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第10話

 頭の中にノイズが響く。怒号と罵声としては理解が出来るけれど、言葉としては理解が出来ない。  だから、泣くことしか出来なかった。理解しようにも、幼い春陽の思考では、それが何なのか分からなかった。祖父の前で、春陽は謝る事と、許しを請うことしか出来ない。 「……意味ないよ、そんなことしても……」  背中を丸めて、小さくうずくまって、祖父の暴言を浴びる幼い自分を、春陽はただ静かに見つめた。  不思議な感覚だった。泣いている自分を、自分が見つめるなんて……。 「謝っても、意味ないんだ。だって、それはお祖父様の“無い物ねだり”なんだから……」  祖父は何も持っていなかった。αでもΩでもなくて、DomでもSubでもなかった。  だから、単に持っている春陽が羨ましくて、妬ましかったのだと思う……。例え劣等だとしても、“持っていること”が特別なものに感じられたんだろう。  意思が弱くて、自分では何も決められない。瀬野家の位置する社会では、足を引っ張る存在……それなのに、陽太と陽月に必要とされているのが、はっきりと分かるから。  何もしなくても、何も出来なくても愛される自分が、羨ましかったんだ、と春陽は思う。あの人の吐き出す言葉の中には、孤独と絶望しかなかった。支配としての愛がないから、幼い自分はそれをノイズとしてしか受け取れす、だからひたすらに怖かった。  誰彼構わず体を開く低俗。  子作りしか出来ない脳無し。  αに媚びを売って付け込もうとする。  ……祖父の言葉は、どれも間違ってはいない。それが、Ωという生き物だから。 「ごめんなさい……ごめんなさい……」  何度謝ったって、根本は変わらない。 「はるは何も悪くないんだよ」  陽太が、頭を撫でてくれる。 「大丈夫だよ。一緒にいるから」  陽月が、抱きしめてくれる。  春陽は、その愛の中で眠りにつく。  ――ああ、そうか……。これは小さな時の記憶だ。  二人に守られて、安堵する子供の自分を憐れに思う。  与えられる愛が余りにも強烈に、春陽を安定させてしまうから…………ほら、一人になった途端、感情が暴れまわる。泣き喚いて、母に当たり散らして、収集がつかなくなる。何のために生きているのか、呼吸すら、意識しないと出来なくなる。  だから……。 「忘れないと……いけなかったんだよね……」  愛してくれた二人のことを、覚えていることが苦しかった。“本物”を知ったまま、それと離れて生きられるほど、春陽は強くなかったから……。  もしかしたら、もう二度と交わることがないかもしれないのに、他は全部偽物だと知りながら生きることに、何の意味が有るのだろう……。  全部忘れて、笑って、ただ生きて。  本物を忘れて、偽物を偽物だと理解しながらしがみついて。交わったところで、楽しいことも体が燃え上がるような事もないのは当然だった。  本物は“出会った瞬間に解る”とか、“神秘的でドラマティックな話”だと、テレビでは度々テーマにされるから、記憶のない春陽でも、“本物”という繋がりがあることは分かっていた。  けれど、春陽にとってそれは、神秘でもドラマティックでも何でもなかった。背徳も倫理も全部忘れて、ただ快楽だけを求める行為が、どれだけ幸せでどれだけ安心出来るか、深層では知っているから……。  生きていけなくなる。今度こそ、離されてしまったら――。    ぱち……と春陽が目を覚ます。「春陽」と名前を呼ぶと、春陽はがばりと起き上がって、陽月にしがみついて来た。 「ひい! どこに行ってたの!?」 「……春陽?」 「ずっと探してたんだよ! 目を覚ましたらお母さんしかいないから、ずっと呼んでたのに!」  一瞬、陽月は春陽の状況が理解が出来なかった。いつの、何の話をしているのか、幼い子供のように腕の中で泣きじゃくる春陽の様子から、明らかに今の春陽ではないことは分かったけれど……。 「はる……?」 「かくれんぼしてたの……? なかなか見つからなかったよ?」  