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第一章 狂犬との出会い-2
フリートウッド公爵家のもとに生まれたユリウスは、自身の生家を嫌悪していた。
公爵家という地位ゆえに、一見華やかでなんの不自由もなく暮らせるのだろうと、周囲の貴族たちはこぞって言う。しかし内情は、野心的な人間たちによる親族同士での権力争いが絶えなかった。
フリートウッド公爵家は、他の貴族たちと異なり世襲制ではない。初代の女当主から続く徹底した実力主義により、次期当主はそれにふさわしい能力を持つ者を選出する「継承の儀」によって選ばれる。そんな慣習によるものだろうか、フリートウッド公爵家の人間は類い稀なる能力を持つ一方で、目的達成のために手段を選ばないような人間が多いことで知られていた。
ユリウスはそんなフリートウッド公爵家の四番目の子どもとして誕生した。兄妹はユリウスを含めて五人。現当主である父には三人の妻がおり、ユリウスは第三夫人のたった一人の子どもだった。
幼いころのユリウスにとって、この家での味方は母だけだった。父は自身の子どもには関心を示さず、兄妹たちは将来的に次期当主を決める「儀式」のライバルになることがわかっていたからだ。
しかしそんな母も、ユリウスが六歳のときにこの世を去ってしまった。死因は刺殺。母を刺したのは、第二夫人のメイドだった。メイドは主人である第二夫人に傾倒していて、まだ若かったユリウスの母がこれ以上子どもを産まないようにと、晩餐会の隙を見計らってナイフを突き立てたのだ。
メイドは当然処刑されたが、母はかえってこなかった。
ユリウスはメイドが処刑される場面を目撃し、母の葬式を経験してから、こう考えるようになった。
──こんな家の次期当主の座なんかいらない。
──いつかこの家から抜け出して、一人で生きていきたい。
ユリウスはそれだけを心待ちにしながら、孤独な日々を堪え忍んでいた。
そんなある日のこと、ユリウスが十九歳になった年。フリートウッド家の兄妹たちの間に衝撃的な知らせが入った。
それは現当主である父が、病に倒れたというものだった。
父が病に倒れてから三日後。兄妹たちはフリートウッド家の談話室に集まっていた。
見上げるほどに高い天井に、巨大なクリスタルのシャンデリアが吊されていた。その煌びやかな明かりの下、四角く大きなテーブルを囲むように、五人の兄妹が座っている。兄妹たちは一言も発せず、その場にはぴんと張りつめた空気が漂っていた。
そして恐ろしいまでの沈黙がピークに達したとき、談話室の扉がキィ、と音を立てて開かれた。
部屋に入ってきたのは、執事服に身を包んだ男性だった。白髪交じりの髪の毛を後ろになでつけて、背筋を伸ばしている男は、父の専属の執事であった。執事は恭しく一礼をすると、重々しい口調で話し始めた。
「みなさま、よくぞお集まりいただきました。旦那様は昨晩、幸いにも意識を取り戻されました。本日は旦那様より、ご伝言を預かっております」
一瞬にして、はっと息を呑むような緊張感が迸る。
ユリウスたちが一堂に会したのは、他でもない……現当主である父の容態と、それに応じて発生する「継承の儀」についてを聞くためだった。
執事は内ポケットから手紙を取り出し、落ち着いた低い声で、手紙の内容を読み上げる。
「私が生きている間に、次期当主を決める『継承の儀』を行いたいと思う。開幕式を行うため、一週間後、全員中央ホールに集まること」
内容はそれだけだった。しかしこの文面だけでも、父はなんとか意識を取り戻したものの、きっと先は長くないのだろうと察してしまった。
執事を介した父の言葉に、その場はしん、と静まり返った。
父の病の発覚、そして「継承の儀」の開始。それはあまりにも突然のことで、すぐに状況が飲み込めるようなものではない。
(ついにこの日がきたか)
