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嘘、それだけ 5
「マチアプとかやんないの?前入れてなかったっけ?」
浴場の窓際に沿う楕円形の湯船には甚一と翔平の二人だけだった。
ブクブクと足元から噴き出す気泡を身体に受けて、あ〜〜、と条件反射で勝手に口から出たような翔平の声が、高い天井に吸い込まれて行く。
甚一と翔平は、ドンキホーテをぷらぷらと歩いただけで結局なにも買わず、翔平の借りているアパートからすぐ近くだという温泉施設へと足を運んだ。
風呂に行くならシャンプーを取りに行きたいと言う翔平の家へ少しばかりお邪魔して、途中テイクアウトしたハンバーガーを食べた。
甚一は、バーガーショップが朝早くから開店している事を知り、お土産と称し港に行く前に買って帰ろうと算段を立てた。
翔平の散らかり気味のアパートの部屋は、一人の気楽さと日頃の忙しさを物語る。
自炊をしていないようだ。台所が妙に綺麗なままだ。
翔平は、ヤるなら今だよと甚一のシャツの第一ボタンに手をかけた。
試すような仕草を困ったように見下ろした甚一だったが、年を取ったんだと誤魔化す。
そんな甚一に今度は翔平の方がニタリと笑った。
そういう笑い方をしてから今度は、ふ、と目を細め「そうだ」と言いクローゼットをゴソゴソと漁ると、甚一の手に「まだ使ってないやつあるからあげる」と言って何も印刷されていない紙袋をぶら下げた。
中身を見て困った甚一は、別に欲しかったわけじゃない、と断ったが、ずっと使ってたんだけどなんか合わなくなってきてさ、と嘘か本当か判別のつかない事を言われ、結局手を引っ込めるしかなかった。
温泉施設の広い駐車場に停めた甚一の車の後部座席には、翔平が美容室で買ったというシャンプーのセットが置いてある。
浴場奥、壁一面のガラス窓には露天風呂に続く扉があった。二人の浸かる湯船の直ぐそばに扉へ向かうタイルの足場が作られている。
けれど客の大半の目的は、この施設でも特に充実しているサウナのようであまり人の行き来は無い。
もっとも時間帯のせいか客の年齢層はだいぶ高く「ぶっ倒れるって」と、入り口から直ぐ横に作られたサウナコーナーを横目に翔平は陰口のように笑った。
「ぎもぢいい」
翔平は湯船に溢れるお湯に溶けてしまいそうなほど身体から力を抜いて四肢を伸ばした。
「風呂やばい…」
良い時も悪い時もつい無意識に多用してしまうその一言には、甚一も激しく同感だ。
自分でも気づかないうちに歳を重ねてしまった身体は、まだまだ現役中の現役だとしても、流石に若い頃のようにはいかない。
昨日の疲れが取れないと、朝から首を回し肩を揉むのが日常になりつつある。
「腹の肉が揺れる…」
ぶくぶくと揺れる湯の中で、翔平がむにむにと自分の腹の肉をつまむのを、甚一は口の端を片方だけ上げて「走れよ。痩せるぞ」と揶揄う。
別に太ってるわけでもないだろうが、確かに若い頃よりは肉付きは良くなったような気がする。お互いにだ。
それよりも甚一は、何十分も黙ってお湯に浸かれる事自体に、嫌でも時の流れを感じてしまった。
「マチアプ……普通……みんな……やってる……ヤリもくも多いけど……」
気泡が破れてピシピシと顔に当たる湯飛沫までを楽しむように、翔平は顎ギリギリまで湯面に浸かっていた。
「かなり前に入れたけど使ってない。なんかめんどくさい。やり取りすんの」
「まぁ…それはそう…」
甚一は、顔を洗うように目元の凝りをほぐした。
些細な仕草が爺さんに似てきているような自分に苦笑いを浮かべる。
「ね、普通じゃん?」
水温やら年配者特有の大きな声での会話が反響して、二人の会話など掻き消していた。
