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嘘、それだけ2 - 6

交番では、奥の和室にあるテレビから届くバラエティ番組の音だけが聞こえていた。 冷蔵庫もあるのだろう。冷えたペットボトルのお茶が、デスクに二本並べられる。 温かみのない白色灯は小林の頬を不気味なほど白く見せていた。 地域に溶け込むお巡りさんには到底見えない。 「ごめんなさい」 陽太の謝罪の言葉は、文字通り言葉だけだった。視線はガラス戸の外へ逸らしたまま、拗ねた子供のように口を尖らせた。 あの後、金髪の男の父親らしき老人は、通行中の観光客や近隣の店にすみませんと言って謝った。 金髪の頭を鷲掴みにして無理矢理頭を下げさせて寿司屋に連れて行くのを陽太は小林の肩越しに見ていた。 「ほら、今日はもう解散。ホワイトリリィは閉店。長内くんも帰って」 野次馬のように顔を出した人々に小林は声をかけてから、置いてきぼりの短髪に振り返った。 短髪が、長内という名前だと言うことを知る。 長内はデニムのポケットからタバコを取り出してそのまま口に咥えて火をつけた。 暗くなり始めた路上で灯したライターの火が一瞬、彼の顔を照らした。 「別に話してただけだって」 冗談めかしてそう言った長内に小林は「もう良い歳なんだからそろそろ落ち着けって。また苦情来てっから。音楽。夜中に騒ぐんじゃねえよ。誰が来んだよ」と、文句を垂れ流し腰に手を当て首を掻く。 「直接言えばいいじゃん」 長内は煙を吐き出しながら悪びれもなく肩をすくめた。 「お前達みたいなチンピラ共にそこらの年寄りが言える訳ねえだろ。めんどくせえな」 小林の言葉に、陽太の顎が僅かに上がる。まるで旧知の仲の様な小林に対しても不信の目を向けてしまう。 長内は、はぁあ、とわざとらしい声を漏らすと、タバコを指で弾いて灰を落とし、帰ろ、と言って、じゃあね、と陽太に手を振り自宅があるらしい方へ歩いて行ってしまった。 その軽薄さが、やはり癪に障る。 不貞腐れた陽太に振り向いた小林が、補導した中高生を相手にしたような顔でこのまま帰す訳には行かないよと言い、座らされた交番の椅子。 陽太は舌打ちをかみ殺して腰を下ろした。 小林のため息は、膨れっ面の自分に向けられた呆れだ。 「手を出した方が負け。わかる?」 とにかく落ち着けと言うように、小林は片方のペットボトルの蓋を開けて陽太に差し出した。 プラスチックが軋む音が妙に大きく響く。 「でも先に口出したのはあっち。つかそんな呑んでないから」 陽太は、小林と目が合わないようにデスクに向いた椅子をわざと横にずらして背もたれに寄りかかった。金属の脚が床を引っ掻く。 「それはわかるけど手を出したら負けなの。つか素面でやった方がどうなんだよ。ガキじゃねんだぞ」 知らねーし、と口の中で言った文句に気づいたかのように小林は、再びため息をつく。 それから咳払いを一つ落とし、デスクに両肘をついて身を乗り出した。まあさ、と口を開く。 「島の人達がどう感じてるかは知らないけど、俺はね、斎藤が来て甚一くんと仲良くなってよかったなって思ってるよ。今はね。俺も聞いた話だからあれだけど、甚八さん亡くなって甚一くん一人でしょ?何かあったらってのもあるけど、何かしちゃったらさ。ね?」 小林の濁した言い方は、人間の孤独を解く。 「人間急に、突発的にってあるからさ」 警察官の小林が、おそらく何百と見て聞いてきた話なのかもしれない。 陽太といえば、ちょっかいを出したのは向こうなのに、自分の方が説教をされているような状況にも面白くなさを感じていた。 「ま、俺はここの生まれでもないし?あと二、三年したら転勤だし。口出すのは御法度って先輩方から口酸っぱく言われてんのよ。見ても聞いても言わざるだっつってさ」 小林は、陽太の様子を伺いながら続けて言った。指先でデスクの端を軽く叩く。 「ま、大体は本当なんだろうなって思うよ。甚一くんの家の話は」 「本当だったらなんだって言うんだよ。甚ちゃんの家族は誰も悪くないし甚ちゃんだって、なんも悪くないじゃん」 陽太の拗ねた言い方に、小林は舌打ちを隠しもしなかった。 そう言って今度は困り果てたように両眉を下げる。 警官がそんな態度をしていいのか、と陽太は非難の視線を向けた。 二人の視線が正面からぶつかる。 