「継承の儀」の存在は、幼いころから母に聞かされていた。実力主義であるフリートウッド家で代々受け継がれている、後継者を決める儀式だ。儀式といっても、ルールは単純で、他の候補者を服従させて、最終的に残った者がフリートウッド家の次期当主となるのだ。
(できることなら、今すぐ棄権したいくらいだけど……)
ユリウスは顔を伏せて、右手中指に嵌められた銀の指輪に視線を向けた。この指輪はユリウスが生まれたときから着けられていた「呪いの指輪」で、「継承の儀」を放棄すれば、その瞬間に心臓が止まる魔法がかけられている。フリートウッド家の人間はこの指輪がある限り、後継者争いから逃れることはできない。
執事は談話室を見回すと、沈黙を破るように再び口を開いた。
「一週間後には開幕式を行いますが、みなさまが使役している獣人も連れてきてかまいません。後継者争いの場においては、彼らの力は必要不可欠でしょうから」
執事の言葉に、末席に座っていた少年が反応した。
「今、獣人を使役してないのはユリウス兄さんだけじゃない? 兄さん、大丈夫なのー?」
あどけない声で話しかけてきたのは、ユリウスの腹違いの弟、フリートウッド家の五番目の子どもであるダニエルだった。まだ十五歳の少年である彼は、癖のあるブラウンの髪を手で巻きつけながら、頬杖をついている。
彼の言葉に、兄妹たちが一斉にユリウスのほうを見た。
ダニエルの言うとおり、兄妹の中で獣人を使役していないのは、ユリウスだけだ。獣人の力が強大であればあるほど、自分の身を守ることができ、「継承の儀」では有利になる。
(やっぱり俺も、獣人を使役することを考えないといけないのか?)
ユリウスはどうしても、獣人を使役するという感覚が理解できなかった。誰かを使役して強大な力を手に入れたいわけでも、それを誇示したいわけでもない。ただこの家を離れて平穏に暮らしたいだけだ。
ユリウスが俯いて黙っていると、凜とした声が談話室に響いた。
「本当に、これしか方法がないのか?」
そう言ったのは、フリートウッド家の長男──カインだった。
カインはブロンドの短髪をかき上げて、スカイブルーの鋭い眼光を執事に向けた。眉を顰めて深刻な表情をする姿は、端正な顔立ちも相まって独特の迫力がある。彼が話し始めた途端、先ほどまで気軽に話しかけてきたダニエルも、一転して口元を引き締めた。
カインは長男といえどまだ二十六歳の若者だが、彼は兄妹たちの中で最も社交的で、頭もよく、武道にも精通した人物だった。もしフリートウッド家が世襲制であったら、彼が家督を継ぐことに誰も文句を言わなかっただろう。だからこそ兄妹たちは、最も次期当主に近いであろう兄の動向が気になっていたのだ。
「こんなことをしたら、兄妹同士、血で血を洗う争いになるのは目に見えているだろう。俺はこんな方法での次期当主の決定には反対だ」
堂々と主張するカインだったが、執事の表情は仮面のように固まっていて、全く動かない。
「カイン様がどう思われたとしても、これはフリートウッド家の長年続く掟なのです。現当主である旦那様もそれを望まれている以上、あなたがたに拒否権はありません。──それではみなさま、一週間後の開幕式でお会いしましょう」
執事はそう言い切ると、一礼をしてその場から去っていった。
残された兄妹たちも順番に談話室から出ていった。ユリウスはしばらく呆然としていたが、ようやく重い腰を上げて自室へ戻ろうとした。
「ユリウス」
そのとき、ただ一人談話室に残っていたカインに声をかけられた。カインは眉根を寄せて、ユリウスの顔を心配そうに覗き込んでいる。
「お前が一番心配だったんだ。昔から、こういう争いには一番興味がなさそうだったから」
「カイン兄さん」
腹違いの兄妹の中で、唯一ユリウスとまともに話してくれたのは彼だけだった。兄は母を亡くしてから塞ぎこんでいたユリウスを放っておけなかったのか、なにかと心配をして声をかけてくれる。
ユリウスはようやく、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
