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嘘、それだけ 7
スーパーで日用品を見繕う。トイレットペーパーや台所洗剤を手に取るが「まだあるよ」と陽太に言われ「あっても困らない」と言ってカートに入れていく。
食品コーナーで陽太はファミリーパックのお菓子をどっさり買い込む。「あとで清算する」と言って。職場に持って行くもののようだ。「そんなに食うの?」と眉を寄せたら、「人付き合いだよ、人付き合い」と参ったように笑った。
陽太が「これ好き」と言ってグレープフルーツの度の強い缶酎ハイを一本手に持ったので、甚一はそれを多めにカートに積んだ。缶ビールも数本。
パスタに米にとカートがいっぱいになった頃、陽太が不思議そうに甚一を見た。
「甚ちゃん、靴下は?」と聞かれて、「めっちゃ忘れる」と誤魔化し、やはりあって困るものじゃないと三枚組のソックスを買い物カゴに入れた。
帰りの車の中、口数少なく外を眺める陽太の横顔を、甚一はバックミラーで何度も見た。
炊飯器の中には炊き込みご飯が手をつけられないまま残っていた。
「鮭焼けば良いの?」と陽太に聞くと、「うん」と小さな力の抜けた頷きが返ってくるだけだった。
キャベツの味噌汁を作ると言って、キッチンツールにひっかけてある鍋を取ってお湯を沸かす。
「いいよ。あるもので充分」と言ったら「キャベツ使っちゃおうよ」と陽太はまた貼り付けたような笑顔で微笑んだ。
食卓を囲み酎ハイを開け、ささやかながら乾杯をする。
「途中で寝ちゃったんだよね」と言って、配信が始まったばかりのドラマを見ながら。
普段は何かと騒がしい陽太が、今夜は妙に静かだ。
片付けは自分がやるからと言ってソファに座せた。
テレビからは緊迫したシーンが流れているが、陽太が熱心に見ている気配はない。
第一声が思い付かず、黙ったまま横に腰を下ろした甚一の座るスペースを空けるように、陽太は少しだけ身体をずらしして、片付けありがと、と静かにつぶやいた。
甚一の手には2本目のアルコールが握られている。一本は陽太に手渡し、もう一本はプルトップを開け喉を鳴らした。
甚一は陽太の方を視線だけで覗き見た。
「甚ちゃんお酒好き?」
「どうだろうな。嫌いじゃないけどな」
陽太は甚一の顔を見る。
聞きたいことがあるのだろうが、昼間のやり取りのめんどくささを思い出して、甚一は「なに?」と聞いた。少し警戒が滲む声になってしまった。
「甚ちゃん、前、東京いたの?」
陽太は、どこか確かめるような、探るような目で甚一を見ていた。
「誰かに聞いた?」
「うん。事務の栗原さんが大学の時は関東だったって言ってたから勝手に東京いたのかなって。…ごめん」
「別に謝る事じゃない。皆知ってる。あと東京じゃないよ。名古屋。テキトーに広まってんだろ」
甚一は、ため息をつく。訂正する面倒くささと、諦めが混じったように。
「なんだ。東京だったら、どっかで会ってたりしないかなぁって思ったのに」
「なんだよそれ」
残念そうに肩を落とした陽太は、あのね、と口を開き「俺、札幌の看護学校全落ちして、東京に住んでた姉ちゃんが東京の専門学校の追加募集してるの見つけてくれて。やる気があるなら来いとか言って。で、東京行ったの」と話し始めた。
「姉ちゃんいんだ」と合いの手を入れる。
「うん。めちゃくちゃ怖えよ。母ちゃんより怖い」
大袈裟に身震いするふりをした陽太は微笑んだ。その仕草に、甚一の口元もわずかに持ち上がる。
「で、受かって東京で進学したけど毎日遊びまくってさ。あ、勿論学校はちゃんと行ったよ。頑張った。俺なりにね」
「じゃないとなれないだろ、看護師」
甚一は、少し呆れたような目で陽太の横顔を見つめた。
「お酒覚えて歌舞伎町行き始めてさ。彼女はいた事もあるけど、初めて男の人と付き合ったのもその辺り。てゆうか、バイトしてたもんね。ゲイバーで。なんか成り行きで。今考えたらイカれてる。職場もさ、仕事終わったらそんまま飲みに行けるってだけで歌舞伎町の近くの病院に決めて」
