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嘘、それだけ2 - 2
島の南側と北側に大きな漁港がある。
小型漁船の出入りできる港が各集落付近に点在しているが、今は使われてない場所が多いらしい。
先日甚一と言った弁天岬もその一つだ。
祭りの開催場所は、南側の弁天岬のその先にある島で1番大きな漁港だった。
漁協の事務所と冷凍工場、加工場が連なったかなり広い敷地だ。
四月、甚一の車に乗せられた時に見た、山の中に建設中の建物がある付近で、どうやらその建物は航空自衛隊の基地内にある寮だったようだ。
島民の10分の1は自衛隊員というのだから、甚一が二千人もいるかな、と言った疑問はあながち間違いじゃないのかもしれない。
土木の事務所がない島は、建て替えも建設も、島の外からの派遣で成り立っている。
また夏になれば、工事は再開するだろうということだ。
菊池のワゴン車で祭りの会場に向かう途中、菊池がいろいろと教えてくれるのを、うんうんと頷き聞いていたが、甚一は助手席に座り、思春期の子供のように顔を顰めたまま腕を組んでどっかりと座って、二人の会話に口を挟む事なく黙っていた。
島を一周するのにも、車で二時間も時間もかからない。
漁港まで十分ほど着いてしまう道路を、家族連れや数少ない若者が歩いているのが珍しかった。
「結構若者いる」
率直な感想に菊池は「そこまで小さいとこじゃないって」ってとおかしそうに笑う。
「でもさ」と続け「4割は65歳以上だし、他の1割は移住してきた人だし、1割は短期派遣とか転勤族だし、住所変更してない出稼ぎの人も入ってるっていうから」と純粋な島の人の少なさを強調した。
そうしているうちに出店のライトが見え始める。
1番手前の屋台には、キャラクターの絵が描かれた綿菓子の袋が下げられて、早速小さい子供が欲しいと駄々を捏ねているのか泣いているのが見えた。
そういえば、陽太の勤める町立病院でも一応小児科を併設しているが、緊急であればともかく、いわゆる風邪の症状以外のほとんどを島の外へ送っているのだから陽太が子供に触れる機会は滅多にない。
運良く陽太は、子供のそんな機会にもまだ立ち会っていない。できればこれからも、そんな場面にはできれば出会いたくないのが病院職員全員の本音である事は確かだ。
「あんた別れた奥さんに慰謝料払ってんだってなぁ。お痛が過ぎたってやつかねえ」
急に声をかけられプラスチックのコップを手渡され酒を酌まれる。
飲むのを待っているようなので、戸惑いつつ一気に飲み干す。
瓶に貼られたラベルは見えなかったが、かなり度の強い焼酎のようだ。
「遊びは遊びにしとかねえとダメさ」
「まぁ頑張んなさいよ」
爺達に言われ、はあ、と気の抜けた返事をした陽太を見て、甚一は堪らないというように肩を震わせた。
「…俺、ここでなんて言われてんの?」
「不倫相手妊娠させて元嫁と二人に慰謝料払ってるって本当かって聞かれた事はある」
ククク、と本当におかしそうに笑いながら言った甚一を横目で睨んだ。
「甚ちゃん俺のことなんか言った?」
「別に。金大変らしいから下宿のシュミレーションしてるっつったけど」
それがどうひん曲がってこうなったのかはわからないが、役場で泣きついた事がある以上、甚一以外にも瀕死状態だった陽太を知っている人間がいるのは確かだ。
彼等の想像が膨れ上がって産まれた設定か、微妙にリアリティを感じ、勝手に口が引き攣ってしまった。
「ま、別にいいけどさ」
無意識に溢れたため息に、「否定したら逆に怪しまれる」と甚一はもうひと笑いだ。
人の口に戸は建てられないと昔から言うのだから仕方がない。
言いたい人には言わせておけばいいというのが陽太のモットーなのである。
