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第8話 田中、元魔王と出会う

 一応着替えが二組、アイテムボックスの中に入っているのを確認。折を見て私服を買い足す必要があるかもしれない。  だが仕事中は制服が三着支給され、更に制服に関してはギルドで纏めて洗濯をするそうだ。福利厚生がしっかりしている。  契約書をしっかり読んだが、ホワイトな職場だと言える。  残業はあるが、基本は朝の九時に開き、午後四時に新規クエスト受付は終了。その後、素材の買い取りや依頼達成報告などは六時まで。隣接している酒場は十時には閉まる。  休みはシフト制で、元の世界の土日祝日という概念はない。だが、七日の間に休日が二日。連勤は基本五日までとされている。  体調不良の時は無理せずに休み、必要ならば治療院に行くことも明記されている。その分の給料は出ないが、休むこと自体は咎められないそうだ。  いい職場だ。  そうして一通りを確認し、階下へ。受付のある一階へと降りると既に受付業務は終わっており、行列は消えている。代わりに併設の酒場が賑わっていた。 「おーい、タナカ!」  不意に声がかかりそちらを見ると、アルトが立ち上がって手を振っている。そこにはギルドマスターもいて、席も確保されていた。 「遅くなりました」 「いいって。部屋、使い心地は大丈夫か?」 「はい、問題ありません」  元々寝に帰るくらいだったから、部屋を重要視していない。むしろ帰れるだけマシだったな。 「んじゃ、改めてよろしくな」  そう、ニッと笑みを浮かべたギルドマスターが木製のジョッキを掲げる。アルトも同じで、俺の前にも同じ物が置かれているが……まぁ、接待だ。 「「乾杯!」」  打ち鳴らした力ですら強く、俺は負ける。木製ジョッキはガラスと違い鈍い音がして、中で琥珀の液体が揺れて僅かに零れるが気にはしない。  それを一口飲んで……やっぱり酒はあまり美味しくないと思った。 「? タナカ、もしかして酒苦手か?」  俺の様子を見てか、アルトが問いかける。それに頷くと、アルトはすかさず店員を呼んで違う飲み物を頼んでくれた。こいつ、気が利く。 「なんだアルト。お前、随分世話焼くな」 「いいだろ、別に。なんていうか、タナカは放っておけない感じがしてさ。頼りないわけじゃないんだけど……」  ……俺はそんな枠に入っていたのか。  考え込むアルトの顔を見ながら思わぬ評価を耳にして、何気に困惑するのだった。  その後、会話をしながらの食事は楽しいと思えた。正直前の世界なら、上司と食事なんて地獄でしかなかったのだが。  その印象も兼ねて、ギルドマスターは有能だと分かった。受付の件についても、この人は把握してリースと共に何度か対策をしたそうだ。研修も行ったし、口頭による注意も行った。  だがその結果、彼女達は真面目な職員の足を引っ張り、強硬な態度を取って時に嫌がらせのようなことをしたらしい。ご都合な責任転嫁だ、俺も経験がある。  結局真面目な職員の方が、その現状よりは前の方がいいとリースに嘆願し、戻ったという。  解雇しなかったか問うと、ギルドも人が不足していてそう簡単に人を切れない。更に彼女達は発言力があると同時に実家がそれなりに太いようで、下手なことをすると八つ当たりされる可能性がある。  さっさと結婚相手なりを見つけて寿退社してほしいというのが、現状のようだ。 「改革の方向性はいくつか……契約書に明記し、それが履行されるように……損害について、ちゃんと当人達に責を負わせるように出来れば実例ができ、その後も楽になる」  この世界には魔法がある。雇用契約も魔法契約であると言っていた。破ればちゃんと罰がある。ただ、ここの契約書には不利益行為に対する厳罰化がなかった。これが問題だな。  手元には魔道ランプ。神がくれたもので、中の魔石に魔力を流せばその量に応じて明かりが灯る。  紙ももらってきたし、ペンも借りられた。それを自室の机の上に広げて思うところを書き連ね、整理していると不意に、首にヒヤリとした手が触れた。 「いけませんね、こんな時間まで起きて仕事だなんて」 「っ!」  背筋が冷えた。そしてその声で、背後の人物が誰かも分かった。ただ、空気感が違う。重く、冷たく纏わり付くようなのだ。 「リースさん」 「はい。いけない子ですよ、タナカさん」  手が離れて、俺は振り向くことができた。  背後に居たのは間違いなくリースだった。だが、柔和な笑顔の中に何か不穏なものを感じる。それはきっと気のせいではない。 「……鍵、かかっていますよね?」 「そうですね。ですが、僕にはどのような鍵も結界も大した効果がないのです。本当に侵入を拒みたいなら、聖王国にいる大聖女くらいの結界でなければ」 「それ、ほぼ不可能ですよね?」  なんだ、この得体の知れない感覚。今すぐ逃げろと言われているような湧き上がる恐怖心で鳥肌が立つ。  目の前の人は余裕だ。だがそれはきっと、どのような存在も瞬時に消せるという余裕なのだろう。 「……何か、ご用ですか?」 「そうですね。これから協力者になっていただく貴方には、ちゃんとお知らせしておこうと思いまして」 「お知らせ?」  喉がカラカラになる。その中で、リースは綺麗な口元を三日月の形にした。  その瞬間、彼の姿が変わる。黒に赤を混ぜた髪や、赤銅色の瞳は変わらない。だが彼の頭部には紛れもない、黒々とした角が生えたのだ。片方はほぼ根元から欠け落ちているが。 「実は僕、元魔王でして」 「……へ?」  元、魔王? そんなものがなんでこのギルドに?  訳の分からない状況の中、彼は無害な様子でニッコリと微笑んでいた。

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