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金、それだけ 12

翌日の昼休みの事務室、手作りのおにぎりを片手にパソコンを睨んで何やらうんうんと唸る二本柳は、俺が近付いて行くと、いつものようなニコニコとした表情に戻り「どうしたの?困った事でもあったかい?」と聞いた。 「あ、お昼ご飯食べた?」と付け加えて、3つあるうちのおにぎり一つが差し出される。 「奥さんの手作り味噌」と言われ、二本柳の手に乗せられたおにぎりから微かに香る醤油の匂いは、どうしたって食欲を呼び起こす。 「え?いいんですか⁉︎」と素直に受け取りパクパクと頬張った。 素朴な甘さと少しだけ舌に感じるピリピリとした鷹の爪は白米に合っている。 醤油が染み込んだ磯海苔が贅沢だ。 「め、めちゃくちゃ美味しい!」 二本柳は大袈裟なまでに喜んで頬をいっぱい膨らませる俺を見て「また作って貰おうね」とまるで子供に言うように笑った。 そこには少し、金に困る者を見る哀れみもあるのかもしれないが。 「で、陽ちゃん何かあった?」 二本柳の柔和な笑顔は変わらないが、内心金の無心でもされるのか、と身構えているような気がするのは、俺に借金があるからだろうか。 自虐的な考えに、いやいや、と首を振り気を取り直す。 「えっと、俺、高田さんの家に居候する事って認められるんですか?離島手当に住宅の家賃とか含まれてますよね?」 「ええ?それは構わないけど。今までもいたよ。古民家?みたいで素敵なんて言って一軒家借りてた人。それより陽ちゃん、甚ちゃんと住むの?」 「あー、はい。あの、あれです。シェアハウス、みたいな?」 「都会っぽいじゃん。甚一も大学は関東に行ったからね。都会の感覚あるのかもね」 年配の事務員、栗原が横から会話に混ざる。 「え、そうなんですか?」 「そうそう。帰って来たの何年前?5、6年前だっけ?」 「もうそんなになる?あの時ははっちょんが怒ってねえ」 「ちょっと嬉しかったくせにね」 栗原はくすりと笑い眉を上げて、二本柳と目を合わせて肩をくすめた。 二本柳は両腕を思い切り伸ばして背伸びをして、そのまま頭の後ろで組むと「甚ちゃん、前にはっちょんが死んだら自分は公団に住んで下宿でもやろうかなって話してたから試しにって思ってるのかも。1人じゃ広いしって」と、そう言った。 本人から語られない甚一のあれこれを、どんな顔をして聞けばいいのか分からず、ヘラヘラと笑い「そうなんですねえ」と相槌だけを打つ。 「でも甚一とにかく真面目だよ?しんどくない?大丈夫?」 栗原が真剣な顔を作り俺の顔を覗き込むので「俺がちゃらんぽらんだから丁度良いかなって」と首を掻いた。 二本柳はワハハと笑って「陽ちゃんの良いところは、別のとこにいっぱいあるからいいんだよ」と言い「甚ちゃんはさー、昔っからあんまり友達でわいわいやるタイプの子じゃなくてさー」と、昔を思い出す様に天井を仰いだ。 何かを言いた気にも感じだがそれからすぐに腕を解き、ところどころ錆びついたようなデスクの引き出しをガラガラと開けて退寮申請書と書かれた書類を取り出す。 「でも陽ちゃんと気が合うなら。よかったよかった。で?いつから?」 胸元のボールペンを握り、ちらりと上目遣いでこちらを見た二本柳に「え?今日から?このまま真っ直ぐ高田さん家に行こうかなって。あ、寮の掃除は昨夜高田さんと一緒にすませたし」そう昨晩の事を告げると、彼は再度ワハハと笑って「陽ちゃんはいつも突然だねえ」と言って、あとはこっちでやるから若者同士楽しみなさい、と目を細めたのだった。 休憩室から甚一宛にLINEを送る。 『寮の引き払いすぐできるって』 そう送ったら、漫画『ワンピース』のキャラクターがOKサインを出しているスタンプが届く。 あの無表情が、どんな顔してこの漫画のスタンプを買っているのか、と口元が緩んだ。 「陽太、甚一の家に間借りするんだって?」 向かいに座り、昼食を終えお菓子を摘んでいた古川の言葉に、え、と声を上げてしまった。 ついさっき二本柳に確認して、トイレに寄り、瀬戸さんが部屋から顔を出していたので声をかけ、休憩室に着いたばかりだというのに恐ろしい伝達速度である。 俺の知らない情報ルートがあるとしか思えないが、まぁ、どこにいてもそんなもんだろう。 住所の変更にあたっては、職場長に届出が必要なのかもしれない。 「間借りじゃなくてシェアハウス」と訂正したのは湊だ。 クールな湊は、おちょくる様に古川を笑った。 「間借りみたいなもんです」 と頭を掻いた俺の前には今日は手作りのお弁当があった。 