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嘘、それだけ2 - 5
店の外には使い古されたサーフボードが飾られていた。
入り口の手前に外で呑めるテーブル席がセッティングされている。
そこでは既に陽太と同年代と思われる男が二人、炭酸の入ったグラスを片手に寛いでいた。
浅黒いまでに日焼けをしてフロントで分けた金髪の一人と目が合う。
愛想笑いを浮かべ会釈をして、気付かれないほどの距離を取り通り過ぎようとすれば「派遣ナースくんじゃね?」と声がかかった。
まさか自分が彼等に知られているとは思わず「あ、はい。そうです……」とさらに引き攣った笑顔を作る。
もう一人の短髪の男は、こちらに向かい頬杖をついて微笑んでいるだけだった。
決して広くない店の中で若い男が数名、ダーツに興じているのが見える。
「少し呑んでかない?」
気安い誘い文句が投げかけられ「あ、いや、サ、サ、サーフィン出来ないですし」と妙にオドオドしてしまった陽太に、金髪の男は笑って「ウケる。居酒屋だよ、ただの。この間祈願祭来てたっしょ?」と手招くような素振りを見せた。
ただの世間話ならば付き合っても良いだろうと判断し「ああ、はい。すごい楽しかったです」と陽太は当たり障りなく笑顔を貼り付ける。
立ち止まったのを肯定と捉えられたのか、短髪の男は店に入りジンを一本手に持って戻ると「奢り」と言ってキャップを外し陽太に手渡した。
「あ、いや、ちゃんと払います。い、いただきます」
そう言って口をつける。
甘く苦い炭酸が仕事終わりの喉を潤した。
歩いていれば汗ばむくらいの気温になっていた。悔しいが美味しい。
ごくごくと一気に半分以上煽って、大きく息を吐くと金髪は無邪気に歯を見せ「いいね。斎藤くん呑めるじゃん」と髪を揺らした。
「なんか食べる?」
短髪がラミネートされたメニューを差し出し陽太の目の前で広げて見せる。
「え。どうしよう」
普段食べない類の品物の写真が並ぶメニューを眺める。
サーモンサンドに、生ハムとカマンベールサンド。
甚一の家に帰れば、冷蔵庫にはまた新たに増えた貰い物の惣菜が詰まっている。にも関わらず、写真の中の鮮やかな緑黄色野菜はどうしても食欲をくすぐる。
「テイクアウトできますか?甚ちゃんにも買って帰りたいし」
顔を上げ短髪を見ると一度瞬きをしてから「甚一の家でシェアハウスしてるってマジなんだ」と金髪と目を合わせた。
唐突だったが、甚一の名前が出た事に陽太は微かに親近感を覚え安堵する。
「ああ、はい。え、甚ちゃんの事知ってるんですか?」
無意識に声が弾んでしまったらしい。
2人は、クスクスと笑いながら「知ってるも何も。同年代は全員知り合いだって。なあ?」「そうそう」と頷き合う。
自分と年が変わらない事を知り、その上甚一の知り合いならばと更に気詰まりが解けていく。
「甚ちゃんは呑みに来ないの?」
が、それは的外れな質問だったようだ。
再び彼等は顔を合わせ、歯にものが挟まったような表情を作ると「あー、あいつは昔からあれだから」と首を掻いた。
「あんまり人とつるんだりしないっつーか。ま、俺らと違って昔から良い子ちゃんだったから」
金髪がそう付け加える。
「…そう、なんですね」
曖昧に頷き再びメニューに目線を落とすと「それよりさ」と、そう言って金髪は身体を前のめりにテーブルに肘をついた。
陽太の顔を、奥二重の目が覗きこむ。
言葉にし難い薄笑いの表情と落とされた声に警戒心が顔を出す。
なに、と口を開く前に「甚一の家、めちゃくちゃ金あるって本当の話?」と先制を取られた。
「…は?」
聞かれた意図がわからずに、声が自然と低くなった。
その眼差し見つめ返す陽太の瞳が無意識に鋭いものになる。
金髪は「睨むなよ」と鼻で笑ってから身体を起こし短髪の男と再び目を合わせた。
意味ありげな無言の二人のアイコンタクトに、陽太の眉が寄る。
「いや、昔から皆言ってたんだよな。あいつんち家族全員震災で死んだから保険金とか?なんか、給付金みたいなやつとか?爺さんが全部貰ってるってさ。その爺さんも死んだからさ。全部あいつのもんだろ」
触れてはいけない物に触れたような感覚に似ている。