兄の言うとおり、ユリウスは次期当主の座には全く興味がなかった。いや、それどころかこの家から決別したいと考えているのだ。当主になんてなりたいわけがない。
顔を伏せるユリウスに、カインは優しく声をかけた。
「ユリウス。実は俺も、次期当主には興味がないんだ」
「えっ……。兄さんも、ですか?」
「ああ。とはいえ領民のことを考えると、権力を私物化しなさそうな人物……例えば、アレナやユリウスが次期当主としてふさわしいんじゃないかと思ってる」
カインは眉尻を下げて、困ったように笑った。
「アレナ」はフリートウッド家の第三子で、カインとは完全に血の繋がった兄妹だ。とはいえユリウスは彼女とほとんど話したことがないので、あまりピンとはこなかった。
「まあでも、次期当主を話し合いで決めるのは無理そうだからな。ユリウス、これはお前のことを思ってあえて言うんだが、獣人と隷属契約はしないのか?」
「それは……!」
「他の兄妹はまずお前のことを狙ってくると思うんだ。丸腰のままじゃすぐにやられてしまうぞ」
図星を突かれて沈黙するユリウスに、カインは小さなメモを手渡してきた。
「ユリウス。ここに行ってみたらどうだ?」
メモに書かれていたのは、「獣人専門店」という文字と、その店の所在地だった。
「こんな店があるんですか?」
「ああ。一部の貴族だけしか入れないんだが、能力の高い獣人を取引している店だ」
「でも、ほとんど人間と変わらない獣人を使役するなんて、俺には……」
「ユリウス。この店は国にも認可されてる。住む場所を追われ、行く当てのない獣人に居場所を与えるという意味を持っているんだ。今の王国法では、獣人の意志を無視した取引は禁止されている。だからこの店にいる獣人たちは、みんな貴族のもとで暮らすことを望んでるんだよ」
カインは弟のためを想ってか、真剣なまなざしで説得を続ける。
「お前が獣人を使役することに拒否感を示す気持ちはわかるが、自分の身を守ることも大事なんじゃないのか。ユリウス、お前自身のために考えておいてくれ」
カインは穏やかに微笑むと、ユリウスの肩をぽんと叩く。
兄の言うことはもっともだった。一週間後には「継承の儀」が始まってしまう。次期当主には興味はないが、この争いにおいて優れた身体能力や頭脳を持ち合わせていない自分が生き残るには、高い能力を持った獣人の力が必要になるだろう。
「兄さん、ありがとうございます。明日、ここに行ってみようと思います」
「ああ、よかったよ。この店の獣人は能力が高いだけじゃなく、友好的なことでも知られてるんだ。だから最初は警戒心が強くても、隷属契約を結んだらきっとお前の身を守ってくれるはずだ」
「たしか、主人との信頼関係が深ければ深いほど、獣人もより高度な魔法を使えるとか……」
「そうだ。もし獣人のことで困ったことがあったら聞いてくれ。自分で言うのもなんだが、俺は『レオ』とはかなりの信頼関係を築けているからな」
カインは少しだけ照れたように笑った。『レオ』は兄が使役する獣人で、忠誠心が強く能力も高いことで知られていた。
「正直に言うと、俺が獣人と信頼関係を築けるかどうかは不安ですが……。でも、兄さんがいてくれて心強いです」
ユリウスが笑顔を向けると、カインも安堵の表情を浮かべた。
「それじゃあ、またなにかあったら声をかけてくれ」
カインはそう言うと、談話室から出ていった。
一人残された談話室で、ユリウスは再び兄からもらったメモを見た。
(兄さんだって、ああ言ってるんだ)
ユリウスは心の中で、自らに言い聞かせる。
──ユリウスの望みは、この家から離れて自由になること。そのためにこの「継承の儀」は、なんとしてでも生き延びなければならない。
だから獣人を使役することも、仕方のないことなのだと。
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