陽太は語りながら、膝を抱える体育座りを崩し、ソファに深く凭れかかった。
まるでその場の居心地を確かめるように、甚一の方へ少し身体を傾ける。
甚一は陽太の話にただ耳を傾け、時折小さく笑って相槌を打つ。
陽太は、物思いに耽るように天井を仰いだ。話し終えて、少し息を吐く。
「なんか年々さ、暑さとかつらくなって体調崩すようになって、30の時もう落ち着くかって戻って来た。ちょうどコロナとかもあったし、いい機会かなって」
甚一は缶ビールを一口飲み「コロナあったな。なんか懐かしいな」と呟いた。
「だってなんか馬鹿みたいでさぁ。今まで毎晩みたいにワイワイやってた連中、皆いなくなって。こっちは飲みにいく元気も無くなるくらいハードなのに」
「それは仕方ないだろ。仕事無くなった人もいるくらいだし。つか、俺もだし」
「え、そうなの⁉︎」
陽太は驚きに目を丸くして、甚一をまじまじと見た。
「なくなったわけじゃないけど。緊急事態宣言でリモートになって。元々あんまり得意な方じゃなかった。人多い場所とか」
甚一は淡々と話しながらテレビから視線を外し、手元の缶を眺めた。
「なんか、めちゃくちゃ疲れる。もう行きたくねえなって。朝とかラッシュ避けて七時前の電車乗ったりしてたし。向こうよりマシってだけ。なんか人でざわざわしていると息が詰まるっていうか」と、甚一は言葉を選びながら付け加えた。
「そ、うなんだ」
曖昧に頷いて陽太は相槌を打つ。
「なんか、意外っていうか甚ちゃんぽくない」
「そう?せかせかした人混みとか?ここ出るまで自分でも知らなかった」
甚一の自嘲に納得いかないような顔をした陽太を見て、「ここが良くてって理由の方がよかった?」試すように聞く。
甚一の問いかけに陽太は見透かされたように慌て「いや、違うよ。違うけど」と言い淀んだ。
甚一が胡散臭げに目を合わせると、陽太は人差し指で頬を掻いて誤魔化し「そうだね。ちょっと…」と気まずそうに笑った。
正直な態度に甚一は吹き出しつつ「そんないいところじゃない。そのうち本当の不便さもわかる」と缶ビールに口を付けた。
陽太はのんびりとやはり天井を眺める「そうかなぁ。でも俺は、ここに来る前全部手放してちょっとすっきりしたけどなぁ。まぁ金に変えただけなんだけどさ」と自虐のように笑い、アルコールに口をつけた。
「佐伯に会ったのも札幌。マチアプで会う約束した奴が来なくて。タイプじゃなかったのかな。そんまますすきののバーに呑みに行って。そこゲイバーだったんだけど、偶然佐伯もいてさ。なんか見たことあるね、みたいな。昼間一緒に働いてたね、みたいな。そっからはまぁご想像通りです」
甚一は「それ想像しなきゃだめなの?」と小さく笑う。
「あ、あとね。俺が看護師だから、家事とか得意でしょって奴とも付き合ったな。東京いた時ね。家散らかってんのいきなりキレたりして。ムカつく。看護師の前に人間だから。会ってすぐ転がり込むみたいに同棲したけど2週間持たなかった」
「俺なら二日で出てく」
「でしょ?」
不満たっぷりの表情で陽太は缶に口をつける。
「あとは?」
話の続きを催促すると陽太は、ううん、と唸って思い出したように急に笑い出し「学生ん時付き合ってた女の子。卒業して美容系に行って。ノルマが凄くて頼まれて全身脱毛した。本当に全身。そん時で五十万くらいしたけど結局別れた。ウケるよね」と空いている方の手で自分の膝を撫でた。
「…は?」
甚一は少し驚いて陽太を見てしまう。その距離がわずかに縮まった。
ソファに身体を預けていた陽太のつま先から全身を見るように視線をゆっくりと上げ、半袖から晒された缶チューハイを握る腕を見た。
まじまじと目を凝らしている甚一がよほどおかしかったのか、陽太は声を出して更に笑いだし「やだー!甚ちゃんのエッチー!」とふざけて再び体育座りをして身体を隠すような体制になる。
「うるさい」
顔が赤くなってしまった事を誤魔化してそっぽを向くとケタケタと笑い続け陽太は甚一を揶揄った。
