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月籠りの宮 ~愛こそすべて~ 第4話 | 花咲 亜華の小説 - BL小説・漫画投稿サイトfujossy[フジョッシー]
目次
月籠りの宮 ~愛こそすべて~
第4話
作者:
花咲 亜華
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第4話
石動
(
いするぎ
)
から下された十日間の謹慎。
暁斗
(
あきと
)
は、一言も文句を言わず、その罰を受け入れた。彼は、神官王家の歴史を記した『
皇之歴書
(
すめらのれきしょ
)
』を、黙々と筆写し続ける。 神凪家の君主である
皇
(
すめらぎ
)
や
王
(
きみ
)
や
斎王
(
さいおう
)
とその家臣たちの歴史がつづられている書物だ。祖先たちの歴史が書かれているので読み物として楽しめる内容だった。 でも父と母に縁遠い暁斗には、そこに描かれた愛憎が実感として感じられない。 『――その忠臣、主君を愛するあまり、その心を
蝕
(
むしば
)
む
狂鬼
(
きょうき
)
へと堕ち果てた――』と書かれていても、八歳の暁斗には、その文章が持つ、本当の恐ろしさはまだ理解できなかった。彼はただ、美しい文字をなぞる作業に没頭するだけだった。 その姿は、侍祭の
紅葉
(
かえで
)
の目にも、完璧に反省しているように見えた。 しかし、暁斗の心は、ここにはなかった。 墨の匂いが満ちた静かな部屋で、彼の心は、あの川原を、何度も何度も駆け巡っていた。 太陽に焼かれた土の匂い。 足の指の間にさらさらと流れていく泥砂の感触。 暑さを凌ぐ清らかな水の冷たさ。 そして、自分を「若」でも「若宮」でもなく、「暁斗」と力強く名を呼んでくれた声。 手を取って導いてくれた迅の熱くて力強い手。 太陽を背に神々しくすら見えた笑顔。 陽光を宿すかのような美しい琥珀色の瞳。 (――また、会いたい) その想いは、罰によって消えるどころか、日に日に、焦がれるような渇望へと変わっていった。 十日後、謹慎が解かれた最初の夜。 彼は、着物についている鈴を綿の入った巾着に入れて、以前よりもずっと慎重に、そして手際よく、城を抜け出した。 しかし、そこで彼は、初めて自分の「無力さ」を思い知る。 前回は、ほとんど偶然に、吸い寄せられるようにしてたどり川原に行けた。 でも、もう一度行こうとすると、道が分からない。 月明かりの下、似たような田んぼのあぜ道が、まるで迷路のようにどこまでも続いている。 城と違って決まったところに決まった魂氣がいるというわけでもないし、新月をまじかにした月は細く、昼間とは全く違う夜の闇が、方向感覚を奪っていく。 (おかしい…さっきもこの角を曲がったはずだ…) (あの木は、見覚えがない…) (この地蔵、さっきも見た? いや、さっきのとは違う魂氣が漂っているようだ) 歩き回るうちに夜の生き物たちが暁斗に興味を示してこちらを見てる。 暁斗の神氣に充てられて寄ってくるものもある。でも、近くに来れば暁斗の強い神氣によって消えてなくなるから気にしていなかった。 暁斗が歩いた後には、季節を無視した花々が、彼の神氣に充てられて咲き誇る。 だが、暁斗にとって、それは「いつものこと」なので、まったく気にしない。 焦れば焦るほど、道は分からなくなる。あれほど焦がれた迅の声も、仲間たちの歓声も、どこからも聞こえてこない。彼は、自分が、この城の外の世界の地理に関する知識を、全く持っていないという、当たり前の事実に、ようやく気づいたのだ。 (なぜ、前回は辿り着けた?) 暁斗の脳裏に、あの夏の川原の光景が蘇る。あの時、川原全体は淀んだ城下と違い、陽光そのものが呼吸しているかのように清らかで、淀みがなかった。それは、暁斗自身の神気が放つ、冷たい光とは違う。迅の持つ「生」の力が、周囲の「死」や「穢れ」を自然と押し返していたのだ。 ――あの清らかな場所こそが、迅の居場所だった。 清らかさを目印にすれば、夜の闇でも必ず辿り着けるはずだ。しかし、月明かりの下、似たような田んぼのあぜ道は続き、夜の闇は、あの時の「清らかさ」の目印を完全に奪っていた。 脳裏に、迅の得意げな声が蘇る。 『へへっ、親父が城の石垣を直す仕事をしててよ。この辺の地理は、遊びながら全部頭に入れたんだ』 ――石工の子供である彼が知っていることを、この国の世継ぎである我は、何も知らない。 君主の跡継ぎも、神の子も、道に迷えば、ただの無力な子供でしかないのだ。 その事実が、暁斗の胸をナイフのように切り裂いた。 (俺は、迅には適わない……) 夜明けが近づき、彼は、泣き寝入りするように城へ戻るしかなかった。 悔しさと、自分の無力さで、唇を噛みしめる。 だが、その屈辱こそが、彼を突き動かす燃料となった。 自室に戻った暁斗は、眠ることもせず、じっと考え込んでいた。 (なぜ、辿り着けなかった?) (俺が道を知らないからだ) (ならば、どうすればいい?) (――道を、知ればいい) その瞬間、彼の思考は、子供の感傷から、軍略家のそれへと切り替わった。 問題が発生した。ならば、その原因を分析し、解決策を導き出す。 必要なのは、記憶や勘ではない。客観的な「情報」だ。 その日から、暁斗の行動は変わった。 彼が、昼間の自由な時間に足繁く通うようになったのは、城下の川原ではなかった。それは、城の奥深くにある、古びた書庫。これまでは母の秘密の書庫にある神氣や禁忌の呪いの書物がお気に入りで、この古い書庫でも陰陽道などを好んで読んでいた暁斗だったが、地に足の着いた土地の記(しるし)を漁り始めた。彼は、そこに眠る、領国中の古地図を、片っ端から広げ始めた。 川の流れ、山の稜線、道の繋がり。彼は、現実の世界を、初めて「地図」という情報に置き換えて、その頭脳に刻み込んでいく。 それは、彼が将来、数多の敵を打ち破る天才軍略家となる、最初の、そしてまだ誰にも知られていない、才能の目覚めであった。
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花咲 亜華
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