まるで離れ離れになっていたことを、子供の遊びのように聞いてくる。その疑問を浮かべる表情には、もちろん一切の悪意は感じられなかった。  かくれんぼをしていたのは、どちらかと言えば春陽の方だろう……。陽月自身は、逃げも隠れもしていない。そう……役で言うなら鬼の方だ。ずっと、春陽を探していた。 「ねえ、ひい……。どうしてなにも言ってくれないの……?」  不安そうに揺れる瞳で、春陽は陽月を見つめてくる。何かを伝えようにも、何を伝えればいいのか、陽月には分からなかった。 「春陽……」  「なあに?」 「はるは……俺のこと、好き?」  突然、何を聞いているんだろう……。頭の隅で自分を冷やかす。 「? うん。ひいのこと、好きだよ?」 「そっか……」 「うん。だからね、見つからなくて寂しかった」  長いかくれんぼだったね、と春陽は笑う。  長いかくれんぼ、か……。確かに、長いかくれんぼだった。春陽の声も、表情も、思い出すのに少しだけ、時間がかかるくらいには……。 「見つからなくて、寂しくて…………俺、ひいのこと忘れちゃった……」  ぽろり、とまた春陽が涙を零す。 「覚えているのが辛くなって、忘れちゃった……。ごめん、ごめんね…………俺、ひいに酷いこといっぱい言っちゃった……」  小さかった粒は、瞬く間に大きくなって春陽の頬を滑り落ちる。 「……しょうがないよ……。春陽が、春陽自身を守るためだって、倫さんも言ってただろ……?」   過ぎた事を悔やんでもしょうがない。忘れた訳ではないのに、記憶が薄れていったのは陽月も一緒だ。あんなに、愛していたのに……。  どうして? と春陽は声を震わせる。 「どうして……ひいは許してくれるの? 俺は俺を許せない……。しょうがないと分かってても、ひいのこと、忘れたくなかった……」 「はる……」  陽月は春陽をそっと抱き寄せる。それを言うなら陽月だって。春陽の事を思い出せない時もあった。だから、おあいこだと思う。  それよりも、陽月の事を忘れてしまった事実を悔やむ春陽が、愛しかった。本当は、こんなにも自分に思いを寄せてくれていた事実を、嬉しい、と素直に思う。 「大丈夫だよ。俺は気にしてない」  陽月が言うと、途端に春陽の顔から色が消える。代わりに、さあっと、青みが掛かった。 「なん……で? ひいは……平気なの……?」 「はる?」 「俺は……嫌だよ……? だって、番なんでしょ……? それなのに、忘れてたんだよ……?」  ゆっくりと、確認するように春陽は言葉を紡ぐ。 「だから、それは……」  しょうがない、と陽月はまた同じことを言いかける。 「酷いよ……何で怒ってくれないの? 俺は忘れたくなかった。陽月のこと……覚えてたら、体を売ろうなんてしなかった。自分のこと、もっと大切にしたのに……」 「……はる」 「ぜんぶ、ぜんぶ……陽月にあげたかった……」  春陽の後悔が、涙と言葉に乗って、とめどなくあふれてくる。それは、陽月にも痛いほど伝わった。痛くて、陽月の瞳にも同じように涙が滲む。こんなに苦しいのに、“嬉しい”なんて……。 「はる……」 「ねえ……怒ってよ、ひい。……俺のこと、酷い奴だって。他人のものになるなって、誰にも触らせるなって、“俺の番なんだから”、って、そう怒ってよ! ゆるさないって言って、二度と忘れるなって言って、離さないって言って!」  まくし立てる様に、春陽は声を荒らげた。陽月の顔を覗き込んで、縋るように、必死になって……。  不安になる。あまりにも陽月が優しいから……。すべてを許されると、要らないと言われているようで、怖い……。 「俺のこと……ちゃんと必要として……? ……お願いだから……」 「――っ!」  春陽が求めているものを理解して、陽月は春陽をベッドへと押し倒した。名前を呼ぶ唇を塞いで、呼吸すら奪うように深く口付けを交わす。その合間に「勘違いするなよ?」と低く呻いた。  ――陽月って不思議。魔法使いみたい。こんな俺でもいいんだって、思わせてくれるから……――  春陽がそう言ったから、陽月はそう在ろうとした。  