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第6話 気付いてよ②
夢の中で、彩真はカウンター越しの加賀美と笑顔で話をしていた。
加賀美から頭を撫でられ、微笑まれ、彩真は謙弥に心底感謝した。こんな偶然があってもいいのかと悩むほどだ。
だって、タクシーの運転手が夜に別の顔があるなど誰が思うものか。
しかもバーでいる時の加賀美は、昼の何倍もセクシーだ。大人の色気とはこのことかと、全身から放つオーラで示している。これは決して好きだから誇張しているのではないし、美辞麗句でもなんでもない。贔屓目なしに見ても、加賀美は魅力的な人だ。
「ん……、謙弥? ごめん、僕……寝てた……ひっ!!」
びっくりしすぎてベッドから転げ落ちそうになってしまった。目を開けた瞬間、加賀美の顔がドアップで視界に入ったからだ。
(え、僕は店で寝てしまったはず……。謙弥は? なんで加賀美さんがここに? ってか、ベッドって……ここ何処?)
寝起きの脳では何一つ解決できない。勢いつけて飛び起きたにも関わらず、加賀美は熟睡して起きる様子もない。
ハッとして彩真は自分の状態を確認する。服は着ていた。スーツではなく、オーバーサイズのTシャツ一枚にボクサーパンツ。加賀美の私物を貸してくれたのだろう。あの柔軟剤の香りがする。
乱れた様子はないし、体に痛みも感じない。一線は超えていないようだ。
ここはどう見てもホテルではなく、観葉植物や間接照明がバランスよく配置された、ナチュラルでオシャレな印象を与える部屋だ。すっきりと整えられすぎていて、モデルハウスみたいだと彩真は思った。
「ここ……加賀美さんの家?」
「そうだよ」
「わっ!! 起きてたんですか」
「おはよう、今起きた。店で熟睡しちゃって謙弥くんが困ってたから引き取ったんだ。ここは店の二階で、俺の自宅」
「一人暮らしなのに、いつもこんなに片付いてるんですか?」
「散らかす物がないだけだよ。ここで過ごす時間が一番短いし」
考えてみれば昼間はタクシー、夜はバーともなると、寝に帰るくらいしかないのも頷ける。
自然な会話の流れについ身を委ねてしまいそうになったが、彩真は横になったままの加賀美の顔を覗きこむ。
「……僕のこと、覚えてくれてたんですね」
「そりゃね、お客さんの中でも特に印象深い時間をもらったから」
「あ、その節は、お世話になりました……」
ベッドの上で正座になり、深く頭を下げる。続けて泊めてもらったお礼も重ねる。
連絡もなく、昨日はどこか他人行儀な気がしていたけれど、覚えていてくれたのが嬉しいと感じる。また迷惑をかけしまったのが情けないが……。
加賀美は別段、困った風でもない。酔って寝てしまった客を泊めるのも珍しくないのかもしれない。
そう考えると、胸がざわついた。
(ヤダな)
他の知らない誰かとも、こんな風に同じベッドで寝てると想像するだけで心に靄がかかった気持ちになる。加賀美のバーはゲイ専門だと謙弥が言っていたから、それ狙いで通っている客がいてもおかしくない。
この部屋からは、恋人がいる感じはしないが、あまりにも生活感がなさすぎて、人が住んでる空気すらないから推測は不可能だけれど……。
加賀美は一度目が覚めると眠れなくなるらしく、起き上がってコーヒーを淹れてくれた。
「ありがとうございます」
マグカップを受け取る。
「今日は休みなんだってね。謙弥くんが色々と教えてくれたよ」
「あ、はい。仕事が忙しくて。上司命令で」
「忘れられないタクシー運転手のせいだって聞いたけど」
「ぶっ!!」
思わずホットコーヒーを吹き飛ばすところだった。謙弥は彩真が眠ったあと、店に来るまでに話ていた内容を加賀美に話したらしい。
名前すら出さなかったものの、風邪の看病をしてくれたタクシーの運転手など早々いない。この世でたった一人、加賀美しかいない。
自宅でリラックスしている加賀美がコーヒーを一口啜る。
寝起きは食欲がないらしく、いつもコーヒーだけで済ませていると言った。
「彩真くんは、お腹空いてない? コンビニで何か買ってこようか?」
「いえ、僕も休みの日はブランチで済ませてます」
咽せそうになったのを何とか鎮め、ゆっくりと息を吐く。
加賀美は謙弥から話を聞いたのに靡いていない様子だった。彩真を意識してもないし、カッコつけようともしていない。
(脈なし……か……)
このまま帰ると言い出せば、引き止めもされないだろうなと思うと寂しかった。
そりゃ親子ほども歳の離れた相手を意識しろなど、言われた方が困るかもしれない。彩真みたいな手のかかる若者よりも、加賀美同等の落ち着きのある大人の方が好みだと言われた方がしっくりくるのも確かだ。
加賀美のバーを教えてもらったのだから、店に行けば確実に会える環境にはなったが、彩真にはとてもそんな勇気は持てない。
きっと加賀美が他の客と親しくしているのを見ただけで嫉妬してしまう。
こんな子供じみた面は絶対に見られたくない。でも会いたい。
矛盾する思いが次々と現れては上書きされていく。
こんな風に向き合ってコーヒーを飲む時間が、日常になればいいのに。
空になったマグカップを見詰める。
今日は加賀美も休みなのか、仕事に行く様子はない。
ならば少しでも一緒にいるための口実をと、頭をフル回転させる彩真だった。
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