甚一を覗き込んだ翔平の目が意味ありげに細められる。
「知らね」
翔平の両手の銃から発砲されたお湯の弾丸が、そう言った甚一の顔面に命中して、なんだよ、と言ってお湯を払い、何度か深く瞬きをして、湯船の縁に頭を乗せた。
瞼の上に絞った手拭いを乗せて目を閉じる。
甚一から、あー、と無意識の声が出て「やばいわ…」とやはり意識してない一言が溢れた。
何種類かある湯船に順番に浸かり、翔平は薬湯が気に入って、のぼせそうになった頃には指先はこれでもかというほどにふやけていた。
客が増えてきている。
おそらく仕事帰りの人々なのだろう。
やはりサウナは人気のようだ。
風呂から上がってすぐに確認したスマホには、誰からのメッセージも届いていない。
馬鹿馬鹿しい、と自分自身が嫌になり甚一はスマホの電源を落とした。
「え、うま…」
「うっ、めえ……」
花柄のパジャマのような館内着を、逆にお洒落じゃない?と言って翔平は笑い、甚一の妙に似合う様を「ヤクザみてえだな」と揶揄った。
食堂には、家族連れも増え始めていた。
24時間営業で、午前九時から午後九時までなら千円前後で館内にいれるのだから、どこもかしこも値上がりと言われる今、随分懐に優しい。
別料金の食堂で、翔平と甚一はそれぞれに定食を頼んだ。翔平の側にはハイボール、甚一の右手にはビールが握られている。
甚一の口についた泡の髭を翔平が笑うと、甚一は舌を出してペロリと舐めた。
翔平は、赤く光るマグロの刺身に少しだけ醤油を付け口へ運ぶ。
甚一は分厚いローストンカツに齧り付く。
二人はそのまま白い飯も頬張って、味噌汁を啜る。
食堂の売りは海鮮もので、デカデカと広告が掲示してあるにも関わらずトンカツを頼んだ甚一を天邪鬼だと翔平は非難したが、祖父が倒れてから続々と届けられる食料に、食べたいものを食べる事自体ができなかったのだ。
コンビニに行けば弁当は買えるし惣菜などは精肉店でも売っている。作ろうと思えば作れもするけれど、一人の家で自分だけが食べる為に揚げ物をするなんてハードルが高すぎる。
結局は頂いたもので三食済ませる生活がもうずっと続いていた。
今現在甚一の自宅で過ごしているであろう同居人が、何かといろいろやりたがる男で、それは勿論気を遣ってくれているのはわかっているが、冷蔵庫に詰まった貰い物で弁当まで作りだし、そういう生活から更に遠ざかっているのだ。
食べるのを手伝って欲しいと頼んだのは他でもない自分なのだから、文句があるわけではないのだが。
かいつまんで翔平にその話をすると、やっぱり看護師とかってマメな人多いんかな、と頷いていた。最近弁当男子本当多いわ、と首を傾げて。
「あー、回転寿司行きたい」
そう翔平が口を尖らせるので、刺身を食べながら言うセリフではないだろう、と甚一は笑った。
「飲む前に言え」
「今食べたくなったんだって。次来た時は寿司にしよ」
「次」
「そ。次。つか、刺身とか食べ慣れてんじゃない?」
「漁師が毎日刺身食ってると思わないでくんない?」
「そうなんだ」
翔平は、まだ食べ終わってもいないのに、追加で刺身頼んじゃおうかな、と行儀悪くもメニューを開いてテーブルに広げ、覗きこんだままちらりと甚一を上目遣いで見た。
風呂に入る時コンタクトレンズを外した翔平は、眼鏡をかけている。前に会った時と違うデザインのものではあるが、相変わらず度の強そうな眼鏡だ。
「そうだよ。そっちこそ好きな時に好きなもん食えるだろ」
「まぁでも実際テキトーになるよ。買いに行くのも食いに行くのもめんどい」
「ああ、まぁ、一人だとな」
「宗輔もさぁ、本当なんでもいい人なんだよね。全然なんも気にしてないっていうか」
「価値観の違い的な?つか何でもいいなら楽で良いだろ」
