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第一章 狂犬との出会い-1
ユリウス・フリートウッドはこの日、「獣人専門店」に足を運んでいた。
「まさかフリートウッド公爵家のご子息ともあろうお方が、まだ獣人をつけていないとは驚きました。さあ、中にどうぞ」
恰幅がよく仕立ての良い服を着た商人は、不自然なほどに口角をつり上げながら、ユリウスを店内に招き入れた。
煌びやかなシャンデリアが照らす廊下には、ガラス張りの部屋が左右に連なっている。各部屋には一人ずつ獣人が入れられて、のびのびと過ごしている様子が見えた。しかし商人は彼らには見向きもせず、ただひたすら奥に進んでいく。
「今、部屋にいる獣人たちは紹介してくれないのか?」
「ええ。実は彼らではなく、ユリウス様にご紹介したい特別な獣人がいるのです。ぜひ奥でご覧ください」
ユリウスは「はあ」と、曖昧な返事しかできなかった。横を向くと、ガラスには濃紺の髪に紫の瞳を持った自分の姿が反射していたが、その表情は明らかに曇っていた。
この国の貴族は、獣人を自らの従者として使役したり、愛玩動物として飼育したりすることを当たり前のように行っている。しかしユリウスはどうにも気が乗らなかった。彼らは尻尾や耳といった外見的な特徴と、「魔法が使える」ということ以外、人間と変わりがないのだから。
(無駄なことを考えてる場合じゃない。とにかく俺には、強い魔法を使える獣人が必要なんだ)
ユリウスは小さく頭を振り、自分自身に言い聞かせた。
「ユリウス様。こちらです」
声をかけられて顔を上げると、商人は鉄製の真っ黒な扉に手をかけていた。ゆっくりと扉が開かれ、その先になにがあるかを理解したとき、ユリウスは言葉を失った。
(なんだこの部屋……!? まるで牢獄みたいだ)
目の前に現れたのは、巨大な檻だった。鉄格子の向こうには、狼のような耳と尻尾を持つ獣人の姿が見える。彼は手枷と足枷を嵌められ、鎖に繋がれて横たわっていた。目を凝らすと、彼の白い肌にはところどころ深い切り傷があって、ボロ切れのような衣服が血で汚れていた。
(表にいる獣人たちとは全然違う。こんなに怪我をして、衰弱してるじゃないか)
あまりに痛々しい姿に、ユリウスは思わず顔を顰めた。
ぼうっと天井を見つめていた獣人は、ユリウスが来たことに気がついたのか、おもむろに上半身を起こした。
そして獣人と視線が交わった瞬間、ぞっとするような感覚が全身に迸った。銀色の髪、鮮血のように赤い瞳、すっと通った鼻梁──彼は虚ろな視線で憔悴しきった表情をしているというのに、恐ろしいほど美しい容貌をしていた。
(一体、この獣人は……)
ユリウスが呆然としていると、商人が背後から声をかけてきた。
「ユリウス様! この『リベル』が、私のお勧めの獣人なんです! コイツは『影』を操る魔法を使えるんですよ」
「『影』の魔法?」
「はい。フリートウッド公爵家のみなさまが所有している獣人に対抗できるほど、強大な能力です」
得意げに話す商人をよそに、ユリウスはもう一度リベルに視線を戻した。
ここは窓もなく、外から扉を開けなければ光すら入らない監獄だ。なぜ彼だけが、こんな場所に入れられているのだろう。
ユリウスはリベルから視線を外さないまま、商人に問いかけた。
「なあ、なんで彼だけがこの檻の中にいるんだ?」
「ああ、それはですね……。リベルはちょっと反抗心が強くて、こうしないと大人しくならないんですよ。この檻の鎖には魔法を制御する機能がありまして、それで抑えているってわけです」
「……抑えている?」
ユリウスが訝しげな目を向けると、商人は焦ったように取り繕った。
「あ、でも安心してくださいね。隷属契約すれば問題ないですから! さあどうしますか、ユリウス様。リベルを『買う』なら、ここで隷属契約を結んでください」
商人はもみ手をしながら、急かすように顔を覗き込んできた。
