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第7話
「夕方までには戻るから」
出掛けていく陽月を玄関で見送った。朝から陽太も出掛けてしまったので、午後からは春陽が一人で留守番だ。
日曜日なのに、などと子供じみた事を言う気はない。曜日に関係なく忙しい生活を送っていたのは、かつての春陽も一緒だ。
部屋に戻る気にはならず、ふらりと庭を散歩する。以前、陽月と散歩した時は、木々の緑や空の青、光と影のコントラストがはっきりとしていた。秋になって、それも淡く、優しくなっている。
小さな頃に遊んだ庭。錆びたブランコ。木陰の出来た花壇のブロックに軽く腰を掛けて、春陽はそれらを見つめた。
風が髪を揺らして、ついたため息も一緒に攫っていく。
昨日から、陽月の様子がおかしい……。おかしい、と言うと語弊があるかもしれない。態度はいつもと変わらないし、穏やかな空気も変わらない。けれど何となく、二人の間に薄い膜が掛かっているような気がする。
もちろん、最初からそうだった訳ではない。春陽にとっては、いつの間にか。けれど、自分が気付くのが遅かっただけで、朝、顔を合わせた時からそうだったのかもしれない。
陽月は、春陽の違和感に即座に気付いてくれるのに、逆は……春陽には難しい。
番としての本能がそうさせるのだ、と加谷が言っていた。ならば春陽だって、陽月の事が分かっても良さそうなのに。一方通行なのが……悲しい。
記憶があったら、違ったのかもしれない。春陽の記憶喪失は、“自分を守るために意図的に起こしたのではないだろうか”と、倫は言っていた。
だったら、出会った瞬間に思い出しても良くないだろうか? そうしたら、少なくとも「はじめまして」と、陽月を傷付けることはなかった。
来年も、花火を見よう――そう約束をした際に、陽月は寂しそうに眉を下げていた。それは、かつてシュンとして陽月に会っていた時の、別れ際に見た表情と同じだった。
不安にさせてしまったのかもしれない。もしかしたら、また、忘れてしまうかもしれない、と……。
無論、今の春陽はそんなことはない。陽月を忘れる事なんて、絶対にしないと誓える。けれど、それを証明する術があるのかと言われれば、ない……。
陽月は、忘れたのなら新しく思い出を作れば良いと言ってくれた。対して春陽は……思い出せるのなら、思い出したい。
だからここへ来てみた。もう一度、もっと深く、思い出せないかと思って。しばらく空気を感じでみたけれど、何も思い出すことはなかった。あの時は、本当にタイミングが良かったのか、それとも陽月と一緒だったから思い出せたのか……。
「なんでいつも……うまくいかないんだろう……」
そもそも、忘れなければ良かったのに……。もし、陽月の事を覚えていたら、体を売るなんてこと、絶対にしなかった。
じわ……、と涙腺が緩む。後悔しても仕方ない。あの頃は、そうでもしないと生きていけなかったのだから。でも……。
「全部……陽月にあげたかったな……」
春陽の初めては、決して心地良いものではなかった。借金を返済するため、仕事のために捨てるしかなかった。しょせんΩなのだから、道具のように扱われてもしょうがないと、当時の自分は思っていた。自分自身が大切なものだとも、思えなかったから。
陽月と再会して、それは間違いだったのだと自覚した。本当は、愛されて、大切にされていいものなんだと、素直に思えるようになった。陽太との行為だって、そうだ。
だから……後悔してしまう。今更どうしようもないのに、初めては、陽月が良かったなんて……。
「……っく……ほんとう、だめだな、おれ……」
ぽろぽろと涙がこぼれる。拭ってくれる熱も、抱きしめてくれる熱もなくて、体が冷たく震える。
