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第7話 予報外の雨①
「そういえば、バーの仕事って忙しいそうなのに、なんでタクシーの運転手までやってるんですか?」
ふと気になって訊いてみた。ただの興味本位だが、生活に困っているわけでもなさそうだ。
Quelleは加賀美が経営する店だと謙也も言っていたことから、タクシーは副業なのだろう。しかしいくら体力があったとて、そこまで働き詰めになる必要性が見当たらない。
もしかすると彩真には言えない事情があるのかもしれないと思ったが、加賀美は朗らかな表情を変えずに教えてくれた。
「いや、あれはね、昔雇ってもらってた会社なんだけど、今ってどこでも人手不足でしょ? 社長と仲良かったし、頼まれて仕方なく。俺もバーがあるから、差し支えのない程度にしかやってないんだ。だから毎日乗ってるわけでもないよ」
「そうだったんですね。僕、実はすごくラッキーだったってことか」
「別に運転手なんて誰でもいいでしょ」
「よくないです。加賀美さんが貸してくれたタオル、すごく嬉しかったですもん。話もたくさん聞いてもらえたし。次の日は病院の付き添いまでしてくれて、ご飯も作ってくれて……。それとも、タクシーの運転手ってみんなそこまでしてくれるんですか?」
「まぁまぁ、そんなムキにならなくても」
加賀美もコーヒーを飲み終えたマグカップをテーブルに置く。
「……そうだね、俺も彩真くんを乗せたのはラッキーだったのかも」
「どうしてですか?」
「彩真くんって甘え上手だよね」
急にどうしたのかと、虚を突かれた顔になる。加賀美は彩真の反応を楽しみながら話を続けた。
「若い子から慕ってもらえると、おじさんは嬉しくなるってものだよ」
「加賀美さんはおじさんじゃないです。そりゃ歳は離れてますけど、でも実年齢なんて関係ないし、歳の差も関係ないでしょ。僕は、自分の直感を信じています。加賀美さんは本当に優しい人で、そして……残酷な人ですよ」
加賀美は一瞬目を瞠ったが、心当たりがあるらしく「ごめんね」と呟く。
謝って欲しいのではない。
ただ、謙弥から彩真の気持ちを聞いているのに、彩真が寝てしまったからと言って無かったことにされるのは辛い。
「お店、通ってもいいですか? 下心有りで」
「うん……うーーん。そりゃ、彩真くんが良いなら、俺は構わないけど」
「それじゃあ、他のお客さんと同じじゃないですか。既に謙弥から聞いたと思いますけど、僕は加賀美さんの特別になりたいんです。忘れられなくて、諦められなくて、倒れる寸前まで残業して、それでも加賀美さんの顔を見てしまったら、やっぱり側にいたいって思っちゃったんです。だから無視しないでください」
多分、加賀美は特定の相手を作らないタイプのような気がする。
彩真が必死に迫れば、一回くらいは遊んでくれるかもしれない。けれどそこに気持ちは込められていない。今だって、昨日だって、加賀美は一人の人間としてではなく、店のオーナーとして接していた。
でも、それなら何故、彩真を自宅で寝かせるなど気を持たせるような真似をするのだ。
そんなことをすれば彩真が期待すると容易く想像できるはずである。
思わせぶりな態度で人を傷つけるのは、あまりに残酷だ。
彩真の言いたいことは、表情で伝わったようだった。
「そうだね、俺は確かに残酷かもしれない。彩真くんが俺を気にしてくれてるのと同じように、俺も彩真くんが気になってる。でも正直、自分の心の変化を受け入れるのが怖くもあった。一生一人でいようと決めたのに、君の隣が心地よくて、深入りしそうになって思いとどまった。でもね、俺も彩真くんと同じ。顔を見たら、一晩だけで良いから一緒にいたいって思ってしまった」
加賀美はしかし自分のこの気持ちが恋なのかどうなのか、よく分からないんだと言った。だから、半端な気持ちで彩真に連絡を取れなかったと。このまま会えなかったとて、今の生活が変わるわけではないし、行動すれば平穏な日々が崩れるような気もしたと……。
加賀美は一人でいる決意をした理由までは話してくれなかった。
けれど、過去の経験から恋愛に対してのトラウマを抱えているのだと推測はできる。それを無理に聞いたところで、彩真が解決してあげられるとは言い切れない。ならば踏み込まないべきなのか……。
加賀美の深層部に触れたい。二人の間に引かれた一本の線は、聳え立つ壁と同じだ。キッチリと仕切られた高い高い壁。
『ここから先は入ってはいけません』
そんな風に言われていると感じる。
窓の外で一瞬空が光った。
時間差で小さく雷の音が聞こえる。
窓ガラスにポツポツと雫が付着し、やがて線になって流れていく。
出会った日と同じ、予報外の雨が降り始めた。
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