「朝とかねこまんましたりさ。それはマジで嫌。そういうのない?他人と暮らすの」
「別に。ただの同居人だし。向こう夜勤とかあれば全然会わないし」
カツを頬張って、あともう一品欲しい甚一もテーブルに開かれたままのお品書きを覗き見る。
からあげ食う?と言いながら翔平を伺うと、ぱちくりと瞬きをして甚一を真正面から見つめていた。
「俺甚一はそういうのできない人だと思ってた」
「そうか?」
「だってさぁ…」
座敷の席、テーブルの下、伸びた足があぐらをかく甚一の膝をつついた。
何、と再び目線だけを向けた甚一に「ねえ。本当になんもないの?」と翔平は小声で聞く。
背後では、子供達が走って母親に怒られている声や、皿のぶつかる音が聞こえている。そんな音より小さい声だ。
その顔があんまりにも真剣なので、甚一は呆れてしまう。
「お前ちょっとうるさい」
甚一は舌打ちをした。
しつこくしてしまった翔平の皿のサーモンは甚一の口へと全て入って、あっという間に胃に落ちてしまったのだった。
食事の後、食堂の隣に続くリラクッススペースでだらりと身体を横にして何をするわけでもなく、何を話すわけでもなく、横に並んでただただヤバイ寝そうヤバイ極楽と言い合う。また風呂に入る。更に人が増えていた。学生のような若者も多い。やはりサウナが人気だ。
人の多い場所が苦手な甚一にざわつく館内の様子を気にした翔平が、車を置いて家に行くか、と声をかけたが、そこまでじゃない、と安心させるように首を振った。
喫煙所は正面玄関の横にある電話ボックス三個分くらいの個室しかない。
一服しないか、と甚一が電子タバコをポケットから取り出すと翔平は、煙草やめた、と笑った。
いつから更新されてないのかわからないようなゲームコーナーでカートゲームをする。
プリクラ撮る?と聞いた翔平に、それは流石にちょっと、と断る。はるか昔、祖父だか誰だかと撮ったきりだ。興味本位でチラリと覗いた撮影画面の操作すらわかるはずもなく、中年に差し掛かった二人はダメだダメだと言い合って、その場から逃げるようにメダルのスロット台へと腰を落ち着けた。
二人でゲームセンターなんか行ったこともない。
手持ち無沙汰にメダルを買ってパチパチとスロットのボタンを押すが、普段打たない者同士何が面白いのかわからず直ぐに飽きてしまった。
二階のホールはワンフロア全体が休憩スペースになっている。シアタールームでは一日中映画が流れているようだが、こちらはあいにく席が埋まっていた。
一杯やるか、と人気のないテーブルセットのある場所に向かう。そこを囲むように缶ビールとつまみの自販機が並んでいた。
フロアいっぱいに並ぶリクライニングには客が点在しているが、平日の為かそこまで混雑した印象はなかった。
フライドポテトと缶酎ハイと缶ビールを買って、一番端の席に座る。
翔平は壁掛けのテレビのリモコンが無造作に置いてあるのを見つけ誰も見ていない事を確認すると、NHKからバライティ番組へと切り替えた。
この芸人かっこよくない?と言う翔平に付き合い甚一はテレビを眺めていた。
「なんかさぁ。お前じゃないけど。俺も年取ったんだなって思うよ最近」
テレビを見ながら小さく笑っていたはずの翔平が、唐突に口を開いた。
「あのあれ。ほら。パートナーシップとかさ」
急に何を言うのかと思えば、と顔に書いた甚一はつまんでいたフライドポテトを口に入れたまま「全然興味ない」と、あっさり切り捨てる。
「あ、いや、それ自体は良いじゃん?だってそれ望んでる奴の方が多分多いでしょ。や、わかんないけどさ。あんま友達とかいないし。でも結婚したいって奴らは男とか女とか関係なく絶対いるし。でもなんか。なんかさ、逆に圧感じるっつーか」
「なに。考えてんの?」