ぱき、と枝が折れるような音に、驚いて顔を上げる。
「春陽様、ここにおいででしたか」
「悟志……さん……」
どうしよう、また、怒られる……。必死に涙を拭いて、春陽は身構えた。けれど悟志は、いつものように顔をしかめることはせず、逆ににこりと表情を緩めた。
「気候が良いとはいえ、長らくこんなところにおいでですと、風邪をひかれてしまいますよ」
「…………あ、はい……すみ」
すみません、と言いかけて口を噤む。悟志は、やはり柔らかい表情のままだ。
「先日の商談の際は、大変頑張られたそうですね」
「えっ……?」
「陽太様が褒めていらっしゃいましたよ。さすがでした」
悟志の声で聞いたこともないような言葉が紡がれている。夢でも見ているんじゃないか、と春陽は思った。
「あ、あの……どうしたんですか、突然……」
妙に優しい悟志に、警戒心を抱きながら春陽は問う。
「陽太様から、春陽様への指導は不要だと、そう仰せ付かりました」
「……」
「私は、春陽様が社交界で困られないように、敢えて厳しく接しておりました。これまでの御無礼を、どうかお許し下さい」
深々と頭を下げられる。春陽は慌てた。
「そ、そんな……! 俺こそ、何も知らなくて……悟志さんにいっぱい心配かけて、すみませんでした」
素直に謝る。下手に出ても、悟志は怒ることはしなかった。むしろ、穏やかに微笑まれる。純粋に、自分を指導しようとしてくれていたのだ、と……そう春陽は思った。悟志は雅明の叔父だと聞いた。ならば、元から怖い人ではないのかもしれない。
「ところで、春陽様はここで何をなされていらっしゃったのですか?」
「あ……庭を、見てました」
「庭を?」
「はい。昔のこと、思い出せないかなって……。前にブランコを見たときに、少しだけ思い出せたので……」
そう告げると、悟志は少し考えるような仕草をした。
「懐かしいものに触れて、記憶が蘇るということでしょうか……?」
「分からないんですけど……思い出せたら良いなって……思って」
「でしたら、屋敷の中はどうでしょう? 春陽様が幼い頃に過ごされたお部屋へ、伺ってみられては……?」
「えっ!? あるんですか? そんな場所」
「ええ。現在は瀬野家の資料室のような扱いになってはおりますが」
ふと、悟志は屋敷の方を見上げた。春陽もつられて視線を上げる。そこには、薄暗いカーテンのかかった部屋がある。
「よろしければご案内致しましょうか?」
「良いんですか!?」
「ええ、ご興味がございましたら」
お願いします、と春陽は頭を下げた。悟志が、笑う。
こちらへ、と先頭に立って歩き出す悟志の背に、春陽は続いた。
洗濯物を取り込んでいた山霧の手が止まる。窓越しに、屋敷の廊下を歩く悟志と春陽の姿を見つけたからだ。
「あっ! ……悟志様ってば、また春陽様を怒っていらっしゃるんじゃないでしょうね」
こそ、と様子を伺うように山霧は後を付ける。てっきり、春陽の部屋へ向かうのだと思っていたけれど、階段を上がり終えた二人は、春陽の部屋とは逆の方向へ歩いていた。
廊下の行き止まりの部屋を開き、悟志は春陽を招き入れた。扉の先には、さらに扉が見える。その場所は山霧も入った事がないけれど、何があるかは知っている。
先代……瀬野丈之助が使用していた部屋だった。
悟志の後に付いて歩く。瀬野家に戻ってからというもの、春陽は自分の部屋の逆側は、ほとんど訪れた事がなかった。悟志が言った「資料室」に近づくにつれ、ざわざわと春陽の心が騒ぐ。
なぜか……あまり良い気持ちがしない。
悟志が扉を開く。どうぞ、と招かれたけれど、足が先に進もうとはしなかった。
「いかがなされましたか?」
「…………」
「春陽様」
懐かしい物に、触れたいのでしょう……?
