げると、「おやすみなさいませ」と加谷は丁寧に返した。    加谷と別れて部屋へ戻る。誰もいないと思っていたので「おかえり」と言う声に驚いた。  見れば、春陽が居心地悪そうにベッドから立ち上がっていた。 「どうした? 宿題するんじゃなかったのか」  苦笑混じりに聞く。 「終わったから……きた」  たどたどしく春陽は答えた。陽月を追い出しておきながら、宿題が終わって一息つくと、春陽は途端に寂しくなってしまったのだ。  今日は駄目、と言ってしまった。それなのに会いたくなる。どうしよう……と部屋の中を右往左往して、結局陽月の部屋へ来た。  ノックをしても返事がなく、悪いと思いながらも勝手に入って待っていたのだ。 「夜這いかと思った」  少し戯けて言うと、う……と春陽は言葉に詰まる。一概に否定出来なかったのだろう。そうやって、恥らいを持ちながらも求めてくれる事が、陽月は嬉しい。  唇を寄せる。小さなリップ音を響かせて離れると、春陽はそのまま言葉を紡いた。 「あの……今日は、ありがとう」 「何が?」 「悟志さんのこと……怒ってくれたんでしょ?」  恐らく加谷に聞いたのだろう。春陽は陽月ほど、勘に鋭い人物ではない。陽月自身は、春陽の考えている事が手に取るように分かることがある。けれど、春陽はそうじゃない。  無論、それが悪いとも思わない。それだけ、自分が春陽に執着をしているのだろう……。言葉や態度の端々まで、春陽のすべてを、もう逃したくはないから。 「春陽のせいじゃないよ。俺が腹立たしかったから」 「……うん。それでも、ありがとう……。心配してくれて、嬉しい」  少しだけ頬を染めて、春陽は感謝を述べた。相変わらず、優しくされることに抵抗があるように思えるけれど、それでも“嬉しい”と口にしてくれる春陽が愛しい。  春陽が頼りにしてくれる……それだけで、陽月は満たされる。陽月の生きる価値がそこにあるから。  手を取り合って、見つめ合う。お互いに、それ以上の言葉はいらなかった。

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