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第5話

 学校に向かう春陽を捕まえて、陽太は今夜の約束を取り付ける。春陽の表立った社交界デビューはまだ早いけれど、今夜の商談の相手は、春陽を紹介するには都合が良かった。  西園寺家――父の実家であり、陽太とは従兄弟にあたる人物。故に、春陽のことも、もちろんよく知っている。が、改めて“陽太のSub、陽月の番”として連れて行く事になろうとは、陽太も思っていなかった。  春陽は緊張したような表情で「俺でいいの?」と聞いてくる。「春陽だから良いんだよ」と返せば、気恥ずかしそうに俯く。  行ってらっしゃい、とキスをして送り出し、陽太は自室へと向かう。  この時間なら、江崎が自分の部屋を整えているはずだ。コンコン、と軽くノックをして、部屋へ。 「あら、陽太様。どうなさいました? お忘れものですか?」  江崎はベッドのシーツを張り直す手を止めて、陽太を見た。 「ちょっと江崎に話があって」  決して重くない、軽い口調で言えば、「まぁ」と江崎が笑った。 「この初老に何の御用ですか?」 「日頃の感謝を伝えたくて」 「嬉しい。今日は敬老の日だったかしら?」 「敬老だなんて、人が悪いな」  江崎は悟志と並んで古株だ。何なら、陽太が生まれる前から、瀬野家のメイドとして仕えている。陽太とこんな軽口で話すことが出来る、数少ない内の一人だった。 「この前は、倫と山霧を引き合わせてくれてありがとう。おかげで倫のお眼鏡にもかなったようだよ」 「それは良かった。では、山霧を本格的に、春陽様の部屋付きメイドになされるおつもりなのですね?」 「うん。春陽も、山霧のことは気に入ったみたいだから。やっぱり、僕の人選に間違いはなかったよ」  山霧を採用するにあたり、陽太は江崎に指導役を頼んだ。江崎が快く引き受けてくれたのには、本当に感謝しかない。  春陽が帰って来た時も、江崎は泣いて喜んでくれた。春陽様がご無事で、お元気そうで良かった、と。江崎も、追い出された母と春陽の事を、ずっと気にかけてくれていたのだと分かった。  だから……。 「江崎にもう一つ頼みたいことがあって」  陽太は二つ折りにした小さな紙切れを江崎に差し出す。 「何でしょう?」  江崎はそれを受け取って、開いた。携帯の番号が書いてある。 「僕のプライベート携帯の番号。江崎に預けたい」  さすがの江崎も、全く予想していなかったようで目を見開いた。瀬野家に仕える期間が長いとはいえ、江崎はただのメイドである。家長の携帯番号を託されるような人物ではない。 「悟志の動向が気になる。……考えたくはないけれど、春陽に何か危害を加えるようなことがあれば、連絡してほしい」  陽太は真剣に告げた。江崎は不安そうな瞳を陽太に向けて、紙を掴む指先に力を込める。また、心配をかけてしまうな、と陽太は思った。 「……断定しているわけじゃないよ。念の為、ね?」 「……かしこまりました」  江崎は頭を下げて、丁寧に紙をポケットにしまった。 「そのうち、預かったことも忘れてしまうかもしれませんね」  江崎はわざと明るく言う。陽太も「そうだね」と笑みを返した。  この番号に電話をかけることがないように……そんな事態が、もう二度と起こりませんように……と、そう願った。  ※※※※※  帰宅すると、春陽は陽太の指定した服に着替えた。ビジネスだから、と先日陽太が買ってくれた新しいスーツに身を包む。江崎と山霧が着替えを手伝ってくれた。 「……変じゃない? 大丈夫かな?」  不安そうな春陽に、山霧は「お可愛らしいですよ」と笑う。 