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第2話 風邪っぴき①
加賀美との再会は想像以上に早く訪れることとなる。
翌朝、彩真 の目覚めは悪かった。肌に汗がべっとりと張り付き、喉が痛い。
額に手をやると、発熱しているのは確実だった。昨日の雨に濡れたのが原因だろう。
加賀美がタオルを貸してくれたものの、濡れたスーツまではとてもじゃないが乾かせない。運悪く、ロッカーにいつもストックしているシャツも、使ってクリーニングに出したばかりだった。濡れたまま残業をしたのがいけなかった。
寝る時までは特に異変はなかったが、布団に入ってからやけに寒気がするとは思っていた。
けれど加賀美のことを考えていて気が逸れたため、重要視しなかったのだ。
時計を見ればまだ朝の七時。会社に電話をかけたところで誰も出社していない。虚な眸でメッセージ画面を開き、上司に休む旨を送信した。
ややあって『お大事に』と返ってきた。昨日のトラブル対応も完璧にできていたようで、特に急ぎの案件もないから日曜日までしっかり休みなさいと続く。無理して会社に戻り、仕事を片付けておいて良かったと胸を撫で下ろす。
続いて加賀美の連絡先を引き出した。病院に行きたいが、彩真は車を持っていない。
朝から夕方まで、彼はタクシーに乗っているはずだ。次は指名すると宣言しているし、加賀美は喜んで来てくれる気がする。
「でも風邪うつしたらダメだよな……」
瞼が重い。一度寝てから考えようと、一旦スマホの画面を閉じる。
二時間ほどで目が覚め、さっきよりも体が熱いと感じ、体温を測ると三十八度を裕に超えていた。
今度こそ加賀美の番号に発信する。
コール三回ほどで繋がった。
『はい、加賀美です』
「あ、あの……僕、昨日の……』喋ろうとして盛大に咳き込んだ。我慢しようにもなかなか止まらない。
『大丈夫ですか?』と柔らかい加賀美の声がする。大丈夫じゃないから来てほしい。そう言いたいが、落ち着かせようと焦るほどに咳は止まらない。
「だい、丈夫……で……」
『もしかして、昨日の営業さん?』
分かってくれた。スマホを手繰り寄せ大きく頷きながら「はい」と声を絞り出す。
加賀美は病院に行きたいのも察してくれた。
『住所、言えますか?』
なんとかアパートの場所を説明すると、割と近くにいるから直ぐに向かいますと言ってくれた。
やはり良い人だ。マスクを二重に装着し、汗だくのパジャマから最低限の着替えを済ませる。
本当はシャワーを浴びたい。せっかく加賀美に会えるのに、髪もボサボサで髭も剃っていない。
ついているのか、いないのか。いきなりみっともない姿を晒す羽目になってしまった。
加賀美は本当に近くにいたらしく、十分ほどで到着したと電話が鳴る。
「直ぐに降りたいのですが、その……力が入らなくて」
『支えますよ。何号室ですか?』
「201です」
加賀美は『ちょっと待っててください』言いながら、車のドアが閉まる音が聞こえた。
小気味よいリズムで外階段を上がる音が近付いてくる。
彩真は玄関の鍵をかけたことを確認し、階段に目を向けたがぐらりと視界が歪み体勢を崩した。
やばいなぁ……頭の中では冷静に考えている。酷い眩暈の上、本当に力が入らないからバランスを保てない。自分が倒れていく過程をスローモーションに感じながら、次に襲われる打撲の痛みを想像する。
しかし痛みは訪れなかった。代わりにふわりと体が宙に浮く。
加賀美が受け止めてくれていた。ヒョイっと軽々しく彩真の体を抱え上げ、首に腕が回せるかと訊かれる。
「加賀美さん……」
嬉しくて抱きついた。
「来てくれた」
「えぇ、心配で飛んで来ました。大丈夫ですか?」
ふるふると顔を横に振る。本当に大丈夫ではない。
「熱が高いですね。直ぐに病院へ向かいましょう。動きますよ」
加賀美は逐一声をかけてくれる。
階段を降ります。車のドアが開きます。吐き気はありますか、寝転べますか、車揺れますよ。
気遣いが染み渡る。
一人暮らしも普段はマイペースに生活が出来て気楽だが、病気になった途端、孤独に襲われる。
朝の静けさが妙な不安を煽り、負のループを巻き起こす。
迷いながらも勇気を出して加賀美に電話をかけたのは、孤独を払拭したかったのが一番の要因かもしれない。
その証拠に、加賀美の声を聞いた途端その不安は吹き飛び、安らぎが訪れた。
少し低い声でゆっくり喋る人が彩真は好きだ。加賀美はまさにそんな人である。
四〇代半ばから後半くらいに見えるが、成人男性である彩真を軽々と抱えたのにも驚いた。彩真は細身の体型とはいえ身長も決して低くはない。けれど立っている加賀美は、彩真よりもさらに高身長だった気がする。
倒れながら視界に入った姿しか思い出せないので定かではないが。全く中年男性特有の体型ではないのは確かだった。
車に揺られて夢見心地にそんなことを考えた。
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