海に浮いた埋め立ての敷地の中、普段は駐車場らしき場所には、島内にある各施設のテントが並んでいた。
その駐車場を囲うように露天が出ていて、賑わいを見せている。
中央にはステージがあり、マイクのテストが行われている。その中に二本柳の姿を見つけた。
ざわざわとした中「陽太ー」とテントの方から声がかかり振り返ると、知っている面子に自然と顔が綻んだ。
師長の古川が高らかに自分を呼んで、おいでと言うように手招いていた。
テントには病院の名前が印字されていて、催し事に少なからず関わっている事を知る。
「行けば?俺も事務所行かないと」
甚一に背中を押されて、じゃまたあとでね、と手を振り駆け足でテントへ向かった。
「それ甚八さんのアロハじゃん」
ケラケラと笑いながら迎い入れたのは、陽太の片手のコップにビールを注いだ主任の湊だ。
「え、正解!なんでわかったの?」
言い当てられた陽太は、純粋に驚いた。
湊はふふふ、と笑い同じくビールの入ったプラスチックのコップを手に持った。
「さあねえ」
とはぐらかす湊と乾杯をすると、コップのビールがたゆんと揺れた。
「湊の初恋だからね。甚八さんは」
横から口を出したぬは古川だ。
普段よりもラフに、けれど少し洒落た格好の彼女達に、可愛らしさを感じる。
古川は、いつもより長く見えるまつげを揺らし湊を肘でつついて揶揄う。
普段は眼鏡をかけ、引っ詰めた一本結びのサバサバとした印象の湊も、髪を解きロングのサマードレスにデニムのシャツを羽織っていて、細身のスタイルによく似合っている。
「え!!?何それ、めっちゃ聞きたいんですけど!!」
陽太が騒ぐと、うるせえうるせえ、と湊は笑い「めちゃくちゃかっこよかったんだって。甚八おじちゃん。無口だけど優しくてさ」と頬杖をつく湊は「おばちゃんが早くに病気になってさ。だから私は看護師になったの。おばちゃんの病気治すね、とか言って。ウケるっしょ」そう、思い出に耽るように続ける。
「これ酔ったら毎回言うから。気をつけて」
と、今度は古川が戯けてケタケタと笑ったのだった。
今日の夜勤は小野さんと花田さん、夜勤専従の中島さんだ。
中島さんは陽太の2個上の男性スタッフで、若い頃から夜勤専従で働いていると聞いた。あまり話さないタイプで、時間があるとアプリゲームに興じている。
聞きたいわけではなかったが、メンタルをやられて島に戻って来てからは、ずっとそうして働いていると、鼻中だったか、花田だったかに教えられた。中島も、決して協調性がないとかコミュ障ではないと陽太は思っている。
「小野さんと花田さんは良いんですか?中島さんも来なくて」
「小野っち今更旦那の晴れ姿とかいらないとか言って来ないよ」
「晴れ姿?」
「そうそう。ま、これからわかるから」
湊は笑うと「中島の家はこういうの来ないし。昔からね。中島にも普通勤務になればって何回も言ってるけど、奴的にはコスパ悪いらしいよ。普通勤務は」と、少しだけ非難めいた事を言う。
リアクションに困って曖昧に頷いた陽太に気づいたように「でも夜勤さんがいて助かってるでしょ。仕事は真面目にちゃんとやってくれてるんだから」そう言って古川は湊を嗜めたのだった。
「あ、あれ高校の子達だよ。畠中氏の奥さんいる」
話題を変えようと、古川が一様に同じジャージを着た若者の集団に目線を向けた。
「え、どれどれ」
完全なる興味本意に陽太は腰を浮かせた。
陽ちゃん、来てたんだね。とにこやかに笑いながら二本柳がテントに訪れ、あれが無いあれが無い、と輪に入っては片手間に話に参加する。
「島の外から子供達受け入れてるから毎年学校の行事として来るんだよ」
忙しない二本柳に「へえ。あ、娘さんも?」と聞けば「いや、娘さんは通信だよね?確か」と古川が聞く。
「ま、学校に通う事は素晴らしいけど、それだけが勉強じゃないよね。陽ちゃんもすっかり馴染んで」