「春陽様は元々の素材がよろしいから、何を着てもお似合いですね!」 「そっ、そうかな……? 普通だよ?」 「ご謙遜なさらなくても良いのに」  山霧の言葉選びは、今風というか……江崎にとっては「それは些か失礼なのでは」と思うところもある。けれど、それに対して春陽が怒ることなく、むしろ気安く会話を楽しんでいるようなので、これが最近の子のコミュニケーション術なのか、と思った。  二人して笑い合う姿に、江崎も自然と笑みをこぼす。ずっとこうして、春陽が笑ってくれていたら良い。幼い頃にはなかった、穏やかな時間が続けば、と江崎は願う。  扉がノックされ、悟志が顔を覗かせる。それまで笑っていた春陽が、一気に緊張したのが江崎にも分かった。  山霧も手を止めて、悟志に向き直ると軽く会釈をした。 「準備は出来ましたか」  悟志の問に、はい、と静かに春陽は答える。 「本日のお相手は、西園寺家のご長男でいらっしゃる啓佑様です。お二人にとっては従兄弟にあたりますが、ご商談の席ということを、お忘れにならないように」 「はい」 「春陽様、お顔を」  悟志に言われて、俯き加減だった視線を上げる。「笑顔で」と付け足されたので、口角を上げた。 「……よろしいでしょう。くれぐれも失礼のないように」 「はい。分かりました」  硬い笑顔のまま春陽は答えた。まるで感情のない、ロボットのようだと山霧は思う。もちろん春陽は自然を装っているつもりだろうけど、不自然さが際立っていた。  悟志様の言い方が悪いのよ! と心中でぷんすか怒る。素敵ですよ、の一言でも言えないのだろうか。  そんな悟志に対して、見送りに来た陽月は「可愛い」と春陽に言葉を掛ける。 「ほ、本当に? 変じゃない……?」 「変じゃないよ。似合ってる」  陽月にそう言われて、春陽は顔を綻ばせた。  これよ、これ! と山霧は思う。目の前に机があれば、バンバンと叩いて喜ぶだろう。  陽月は、 「啓佑さんは良い人だから。大丈夫だよ」 と春陽を安心させる言葉もちゃんと掛けて、 「陽太をよろしく」  と、信頼の言葉も忘れずに掛ける。  春陽の纏う空気が和らぎ、自然とこぼれる笑みが可愛らしい。  さすがです、陽月様! 山霧は心中でガッツポーズをした。 「おまたせ」  陽太が雅明とともにやって来る。春陽のおめかしした姿を見て、 「うん。やっぱりよく似合ってる。可愛いよ」  と、こちらもまず春陽を褒めた。山霧もにっこりする。  出発する二人を、いつもより深い会釈で送り出す。ぶわ、と一瞬強く吹いた夕暮れの風に髪が踊る。ざわざわ、と庭の木が葉を揺らした。  山霧は強く閉じた目を開く。ふと捉えた視線の先には、屋敷を見上げて驚いた表情をする陽月が映った。 「陽月様?」  加谷に声をかけられて、陽月は意識をここに戻す。 「いかがなされましたか……?」 「……いや、何でもない……」  少し歯切れが悪く陽月は言って、屋敷の方へ踵を返す。山霧の横をすり抜ける陽月の表情は、些か曇っているように見えた。  陽月様、どうなされたんだろう……?  不思議に思い、陽月の見ていた先に視線を向ける。屋敷の一番隅の部屋。そこは、今は使われていない場所だ。  先代様のお部屋……? 「山霧。私たちも戻るよ」  江崎に声を掛けられ、はぁい、と山霧は返事をする。  空は太陽が帰宅を始め、月がその姿を主張し始めていた。  ※※※※※  商談の場所は小さな和食料亭だった。話と食事が目的だと、陽太は春陽に説明をした。 「あの……俺はどうしたらいいの……?」 「何もしなくていいよ。ただ、僕が連れてきたかっただけだから」  にこ、と陽太は微笑み、春陽は疑問符を浮かべる。 