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第3話 風邪っぴき②

 病院に着き、折角の二人の時間を眠ってしまったのを後悔したが、彼は仕事で来てくれただけだと自分に言い聞かせて財布を取り出す。  しかし加賀美は代金を受け取らなかった。 「一人じゃ歩けないでしょ」 「でも、これ以上いると風邪が移ってしまいます」 「大丈夫。これでも体は頑丈なんだ。それに、このまま業務に戻っても気になって事故をしてしまうかもしれない」 「それも困ります」 「でしょう? だから、私の我儘で付き添わせてね」 「……実は一緒にいて欲しかったので。ありがとうございます」 「もっと若いイケメンだったら良かったのにね、こんなおじさんで申し訳ないけど。支えにはなるから」  苦笑いを浮かべながら肩を貸してくれる。やはり加賀美は彩真よりも身長が高かった。    彩真は父の遺伝なのか、風邪をこじらせると瞬く間に体力が消耗する。なので情けないが誰かの助けがないと歩くのも辛い。  加賀美がそれを知っているわけはないが、彩真の状態を見て察してくれたのが嬉しかった。  弱っているから絆されたのではなく、確実に恋愛感情は育っていた。  脇腹に顔を寄せ、加賀美に凭れかかって移動していると、タオルと同じ柔軟剤の匂いがした。  長い待ち時間が今日だけは終わって欲しくないと思ってしまう。加賀美とは何も喋らなくても心地よさしか感じない。昨日出会ったばかりなのに、長い歳月を一緒に過ごしたような安心感を覚える。  結局、加賀美にはアパートに帰るまで付き添ってもらう運びとなった。 「彩真くん、鍵開けられる?」 「はい……えっと、これ……あれ、入らない……」 「貸してみて」  手を上から被せて握られ、ドキリとした。使い込まれた手は年相応だ。しかし浮き出た血管と骨張った手の甲からは男らしさが感じられる。  開錠すると加賀美は彩真を抱え、「お邪魔します」と部屋へ入る。  ベッドに寝かせると「よく休むんだよ」と言って立ち上がった。  咄嗟にその手を握ったのは、無意識だった。 「加賀美さん、ここにいて」  高熱で意識が朦朧としていた彩真は、夢の中で言っていると勘違いしていた。  彩真が甘えると、加賀美は喜んで我儘を聞いてくれる。加賀美は彩真の熱が下がるまでアパートでいてくれ、ご飯を一緒に食べる。他愛ない会話、急速に縮まる二人の距離……。  そんな夢を見ていると思った彩真は、実際に自分が声に出して加賀美を呼び止めているのに全く気付かないまま眠りについた。  どのくらい眠ったか、さっきよりは体が楽になってる気がする。熱を測ってみようかとベッドサイドに置いてある体温計に手を伸ばして目を瞠った。 「体調はどう?」  目の前で座っていたのは加賀美だった。 「え、加賀美さん……どうして」 「やっぱり覚えてないよね。ここにいてって呼び止められて、帰るタイミングを失っちゃったんだ。驚かせてごめんね。彩真くん魘されてたけど、だいぶ顔色もよくなってるし、もう心配ないかな」  立ち上がりながら加賀美は「冷蔵庫にお粥作ってあるから食べてね」と言う。  自分から呼び止めたのは夢ではなく現実だった。 「ごめんなさい。夢かと思って、まさか現実に声をかけてるなんて。仕事中なのに……本当にごめんなさい。病気した時って、妙に人肌恋しくて。それで……」 「誰かに側にいて欲しくなるよね」加賀美からのフォローに頷く。 「昨日会ったばかりなのに、加賀美さんが相手だと素直に甘えられるっていうか。頼りたくなっちゃって。何でも許してくれそうな気がしたんでしょうね。普段はこんな我儘言わないんですよ」  必死に言い訳をするが、帰らせないよう取り繕ってしまう。  時間は夕方の五時過ぎ。ここまでくれば、本格的に加賀美ともっと一緒に過ごしたい。   「ねぇ、彩真くんって……“こっち側”だよね」  加賀美はポツリと呟いた。再び床に腰を下ろし、胡座をかくと彩真を見上げる。  こっち側……とは、きっと恋愛対象が同性だという意味だ。  彩真はこれまで女性を好きになった試しはない。同性愛に理解を示してくれる環境は田舎にはないため、カモフラージュで告白してきた女子と付き合ったことはあるが、どの子とも長続きはしなかった。  隠れて年上の男性と知り合う……なんてのも難しい。恋愛だけが全てではないものの、やはり思春期にそれなりの恋愛経験はしたかったし、自分を押し殺して周りに気を遣わなくてはならないのは苦痛でしかなかった。  そんな彩真も大学入学を機に都会へと移り住み、ようやく自分らしく過ごせるようにはなった。ゲイ向けのマッチングアプリでこっそりと出会いを求めたり、告白された男性と付き合っりしてみた。もっとも、同年代ばかりで彩真の望む年上男性とは知り合いにすらなれてないのだが……。    加賀美が彩真に対して“こっち側”だと言ったということは、加賀美もゲイだという解釈で合っているのか。  勘違いだと傷付く。今日限りの関係にはしたくないから余計に慎重になってしまう。 「あの、それはどういう意味で……」 「俺ね、男の人が好きなんだ」  加賀美は仕事モードが解け、彩真とは反対にリラックスしている。その上で自分がゲイだと暴露してくれた。  彩真はいよいよ誤魔化す理由もなくなり、自分も“こっち側”だと素直に打ち明けることができた。

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