二本柳は、見知った職員達の中に座る陽太を見て、目を細め頷く。
カラオケ大会にエントリーするという二本柳は、信金の支店長と紹介された氏家と共に、またどこかへ行ってしまった。
「麻里子さんもおいでよ」
古川が一人の女性に声をかけると、立ち去る二本柳に向かって文句を言う女性が「もう!毎年毎年恥ずかしい」と顔を顰めながらこちらへ向かって来た。
二本柳の妻である麻里子が輪に加わり、テントは益々盛り上がる。
「あら!イケメンいると思ったら貴方が斎藤さん?」
恰幅のよい身体を前のめりにした麻里子は陽太の顔を覗き込み「本当イケメンだわ」とまん丸の瞳をさらに丸くさせ陽太に微笑んだ。
「陽太食べられちゃうよ」
湊が揶揄うと笑いが起きるが、酔い始めの女性達の話題はすぐに別の話へと変わり目まぐるしい場面展開に陽太は着いていけずに気後れしてしまった。
結局陽太は、放射線技師の菅原、リハビリセンター長の加藤、あまり関わりはないが、数少ない男性職員同士でなんとなく隣同士に座り合う。
なんだかすっかり馴染んでますね、慣れました?なんていう世間話を振られ当たり障りのない会話をしていると、次々と楽器が運び込まれ中央のステージが華やいでいく。
自衛隊の音楽隊の演奏で、祭りは景気よく始まった。
初っ端から今や国民的なあのサンバの名曲。
ドラムのリズムに合わせて老若男女関係なく、観客が手を叩く。
既に酒は振る舞われている。
島の特産品としてワインまであるのだ。
婦人会から次々と運ばれてくる料理に箸をつけた。
芋の塩煮、イカ飯、イカリング、野菜の串カツ、
屋台の鉄板で焼かれるサーロインステーキは、つい数年前に始めた放牧事業の一貫で全国的になかなか評判が高いと聞いた。
これは流石に有料だったが、普段食べられない高級品に列ができていた。
陽太は古川と湊に連れられステージ前へと移動し、見事な演奏に指笛の賛辞を送った。
そのままカラオケ大会に突入し、陽太は二本柳によって引っ張り出され、酒が入ってほんの少し気持ち良くなっていた陽太は、ゲイバーで培った歌声を披露する。
懐メロと呼ばれる選曲のエレクトリックなイントロに師長と湊の世代が顔を見合わせて盛り上がっているのがステージから見えた。
やんややんやと拍手をもらいエヘヘと照れるその途中、妙に視線を感じてその先を探ると、漁協事務所の二階から呆れたような表情の甚一と目が合った。
甚一の性格からして、こういった場所が不得意である事は想像に容易い。
甚一の冷めた目つきに陽太はいそいそとステージを降りテントの中に隠れた。
二本柳と氏家が平成のアイドルのデュオを歌うのを椅子にもたれ笑いながら見る。
陽太はこんなに騒ぐのはいつぶりだろうか、となんとなく考えていた。
夜の帳がすっかり下りた頃、誰からともなく「そろそろだね」と言い合い、人々が潮の匂いの濃くなる海の方へ移動を始めた。
『皆さんそろそろ祝詞はじまるんで』と、実行委員らしい人物がマイクで呼びかけ、つられるように陽太も周りに習ってそちらへと向かった。
祭りには三百人ほどが集まっているそうだ。
歩きながらの誰かの会話を耳が拾う。
一校分ほどの人数なのだが、こんなにいたのかという気持ちになる。
港に集まった数隻の漁船の中、ひときわ大きな一隻に鮮烈な灯りが光る。
「ついたついた」
待ちかねたような訛り混じりの老婆の声が薄暑の夜風に乗って陽太に届いた。
次々に船の投光器に灯りが点る。
強烈な純白の漁火が、港全体を昼間のように煌々と照らし出し、夜の島の人々の顔を鮮明にさせた。
眼球の奥が痛くなるほどの明るさだ。
陽太は数度瞬きをして目を慣らした。
「わ、」
理屈ではない感動だった。
無数の光は海面に反射し、漁火柱が波に揺れていた。