悟志の言葉が耳に届く。
そうだ……過去に触れて、思い出したい。小さい頃の……思い出……。
春陽はごくりと喉を鳴らして、一歩踏み出す。悟志に導かれるまま、資料室の中へ。カーテンが光を遮っているせいか、灰色の室内と、肌を刺す冷ややかな空気が薄気味悪い。さらに圧をかけるように所狭しと並んだ本棚が、春陽の目に映る。
どくどくと、心臓が煩い。バタン、と音を立てて扉が閉まり、春陽はびくりと震えた。
空気が……重い。息が、出来なくなる……。
「こ、こは……?」
思わず聞くと、悟志は笑顔のまま答えた。かちり、と後ろ手で扉の鍵をかけてしまう。
「春陽様が、幼い頃に過ごされたお部屋ですよ。……思い出しませんか?」
こつこつ……靴音を響かせながら、悟志は春陽に近づく。不意に恐怖を感じて、春陽はギュッと目を閉じた。悟志は春陽に興味がないように、するりと横を抜けて行く。執務机に立て掛けられていた杖を手に取り、その先を床に叩きつけた。カンッ!! と恐ろしい音が響く。
「――っ!!」
思わず、春陽は両手で耳を塞ぐと、その場にへたり込んだ。無意識に、ごめんなさい、と小さな声が漏れる。
「……懐かしいですね、春陽様。あなたはいつも、そうやって……怯えていらした」
もう一度、悟志は杖を突く。カタカタ、と春陽は震えた。
「ごめん……なさい……。いいこにするから……」
春陽自身も、どうしてそんな言葉が口をつくのか分からない。けれど、こうするしか方法がない。乱れる呼吸と、じくりと刺す頭の痛みが警笛を鳴らしている。
「……最初からこうしていれば良かった。これが、一番素直に言うことを聞く方法でしたね」
すう、と悟志は息を吸い込んで、怒号とともに吐き出す。
「春陽!!」
「っ!! ごめんなさいおじい様……! ごめんなさい!」
春陽はぼろぼろと涙をこぼし、青ざめた顔で必死に謝罪を口にした。
※※※※※
日曜日の街。通りの多い交差点を、陽月は車の窓越しにただ見つめた。人であふれかえっているのに、目につくのはカップルばかりだ。
手を繋いでいたり、お喋りをしていたり、お互い無言で携帯を構っていたり……。“二人の空間”の作り方は多様だと、陽月は思う。
「何かございましたか……?」
加谷が声を掛けてくる。別に、と答えたけれど、本当に何もなければ、加谷は聞いてはこないだろう。わざわざ問いを投げかけられる、ということは、そういうふうに映っているからだ。
あの夢の後から、どうも落ち着かない。久しぶりに、否定の言葉を浴びせられたからかもしれない。深淵からの問いかけに、耳を傾けてしまった。陽太と、対等に居れるのか――……と。
「……なぁ、俺と春陽って……どう見える?」
呟くように問うと、加谷は苦笑した。
「大変仲睦まじいと、そう思っておりますよ」
「恋人同士に見える?」
「はい。もちろん」
加谷は即答する。むしろ、あれで恋仲でなければ、一体何だと言うのだろう。
陽月はいつも春陽に甘い視線を向けている。それでいて、外からの目線にはシビアだった。春陽の感情が悲しみの方に揺らげば、即座に相手に牙を向く。
対する春陽も、陽月には素直に感情を解放している。
春陽は自分の感情をすぐに飲み込んでしまう癖がある。遠慮といえば聞こえは良いけれど、恐らくは他人を信用していないのだ。ただでさえ、社会から劣等種のレッテルを貼られた春陽の人生を考えれば、容易に想像はつく。
本来なら、春陽の目下である加谷にさえ謙遜するのに、完全に強者である陽月に対して、対等な口調で自身を解放出来るのは、信頼と甘え以外の何物でもない、と加谷は思う。
もちろん、陽太にも春陽は心を開いている。けれど、陽月と違って対等な開き方ではない。上位や優劣を意識させる開き方だ。つまりは、兄として甘やかすから、弟として甘えるというような。もちろん、本能的なかたちにシフトすれば、別次元のそれになるのだけれど。