ゾッとした冷たさが背中を走り抜け、指先が震えた。
今朝、同じタオルケットに包まって誰よりも近くに感じた甚一の語らぬ過去が、高い高い防潮堤のように目の前に立ちはだかる。
「…し、知らないよそんな事。俺は、なんも、本当に」
速くこの場を去りたい一心でジンを一気に煽る。さっさとお代を払い立ち去ろうとボディバッグを開け財布を取り出すが、妙に冷えた指先は言う事を聞かない。
慌てたような陽太を気にする事なく、彼等は口を開き続ける。
「なんだ。聞いてないんだ。あいつの曾祖父さんも親も、親戚も全員死んだんだよね。親は車ごと流されて見つかってないの。なんか甚一の母親は妊娠中だったとか聞いたこともあるけどね」
短髪の男ののんびりとした口ぶりと、その内容の残酷さが解離している。
道ゆく観光客が、サーフショップの隣の寿司屋に入っていく。
炉端焼きの店が入り口を開ける。磯の匂いが一方通行の狭い道路に更に充満していく。
陽太は口を開く事ができなかった。
「見つかってないのに金なんか貰えないって爺さんが突っぱねてさ。じゃあ貰った奴は悪者なのかみてえな感じになって」
陽太は下を向くこともできずに、二人を見つめた。
甚一の事を、知りたくない訳じゃない。
けれどこんな形で、好奇心と悪意が混じった娯楽のような噂話で知るのはルール違反だと陽太は思う。
「俺らの代ではあんま詳しくはわかんねえけど爺さんと役所とか隣近所で結構揉めたって話。結構有名、っつーか地元の奴なら皆知ってるよ」
そう言って男は、手に持っていたアルコールを口に含んだ。
「か、仮にそうでも、お、俺には関係ないよ。それに甚ちゃんは、漁師の収入が不安定だからって。そりゃ、家賃は少なくしてくれてるけど、少しでも足しができたら良いって…そ、それに、そんなの、こんなとこでする話じゃない。おかしいって」
ようやく挟んだ言葉は、ひどく拙い。
稚拙な道徳をひけらかした陽太を、再び男達は鼻で笑った。
「いや、皆知ってて言わないだけ。大体、田舎でシェアハウスなんか珍しがられるに決まってる。何年か前にNPOだかなんだかもそういうのやったけど結局皆出て行ってさ。一夏遊びに来たみてえなもんだよ」
二人のおちょくるような笑い方。
「つか、もしかしてできてる?」
「…は?」
敵意は、意図せず剥き出しになった。
「はっきり言って甚一浮いてんだよ。寄り合いも顔出さねえし。こっちはここ盛り上げようっつってんのに興味ねえみたいな感じでさ。田舎者って見下してんのはそっち。あんたも」
甚一への侮辱と自身への蔑んだ視線に全身の血液が沸騰していく。
口より先に、右腕が金髪の胸ぐらを掴んだ。
「なんだよ。離せよ」
そう凄む金髪も、こちらから手が出るのを待っていたように陽太のシャツの襟裳を握った。
「甚ちゃんは自分ができる事やってるよ。冗談でも言って良い事と悪い事あるだろ」
「そういうのが気味悪いっつってんの」
「はいストップストップ!!飲み過ぎだ馬鹿!!」
遠巻きに、通行人の視線が向けられていることにも気付けないほどには頭に血が登っていた。
急に割って入って来た静止の大声と共に、シャツの首根っこを引っ張っぱられる。
その圧倒的な力に金髪の襟裳を掴んでいた腕は解かれ、二、三歩後ろへとよろめいた。
「斎藤!」と一喝されたが血の気が引かない。
「くだらねえ事こいつらが言ってっからだろ!」
陽太は勢いに任せて怒鳴る。
姿を見せたのは警官の小林だ。
交番から、一本すぐの裏通りなのだ。
騒ぎに気付き駆けつけたのだろう。
小林に抑制される隙間から腕を伸ばし工藤のポロシャツの胸元を再び掴む。
「健太!お前も落ち着け!また親父さんに怒鳴られるぞ!」
小林の怒声に、通路に並ぶ店からも顔を出す人々が増えた。
店の客は、律儀にもお代をテーブルに置いて後にする者もいれば、物語の一場面でも見ているかのように蚊帳の外から囃し立てる者もいる。
「テメェ健太!」と、板前の白衣を来た老人のドスの効いた声が響いた。
「あー、ムカつく」と金髪が老人に向かい悪態を着いて、その場の騒ぎは落ち着いたのだった。
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