「宗輔はぽやんとしてるからあんまり。素敵だねえなんて言ってるだけ。宗輔、親には言ってるしさ。全然仲良い。ま、地元九州だから?全然関係ないから会えたってとこはあるかな」
「え、会ったんだ」
定期的に連絡を取り合っているならまだしも、二人は用事がなければLINEすらしないのだ。
忘れた頃に翔平から都合を伺うための近況報告が届くが、そのメッセージにすら、甚一は必要最低限しか返信しない。
翔平の初めて聞いた話に驚き、甚一は少しだけ声が大きくなってしまった。
つか九州良いな、と甚一はフライドポテトを口に放る。指先についた塩を舐め取って、手元のウェットタオルで摘むように拭いた。
「隠さなくていいんだよって空気あるけどさ。今」
翔平は、少し困ったように言う。
「でも俺はやっぱ言えんなーって。この間実家帰って思ったよね。なんか言ったときの親のリアクションとかも考えたくない。言ってもよくわかんないと思う。で、それは置いといて嫁さんはいつ貰うんだ?とか聞いてきそうだもん」
翔平は、笑いながら椅子に踵を乗せて膝を抱えた。
「兄貴が子沢山だから?気楽さはあるけどさ。三年に一回帰って来て小遣いくれる結婚できねえ叔父ポジで良いわ」
翔平の諦めたような口ぶりに「それ逆に最高のポジションじゃない?」と甚一は揶揄う。
ハハハ、確かに!と翔平は膝を叩いて弾けたように笑った。
午後九時を迎え、一部閉館の放送が流れた。
二階フロアの照明が若干暗くなる。
午前0時には間接ライトのみになるそうだ。
薄暗くなったテーブル席には、自分達しかいない。
「ま、時代遅れって言われるのかもしれないけどさ」
ビールの缶が汗をかいて、テーブルに水たまりを作っている。
翔平は膝に乗せた頭を傾け、横目で甚一を見る。
「甚一は?」
「俺?」
「昔は二人して意固地だったよ。きっと。若かったし。俺たちの事なんてどうせ誰もわかってくれねー、みたいな?どうせ普通じゃねえし、みたいなさ?なかった?」
どうだっただろうかと若い頃を振り返っても、あまりに遠い記憶は断片的にしか思い出す事ができない。
甚一は言葉が出ないまま、曖昧に口の端を上げ首を傾げた。
「けど、なんだろ。今は違うかな。俺たちは全然普通だよ?普通だけど、あの人達の普通も壊したくないっていうか。もしかしたら案外全然気にしないのかもしんないけどさ」
翔平はそう言い終わると身体を伸ばし缶ビールに口をつけて、ふ、と吹き出して「ごめん。なんか語った」と今度は気不味そうに鼻を掻いた。
翔平と甚一のバックグラウンドは、似ているようで似ていない。
閉鎖的な環境で育った事がカムアウトを躊躇させる性格に繋がっているのかと聞かれてもそうだと言い切る事はできないが、少なからず影響はしていると思う。
何気ない言葉はすぐに広まって、それが悪意で捻じ曲がっていても、元の言葉のように浸透していく。
断絶されたような集落は、良い所は勿論あるが、その裏はどこまで行っても薄暗い。
甚一は、家族というものに馴染みのない自分が翔平の気持ちを全部理解してやる事はできないと目を閉じる。
ましてやその家族は、誰一人としてこの世に残っていない。
今、家族と聞いて脳裏に浮かぶのは、お節介にも近い差し入れを届ける近所の人間や、自分を名前で呼ぶような子供の頃から知っている島の人間だ。
「考えた事ない」
そう言った甚一を見つめる翔平が何を思っていたのかなど、甚一にはわからない。
「言うとか言わないとかの問題じゃなくて」
何と答えるのが正解なのかも、この場にふさわしい、相手を気遣うような言葉も、甚一は持ち合わせていないと思う。
二階は禁煙だ。
背もたれに体重をかけ、だらしなく足を伸ばす甚一は、ため息をついてテーブルに乗せた左腕で頬杖をつく。