涙を拭きながら「でも今子供三人いて、幸せそう。インスタで見たよ。嬉しい。よかったなぁって」そう続ける。
「佐伯って医者は?」
「ムカつくよ。ムカつく」
陽太の下唇が突き出る。
そうして、ぐいぐいと缶に残るアルコールを一気に胃に流し込んだ。
プハーっと口を離し、一段と深く身体をソファに沈み込ませると「でも、もういっかなって」と目を閉じてゆっくりと呟いた。
その顔は、晴れやかというよりも穏やかだ。
「俺、今俺結構楽しいかもって思ってさ」
ふふふ、と一人含み笑いをした陽太は「さっきね。甚ちゃんが結婚したら、俺どうしようかなって考えてた」と内緒話を打ち明けるように続けた。
「お前のほうこそ一年で終わりだろ」
「でも結婚は明日にでもできるんだよ?」
「そりゃそうだけど」
「結婚して奥さんいてもハウスキーパーで雇ってくれるかなぁとか」
「一年は病院で働け。あんな給料払えない」
「俺の借金払うって言ったのに」
「払って欲しくなったら言えよ。そしたら札幌帰れるだろ」
「別に札幌に帰りたいってわけじゃないし」
その言葉に甚一は何と返事をしていいのかわからず、テレビの画面を見つめていた。
しばらく無言の時が過ぎる。
度の強い酎ハイはどうしても眠気を誘って甚一は目を擦った。
同じように目が半分ほどしか開いてない陽太はズルズルとソファにもたれ倒れて、甚一の肩に陽太の頭が少しだけ触れた。
陽太はもうすぐにでも寝てしまいそうなほどに眠たそうだ。
「二階行くのめんどい…」
我慢の限界だったのか、陽太は急に立ち上がるとよろよろと仏間へと向かった。
「こっちで寝れば?」
夜勤明けの陽太を外へ連れ出し酒を飲んで、休ませてやった方が良かったのではないかと今になってそう思い声をかけて寝室の襖を開ける。
「…いいの?」と首を傾げる陽太に「別に」と言って笑う。
素直に頷いた陽太はてくてくと歩き、甚一の前を通り越してそのまま甚一のベッドへと倒れ込んだ。
横になって、毛布を足で蹴飛ばして、しっくりくる場所を探しているのか、コロコロと転がって、最後には丸まった毛布を足に挟んで抱き込んだ。
堂々と真ん中を陣取る陽太に甚一は笑ってしまう。
リビングの電気を消して、テレビのボリュームを下げ、陽太のその隣に少し距離を置いて腹這いになる。肘を立てて頬杖を付いた。
「俺のベッドなんですけど」と苦情を入れたが既に眠りについてしまったのか返事は来ない。
そういえば、陽太がこの家に来てから甚一の寝室に入ったことがあっただろうか。
おそらく、陽太は意図的に踏み入れないようにしていたのだ。甚一を気遣いプライバシーに触れないように。
「あんまりそういうこと、いろんな人に言わない方がいいと思うけど」
もう聞こえていないのかと、甚一は小さく声をかけた。
「……なんで?」
予想外にも返事が返ってきたが、陽太の目は閉じられたままだった。
すぐに寝息に変わってしまったその顔を少しだけ眺めて「チョロ過ぎて臓器売られそうだから」と甚一は言った。
アラームをかける必要のない朝でも、防災放送は朝六時になると有無を言わさず島に目覚めを告げる。
甚一は枕まで陽太に取られてしまい、寝違えたのか若干首が痛んだ。
風呂にも入らず寝てしまった陽太は、ぼうっとしたような顔で布団にくるまったまま瞬きを繰り返していた。二人は数秒、視線を合わせたまま黙っていた。
陽太は、ベッドを占領してしまったことか、あるいは寝起きの姿を気にしているのか、目線をウロウロとさせてからほんの少しだけ顔を赤くして、再びモゾモゾと毛布の中へ潜っていった。
寝違えた首の痛みの恨み言のように、甚一は昨夜の話の続きを聞く。
「……全身って、マジで全身?腕とか足だけとかじゃなくて?」
こんもりと盛り上がった布団の中から、「ひみつ」とくぐもった声が返ってきたのだった。
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