だから、普段の様子だけ見れば、陽月が劣等感を抱えるような雰囲気ではない。しかしながら、陽月は加谷の肯定でさえ、迷うように受け取ったようだった。バックミラー越しに映る陽月が、車外を眺めたまま押し黙っているのがその証拠だ。
さて、どうしたものか……。程々のところで感情を吐露させておかないと、彼はそれを、劣等感として定着させてしまうだろう。率直に問うて、話してくれるだろうか……。
「私が知らぬところで、何かございましたか?」
なんて、少し砕けた様子で聞いた。陽月は素直に笑って、なにそれ? と言った。
「加谷は俺の全部が知りたいの?」
「左様ですねぇ。陽月様の執事ですから。主のことは何でも知っておきたいのですよ」
本来なら、プライベートにまで足を入れるのは不謹慎だ。けれど、信頼には信頼で返してくれるのが陽月だから。主と執事の垣根を越えて、兄弟のような、親友のような関係が自然と許される。
陽月はやっぱり苦笑した。そして、吐く。
「……陽太が羨ましいと思うよ。一発で春陽を“自分のもの”って、他人に認識させられるから……」
昨日の春陽の言葉を思い出す。隣に居るだけで、声を聞いているだけで、春陽は自身のすべてを陽太に預けられる、そう言っていた。
まぁ、厳密にそう言った訳ではないけれど、ダイナミクス性を理解出来る人間からすると、一目瞭然だ。春陽の態度の全てに、外から分かる“証拠”がある。そしてそれがどれだけ深い“本物”であるのかも。
ダイナミクス性を知らずとも、ただ静かにいるだけでαとΩの関係性は分かるだろうし。
「俺は……ないなぁって…………そういうの……」
無論、春陽との関係性に自信がないわけではない。番関係であることは、揺るぎない確証を以て言える。
そうじゃなくて、他人からもっと分かりやすく……言わずとも、伝わるような、そんな二人が羨ましいのだ。
加谷は思わず、はあ? と聞き返す。
「ないなって……何がです? 番としての温度感?」
「温度感……なのかな……? 目に見える何か、とか……陽太たちみたいに“認識”させるには、何か足りない気がする」
「いや、めっちゃ認識出来るけど!?」
もうタメ口になったのは許して頂きたい。加谷としては、何を言ってるんだ?? 状態である。
二人であれだけ濃厚な恋人空間を作っておいて、足りないだと? 全世界の恋人たちに是非を問いたい。明らかにぶん殴られる案件である。
「あのですねぇ。あれで足りないって言われたらこっちが返答に困りますよ? 少なくとも、俺は常に温泉浸かってる気分ですけど? ちょっと熱めのやつ」
「ちょっと熱めってどれくらい?」
「定期的に冷水浴びたいやつ」
「サウナじゃん」
そうノリ突っ込みを返して、陽月は笑った。
「分かってるなら、心臓に悪いこと言わないで下さいよ……」
「別に心臓に悪いことは言ってない」
「いや、言いましたよ? 同じ事、陽太様に言えます? “喧嘩売ってる?” って言われますよ?」
そりゃあもう、にこやかな笑顔で。「言い値で買うよ」なんて言葉は不要。わざわざ宣言せずとも行動に移すのが陽太だ。
「言わないよ、そんなの。春陽が苦労する」
「分かってるなら改めて下さいね。番らしくない、恋人らしくないなんて、春陽様に知れたら不安になられますよ」
「大丈夫だよ。知ることもないだろうから」
陽月は春陽の些細な揺らぎにも気付いてしまう。それは番の本能というより、双子だから、より深い部分で魂がリンクしているからだと陽月は思う。けれど、春陽はそうじゃない。陽月との記憶がないからか、陽月の気持ちには、おおよそ気付いてはくれないのだ。
どれだけ大切か、どれだけ愛しているか、見せびらかしたい気持ちと裏腹に、本当はどれだけ独り占めしたいか……。
一方通行な思いは、春陽を困らせるだけだ……そう分かっているから、言えずに溜め込んでしまっている。――それが、劣等感を生む原因になっている事に、陽月はまだ、気付けずにいた。
帰宅すると、異様な気配を肌で感じた。
「どうなさいました?」
車から降りて動きを止めた陽月に、加谷が声をかける。
「……いや……」
