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第3話 田中、異世界に降り立つ

 一通りのスキルを理解した。  そのうえで、神様にもう少し聞いておく事がある。 「まず、転生したことは隠す方が得策だろうか」  異なる世界から来た、などと言われて信じる者がいるかも怪しいが、これによるトラブルも避けたい。下手に恐れられたり、逆に有り難がられたりだ。  何かの使命を帯びているならまだしも、神の意図としては気ままなセカンドライフを送り、疲弊した魂を回復させてくれ。というもの。ならば妙な事に巻き込まれるのもどうかと思う。 『隠す必要はないよ。多くはないけどある事だから』 「少し珍しい、くらいの事ですか?」 『そのくらいだね。鑑定とか掛けられたら分かるし』 「なるほど。逆にそこまで秘匿する必要はないのか」  ある意味気楽なものだと思えばいい。実際、特筆した技能は持ち合わせていないだろう。 『あと、アイテムボックスに事前に少しだけサバイバルセット入れてあるから使ってね』 「具体的には何が?」 『テント、包丁、鍋、フライパン、魔道ランプ、魔物避けの香、水、非常食A』 「水も入るのですか?」  水筒ではなく、水。水がそのまま入っているのか? 「普通は瓶とか、容器に入れないと液体は持ち運べないけれど、このアイテムボックスには直接綺麗な水源を繋げてあるから、無限に飲めるよ」 「ありがとうございます」  人間、水があればある程度生きられる。これは有り難い。 「非常食Aというのは?」 『原材料は分からないし味も微妙だけれど、人が生きるのに必要なエネルギーと栄養素が詰まった一口大の固形物』 「実に、何ともいえない物質ですね」  でもまぁ、それで飢えることもないのだろう。ならば感謝しておこう。  これでひとまずいいだろうと、俺は立ち上がる。すると神が近付いて、手を差し伸べてきた。 『色々言ったけど、基本はこの世界を楽しんで欲しい。君が笑えるようになるのを、天界から楽しみに見ているね』 「お手数をおかけしました。ご期待に添えるかはわかりませんが、与えられた機会を大切に生きます」 『もぉ、硬いなぁ。あと、下ろす場所は森の中で魔物もいるけれど、直ぐにいい人に巡り会えるタイミングと場所を選ぶから安心して』 「……一瞬で安心できなくなりました」  もう少し安全な場所に降り立つ事はできないのか?  そんな気持ちで見てしまうと、神は少し慌てた様子で弁明した。 『だってね! 突然人の多い街中とかに転移させたら大騒ぎになっちゃうじゃん! 教会とか、お城とかでも同じでしょ?』 「……確かに」  何もない所に突然人間が現れたら、確かに不審だし警戒する。騒ぎになった挙げ句投獄……身元も明らかではない不審人物なのだから、困った状況になるな。 『ね? ね? だからそういう厄介を回避できて、尚且つ保護される場所にね?』 「分かりました。心して臨みます」 『もう少し肩の力抜いていいよ』  そう言って神は苦笑して、パッと手を上へ掲げる。  途端、白い世界の床が抜けて落ちていく感覚が体を包んだ。肉体はないはずなのに肌に感じる落下の風や、一瞬あった内臓が浮く感覚に戸惑う中、上の方で神様が元気に手を振っていた。 ◇◆◇  万年座り仕事で真っ当な運動など高校以来だったから、着地が少し心配だったが無事だった。どうやら体の状態は健康的らしい。  降り立った場所は深い森の中にある綺麗な泉の側だ。上からは柔らかい初夏くらいの日差しが降り注いでいる。近年夏ばかりが勢力を拡大している現代とは比べものにならない心地よい環境である。  せっかくならと、泉に顔を映してみる。が、わりと見慣れた顔があってある意味安心した。平凡なもので、目の下の隈は健在だ。特に疲労は感じていないが。  神様の言葉では、わりと直ぐに誰かしらと巡り会える感じだった。おそらく、その人物に保護してもらうのがいいのだろう。それまではここで待機するのが無難か。  腹は特に空いていない。体も驚く程軽い。肉体的には二十代前半くらいに戻っているのではないだろうか?  