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金、それだけ 9
shit俺‼︎本当にバカ‼︎自分で自分が嫌になる‼︎
顔を青くした俺に気付いたからなのかはわからないが、二本柳は悲壮な顔を作った。
「斉藤くんもしかして結構困ってる…?」
「あ、結構…っていうか…かなり…」
恥ずかしさと情けなさが入り混じっていた。
俺の顔は今どうなっているのか、皆目見当もつかない。
「いやぁ…ごめんね。僕ももっとちゃんと説明しておくべきだったよ。わかりずらかったね」
ごめんねごめんねと二本柳は頭を下げるが、絶対に彼のせいではない。
甚一の車に揺られたあの日から数日後の話だ。
職場に行って、ホモよ、ホモ、と後ろ指を指されるかもしれないという心配は、杞憂に終わった。
特にいつもと変わらず、むしろ軌道に乗り始めてきていると思う。
スタッフとも付かず離れず、いい距離感だ。
どこに行ってもある事だろうが、派遣職員を探っている期間なのかどうせ数ヶ月でいなくなると思われているのか深入りしてくる様子はない。
グループLINEなんかもあるにはあるが、なんでもない業務連絡が主で、今までいた職場よりもあっさりした関係だった。
日々の業務にも慣れてきた。
初日に夜勤を変わった花田さんも復帰して、豪華な菓子折りをいただいた。
夜勤明けの疲れた体に、お高いチョコレートは身に染みるほど美味しかった。
そんな中、仕事以外に何をする訳でもなくとにかく給料日を待った。
久しぶりにきちんとした食事もしたいし、ビールの一缶くらいは許されるだろう。
そして何より、一人寂しく歩き続けていた俺を拾って車に乗せてくれた高田甚一にお礼をしなくてはならない。
そしてようやく、待ちに待った給料日の午前九時である。
給料明細はメールで届くからと言われていたが、待てども待てども届かない。
ネットから確認した通帳には一円たりとも振り込まれていない。
反映が遅いのか?と1時間待ち更新し続けてはみたが、表示された残高が更新されることはなかった。
おや?と思い、ちょうど公休だった俺は悪い事をしているわけでもないのにそろりそろりと何故か忍び足になりながら職場のドアを潜った。
そして冒頭のやりとりである。
俺が、しばらくは困らないよう心と金の準備をしていれば何も問題はなかった。
全てはなんとかなるべとどんぶり勘定で海を渡ってしまった俺のせい。
なんと、給料の振り込みが来月からだったのだ。
二本柳は声を落とし、人の目を気にしてか俺を事務所の隣の給湯室へ招き入れ、ポケットから財布を取り出した。
「前借りとかにしちゃうと後々面倒だから、まず僕が少し貸すから。ご飯は奥さんに持って来てもらおう。ね?そうしよう。あ、そういえば移住給付金の手続き行ったかい?確か10万くらいは出るはずだよ。最大10年間で一年ごとに10万だか20万だか。役場に行ってごらんよ。あ、まずこれね、仕舞いなさい」
あわあわとあれこれ策を練ろうとする二本柳に握らされたのは一万円が三枚。
「気にしないんだよ、斎藤くん。事情があって来る人だって勿論いるさ」
二本柳の慰めは、今は傷口を広げるばかりだ。
俺はなんて救えないバカなんだろう。
こんな良い人にまで気を使わせて、怠惰で作ってしまった借金のせいで財布まで出させてしまっている。
「…まず役所、行ってみるので…」
けれど、もう一円も加算したくない。
お札は二本柳に返した。
その気持ちだけ受け取ってみる。
「うん。だめでも、大丈夫だからね」
頭を撫でてきそうなほど心配顔の二本柳に頭を下げて病院を後にする。
深くあれこれ追求してこないのは彼の人が出来ている証拠であるように思えた。
「即金、では無いですね…。たしかはやくても二週間くらいはかかりますよ……」
「あの…派遣で来て…一年は絶対いるんで…そこをなんとか…来月の給料日までの資金を…。食費分だけでも…」
病院から徒歩五分。今度は役所の窓口で粘る。
カウンターの向こうに立つ窓口職員の申し訳なさそうな表情に、こちらの方が申し訳なくなっている。
もう恥も外聞もすり減って消えていた。
「すぐはでなくても、申請だけはしましょうね」
と言って、年配の職員は少し色のついた眼鏡で俺の顔を覗き込んで哀れんだように微笑んだ。
かぶっていたキャップを、気持ち深く被り直す。
