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第4話 捨てられない気持ち
「何で、気付いたんですか?」彩真が訊く。
加賀美は実は鎌をかけたと言った。
「今朝、玄関先での彩真くんからの俺に対しての態度がさ、もしかして……とは思ったんだ。それで病院で『もっと若いイケメンだと良かったのにね』って言ってみた。ノンケなら女性が良いって思うでしょ? でも彩真くんの反応は違ったから“こっち側”なんだなって確信したんだよね」
そういえば……と思い起こす。試されているとは気付けなかった。それこそ病気で正常な判断ができなかった。
でももっと考えてみれば、あの時の自分は加賀美に甘えたくて、離れたくなくて必死だった。例え試されていると分かったとしても、彩真は同じように接していたのではないかと思った。そして加賀美もまた、どんな状況だったにせよ、こうして看病してくれたんじゃないかと期待を寄せてしまう。
それに、加賀美から“仲間”であるかと確認してきたということは、彩真が恋愛対象にならないわけではない……と都合良く解釈してしまう。
けれど昨日乗せただけの客に手厚い看病なんて普通するだろうか。本当は誰にでも優しい人ってタイプかもしれない。期待は膨らんだり萎んだり忙しない。
「加賀美さんは、パートナーとかいるんですか?」
確信したくて直球で聞いてみた。加賀美は「いないよ」と即答した。それだけで嬉しさが込み上げる。
「嘘、モテるでしょ」
温めてくれたお粥に息を吹きかけながら訊く。加賀美は苦笑いを浮かべながらも否定はしなかった。
「昔の話だよ」
「今でも十分かっこいいのに」
「嬉しいことを言ってくれるね。看病した甲斐があったかな」
「茶化してないです。加賀美さんは、素敵ですよ」
「ありがとう」
笑うと眉が八の字に下がるのも好きだ。落ち着いていて、会話もスマートで卒がない。
どんどん好きが増していく。けれど加賀美から自分へ恋愛感情が向いていないのは肌で感じられる。
スマートは喋りは優しいけれど、角度を変えれば『躱されている』。
歳の差の壁も、今ほど焦ったく感じたことはない。何歳差なら、加賀美の許容範囲に入れるのだろう。
加賀美は彩真が食べ終わり、薬を飲み、パジャマに着替えて再びベッドに戻るまで見届けると、今度こそ帰ってしまった。食器も洗って片付いている。加賀美がここにいた痕跡が消えてしまったように思えて寂しかった。
枕元にあるタオルだけが、彩真を慰めてくれた。
風邪は週末の間にすっかり良くなった。
加賀美に治ったと電話をし、改めてお礼を言う。今度は加賀美が風邪で寝込んでないかと心配したが、宣言通りに身体は強いらしい。
変わらずの口調で「回復して安心した」と言ってくれた。
加賀美との時間は呆気なく終わってしまう。こんなことなら、もう少し長引いても良かったのに……なんて、現実にそうなれば困ると分かっていても考えてしまう。
彼に会う理由も、なくなってしまった。
それからは、お互い日常へと戻っていく。
加賀美から連絡が来ることは当然ない。看病の誼で食事に誘われたりしないかと何度もスマホを見ても、着信履歴すら入らない。
きっと恋情を拗らせているのは彩真だけだし、加賀美にとってはその程度の相手だったのだろう。『こっち側』の絆すら生まれなかったことに、少なからずショックを受けた。
彩真に残ったのは加賀美に返し損ねたタオルだけだったが、それも流石に洗濯しないわけにはいかず、柔軟剤の香りもすっかり消えてしまっている。
このまま時間が過ぎていき、この気持ちも薄れてしまう時が来るのか。それはそれで寂しいと思ってしまう。久しぶりの恋だから、余計に執着してしまうのは仕方ない。
加賀美への想いは日々大きくなっていく。こんなことなら、いっそ潔く告白して振られれば良かった。そうすれば加賀美と過ごした僅かな時間と共に、この想いも儚く消えてくれたかもしれないのに。
こんな時に仕事は実に都合が良かった。
アパートには寝に帰るだけが理想だ。毎日へとへとになるまで働いて、帰ったあとは泥のように眠る。そのくらいしないと、加賀美のことばかり考えてしまって仕事に支障が出そうだった。
体調は日々悪くなっていったが、まだ自分の中から恋愛感情が消えた気はしない。それどころか、疲労が蓄積されるほど、加賀美の顔が脳裏を過ぎる。
「片思いって、こんなに厄介だったっけ」
都会に出てきてからは、まともな恋愛などしてこなかった。地元は息苦しかったけれど、心から好きな人がいた。それがこんなにも尊い感情だったと、忘れてしまっていたことに気付く。