「僕と陽月の相手です、って、はるを自慢したかっただけ」 「えっ!?」  春陽は驚きの声を上げて顔を赤くした。なぜ連れて来られたんだろう、自分がいて何か役に立つのだろうか……? と思っていたけれど、そういう意味で連れて来られたなどと、春陽は考えてもいなかった。  今更になって慌てだす春陽に、陽太は苦笑する。 「何でかなぁ? そういう意味に決まってるでしょ?」 「き、決まってるの……?」 「決まってるよ。だから、いつも通りの笑顔でいて」  そう指示されて、いつも通りの笑顔って何だっけ? と春陽はより緊張する。  俯かず前を見て、口角を上げて下さい。――頭の中に悟志の言葉が冷たく響く。ニコ、と春陽は笑顔を作った。 「あはは……わざわざ表情を作らなくても大丈夫だよ」  陽太は安心させるように春陽の頭を撫で、目線を合わせる。だって、と不安そうに開く春陽の唇を、軽く塞いだ。 「何も心配せず、俺に委ねていて」  春陽は少しだけとろりと瞳を揺らして、うん、と頷いた。  案内されたのは静かな個室だった。  商談相手の西園寺啓佑は、恐らく知り合いなのだろうけど、記憶のない春陽は初めて見る顔だった。 「初めまして、ってことでいいのかな? 西園寺啓佑です。よろしくね」  にこり、と笑う表情は、どこか陽太にも似た穏やかさがあった。従兄弟なのだから、似ていても不思議はないのだけれど。  差し出された手を握り返して、春陽も挨拶を返す。 「瀬野春陽です…………えっと……」 「僕たちの弟で、恋人ね」  言葉に詰まった春陽に変わって、陽太が紹介をしてくれる。改めて、そんなふうに言われると、どきどきする。 「食事しながら詳しい話を聞かせてよ。とりあえず先に、つまんない仕事の話をしてしまおうか」  光沢のある檜の大テーブルの上に、何枚か紙が散っている。見ても、春陽にはよくわからない。だから何も言わずに静かに話を聞く。  けれど、段々と眠気が襲ってきて、まぶたが閉じそうになるのを必死に堪えた。決して緊張感がないからだとか、つまらないからだとか、寝不足だからではない。  隣から聞こえる陽太の声が心地良いのだ。大事な商談のせいか、今日の陽太は声も雰囲気も落ち着いていて、穏やかに、でも強く春陽に届いてしまう。  やめてほしい、なんて言えるわけもなく、春陽は堕ちないように我慢する。  例えば、陽太が国語の教師なら、春陽は夢の中だと思う。午後一番の授業なら間違いなく寝ている。数学なら、寝ない……かもしれない。ああでも、内容が難しければ脳が理解するのを放棄して、おやすみしてしまうかもしれない。  トン! と書類がテーブルを叩く音に、春陽はびくりと肩を震わせる。向かいでは啓佑が、トントンと書類を纏めている最中だった。 「では、後はお任せします」 「うん」  二人の会話を聞いて、終わったのかな、と春陽は思う。陽太に視線を向けると「お疲れ様」と微笑まれた。  食事の用意が整うまでの間に、春陽はトイレに立った。バシャバシャと顔を洗ってしまえたら、少しはしっかりするのに……と思いつつ、さすがにそこまで失礼な事は出来ないなと我慢する。ただでさえ寝落ち仕掛けていたなんて、悟志に知れたら大目玉だ。 「どうぞ」  付き添ってくれている雅明が、ハンカチを差し出してくれる。ありがとうございます、と手を拭いて、受け取った時のように丁寧に四つ折りにして返す。  思わずため息をついた春陽に、「お疲れ様でございました」と、雅明は労いの声をかけてくれた。 「……雅明さん、俺、大丈夫でした……?」  心配になって聞くと、はい、と雅明は答える。 「寝てませんでした? ちゃんと起きてましたよね?」 「はい。