漁協の事務所から、万祝染めの半纏を慣れない様子で照れくさそうに着込んだ男たちが、次々と現れた。
一番最後に出てきたのは仏頂面の甚一だ。
お遊戯会に嫌々出る子供のような表情に、陽太はつい声を出して笑ってしまう。
陽太は、甚一の羽織る半纏が一番派手なものだと気付く。
濃紺の生地に、白波と飛沫の大海に大魚。荒々しいうねりの向こう、豊漁を祈るかのように進む磯舟。
日本画のような細やかな刺繍は、海の厳しさと恵みを物語る。
「え、甚ちゃん、かっこいい」
ぽつりとこぼした一言に、いつの間にか隣にいた二本柳が腹の底から、わははは、と笑った。
「今年は高田の家だって、満場一致だったみたいだよ」
二本柳の眼差しは確かに甚一を見守っている。
並ぶ男たちに頭を下げながら狩衣姿の神主が出てきた。随員と思われる数名が後に続く。
静粛にするところだろうが、和やかな空気は変わらず、軽口を交わしながらの登場に、神主も気心しれた人物なのだろうと察しがついた。
男たちが自分の船の前に立つ。
甚一は皆から外れて中央の一歩前に立ち、後ろに手を組んでいた。
神主と一言二言交わし、頭を下げる。
肩を叩かれて、さらに会釈をする甚一。
真ん中の一艘に、菊池の姿を見つけた。
比べると大きな船じゃなく、むしろ小さい船だ。
その一艘にだけ灯架の先に、青いライトが付いている。
「甚ちゃん、あれに乗って魚釣ってるの?」
陽太が二本柳に尋ねると、二本柳は目を細めて頷き、再び視線を甚一に向けた。
「見てごらん陽ちゃん。甚ちゃんの船だよ。高田の船も昔は一年中海に出てたけど、今はもう夏の時期にしか動かしてないんだ。ほら、てっぺんに青いライトがついてるだろ?」
二本柳の声が僅かに震える。
二本柳はポケットからハンカチを出し、目頭を押さえた。
「あ、あの……」
思わぬ涙に陽太が戸惑いつつ様子を伺うと「ごめんごめん」と二本柳は笑いながら誤魔化した。
「甚吾が……いや、高田の家の皆が、自分の家の船だってわかるようにつけたんだ。今度2階から見てごらん。夜、漁に出たらすぐにわかる。甚一が乗ってる」
周囲のざわつきに負けてしまうほど小さな声で、二本柳は続けた。
二本柳の隣に立つ麻里子も涙ぐみ、口を手で覆って二本柳の言葉を無言で繰り返すように何度か頷き、息を吐いた。
神主の礼拝の後、祝詞が港に朗々と響き渡る。
船出を前にした男たちが、集まった人々へ豊漁を誓うように深々と頭を下げた。
太鼓の地鳴りのような轟音が打ち鳴らされる。
周囲から激励のような掛け声が一斉に上がる。その中にはまだ声変わりのしていない半纏姿の少年の、一生懸命な声も混ざっている。
振動、光、熱狂的な掛け声が、一つの大きな波となって男たちを鼓舞する。
静かに揺れる船の前で、今度は海と船に向かい、男たちは再び深く頭を下げた。
穏やかな凪が人々を試している。
潮風が半纏を揺らす。
海が豊かでありますようにと願う男たちの逞しい背中が、力強く伸ばされた。
無事に帰ってきますようにと願う家族の瞳が、漁火に照らされて輝く。
そうしてこちらを向いた甚一が神主に頭を下げ、一口酒に口をつけると、さらに深々と頭を下げて一歩下がった。
知らぬうちに陽太の視界が滲んでいた。
なぜだかわからない。
感極まった、というには安易すぎる。
拍手と歓声が港を包む。
神主が四方に頭を下げ最後に礼拝を終えると、緊張が解けたように、あちこちで笑い声が上がった。
男たちに、家族が駆け寄っていく。
陽太は甚一の元へ向かおうと、漁火に照らされた甚一に視線を向けた。
行ってもいいか、という気持ちで。
神主達とまた話し始めた甚一と目が合ったのは一瞬だ。
やはり甚一は嫌そうに顔を顰め、事務所の中へと戻っていった。
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