マッチングアプリで出会った人の前では自分を偽らなくても良かったが、ただそれだけだった。その場限りの関係は気楽だけれど虚しさは否めない。
相手が今何をしているのか、何を思っているのか、今日何を食べたのか、些細な情報すら愛しむ対象になる。加賀美と出会って、自分の中から消えていた感情が湧き上がってしまった。しかし彼を知るために必要な時間は、二日では到底無理な話なのだ。
加賀美にはもう会えない。いっそ、忘れられるまで好きだと認めてしまう方が楽かもしれない。そんな妙な覚悟が決まった頃、ついに上司から残業禁止が命じられた。
「社会人は体が資本。橘花が一生懸命なのは嬉しいが、良い加減休んでくれ」
「はい……」
強制的に翌日も有休を取らされ、会社を後にする。
体力の限界はとっくに超えていた。本当なら直帰して寝るべきだ。だけど、どうしても一人になりたくなかった。
久しぶりにマッチングアプリを開く。モヤモヤを晴らしたい。
『ご飯だけでも行きませんか』書き込みを入れる。反応は数秒で帰ってきた。
『近くにいます。飲みませんか?』
『タイプです。会いましょう』
『美味しい居酒屋知ってますよ』
どの人もご飯だけで済みそうにはないが、一番にメッセージを送ってくれた人と会うことに決めた。別にそのままホテルに連れて行かれても良いか、なんて頭のどこかでは思っている。自暴自棄とはこのことだ。
待ち合わせ場所へ向かうと、それらしき人がこちらに手を振っている。
「HANAさん?」
「そうです。ケンさんですよね。写真のまんまなの、珍しいですね」
「写真盛っても会えば嘘ってバレるし、意味ないかなって。あ、俺、謙弥って言うんだ。タメだし、敬語やめない?」
「そうする。僕は彩真」
謙弥は筋肉質な体を強調したTシャツに短髪、日焼けした肌にさりげなく付けているピアスは宝石付きだ。喋ると柔らかい印象を持つが、初対面でも緊張させないやり取りは、遊び慣れてる感じもする。
「彩真は飲める人? 行きつけのゲイ専門のバーがあって。ご飯も美味しいし、気兼ねなくいられて居心地いいから紹介したいんだ」
「バーとか行かないから行ってみたい」
「まじ? 意外かも。彩真ってバーとか似合いそうなのに」
「バーが似合うってどんなの? 謙弥は居酒屋で騒いでそうだから逆に意外かも」
「それはそれで好きなんだけどさ。彩真は五月蝿いの苦手っぽいから」
「お気遣い、ありがとう。今日は疲れてるから静かな場所が嬉しい。正直、ご飯だけじゃ終わらないだろうなって思ってたから、ちょっとごめん」
「アプリなんて殆どヤリモクだし、仕方ないよな。俺は見た目で結構損するタイプ」
謙弥は丁度恋人に振られて、気分転換がしたいと思っていたのだと言った。新しい出会いというより、憂さ晴らしがしたいだけなのだそうだ。
「謙弥に返事して正解だった。僕も、不毛な恋しちゃって」
「じっくり聞くよ。明日は、仕事?」
「働き過ぎて有休取らされた」
謙弥は声を出して笑った。
「眠くなったら早めに言えよ?」
「分かった」
この年になって友達ができるとは、思いがけない。しかも謙弥も『こっち側』でゲイを隠さなくてもいい。謙弥は喋るほどギャップのある人で、ネコだと打ち明けられた時には思わず声を上げそうになってしまった。
「両刀って書いてたけど、タチっぽいなって思ってた」
「ま、タチもできるから。彩真もネコだろ? 良いよな。見た目のまんまで羨ましい」
謙弥は恋人と別れた経緯を話してくれた。
彩真も軽く加賀美との出会いや拗らせた想いを聞いてもらう。店に着く頃にはすっかり打ち解けていた。
アパートに帰らなくて良かった。話しているだけで、疲労が軽くなった気がする。
謙弥が連れて行ってくれたバーは、路地裏にさりげなく存在していた。間接照明でドアに店名である『Quelle 』の文字を照らしているだけのそこは、知らなければ通り過ぎてしまいそうだ。
この店は謙弥も知人に連れて来てもらったのがキッカケだったらしい。あまりにも居心地がいいものだから、今ではすっかり常連客になっていると言う。
ドアを開くと、中から適度に盛り上がっている客の会話が聞こえてくる。
「マサさん、今日は友達連れて来たんだ」
謙弥が話しかけたのは、この店のマスターらしい。
「こんばん……は……。えっ」
マサと呼ばれたマスターと目が合った瞬間、全身が硬直して動けなくなってしまった。
カウンターに立っているその人は、紛れもない加賀美だったからだ。
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