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金、それだけ 7

島に来たその日のうちに夜勤で初出勤、あれよあれよと日々は過ぎていた。 仕事はといえば、順調と言えるかはわからないが、日勤夜勤と、慣れないなりにこなせているんじゃないかとは思っている。 セイコーマートで弁当を買うだけの食事が続いているが、このあたりは札幌にいる時とさして変わらない。 一人で食べるなら、自炊するよりずっと経済的だとも思う。 減っていく現金に内心焦りつつ、節約と言ってカップ麺を啜りパック売りのご飯をチンするだけの毎日だ。 初日の勤務を終えた後、二本柳から大きな紙袋を貰った。 新品と思われるタオルや、市販のシャンプー、ボディソープが入っていて、これも新しく来た人に配ってるやつだから、と二本柳は笑っていたが、高田甚八が亡くなったすぐ後の事で空元気にも見えた。 おそらく二本柳は、高田家となんらかの関わりがあるように思うが、こういう離島では島民全員血の繋がらない親戚のようなものなのかもしれない。 知り合いがいる訳でもない、飲みにいく場所も限られている、そもそも出歩く金がない俺は、ここ二週間ほどは、病院とコンビニと寮の往復だけで、他は床に溢れた液体のように過ごしていた。 ゼロから始める生活は、手厚い待遇のおかげであまり不便さは感じないが、ふとした時にあれがないこれがないと気付くものである。 今は洗濯洗剤が欲しい。 けれどコンビニに売られている洗剤はどうにもこうにも割高だ。 衣類が少ない分洗濯機を回すのも頻繁になる。 あんなに便利なAmazonでさえ、この島では商品が届くまでに一週間はかかるというのだ。 俺は何を思ったか、スーパーへ行こうと思い立ち寮を出た。 運動不足解消、島の探索、気分転換。 聞こえの良い言葉を頭の中に浮かべてみる。 外は小春日和と言って良い。 なんだか楽しい日になりそうだと思い込んで、わざとらしく爽やかな表情を作った。 そうでもしないとやってられない。 朝の六時、こちらがどんなに心地よく寝入っていても、広報防災用の拡声器が天気予報と島の行事を朗々と告げてくれる。 この島では、各民家にまでそのスピーカーが備え付けてあった。 勿論俺の部屋も例外ではなくて、いうなれば、強制目覚まし時計なのだ。 歩道がほぼ無いような道路を一人黙々と歩いていた。 病院のあるメイン通り付近は車通りの多さからみても充分過ぎるほど整備され広い両側1車線になっているが、そこを少し離れただけで車道はぐっと狭くなる。 気持ちだけ存在する歩道を含め1.5車線ほどの道路幅しかなく、対向車がある時にはお互い譲り合いの精神で成り立っているようだった。 近道を探そうとグーグルマップを開いてみる。 けれど何をどう見ても寮のある居住区からスーパーまではこの道道39号線の一本だけだ。 空港のある島の北側までは行かないが、エリアで言えば完全に別の集落で、俺が勤める病院近辺の住民から遠すぎると苦言が出るのも無理はないように思う。 真っ直ぐ行けば辿り着きはするが、車がないと行くことができないに等しい。 遠い事はわかっていたが、片道に三時間ちかくもかかるのは予想外だった。 たった今無線イヤホンの充電が切れた。 行きは良い良い帰りは怖いとは上手いことを言う。 もう泣きそうだ。 家を出た時は麗らかな春の日差しを浴びていたはずが、業務用の食品まで置いてある中規模スーパーの店内をあてもなくウロついて無事洗剤を入手し、歩いていればそのうち着くと自分に言い聞かせ帰路についている途中には辺りは薄暗く風が強くなり始めた。 汗をかいた身体に心地いいのは初めだけで、四月半ばの潮風は時間の経過ごとに手足を冷やしてゆく。 後方からの車の気配に、身体を道路の脇に寄せる。それほどまでに狭い道だ。 お先にどうぞ、のつもりで車が通り過ぎて行くのを待つが、黒のオフロードは徐行して、俺の目の前で止まった。 ウィンドがゆっくりと開いて、運転手が顔を覗かせる。 太い黒縁の眼鏡の若い男だった。 「斎藤さん?でしたっけ?」 そう声をかけられ、驚きで反射的に「え、」と声が出た。 自分にあまり関わりのない病院の職員か、と頭の中でいろいろと思い出してみるがやはりわからない。 「高田です。高田甚八の」 名前を言われ、やっと思い出した。 初出勤で顔を合わせた高田甚八の孫だ。 「甚一、さんでしたよね?お久しぶりです」 笑って返事をしたものの、甚一は不思議そうに俺を眺め「なんか、あったんすか?あ、釣り、とか?」と周囲の様子を伺っている。 「え?いや、あの、買い物に…」 そうは言ってみたものの、購入した洗剤はボディバッグに入っていて、ハタから見た姿は、手ぶらに家着の様なスウェット。 人気の無い車道をただただひたすら歩いている中年だ。 怪しい事この上ない。 「…歩きで?」 呆れたような言い方だが、こちらとて三時間もかかるとは思っていなかったのだ。 「…はあ、まぁ」 恥ずかしさを隠すように曖昧な返事をすると、甚一は、あー、と意味不明に呟き「いや、まぁ、乗ってください。送りますんで」と言って、助手席に置いていた財布を後部座席に放り投げた。

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