春陽を愛しているから、傷つけないように。醜い嫉妬は見せずに、優しい番でいられるように。  けれど、陽月だって本当は限界だった。もう手放せない、と陽太がとっくに腹を決めているのに、自分はいつまで春陽を自由にさせておくつもりなのか。 「本当に許してると思った? ……許せる訳ないだろ。俺を忘れたことも、シュンとして“はじめまして”って言った事も、俺以外の誰かに処女を売ったことも、本当は、何一つ許してない!」  春陽の頬にぽたりと雫が落ちた。陽月の瞳からこぼれたものだと、春陽は理解する。  陽月が叫ぶ言葉は、これまでの春陽を否定するものなのに……こんなにも心が幸せで満たされる。 「ひい……」  もっと、求められたい  ずっと、支配されていたい  本物の番をだと、信じさせて欲しい…… 「お前は俺のものだ。生まれる前からずっと……。はるは、俺のものだよ」  独占欲を口にしてくれる声が優しい。顔が見たいのに、涙で曇って何も見えない。  心臓が、ドキドキと音を立てる。  ――ああ、生きてる……。陽月のものとして、生きているおとだ。 「ひい……。うれしい……ありがとう」  満面の笑みを浮かべなら、春陽は陽月に言った。  どれだけ大切か  どれだけ愛しているか  見せびらかしたい気持ちと裏腹に、本当はどれだけ独り占めしたいか  一方通行な思いは、春陽を困らせるだけだと、本心を言わずにいた。  陽太と春陽の、目に見える関係性に嫉妬して、番としての自信が揺らいでしまった。春陽は気付かないだろうと、何を呑気に高を括っていたのだろう。  ちゃんと伝わるのだ。陽月の不安も、春陽の不安も。お互いに繋がっているから、言葉にせずとも伝わってしまう。 「不安にさせて、ごめん」 「ううん。大丈夫。……もう大丈夫、ちゃんと分かった」 「分かった? 本当に? じゃあ……言って。はるが俺の何なのか、言葉にして」  陽月が促すと、春陽はこくりと頷いた。 「俺はひいのだよ。ひいの番……本物だよ」 「うん……」  正解、と陽月が口付けを贈る。とろりと溶けた瞳に喜びの熱を宿して、ふわっと春陽が甘く緩む。 「大好き。ひいのこと、大好き。……だから、ひいの赤ちゃん、産ませてね」  そのために、春陽は生まれてきたのだから。  誰彼構わず体を開く低俗。子作りしか出来ない脳無し。αに媚びを売って付け込もうとする――そう罵られても、愛する人の子供が産めれば、それでいい。  重なりはいつも以上に甘さを含んでいた。すれ違って、本音をぶつけて、仲直りの延長線の行為なのだから、このくらいは……と、陽月はどこか遠くで思っていた。けれど……。  あ、違う……発情期だ……。  そう思い立ったのは、もう何度か、春陽の中に欲を吐いた後だった。  いつもならくったりと大人しくなる春陽が、今日はいつまでもついてくるのだ。 「ひい……もっと、もっと、ちょうだい」  ねだる声は可愛いのに、いつまでも抜けない瞳の熱が、真っ直ぐに陽月の獣性を叩き起こしてくる。  まずいな……これ……。  理性ではそう解るのに、体は全然言うことを聞かない。春陽が求めるまま、ひたすらに抱き続ける。  全部抜いてしまうと、せっかく与えた種がこぼれてしまう。だから最奥に突き立てたまま、じっと耐えた。歓喜か、はたまた許しを請う叫びか、春陽の愛声を聞く。  このまま、本当に孕めば良いのに。  声に出したつもりはなかった。けれど、春陽はそれを受けとったのか、驚いたように大きく瞳を開いた。 「あ……赤ちゃん……くれる?」 「そうだな。いつか……今日は、まだ駄目……」 「まだ……?」 「だから、これは“練習”な?」  れんしゅう、と春陽が復唱する。理解したのかは定かではないけれど、こく、と頷く。  軽口が叩けるようになって、陽月は少なからず自分に安堵した。理性が、主導権を取り戻しつつある。  定位置にある携帯を取って、陽太にコールする。夜中と未明の間、こんな常識外れな時間帯にも関わらず、律儀に電話は取られた。 「はる、目が覚めたよ」  と、とっくの昔に迎えていた事実を、今更ながら伝える。