15 / 45

第15話

くるくると風車が回る きらきらと、揺蕩(たゆた)焔炎(ほむら)に煽られて まるで狂喜(きょうき)しているかのように ちらちらと、灯色を燈す灰が舞っていた この世のすべてを劫火が飲み込む 灼熱(ねつ)に突き上げられて、たどり着いた、その先には すべてあって なにもなかった ゆらゆらと、熱風(ねつ)に吹かれて舞い踊り 暗闇に蠢く影が指し示すのは 一閃(いっせん)の光 緋が 黄が 翠が 蒼が すへて紫紺の耀きに包まれて、 ただ、くるりくるりと回りながら()ぐわいあう 風車は回る きらりきらりと(きら)めくように揺らめき まるで狂鬼(きょうき)ででもあるかのように 誰かの息吹(きぶき)(さら)われ(あかり)(とも)る 空は暁色(あかつき)に染まり 雲が黄金色(こがねいろ)に映えて まだ残る宙闇(そらやみ)の色が その強い光に飲み込まれていく 八月十六日。 暁斗が、濡れた手拭いを絞り終えた、その時だった。 迅の閉じられていた琥珀色の瞳が、ゆっくりと、開いた。 迅が目覚める瞬間を、石動は計算して待っていた。 長谷部と共に、石動が音もなく部屋に入ってきていた。謀反後の政務は山積みだったが、焼け跡から暁斗が連れ込んだ少年につきっきりの王の傍を離れることを、石動は最大のリスクと認識していた。 暁斗は、迅の細い身体を、乱暴なほど強く抱きしめた。それは「生きていた」ことへの安堵と「二度と手放さない」という狂気の支配欲の爆発だった。 長谷部の声が、その瞬間を破った。 「御君(みきみ)! !」 長谷部を睨む暁斗が迅を抱きしめる腕に、過剰な力が込められた。蘇生直後の迅の細い身体と、火傷の傷は、その重さに耐えられずに、迅は、微かな呻きを漏らすことすらできず、琥珀色の瞳から光が消え、再び、暁斗の腕の中で意識を失う。 石動が、冷徹な声で告げた。 「我が君。この者は、城外の人間であり、清浄を乱す穢れが身に染みついております。また、火傷の傷跡は、今後、城の清浄を乱す。速やかに、城外の療養所へ移すべきでございます」 暁斗は、意識を失った迅の身体を、静かに抱え直した。その瞳には、もはや情はなく、ただの冷たい決意だけがあった。 「――黙れ」 暁斗は、低く言った。 「穢れであれば余が清めればよいだけだ。だが、そもそも迅は、もとより存在そのものが清められている。だから我は、あの焼け野原で迅を見つけることができたのだ。迅は我の知る誰よりも清い存在なのだ。それをそのような言葉で迅を穢す、その口こそが穢れと知れ」 長谷部や石動に一瞥もくれず、迅を抱いたまま、自らの寝台へと向かった。 「この看病は、我がする。迅が意識を回復するまで、誰もこの部屋に入ることを許さぬ。王の命令である」 「なんと強情なことを」 「強情なのはどちらだというのだ。ここは我の私室である。お前たちには下がれと、今申したのが聞こえなかったのか」 彼は、抱きしめていた迅の顔を上げさせると、迅の琥珀色の瞳を、まっすぐに見つめた。 そして、その震える唇で、「王の命令」となる、決定的な言葉を告げた。 「――迅。大丈夫だ。決して我から、離れるな」 石動が、首を垂れて進言した。 「では先ほど、意識を戻したこともございますから、一度御典医(ごてんいに診せるというのはいかがでしょうか」 御典医(ごてんい)が言うには、高熱は続いているものの、呼吸は安定し、命の危機は脱した、と。常人では考えられぬ、驚異的な生命力であった。 昏々(こんこん)と眠り続ける、そのベッドの傍らで。 暁斗は、ここ数日で初めて、ほんの僅かな安堵(あんど)と共に、静かにその顔を見つめていた。 (迅…早く、目を覚ませ) (そして、また、あの太陽のような目で、俺を見てくれ) その、静かな祈りの時間を、破ったのは、(ふすま)の向こうからの、硬い声だった。 石動だった。 「…御君。この者、いかがなさいますか」 その声には、憐憫(れんびん)の色はない。 ただ、当主の決断を問う、冷たい響きだけがあった。 暁斗は、顔を上げ、石動の目をまっすぐに見た。その瞳には、すでに以前のような、迷いの色はなかった。 「家臣として、この者を迎える」 石動は、一瞬、目を見開いた。しかし、すぐに、いつもの能面のような無表情に戻る。 暁斗は、続けた。まるで、自分自身に言い聞かせるかのように。 「情に流されれば、街が焼かれ、多くの命が失われる。このことを、()は身をもって知った。この者を家臣に迎えるのは、情ではない」 その、あまりにも見え透いた強がりを、石動は、静かに、そして、鋭く切り返した。 「―― 情を捨てるとおっしゃるならば、この者のことは、ここで手放すべきかと、存じまする」 その一言に、暁斗の身体が、硬直した。 図星だった。 彼は知っていた。自分が、この男を城に運び込んだのは、理性でも、覇道でもない。ただ、失いたくないという、純粋な「情」からだった。 石動の問いは、暁斗に突きつけられた、紛れもない真実の刃だった。 この場で、迅を切り捨てれば、「情を捨てた」という言葉に、嘘はないと証明できる。 でも、それは、迅を助けたいと願った、自分の心が死ぬことだ。 暁斗は、唇を噛みしめ、深く息を吐いた。 それは、彼が、その子供離れした頭脳で、必死に(ひね)り出した、あまりにも明け透けな哀しい「理屈」。 「…この者は、余に、初めて城の外の世界を見せてくれた」 「そして、余が招いてしまった炎の熱が、この身に刻まれた」 「―――いわば、余と、同じ宿命を背負ったのだ」 そうだ、と彼は自分に言い聞かせる。 「…余は、この者を、余の道に加える。情を捨てるための…『覚悟』として」 自分の、捨てきれない情そのものを、「情を捨てるための覚悟」だと、彼は言い張ったのだ。 その、あまりにも痛々しい、自己欺瞞(じこぎまん)。 それを聞いた石動の顔から、全ての感情が、すうっと、抜け落ちていった。 怒りも、悲しみも、呆れも、何もかもが。 「……御君」 彼の口から漏れたのは、ただ、静かで、しかし、心の底から絶望したような声だった。 「―― もはや、話になりませぬ」 彼は、深く、深く、頭を下げた。 そして、もう、暁斗の顔を見ることなく、静かに、部屋を去っていった。 それは、彼が、この若き主君の魂を、救うことを、完全に諦めた、最初の瞬間だったのかもしれない。 暁斗は、ただ呆然と、その背中を見つめるしかなかった。 彼の胸には、石動に、自らの言葉が、そして、その心が、全く届かなかったことへの、どうしようもないほどの、深い痛みが、刻み込まれた。 (石動は、この城の道理を護っている。それは神凪宗家への忠義だ) (だが、俺はもう、我慢などしないと決めたのだ) (七年も、迅に会うのを我慢して良き君主たろうと努めてきた) (でも、そんな我慢など俺の欺瞞だったのだ) (人はそれぞれ、己の道理で動き、俺の思いもよらぬことをする) (俺が情を掛けても、感謝せず、あの女は、迅の住む城下に炎を放ったのだ) (だから、もう、俺は迅を傍に置くのを我慢しない) (傍に置いてこそ、迅を守ることができるのだから) その日の午後、暁斗からの急な呼び出しに応じ、西(にし)(みや)斎主(さいしゅ)である神凪(かんなぎ)南茂(みなも)が、城を訪れた。 彼は、先代神凪(かんなぎ)(きみ)(きさき)、つまり暁斗の母君の、実の弟で暁斗の叔父にあたる人物だ。 暁斗にとっては、唯一残された、血縁の近い身内である。 