すんません、と呟き、出された書類に必要事項を書いていった。
職業欄に誤魔化しなく看護師と記入すると、職員が、あら、と小さく驚く。
小さな役場だ。
職員も数名しかいない。
「福祉資金貸付できるんじゃないか…?」
「や、でも失業中じゃないんだろ?病院の派遣のさ。今までも来てたし」
「生活費困窮でできるんじゃないの…?」
「貰えるわからないけどとりあえず申請だけしてみる?」
彼らはコソコソ話しているつもりかもしれないが、その声はちゃんと俺の耳に届いている。
公的な給付金やら貸付が即金なわけがないだろう。
そんなのはわかり切っていたことだ。
「あの、いいです…ごめんなさい…」
「でも君、大丈夫…?ご飯食べれてるの?」
年配の職員に、再び顔を覗き込まれた。
「…はい、なんとかそこら辺は大丈夫そうなんで…」
と、しおしおの笑顔で役場を後にして、同じ並びにあるセイコーマートの前でスマホを眺めた。
財布の中身は、千円札が一枚と小銭が数枚入っているだけで、通帳も空っぽだ。
カードの使用は結局は借金を増やすだけだが、今はこれが一番の解決策かと考えて、カード会社のアプリを開き利用限度額を確認した。
三枚のカード全て、数千円の空きしかない。
そりゃそうだ。リボ払いでちまちまと返済しているだけじゃ、元金なんぞ減るわけがない。
今月の引き落としが、三社とも無事に終えていたのがせめてもの救いだ。
仕方がないと、電子マネーを携帯料金でチャージした。
それも結局は来月の借金になってしまうのだが。
一カ月だ。
なんとかあと一ヶ月、やり過ごすことだけを今は考えれば良い。
派遣の契約は最大一年。
完済は難しくとも、半分は、いや、三分の一まで減らせたら上出来だ。
そして必ずや、あの佐伯から百万を慰謝料として払わせる。
けれど、本当は、それが不可能に近い事は重々承知しているし、この借金が佐伯のせいじゃない事など自分が一番わかっていた。
知らずに、大きなため息が溢れた。
つま先が俯いたままの視界に入って、あの、と小さく声をかけられ顔を上げた。
そこにいたのは甚一だった。
「あ、」
と無意識に声が出る。
甚一は「、す」と運動部のような小さな挨拶をして、首を掻いた。
小さい島の小さなコミュニティだ。
偶然会う可能性は限りなく高い事など、当たり前だ。
「高田さん、先日はありがとうございました。なんか久しぶりのドライブって感じで、楽しかったです」
見られたくないところを見られた様な気持ちになって、わざと明るく振る舞ってみる。
話すことは特にない。
では、と早々に立ち去ろうとする俺に「あのさ。ちょっと話あるんだけど。時間あります?」と甚一は言った。
昼間、明るいところで改めて見た甚一は、お世辞にも優しそうな顔とは言えなかった。
身長は自分と同じくらいだ。
俺より少し若いかもしれない。
人相が悪い訳ではないのだが、無愛想が顔に滲んでいる様に見えた。
黒いパーカーに黒いジョガーパンツの姿でも家着に見えないのは、きちんと手入れをしているからだろう。
女の子にはモテそうだなとなんとなく思う。
俺はといえば、今日も今日とて、洗濯してはいるが先日と同じヨレヨレのスウェット。
キャップを被ったのは寝癖を隠す為。
休日の定番、必須アイテムである。
「ええ…まぁはい…。今日は休みなんで…」
時刻は正午前。
見当違いであったとしても構わない気持ちで「あ、飯とかはちょっと…そのいろいろありまして…」と先に断っておく。
給料日が来たら甚一にはきちんとお礼をするつもりだ。
けれど今は飯の一つも奢ってやることができないし、昼食に付き合うなどもできれば避けたい。
「ああ、いや、いいからまず乗って」
向かいにある交番の前に警察官が立っているのが見えた。
昼間からコンビニの前でたむろしているように見える俺達を不審がっているのかと思ったが、警察官はうんうんと頷いていた。
言われるがまま車に乗ると「なんか飲みます?」と聞かれて、首を振る前にお茶を一本いただいてしまった。
これにはきちんと小銭を返す。
先日と同じ様なシチュエーションで車は走行を始めた。
あの日、黒だと思っていたオフロード車は紺色で、5ドアのジムニーだった。
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