いつもはカップ麺とパックのご飯しか持って来ない俺に「珍しいね、弁当」と湊がひょいと片眉を上げる。 魚のハンバーグには目玉焼きを乗せた。 きんぴらごぼうと煮染めに人参が多いのには、少し理由があった。 沢庵を刻んでご飯の真ん中にまぶしてみた。 素朴な弁当を目の前に「健康第一なんで」と得意顔を作り、笑って言った。 甚一の頼み事は、俺にはメリットでしかなかった。 昨日、仏壇から手に取った菓子を一口で食べた甚一は俺を台所に呼び、何も言わず冷蔵庫を開けた。 四人家族でも充分に蓄えられそうな冷蔵庫だ。 ぎっしりと詰まった冷蔵庫を前に、二人無言になる。 しばらく開けたままで、ピー、と冷蔵庫が鳴くので甚一は一度閉める。 甚一の意図がつかめず「え?冷蔵庫の管理的な?」と手を顎に当てて首を傾げると「まぁ。近いけど。違う。クイズか」とまたククク、と笑う甚一に不正解を言い渡される。 次は冷凍庫だ。そして野菜室。整理されてはいるが全てにみっしり詰まっている食料達。 「爺さん倒れてから近所の差し入れ半端なくて。全然食べきれない。捨てるのも良い気しないし」 一人の食卓で、無理矢理胃に流し込んだ場面を思い出したのか甚一は顔を顰め、腹をさすった。 さすりながら、昨夜は天ぷらを貰ったが、冷凍できないので昨夜は天丼、朝も残りの芋の天ぷらを食べ、昼には芋天そばを食べたのだと言った。 今の俺には随分贅沢な悩みに聞こえるが、甚一にしてみれば、中年にさしかかった独り身が食べれる量じゃない、という事だ。 そこで俺が食いついたのは、隣近所に愛されている証拠の様な贅沢なお悩みではなく、甚一の一言だ。 「え、中年?」 「中年だろ。三十五だぞ。斎藤さん若そうだし。食えるだろ」 「…待って、それお世辞?」 「は?」 「や、俺、高田さんより年上だよ?一個だけだけど」 「…マジ?」 「マジだよ。こんなとこで嘘つかないよ」 果たしてそれが男にとって良い事かはわからないが、照れて上がっていく口元を隠して「え、俺若く見える?」と横目で甚一を伺った。 甚一は少し考えて「や。なんか若いっていうか、チョロそうだから若いのかなって」と真面目な顔でそう言ったのだった。 冷蔵庫の前でそんな言い合いをした。 下らない言い合いを止める様に、また冷蔵庫がピピピと鳴る。 「…高田さん、なんか冷蔵庫呼んでる」 「たまに鳴るけど知らない。冷やしておいてくれれば」と甚一が言うので「…冷やしといてくれって」と、冷蔵庫に話かけてみる。 それを見て甚一は、クククと笑って「とりあえずなんか食おう」と冷蔵庫を覗いた。 甚一の家は、相変わらず整理整頓されている。 昨日の今日でぐちゃぐちゃに散らかるような事はないだろうが。 「お線香あげて良い?」 と言ったのは靴を脱いですぐの事だ。 甚一は、一回瞬きをして「ん」と一言だけ返事をすると、パーカーを脱いでソファに放りTシャツ一枚になる。 甚一も今し方家に着いたのだと言った。 漁が忙しくなる六月までは、船の点検や道具の手入れ、他の人の漁船に乗る事もあるのだという。 いつもなら冬からこの時期にかけては、雪かきの延長で春の山整備のバイトをしている様だが、甚八が倒れて、いつどうなるかわからないと言われ今年のバイトには入らなかったと聞いた。 単純に考えて、収入が減ったのだ。 二万でも助かると言った甚一の言葉は、本当だったのだろう。 「今日からお世話になります」 線香を立て、鈴を鳴らし手を合わせ、仏壇に頭を下げた。 玄関先に置いてそのままにしたリュックと紙袋を手にした甚一が「マジで荷物これだけ?」と聞く。 「うん。前の家のはぜーんぶ札幌で売ってきたし。家具とかも。備え付きって聞いてたからさ」 せっせと荷物の整理をしてみるが、出てくるのは数枚のスウェットとあとは数枚の下着。 二本柳に貰ったタオルは、紙袋に入れてある。 買い置きのカップ麺が三つ出てきて「高田さんも食べて」とカップを手渡す。 一番下で潰れていたボクシンググローブを取り出した。 「斎藤さんボクシングやるの?」 なんとなく手にはめてシャドーをすると、おお、と甚一が目を輝かせたようだった。 「今は汗流す程度だけどね。言ったろ?打倒!クソ野郎!」 ふざけて右のアッパーを打ち込むフリが、本当に当たってしまった。 「痛った」 「避けろよ!避けられそうな顔してんだから!」 「どんな顔だよ」 仏壇の前だというのに畳の部屋でシャドーの練習が始まって、古い家は笑う様に揺れた。 遺影の中の甚八が、甚一とそっくりな目で、俺たちを見ていた。

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