起きていらっしゃいましたよ」 「良かったぁ……」 「むしろ、よく我慢なさっていたと思います」  雅明は恐らく褒めてくれていたと思う。それでも、春陽は「う……」と言葉に詰まった。 「……すみません」 「謝罪など必要ございませんよ。春陽様がSpaceに堕ちないように我慢されていた事は、陽太様もご理解なさっていると思います」 「あああ~っ! やっぱりバレてますよねえぇぇ〜……」  春陽は声を抑えずに呻くと、両手で顔を覆った。  めちゃくちゃ恥ずかしい……。性分とはいえ、どうしてこうも弱いのだろう。  啓佑は陽太に甘えてしまいそうな自分を見て、どう思っただろうか。頼りない人と、思われていないだろうか……。  不安が春陽の胸を締め付ける。 「やっぱり、断れば良かった」そう呟けば、雅明は首を横に振った。 「いいえ。春陽様は最高のお相手でいらっしゃいますよ。春陽様の事を注視していなくとも、春陽様が陽太様に安心を預けていらっしゃるのは分かりますから」 「そうでしょうか……」 「ええ。後で春陽様ご自身で、陽太様にご確認下さい。きっと、陽太様は喜んでいらっしゃいますよ」  春陽が抜けた後、二人はどんな話をしているだろうか……。表情に出さなくとも、内心では鼻高々にふんぞり返っているだろう陽太が想像出来て、雅明としても満足だった。 「ちょっとお手洗に」と、雅明と部屋を出る春陽の背を見送って、啓佑は待ち構えていた様に身を乗り出した。 「ちょっと陽太くん、何あれ」  すっかり冷えた緑茶を一口、陽太はにっこりと笑った。 「可愛いでしょ?」 「いや……可愛いってもんじゃないでしょ、あれは」  啓佑も陽太と同じ様にDomの特性を持っている。だからこそ分かるのだ、春陽がどれだけ陽太に心を許しているか。  陽太が気にかけなくとも、隣にいるだけでうっとりと瞳を閉じかけて。Spaceに入りたくとも、今はその時ではないとちゃんと理解しているから、我慢をしていて。それでも、まるで見えない服の裾を掴むように、陽太にそっと寄り添っている。 「あのさー。それを正面から見せられてる俺の気持ちが分かる?」  唇を尖らせながら、啓佑は愚痴を吐いた。  大体、ダイナミクス性においても、オメガ性においても、相反する者と対峙した際には何かしら“反応”が有るものだ。少なからず、啓佑が出会ったSubやΩたちはそうだった。まずはじっと、啓佑を見つめて来ることが多い。  それなのに、春陽は全くと言って良いほど無関心だった。握手と称して体にまで触れたと言うのに、自分に感情の一つも寄せてない事に、啓佑は気付いてしまった。  それどころか、商談の間中、健気に陽太のそばに居続けたのだ。 「“本物”がどれ程のものか見たい、って言ったのは啓佑さんでしょ?」 「そうだけどさー」 「ご堪能頂けたのなら幸いですよ」  陽太の余裕綽々たる面持ちに、啓佑は思わず舌打ちした。 「陽太くん性格悪〜い」 「褒め言葉ですか?」 「そうだね!」 「そうですか。ありがとうございます」  にこ、と陽太は笑顔で礼を述べる。対して、啓佑は特大のため息で返事をした。 「そりゃあね、あんな子がいると分かってたら、今までフリーで居るわけだよ」  一般的に言えば、陽太の年齢で世帯を持っていなくとも不思議はない。が、二人の属する階級の社会では、子供は愚か、その歳で相手すらいないのは異常な事だ。  世継ぎを残さなければ終わってしまう。残すのなら、最高級のものを望むのは当然だ。だから、本妻がいても別に何人か抱えていることは少なくない。啓佑も、もれなくそうだった。  それなのに、陽太はそんな話どころか、影すら噂になったことがない。春陽との関係が公に出たらどうなるか……淑女たちは皆、泣き崩れるだろう。 