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嘘、それだけ 1

なんとかしてくれよ! たった1人の家族なんだ! そう叫んで縋り付く。 もう手の施しようがないと言った医者に。 祖父は清潔なベッドで横にされていた。 病室に到着した時には既に、空気の抜けていくような音が祖父の呼吸音になっていた。 腕には点滴のチューブが繋がり、胸と腹に配線され、心電図モニターからは規則的な電子音が鳴っていた。 そんな祖父の手を握り、俺は涙を流した。 なんて事は無かった。 医者の足りないこの島じゃ、何かあったらそれはその時、運が良ければ内地から来た出張医がいるが、皮膚科医だった、なんてこともある。 ドクターヘリは天候が悪ければ飛ばせない。 そんな島だ。 祖父が倒れたと聞いたのは漁港に戻った時だった。 夜中の海の上、今年もそろそろ終わりかなどと世間話をしながら波に揺られた日だった。 海に出ると、そんなに遠い距離じゃなくとも時折スマホの電波は不安定になる。 急いで駆けつけた町立病院では何もできないと言われた。 祖父はすでに処置をされていた。 人工呼吸器を止めたら持って二、三日。四、五日持てば良い方なのだという。 それから、なんといえばいいのかわからないと顔に書いた病院の事務長、父の昔からの友人だと聞いていた二本柳弘孝に、その日ヘリを飛ばせなかった理由を聞いて、はあ、と気の抜けた返事だけを返した。 運が良いのか悪いのかはわからないが、出張で来ていた若い医者からの説明はわかりやすかった。 頭の中の一番大事な脳幹という場所から出血して、その範囲が大きいから血液を抜くための手術はしましたが、回復する為の手術ではなくて、この状態を維持するだけのものです。 今でも言えるくらい噛み砕いた話に、俺は案外落ち着いて返事をしたと思う。 そうなるかもしれないが現実に起こっただけだと妙に冷めた気分でもあった。 意識のない寝たきりの人間も、髪や髭や爪も伸びる。汗もかくし、排泄もあるという事を、祖父が身体を臥せて、心臓が動かなくなる半年の間で知った。 死んだ人間にまで金の請求が来て、そのあとにもしなければならない事が山ほどある事も俺は初めて知った。 内地で働いていた頃、上司に不幸があったときに買った喪服は、少しだけサイズアウトしたような気がする。 太ったというより、島に戻ってからの力仕事で蓄えられたんだろう。 葬儀屋や二本柳と話しているうちに結局は田舎特有のようなでかい通夜が決まってしまい、放送までされてしまった。 火葬場にまで島中の年寄りが集まった。 島の人は皆、俺を甚ちゃん甚ちゃんと呼んで未だ小さな子供のような扱いをする。 けれど知った顔は頭数が減ってきているように思う。 また寂しくなるなぁ、とどこかの爺さんの独り言が耳に届いた。 高田甚一、35歳。 正真正銘、これで天涯孤独の身となった。 江差町のフェリー乗り場は、閑散としていた。 真夏の観光時期ならいざ知らず、初夏に届くかどうかのこの時期ではさほど珍しい事ではない。 『駅前のスタバにでもいるから』 『近くなったら教えて』 乗船中に届いたそのLINEにOKの文字を掲げた熊のスタンプを送る。 陽太からのLINEは来てない。 冷たく受け止められてしまっただろうかと思うが、変に優しくしなければならない関係でもないだろうと思い直す。 港近くのコンビニで用を足して、水を買った。 漁が忙しくない時期は、1か月に一度は買い物の為島を出てるから、取り立てて島の外に珍しさもさほど感じない。 1時間半ほどで函館には着くはずだ。 一度背伸びをして首を鳴らし、運転席へと乗り込んだ。 『何か必要なものある?』 『なんか買って帰るけど』 『明日帰るから』 つい数時間前に見た陽太のポカンとした顔は頭の中でさえ、いつもの呑気そうな顔に戻る事はなく、何を言っても取り繕う弁解のように思て、メッセージを打っては消しを繰り返し、スマホは結局助手席に放った。 海は凪だ。 天気予報を見る限り、明日には予定通り帰れるだろう。

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