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第5話 気付いてよ①
彩真が加賀美を見間違えるはずはない。タクシー運転手の時は、会社から支給された制服のシャツとスラックス。今はもっとラフな格好をしている。黒のVネックのTシャツに、手首にはさり気ない革製のブレスレット。印象はガラリと変わっているが、間違いなく加賀美だった。
「いらっしゃい。謙弥くん、今日は珍しく一人じゃないんだね」
「マサさん、酷いっすよ。俺がいつも寂しいやつみたいじゃん。今日は友達になった子に、ここを紹介するために来たんすよ?」
「それはそれは、布教ありがとう。謙弥くんが紹介してくれる子、リピート率高くて助かってる」
「マサさんが人たらしなだけでしょ。ほら、彩真。こっち座ろう」
謙弥がカウンターの端に促してくれる。ど真ん中の席じゃなくて助かった。今、加賀美とまともに顔を合わせられる自信はない。きっと加賀美は彩真のことなど忘れているだろうし、例え覚えていてくれたとして、親しげに接するほどの仲でもない。
「いらっしゃい」
「……こんばんは」
柔らかい声が耳をくすぐる。目を合わさないように会釈をし、謙弥の左側の席に座った。ここなら体の大きな謙弥が間に入り、加賀美からは直視できない。
なんとなく加賀美からの視線を感じた気がしたが、チラリと盗み見ても目は合わなかった。やはり自意識過剰だったかと落胆する。
「マサさん、今日はご飯食べたい。ナポリタン作って」
「了解。飲まないの?」
「うん、こいつ……彩真っていうんだけど、仕事が忙しすぎて上司から強制的に帰されたって言うからさ。多分、飲ませると一口で寝ちまうだろうから」
「なるほどね。折角来てくれたから乾杯でもと思ったんだけど」
加賀美は謙也と会話を進めながら、冷蔵庫からナポリタンの材料を取り出す。彩真には直接話しかけてこないのが、なんだか悔しかった。
「あの、僕やっぱりなんか飲みたい」
「彩真、無理すんなよ。疲れてんだろ」
「大丈夫。ほろ酔いで止めるから。それより、乾杯しようよ」
彩真があまりにも訴えるように言うものだから、謙弥は苦笑いを浮かべながら加賀美にカクテルを二つ注文してくれた。
「じゃあ、新しい友情に乾杯」
「乾杯」
一気に飲み干す。謙弥はギョッと目を丸くしてマズいだろうと訴えてくる。
「平気、平気。なんか、今日は気持ちよく酔えそう」
「ほどほどにしろよ。とりあえずしっかり食べろ。そんなんじゃ疲労も癒えねぇだろ」
「平気、平気……」
「もう酔ってんじゃん」
目の前に出されたナポリタンを見て、以前作ってくれた粥を思い出す。
立ち上る湯気でさえ、あの日を再現しているようで泣けてくる。忘れられるまで好きでいるなんて簡単に思っても、実際には無理な話だ。
本人を目の当たりにしただけで、こんなにも動揺している。やっぱりこの人が好きだ。しかも諦められないほどの想いを募らせている。
平常心を装えている自信もないなら、飲んで誤魔化すしかできなかった。
今日は早く切り上げよう。そしてここには二度と足を踏み入れてはいけない。自分に言い聞かせながら、加賀美が作ってくれたナポリタンを完食した。
加賀美が作ってくれた料理は美味しかった。とりわけ変わった材料も入っていないし、味付けも特に隠し味があるわけでもないらしい。
「今まで食べたナポリタンで一番美味しいです」
「ありがとう。凝った料理じゃなくて申し訳ないけど、嬉しいよ」
笑うと眉が八の字に下がる。そんなところさえも愛おしい。
酔ってからは他の客に紛れて少しは会話もできたが、互いに余所余所しさは否めない。
タクシーの人ですよね、なんて確認する勇気があるわけない。
あの日の時間を大切にしているのは彩真だけで、加賀美にとっては一介の客との出来事。思い出になっているのも、きっと彩真だけだ。
酔ってないと頑なに否定していたがカクテル一杯しか飲ませてもらえず、そのあとはソフトドリンクだった。にも関わらず、溜まりに溜まった疲労のせいで眠くて仕方ない。
まだ加賀美のバーに来て一時間も経っていないのに、カウンターに突っ伏してウトウトし始める。
「彩真、彩真……もう、だから飲むなって言ったのに。今日はいっぱい語ろうって約束したろ」
謙弥が揺り起こそうと肩を抱く。
「うん、聞いてる。今日はぁ、謙弥の話聞かせてよ」
「それはまた今度でいいよ。話したこと、覚えられていないのはヤだからな」
「僕だって、覚えててほしいよ……」
加賀美に………うっかり名前を出しそうになって口を噤む。殆ど寝落ちても、なんとか理性を保てた。
しかし本人を目の前に言うセリフではなかった。別に忘れられていたことを責めるつもりもはないのだから。
謙弥は意味深な彩真のセリフを逃さなかった。
「彩真は、あのタクシー運転手を言ってるんだろ。俺の話とすり替わってんじゃん」
「……」
「あぁ、寝ちまった」
初めての店で迂闊にも寝落ちしてしまい、余計に加賀美に対して申し訳なさが募る。深い闇へと落ちながら、心の中で加賀美に謝った。しかしこんなにも爆睡できたのは久しぶりだった。
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