「誰にも知られたくないし」
甚一は、つい朝方出て来たばかりの島を頭の中の海に浮かべた。
島を囲む高い防潮堤は、外部の敵から島を守る要塞のように見える。
けれど、中に閉じ込められたら最後。
決して外に出る事ができない生暖かい牢獄になるのだ。
翔平は、そっか、と呟くだけだった。
いつの間にか缶ビールは温くなり、フライドポテトは冷めてしまっている。
翔平は、再びテレビに視線を移し「やっぱりかっこいいわ。ちょっと宗輔に似てる」と言って口元だけで笑った。
あれからもう一度風呂に浸かった。
個室でもなく、広いフロアに並べられただけのリクライニングの椅子だというのに、いつもより眠りが深く目覚めが良いのはやはりお湯に浸かり身体が解れたからか。
普段より幾分シャッキリと目覚め隣を見ると、翔平は既に目を覚ましてスマホを眺めていた。
「めっちゃ身体軽い。ハマりそう」
熱心に何を見てるのかと思えば、市内の温泉施設の数々だ。
泊まりの客は朝食がサービスされると知り、まだ朝日が登ったばかりの時刻なのにも関わらず、翔平はもりもりと食べた。
ご飯をおわかりして、二杯目は卵をご飯にかけ、海苔で巻いて口に運ぶ。
ねこまんまと何が違うのか、と聞けば全然違うだろ、と怒っていた。
勿体無いと言って最後に少しだけ朝風呂を浴びて施設を出た。
背伸びをして朝の空気をたっぷりと吸う。
まだまだ車通りの少ない中、甚一のジムニーが住宅街を進みアパートへと向かう途中「また誘う。良い温泉探しとくわ」と翔平がそう言って「甚一」と改めて名前を呼んだ。
昨日からこれでもかというほど湯に浸かったからか翔平の鼻の頭がつるりとしていて子供のようにも見えた。
「会ってもいいし会わなくてもいいし」
眼鏡の分厚いレンズは素顔の時よりも目を小さくさせ、セットされてない髪は、昔を思い出させた。
「友達だからさ」
翔平は、そう言って笑う。
初めて身体を重ねたあの夜の、世界一カッコ悪くて世界一情けない格好を晒し合った時のように。
甚一は何度か浅く頷いて、うん、と微笑む。
決して恋ではなかったけれど、きっとそれに変わる何かはあるんだろうと、甚一はらしくない事を考えた。
そうして、数時間ぶりにスマホの電源を入れた。
玄関を開ける。
しばらくの間壁にかかって埃を被っていたロードバイクは、今は玄関のバイクスタンドに立てかけられている。
揃えられたスニーカーがある。
家の中は静かだ。
踏み入れた瞬間、冷蔵庫がピピピと鳴った。
規則性なく鳴るその音が、何を知らせてくれているのか甚一は知らない。
リビングでは、テレビがつけられたままだ。
祖父の骨箱がテーブルに移動されていて、困ったように笑ってしまう。
ソファに埋もれるように沈んで眠る男を見下ろす。
肌が白い。瞼の縁のまつ毛は長い。
神経質そうな鼻筋だ。
一見潔癖そうに見えるが、本人がそれに気付いているのかは知らない。
首元がすっかり伸びてしまったスウェット姿でトボトボと歩いていた姿を思い出すと笑える。
モゾモゾと動き始めて、むにゃむにゃと何か言い出して、勝手に口の端が上がって吹き出してしまった。
やっとゆっくりと瞼が開かれて、目が合う。
光に透けると茶色く、風が吹くと揺れる髪がかなり短くなっていた。
元々の地毛が少し赤茶けていた事を知る。
柔らかそうな髪だ。触れた事はないが。
数秒目を合わせているうちに、男の焦点が合ってきたようだ。
陽太は「あー、なんか、暇で…」と言いながら枕にしていたクッションで顔を隠した。
「お前は暇だと髪が短くなるのか」
と甚一は笑って言った。
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