「あ、最初から分かっていたことじゃありませんよ。偶然です」 「本当かなぁ?」 「本当ですよ」  運が良かったのか、それとも悪かったのか。それは陽太ですら分からない。陽月と春陽の間に入れた事が、そもそも奇跡に近いのだ。あの二人は、生まれた時から運命を分かち合っていたのだから。 「ねぇねぇ陽太くん。ちょっと春陽くん貸してよぉ」 「言うと思った。駄目ですよ。僕だけのものじゃないんだから」 「えー、ケチぃ。減るもんじゃないでしょ?」 「僕の信頼度が減ります」 「ないじゃんそんなの」 「失礼な。ありますよ、しっかりと」  そんな話をしていると、店の給仕係が声を掛けて来る。表ですれ違ったのか、春陽の「すみません。ありがとうございます」と軽く謝辞を述べる声が聞こえた。すぐに雅明とともに姿を現す。 「お帰り」  陽太が声を掛ける。春陽は小走りで陽太の隣に座り直した。 「ごめんなさい、遅くなっちゃった」 「ううん。はるこそお疲れ様。つまらない話だったでしょ?」  陽太が聞くと、春陽は首を横に振った。 「ひな兄の大事なお仕事だもん。つまらなくなんかないよ」 「そう? そう言ってもらえると嬉しいな。はるは良い子だね」  いつもの様に頭を撫でる。えへへ、と春陽は嬉しそうに顔を綻ばせた。 「……分かった。もう二度と言わない」  やり取りを見ていた啓佑が、ぽつりと呟く。  もう二度と“本物が見たい”なんて言うものか。  何のこと? と首を傾げる春陽の横で、陽太が勝ち誇ったように笑っていた。  ※※※※※  ふわふわと、まるで夢心地の気持ち良さから、はっと意識が覚醒する。  暗い室内をしっとりと照らす、オレンジの灯り。それから、陽太の顔。 「ああ、完全に目が覚めちゃった?」 「ひな兄? ……っ!?」  ゆる、と陽太が体を揺すった拍子に、びくりと春陽の身体が跳ねる。中に、陽太のモノを感じた。頭で整理する前に、体が状況を理解する方が早く、春陽の口から熱を含んだ吐息が漏れる。 「あ、っふ、ィく……!」  弱いところに狙いを定め、ぐちぐち、と突かれて腰が撓る。快感を得たそこが痙攣を繰り返しても、陽太はそこから離れようとしない。むしろまた刺激しようとする。 「あっ、あ、ひなっ、にいっ……!」 「駄目。逃さないよ」  ここ、好きだろ? と、意地悪な陽太の声がして、喘ぎ声で応えた。繰り返し訪れる絶頂が、身体中の神経を麻痺させる。陽太から与えられる刺激にしか、反応しなくなってくる。 「っ! い、あッ……ひなにいっ、おとしてっ!」  いつもの通りに、何も分からないまま抱かれた方がいい。だから、堕ちたいと願った。けれど、陽太はそれを受け入れてはくれなかった。  素面のままひたすら熱を吐き続ける。キスをして、汗ばんだ肌に触れて、お互いに身も心もただの獣になっていく。  恐らく宣言はあったのだろうが、理解出来る状況にはなかった。ドク、ドクと最奥に陽太の欲を感じて、終わりを悟る。春陽も、同じようにビクビクと身体を震わせて、甘えるように陽太に抱きついた。  はる……と、大好きな声が自分を呼ぶ。唇を重ね、熱の冷めきらない視線を交わす。さら、と陽太の横髪が流れた。 「ふふっ」 「なに? どうしたの?」  突然笑った春陽に、少しだけ動揺したように陽太は聞いた。 「ひな兄……子供みたい」  普段は右側だけ横髪を掛け、アシンメトリーな髪型を作る陽太は、精錬された大人な印象がある。けれど、両端から顔を包み込む様に髪が流れると、途端に幼い印象になるのだ。  春陽は、そんな陽太も好きだった。ゆっくりと両手の指先で陽太の顔に触れて、かわいい、と笑う。 「あはは……。はるくらいだよ、俺に可愛いなんて言うの」 「そう?」 