そんな事を思っていると、不意に草がガサガサと揺れる音がした。  もしや待ち人か? と思いそちらを見て……流石に固まった。  近年、熊による獣害が深刻化していると聞くが……この世界の熊は大きすぎないか!  立ち上がって二メートルを超える赤毛の熊は眼光も鋭く、体表には傷も見て取れる。それがまさに歴戦の猛者を思わせて余計に恐ろしい。 「あ……」  尻餅をついて、震えた。流石に生存に関わる明らかな脅威には恐怖を感じるらしい。オフィスで熊に出くわす事はないからな……。  巨大な赤毛熊はスンスンと鼻を鳴らす。そして間違いなく俺を見据え、ノソノソと近付いてきた。  あっ、ダメだこれは。殺される。  本能的に感じ取った俺は転生したばかりでもう死ぬのかと、神様に恨みごとを言いたくなる。まさかこの熊が待ち人じゃあるまい。  棍棒のような腕が高く持ち上げられる。そこには木すら破壊しそうな鋭い爪が光っている。俺の体はこれに打たれたらへしゃげながら真っ二つになるに違いない。短すぎるセカンドライフだった。  振り下ろされるまでを見ていたが、流石にその先は見られず、ギュッと硬くなって目を閉じ頭を腕で覆った。  その状態で、俺は熊の悲鳴を聞いて咄嗟に顔を上げた。  目の前に、人が立っている。  明るい、キラキラした金髪に赤とオレンジの装備をつけ、剣を構えた男性は俺と熊との間に立っている。そして、熊の腕は片方なくなっていた。 「大丈夫かい?」 「あ……は、い」 「それは良かった。ちゃっちゃと倒すから、待っててよ」  首だけで振り向いた人はいわゆるアイドル系のイケメンで、髪と同じ金色の瞳をしている。  こんな人間が、現実にいるのか……。そう、呆然と見てしまった。  腕を切り飛ばされて怒った熊が咆哮し、残された腕を振り上げている。鬼気迫る、魂から恐ろしいと思えるその圧力も男には効いていないのだろう。軽い様子で跳躍した彼は、それだけで熊の頭まで飛び上がった。 「なっ」  どんな運動神経をしているんだ。ただの人が、自身の身長の数倍高いところまでほぼ助走なしで飛び上がるなんて。  彼はそのまま剣をしっかりと構えて熊の首に向かい一閃させる。硬そうな体毛に覆われ、更に太さは力士の腰回りほどもありそうな首がたった一閃であらぬ方向へと飛んでいく。切り離された胴は重力に従って崩れ落ちた。  これが、剣と魔法の異世界。魔物がいて、戦う人がいる、これからの日常……。  思えばどこか目眩がする。本当にここで生きていけるのか不安になる。まず、こんな化け物を相手に立ち回るなど不可能だ。 「よっと、片付いた。お兄さん、大丈夫?」 「あぁ、えっと……助けていただき、ありがとうございます」  剣を鞘に収めた男が明るい笑顔でこちらへ近付いてくる。その間に熊はキラキラ光って体が消え、何かが地面に複数転がった。  でも彼はあまり頓着していないようで、無視して俺に握手を求めてくる。 「俺はAランク冒険者のアルト。冒険者パーティ『緋色の翼』のリーダーしてるんだ。お兄さんは?」 「田中聖と申します。えっと……迷子です」  キラキラした青年は俺に比べてまだ若いのだろう。その、若者特有の爽やかさと輝きを全て笑顔に変換している。眩しくて直視ができない。  一応は握手で自己紹介をしたのだが、俺の自己紹介にアルトは首を傾げた。 「タナカヒジリ? 聞かない響きだな。これでも色んな国に行った事あるのに。見た目は……人族だよな?」 「人です」 「迷子……って、こんな森の中で?」 「放置されたとも言う」  神にここに置き去りにされて途方にくれていたのは確かだ。  俺の顔を見たアルトは不思議そうにしながらも、次にはニッとお似合いの笑みに戻った。 「なんか、よく分からないけどさ。こんな場所にいるのは危ないし、とりあえずおいでよ。町までつれて行ってあげる」  これが神が言っていた本当の出会いか。ならば、この申し出を有り難く受けよう。 「よろしくお願いします」  礼儀正しく頭を下げた俺に、アルトは「律儀~」と笑っていた。

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