ユリウスは一瞬戸惑ったものの、ごくりと唾を飲み込んだ。
「わかった。彼にするよ」
「ありがとうございます! それでは檻の中に入って、隷属契約をしてください」
商人は満面の笑みで檻の鍵を開けた。ユリウスは檻の中に足を踏み入れて、リベルと対峙する。
胸ポケットから小型のナイフを取り出すと、片膝をつくリベルを見下ろしながら、ナイフを自らの左手首に当てた。微かな痛みが走った途端、鮮血が流れて床を汚す。
獣人を使役するための隷属契約は、先代から特別な血を引いた者たち──この国では貴族階級の人間だけが行うことができる。そしてこの契約は、主人となる者の血を獣人に吞ませることで成立するのだ。
「リベル。俺と隷属契約をしてくれ」
リベルは流れ続ける彼の血には目もくれず、ただユリウスの瞳をじっと見つめていた。
彼がなにを考えているかはわからない。しかし抵抗しても無駄だと考えたのか、身体を前に倒しながら、ユリウスの左腕を掴んだ。
吸い込まれていくようにユリウスの手を自らの顔に近づけて、口を開ける。リベルの犬歯がちらりと見えた瞬間──彼はユリウスの血を舐め取った。
たちまちリベルの全身が赤い光で包まれて、リベルの首元に赤い首輪のような痕が表れた。それは、隷属契約が成立したことを意味していた。
「おめでとうございます。これでリベルはユリウス様の獣人となりました! さあ、すぐにこれをつけてください」
商人は大きく拍手をすると、赤い首輪を手渡してきた。
「隷属契約をした獣人には、わかるように首輪をつけるものなんです。これをつければ、獣人の魔法は主人に対してだけは効かなくなりますし、『命令』することもできるんです」
「命令?」
「はい。獣人に言うことを聞かせたいときは、『命令』だと言って指示を出してください。本人の意志とは関係なく、ユリウス様が指示した通りに動いてくれますから」
(そういうものなのか?)
ユリウスは抵抗感を覚えたが、おずおずと首輪を受け取ると、彼の首元につけた。
リベルは眉を顰めてユリウスを睨みつける。ユリウスはそれまで人形のようだった彼が嫌悪の表情を見せたことに驚き、声をかけようとしたが──
「いやー、こんなに高価な獣人を即決できるなんて、さすがはフリートウッド公爵家のご子息ですねえ。あ、これがリベルの枷の鍵です。それでは私は次の予定がありますので、これで失礼します」
「えっ……? お、おい」
商人はユリウスに鍵を渡すと、逃げるようにその場から立ち去っていった。ユリウスは突然の不躾な態度に愕然としたが、すぐに我に返ってリベルの鎖を外した。
「大丈夫か? リベル、これからよろしくな」
ユリウスは俯いて膝をついたままのリベルに、手を差し伸べた。しかし彼は、勢いよくユリウスの手を払う。
「お前に、僕を使役できると思う?」
「え……」
「隷属契約をしたとしても、僕はお前の思う通りには動かないよ? 自分なら手懐けられるとでも思った?」
リベルは一人でよろよろと立ち上がり、口の端を持ち上げた。
「僕はただ、この檻よりもお前のところのほうがマシだと思っただけ。たとえこの首輪があっても、お前みたいな弱そうな奴ならいつでも殺せそうだし」
リベルが立ち上がると、ユリウスよりよほど身長が高いことがわかる。彼は腕を組みながら、主人を見下していた。
(獣人は隷属契約をした貴族に対しては従順だと聞いていたけど、リベルはそうじゃないのか?)
ユリウスは威圧的な彼の態度に怯みそうになったが、なんとか誤解を解かなければと口を開く。
「手懐けるだなんて。俺はただ、リベルに協力してほしいことがあるだけなんだ」
「……は?」
怒りもせず、穏やかな口調で応えたユリウスに、リベルは目を見張った。
──そもそも本当は、獣人との隷属契約すらしたくなかった。けれどユリウスには、どうしても獣人をつけなければならない理由があったのだ。
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