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金、それだけ 3

「ああ。うん。脳外のドクターね。いたいた。斎藤くん札幌の救急センターに居たんだもんね。知り合い?」 知り合いっていうか尻合いなんですよね、と言いそうになるのをグッと堪えて「まぁ、顔だけ…」と曖昧な返事を返した。 島の小さな空港に着いた俺を迎えに来ていたのはこれから俺が働くことになる町立病院の事務長、二本柳だ。 空港と病院の位置としては、ほぼほぼ島の端と端のようだが車での移動は1時間はかからないという。 空港を出てすぐはまだ人の気配があったが、車が国道に乗ると景色は一変した。 右に海、左に山。 だが海岸線は波避けの壁で隠されて、青さひとつ見せてくれない。 車窓に流れるのは灰色とまだ葉を付けてない冬を残した山の色ばかりで、歩道すらない道路は人影もなく、ただタイヤの音だけが続いていた。 スマホを見るのも失礼かと、助手席に黙って座る俺を気にかけてくれたのだろう。 病院の方まで行ったらここまで不便じゃないよ、と二本柳は快活に笑った。 車の中では今までに働いた職場の事を聞かれたり、去年までいた応援ナースの話を頷きながら聞く。 以前には3ヶ月耐えられなかった若者もいたと困ったように二本柳は笑った。 二本柳は病院の事務長であるが、人事課長としても兼務しているらしい。 今日まで何度か電話越しに打ち合わせをしていて、声から連想された人物そのままのような、人の良さそうな顔を終始ニコニコさせていた。 そんな中ちらほらと見えてきた建物に、やっと人影を見つける。 住居エリアなのだろう。 小規模なのは見ただけでわかるほどだが、一人ゆっくりと道路の端を歩く老人や、自転車を漕ぐ中学生を見て、なんとなく安堵の気持ちを覚えた。 市街地と言えるほどの大きさではないが、車は商店街を抜けて少しだけ山の方へ向かったその麓、ようやく到着した町立病院の古さに無言で驚く。 二階建てで、外壁のタイルがところどころ禿げていた。 平成を遡り、昭和までがそこかしこに残っている。 インスタにアップするのであれば#ノスタルジー#エモいなどというタグを付けられるだろう。 駐車場だけはだだっ広く、同じ敷地内には病院と同じほどの大きさの新しい建物があった。 「あっちは介護施設ね。リハビリセンターも併設してる」と二本柳に簡単な説明を受けながら後をついていった。 そして諸々の説明を受けながら聞いたその事実だ。 「先月からは違うドクターが来てるよ」 「え、嘘」 身を乗り出す勢いで、ポロリと素が出てしまい慌てて腰をソファへ落ち着かせた。 「あと二か月早かったら会えてたけど。あ、これ住居手続きね。一応寮ってことになってるけど普通の町営住宅だから。結構新しいよ。こっちにも判子ね」 そう言われ、言われるがまま次々に判子を押してゆく。 「病棟に行ってから詳しく説明があると思うけど、もうほとんど看取りでね。四十床全部埋まることはまず無いしさ。まぁ、彼みたいなドクターには物足りないよね。慢性期なんて言えば聞こえはいいけどここも施設みたいなもんだし常勤の医者もなかなか定着しないし。あ、でも彼はとってもよく頑張ってくれたよ。スタッフにも優しくて」 事務長は、年配の事務員が用意したお茶をズズズ、と吸って「はぁあ」とやるせないようなため息をついた。 「ちょっと前まで盲腸の手術くらいならできたんだけどねえ」 テーブルの上には今し方片付け捺印をした書類がところせましと並べられていた。 その辺りの情報ももっと早くに教えて欲しかったのが正直なところだが、しかしながら雇用契約書に書かれた月給は俺の心を鎮めさせるのには充分な額が記されている。 基本給四十万円、離島手当十万円(住宅代2万含)、夜勤手当一回1万六千円、資格手当一万五千円etc…。etc…。 涎が垂れてしまいそうになる金額に、俺の目はおそらく¥¥になっている。 俺がスロットだったら口からコインがジャラジャラと出ている事だろう。 「でも、斉藤君みたいな若者が来てくれて嬉しいよ」 二本柳の邪気の無い笑顔に、俺、三十六っすけど…、という返事はそぐわしくない気がして、「若者って言って貰えて嬉しいです」と笑顔で返した。

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