「そうだよ」 「じゃあ、俺だけ、特別……?」  確認するような春陽に、陽太は「うん」と肯定を返す。 「はるだけだよ」  こんなに余裕のない姿を晒すのも、きっと春陽の前だけだ。嬉しそうに春陽は笑う。 「……はる、今日はありがとう」 「えっ?」 「愛してる」  真っ直ぐに告げて、唇を重ねた。  やっぱり、春陽は今のままが一番良い。他人の前で自信がなくても、堂々と出来なくても、風に揺られながら強く咲く、可憐な花でいてくれたら。ただそこに在るだけで、人の心を温かくさせる。そんな花でいてくれたら、それが一番春陽らしい。雨風に吹き飛ばされないように、守るのは自分たちの役目だ――そう、陽太は思う。 「俺も、すきだよ。……あいしてる」  言い慣れていないのか、照れを隠すようにぎこちなく、けれどちゃんと上目遣いに陽太を見て、ふわふわと、優しい小声で春陽も返す。  思わず、陽太は「はぁ~〜」と息を吐きながら春陽の上に被さった。「なになに!?」と、春陽が腕の中で慌てたような声を上げる。  なになに、と聞きたいのは陽太の方だ。何だその反応、可愛いが過ぎる。  そもそも、今日は車内で寝落ちしてしまった春陽を、そのまま寝かせる気でいたのだ。慣れない場所で疲れたのだろう、揺すっても起きないので、お姫様抱っこで春陽の部屋へ送る途中、はた、と静かに春陽は瞳を開けた。  目が覚めた? そう声を掛けると、春陽は首を横に振った。何か聞き間違いをしたのか、春陽は陽太に擦り寄って「やだ」とこぼした。 「ひなたさん……と、ねるんだ……もん」  途切れ途切れにでも、そう春陽は告げる。意外にも、陽太は心が踊った。それはつまり、抱いても良いということだろうか?  先を行く雅明が、勘よく振り返る。 「いかがなされますか? 陽太様のお部屋に変更なさいますか?」 「どうしようかな……。雅明はどう思う? さっきの、誘われたと思ってもいいかな?」 「陽太様のお好きなようになされたら、と思います」  スマートな返答と、深く追求もしない雅明は、本当によく出来る執事だと陽太は思う。 「じゃあ、俺の部屋で」  そう告げると、かしこまりました、と雅明は行き先を変える。  陽太の部屋の扉を開き、中に入ることもなく「それでは。おやすみなさいませ」と雅明は静かに扉を締めた。二人だけの空間が用意され……現在に至る。  だから、最初は“今夜は抱かない方が良い”と思っていたのだ、陽太は。けれど、誘われたのなら応えるのが当然だろう。そして、今も。  まだ初々しさの残る恋人から、少々ぎこちのない、けれど本心の詰まった「愛してる」。それを聞いて我慢が出来る聖人君子のような男がいるならば、是非ともお会いしたい所存である。 「はる、いつからそんなに誘うのが上手になったの?」 「へっ……?」  当の恋人は、なんのこと? とまた疑問符を浮かべる。そうやって無自覚なのは、可愛いけれどいけないのだ。 「もう一度、する?」  ねえ、春陽。と確認するように耳元へ吹き込む。おず……と、春陽は身動いだ。桃色を瞳に浮かべ始めながら、春陽は問い返す。 「いつも通りに……してくれる?」  もちろん、先程の、行為を自覚するような繋がりも嫌いではない。でもそれは、同時に自分の卑しさに悪態を付きたくもなる。対して、陽太との“いつも”は、自我を放棄しても赦してもらえる……そんなセックスだから。  ねえ、陽太さん……と甘え声で呼ぶ。「仰せのままに」と、紳士的に陽太は答えた。けれど、降ってくる口付けは真逆の熱を乗せていた。

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