そうか、と陽太は少し眠そうに返事をした。  ふあ、と陽太はあくびをする。正直、まだ瞼が重い。けれど、春陽の様子を確認しなければ、また眠りにつくことは出来ない。 「調子はどう? 大丈夫そう?」  そう聞くと、まあ……、と曖昧な陽月の声が返ってくる。 『こっち来れる?』 「うん。来てもいいなら」  と、確認はした。駄目と言われても行くけれど。  電話の奥で「ひい……」と陽月を呼ぶ、春陽の甘え声を聞いた。ベッドから出ようとしていた足が止まる。  ……いや、本当に行って大丈夫だろうか……。  仲良し小好し最中なのでは? と勘繰ることは容易かった。それにしては、冷静な陽月の声が妙に怪しい。 『じゃあ早く来て』 「はいはい」 『はる、発情期が来てるから』 「…………は?」 『だから、早く来て』  要件だけ伝えると、陽月は電話を切った。放っておかれて寂しかったのか、春陽は縋るように陽月に抱きつく。キスをして、見つめ合った。 「陽太、呼んだよ」  そう伝えると、春陽の瞳が、また、桃色に揺れる。 「ひなたさん……? ひな兄……?」 「そう。はるは俺のだけど、陽太のでもあるだろ?」 「うん……」 「だから、陽太とも“練習”するんだよ?」  分かった? と優しく聞くと、「うん……」と春陽は答えた。 「ひいと、ひな兄と……ふたりの赤ちゃん、産む、から……」  虚ろに表情を溶かしながら、まるで言い聞かせるように、春陽はゆっくりとそう呟いた。  思わず間抜けな声を出してしまった事を多少なりとも反省しながら、陽太は陽月の部屋へ入った。  陽月はシャツ一枚でベッドに腰掛けて待っていた。陽太の姿を確認すると、布団に包まった春陽に声をかける。 「はる。ひな、来たよ」  もぞ……と布団が動いて、ゆっくりと春陽は体を起こした。いつになく上気した声色で「ひな兄」と呼ぶ。 「これ、いつから?」  春陽が伸ばした手を取りながら、陽太は陽月に聞く。 「わからない……いつの間にかこうなってた。はる、記憶戻ったっぽい……かな?」  陽月も、らしくなくぼんやりと言葉を紡ぐ。番の発情期に当てられたのだから、当然と言えば当然だ。むしろよく歯止めがきいたものだ、と陽太は思う。朝まで盛っていても不思議はないのに。  導かれるように、春陽はすっぽりと陽太の腕の中に収まった。より安定する位置を探すように身じろいで、ひな兄……と甘えるように口にする。  発情期にしては、まるで繊細な砂糖菓子のように、ふんわりとした優しい甘さの色香だ。Ωの発情期は、何度か目にしたことがあるけれど、もっと濃く、陽太の理性でさえ犯そうとする“不快感”だった気がする。  けれど、春陽のそれは真逆で、払ってしまったらすぐに消えてしまうような、陽太にそっと寄り添うような、そんな淡い感覚を受ける。 「そっか、はるは発情期まで可愛いのか……」  思わず感想をこぼすと、陽月が「ああ、うん……」と素っ気ない返答をした。 「ひな兄、の、赤ちゃんも……ほしい」  おずおずと、そう言葉にしながら、春陽は陽太にキスを強請る。 「へぇ、随分と積極的だなぁ」 「……あかちゃん、くれる……?」  舌足らずに聞かれて、陽太はにこりと微笑んだ。 「まだ駄目」  はっきりと断られてしまい、春陽は悲しそうに瞳を揺らす。 「はるがもう少し大きくなったら、産ませてあげる」  不安を拭うように優しく言って、陽太は春陽にキスを贈る。 「だから、今は“練習”だって言っただろ?」  陽月が安心させるように助言する。そういう事になってんの、と陽太に視線で伝えた。なるほど、と陽太もそれを理解する。 「じゃあ、俺とは“お勉強”って事にしようか」 「……いや、言い方変えるの、なんか意味ある?」  陽月が悪態をつくように言って、陽太は笑った。 「おべんきょう、する……ひな兄と……」 「うん。はるは物分かりがいいから、教えがいあるよ」  いい子だからね、と褒めると、春陽は幸せそうに微笑む。 「じゃあ、後はひなに任せた」  陽月はそう言うと立ち上がる。 「……ひい……?」  離れて行くのを感じたのか、春陽が不安そうに陽月を呼ぶ。 