気のせいか……。屋敷の雰囲気は普段と何も変わらない。お帰りなさいませ、と皆に迎えられる。
……ああ、そうか、春陽の姿がないんだ。
午後には帰ると伝えていたから、てっきり出迎えてくれるのでは、と期待した。けれど、居ないということは、部屋で宿題か、うたた寝でもしているのかもしれない。
少し残念に思って歩みを進めていると、山霧が駆けて来た。陽月様、と切羽詰まった様子で名前を呼ぶ。
「陽月様、大変です! 春陽様が」
息を整える事もせず、山霧は告げる。ざわ……と、陽月の心臓が嫌な音を立てる。
「ああ、陽月様、お帰りなさいませ」
追いかけてきた江崎が、陽月に一礼した。その顔にも余裕の色はない。
「春陽様が、悟志様に連れて行かれて……」
「悟志に? どこへ?」
陽月は落ち着いて聞き返す。山霧は、えっと、と言葉に迷った。どこ、と聞かれて、とっさに場所が出なかったのだ。
「屋敷の、一番奥の部屋に……」
ざあっ、と陽月の脳裏を真っ暗な闇が掠める。陽月も、そこへは進んで近づいたことがない。行くのは、いつも呼ばれた時だけだった。
江崎が、何か言っていた。けれど、声が届く前に陽月は駆け出していた。陽月様! と加谷が後を追う。
「山霧、何で陽月様に言ったの!?」
江崎は山霧を追及する。
「だ、だって、陽月様は春陽様の……」
「そうだけど、陽太様が待ちなさいと言っていたでしょう?」
「でも、早く助けて差し上げたほうが……」
良いと思って、と口にしかけて、山霧は苦しげな江崎の表情に驚いた。今にも泣き出してしまいそうに張り詰めている。
「……駄目なんだよ、陽月様は」
「何が?」
「丈之助様のお部屋は……いい思い出なんてないんだよ、陽月様には……」
江崎は手にした携帯を胸元で握った。陽太のプライベート携帯に掛けることなんて、ないようにと願ったのに……。
「神様……お願いですから、これ以上三人を傷つけないで……」
ぽつりと、言葉とともに江崎の瞳から涙がこぼれた。
「陽月様!!」
追いついて、加谷は陽月の手を取ることに成功する。二人とも肩で息をしているのは、全力で走ったからだけではない。
「陽月様、落ち着いて下さい。陽太様のご帰宅を待ちましょう」
加谷は説得するように言うけれど、陽月は「嫌だ」と首を振る。
「行かないと……俺が、助けないと……」
「そんな不安そうな顔で言われたって、説得力ありませんよ」
はっきりと告げる。陽月は瞳を伏せて唇を噛んだ。
祖父である丈之助は、陽月にとって恐怖とトラウマでしかない。加谷もそれは痛いほど分かっていた。何度、虐げられる陽月を目にしてきたか……。
直接的な暴力はなくとも、丈之助の発する言葉は、常に精神的苦痛に満ちていた。
――陽太のようになりなさい。
常に繰り返された、比較と、命令。
なれるわけがなかった。陽太の光は、陽月には強すぎる。その光に圧倒されて、そこにいるのに消えてしまう。まるで、昼間の月のように……。
また、自分は何も出来ないのだろうか。あの時のように、泣いて、春陽を手放すしか……。
「…………ごめん、加谷」
「陽月様……?」
「俺は、部屋へ行く」
固く拳を握りしめて、真っ直ぐ加谷を見つめて、宣言する。
二度と離れないと誓った。どんなことがあっても、守ると誓った。
今はあの時とは違う。手の届く範囲に春陽がいる。ならば、陽月が行かない理由など、存在しない。
加谷は、もちろん否定したそうに陽月を見返していた。けれど、彼もまた、陽月が決めたのなら、それに従うまでだ。
わかりました、と小さく呟き、そしてはっきりと告げる。
「ただし、私は陽月様の執事ですから。陽月様第一に動かせて頂きます。もし、ご無礼があった際は、ご寛大な措置を」
恭しく頭を垂れる。本当に、加谷はよく出来る執事だ。……自分には、もったいないくらいに。
陽月は静かに微笑んで「ありがとう」と加谷に伝えた。
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