「こんな事本当は言っちゃダメなんだろうけどこの際だからはっきり言う。俺はここの生まれでもなんでもないし。こんなとこで空き巣なんかやるバカはいないだろうけど何かあれば高田の家は狙われやすいから気をつけろって言われてきたの。だから甚一くんをなんとなく気にしてたとこはあるよ」 小林は背もたれに体重を預け足を組む。 椅子がギシリと軋む。 「甚ちゃんは関係ないでしょ?それに俺と甚ちゃんが一緒に住んでる事に口出される筋合いもないだろ」 言い返した声が思わず上擦った。 小林は、ほんのわずかに距離を縮め陽太の顔を覗き込む。 のんべんだらりとした印象の強い男だと思っていた小林が、正真正銘の警察官だという事実を突きつけるような眼差しだった。 「ちげえよ。お前バカか?高田さんの家の事は皆知ってる。知っててあえて言わないだけ。それに家族全員死んで全部でいくらになったんですか、なんて聞ける訳ねえだろ。高田さんじゃなくてこれはお前の話だ。少なからずお前は疑われたんだよ。皆に。正直俺だってハ?って思ったけど。二本柳さんとか婦長さんがわざとらしく言って回ってる。甚ちゃん下宿やりたいんだってさぁなんつって。お前の事も良い子だからよろしく頼むって。それにあの金髪。工藤も、長内も悪い奴らじゃない。高田さんをどうにかしようとか思ってる訳じゃない。ただの好奇心。年寄りの噂話と大して変わんねえから」 息継ぎもせず言い終えた小林は再び背もたれに体重をかけ腕を組んで、じっと陽太を見据えた。 陽太の眉間の皺は、更に刻まれる。 何故そんな事が必要なのか。 まるで罪人とでも言われているかような扱いをされていた事に一つも理解が及ばない。 「なにそれ」 陽太は、小林の言葉の意味を噛み砕くのに時間がかかった。 甚一の金を目当てに懐に入ったと思われていたという事か。 全身に這う血管内で、音を立てながら血液が流れているようだった。耳が熱い。 顔に怒りを滲ませる陽太に、小林は「落ち着けって」と何度目かの目配せをしたが、今はそれを聞いてやるつもりはない。陽太の膝が激しく上下する。 「お前金がねえって役所に泣きついたんだって?その話も尾ひれがついて広まってんだ。どこまで本当か知らねえし、慰謝料払ってるって話はどっから出たか知らねえけど、人に伝われば伝わるほど嘘も本当もごっちゃになってくの」 小林は前のめりになって、畳みかけるように言葉を続けた。 「役所に行ったのは本当だよ。でも嘘は嘘じゃん。事実じゃないもん堂々としてればいいじゃん」 「そんなの皆わかってんだよ。わかってるけどそれができない時もあるの。何かを守りたかったり、静かに暮らしたかったり、誰にも知られたくない事があったりするの。皆が皆君みたいに生きれる訳じゃないの。ちょっとの間のバカンスみたいに来た人間とは違うわけ。わかる?」 簡単に言ってくれる。 小林の言葉が、胸に突き刺さる。 「俺だってそんなつもりで来た訳じゃねえし!」 陽太はデスクに手のひらを打ちつけて、勢いのままに立ち上がった。 椅子が後ろに倒れそうになる。 「そうじゃなくてもそう思われるっつってんの!わかれよ!」 お互いの瞬間的な応酬は、思いがけないほど大声になった。 「わっかんねーよバーカ!」 そう言い捨てた陽太は力いっぱい交番の引き戸を閉めてから、振り返って小林に向かい左手の中指を立てた。息が荒い。 ガラス戸の向こうで小林が勢いよく立ち上がるのが見える。椅子が床に倒れる音がした。 怒りにまかせ駆け出す背中に「お前逮捕すんぞマジで!」という小林の怒鳴り声が投げつけられた。 皆、自分を何様だと思っているのだ。 甚一と自分の二人の生活に土足で踏み入って覗き見し、その理由を知る権利があるとでもいうように。 迷惑だ、鬱陶しい。 何も知らない観光客が長閑な離島を楽しむ中、陽太は甚一の家へと一目散で足を進めた。 海岸沿いを走るその途中、沖に並ぶ烏賊釣り漁船に、青い光を見つける。 二本柳が教えてくれた、甚一の船だ。 今甚一は、あの海の上の煌々と灯る光の中、この島で生きる為、何もない日々の為、自らの身を削り、命を獲る。 その命が、島の外で金になる。 その金がまた島に戻り、人一人をほんの少しだけ潤す。 陽太は、土足で入ったのは自分の方ではないのかと、ふと、思う。

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