「シャワー浴びてくる。ひなと勉強、してて」 「うん……」  素直に受け入れる春陽に、陽月は軽く口付ける。ぽんぽん、と頭を撫でて、陽月は春陽から手を離す。 「任せた」 「うん」  陽月からバトンを渡されて、陽太は春陽に向き直る。  さて、どうしたものか……。子種を欲しがる春陽の姿は、献身的で、同時に脆さも感じられた。陽月がある程度落ち着くほど交わっていれば、正直体の限界は近いだろう。声だって掠れてしまっている。 「……春陽」  名前を呼ぶと、春陽はぴくりと反応を返した。 「ひな……に……?」 「春陽、おいで」  ゆっくりと、もう一度繰り返す。 「ひなた……さん……」 「そうだよ。いい子だね」  陽太はいつも通り、春陽を導く。体はとうに開ききっているのだから、中に入るのは容易かった。  少しだけ、αとしての自分を感じさせる。そうしないと、春陽は納得してくれないだろうと思ったから。  切ない叫声を上げて、春陽はきゅうきゅうと陽太を欲してくる。体が素直なのは変わらないんだな、と陽太は思った。 「ひなたさんっ、ひなたさんっ!」  縋り付くように何度も名前が呼ばれる。 「春陽、欲しい時は何て言うんだっけ……?」  わざと言葉にするように強請ると、春陽は真っ直ぐに陽太の目を見て告げた。 「おくに、ください……」 「そう。正解」  にこりと笑って、陽太は春陽の最奥をついた。春陽が息を詰まらせながら高みに昇る。 「出してあげるから、このまま堕ちて」 「っ、あ――っ!…………ぁ、ぁ……」  よしよし、と慈しむように頭を撫でて抱きしめる。 「頑張ったね、春陽……安心して眠って良いよ」  言葉は、恐らく届いていないだろう。とくとく、と陽太の欲を受け取りながら、春陽は意識を手放して、ぐったりと沈み込んだ。 「お疲れ様」  浴室から戻ってきた陽月に、陽太は労いの言葉をかける。簡易的に置かれた冷蔵庫からペットボトルを取り出して、陽月はベッドへ戻って来る。 「はるは?」 「寝かしつけたよ」 「さすが」  キャップを外して、煽るように飲んだ。 やっと普段の落ち着きを取り戻して、陽月は深く息を吐いた。 「で、何があった?」  陽太に聞かれて、事の成り行きを掻い摘んで説明する。喧嘩したの? と陽太は驚きの声をもらした。 「喧嘩……まぁ、そうなのかな……」 「それで、そのまま仲直りのつもりでしたの?」 「多分そう。だけど、途中で『違うな』って気がついた」  ぽす、と陽月はベッドに寝転ぶ。安らかな寝息をたてる春陽の頬に触れて、慈しむように撫でた。  完全に理性を飛ばしてしまっていた……。酷くはなかっただろうか、と少しだけ心配になる。対照的に、陽太は笑った。 「赤ちゃんが欲しい、はさすがにクるね」 「嬉しいけど、煽られるんだよな……」 「それはひいが“本物”だから、余計でしょ?」  ……そう言われたら、そうなのかもしれない。乗せられた陽月と違って、陽太は全く動じていないように思えた。  すうすう、と規則正しい春陽の呼吸を聞いていると、陽月も段々と瞼が重たくなる。  番としての自信が揺らいで、祖父様の部屋へ足を踏み入れて、春陽と喧嘩をして、発情期が来て……。思い返せば、とても濃い一日だった。 「それで、明日のことなんだけど……」  陽太が声をかけると、陽月は既に瞼を下ろしてしまっていた。  ぴったりと重なる二人の寝息に、陽太も思わず瞳を細める。  まるで昔に戻ったみたいだ……。いや、昔よりも、ずっと幸せな空間が、ここにはある。  陽月から手渡された、幸せの半分。けれど、陽太には二人が揃ってこそ幸せになる。 「……夢を、見てるみたいだな……」  そう呟いたけれど、夢で終わらせる気は更々ない。  手放さないし、手に入れる。望むものを、全部。  貪欲な自分を見つめながら、陽太も二人の横にごろんと寝転んだ。  陽の光が空を染めるには、まだ少し早い。月が時間を支配する中に、陽太もまた、意識を落とした。

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