強い神氣を持つがゆえに、孤独な運命を背負わされた姉の姿を、誰よりも近くで見てきた南茂だったが、彼自身の神氣は穏やかだった。 そのため、都にある黄昏(たそがれ)(みや)の斎王として呼ばれ、その役割に隔離された姉や、城の結界の中で孤独を強いられた暁斗とは異なり、妻をめとり二人の子の父となって、家族の団欒を知るものである。 とはいえ神氣をその身に宿す神子(みこ)であり、譜代の家臣たちとは全く違う視座から、甥である若き王のことを、深く案じていた。 その柔らかな物腰と、達観したような眼差しは、謀反の緊張が未だに残る城の空気の中で、異質なほどに静謐(せいひつ)な気配を放っている。 目的の私室へと向かう彼の前に、そっと進み出たのは、筆頭家老の石動だった。 「南茂様。ようこそお越しくださいました。…実は、折り入って、お願いが」 石動は、周囲に人がいないことを確かめ、声を潜める。 「御存知やもしれませぬが、今、我が君は、先の火事で拾った街の童一人に、つきっきりなのです。政務も最低限。我ら家臣の言葉にも、耳をお貸しくださらない」 その声には、憂いと、そして、かすかな苛立ちが滲んでいた。 「我らは、臣下。これ以上の諫言は、不敬となりかねませぬ。ですが、南茂様は、御君の唯一の血縁。…どうか、南茂様からも、お心を鬼にして、申し上げてはいただけないでしょうか。王としての、お立場をお忘れなきよう、と」 それは、家臣のトップからの、悲痛なまでの願いだった。 南茂は、その言葉を、ただ静かに聞いていた。 「……分かった。お主の憂いは、理解した。まずは、我が甥の顔を見てくるとしよう」 その、どちらとも取れる返事に、石動は、深く頭を下げるしかなかった。 叔父である南茂が、暁斗の私室を訪れる。彼は、廊下で会った石動の、憂いに満ちた顔を思い出していた。 部屋に入った南茂が最初に見たのは、寝台の傍に座り、眠る少年の顔を、ただじっと見つめている甥の姿だった。部屋には、薬草の匂いと、張り詰めたような、しかし、どこか穏やかな神氣が満ちている。 暁斗は、叔父が入室しても、寝台の少年から視線を外さぬまま、唐突に、そして、やぶからぼうに切り出した。 「叔父上。―――蟲が来る。だから、民に鈴を売ってくれ」 「なるほどな。確かに、あの謀反から結界が揺らいでいるからな。よかろう。表向きは『謀反の邪気払い』ということにして、西の宮から国中に売り出すとしよう」 南茂は、甥の言葉に驚くことなく、平然と請け負う。 そしてその視線を、寝台の少年にそっと移した。 (……なるほど。石動が言うのはこの子供か) 「して、その子供は?」 「迅だ。―――俺の、宝だ」 その、何のてらいもない、絶対的な響きを持った言葉。 南茂は、ただ静かに、甥の横顔を見つめ返した。 「……そうか」 彼は、迅の周りを包む、清浄で、温かい「息吹」を感じ取っていた。 (この子供は暁斗が執着するのも仕方なしだな) (姉上の血を、姉上以上に濃く引いたこの子(暁斗)だ。これは是が非にも欲しいだろう) その一言に、全ての理解と、そして、かすかな哀れみを込めて。 南茂は静かに立ち上がると、部屋を辞する前に、甥の肩をそっと叩いた。 「―――石動が、憂いておったぞ。あれは玄家の古参故、頭が固いところがあるが、ちゃあんと説得してやれ。お前を心配して言っているのだから」 「迅のもつ『息吹(いぶき)』について、石動に話せと?」 「必要ならな」 暁斗は石動に迅の太陽の息吹について話すことを想像するが、すぐに『(あやかし)(あかし)』だとつっぱねられることしか想像できない。 「叔父上。叔父上はどうやって妻殿に『()』や『息吹(いぶき)』の話をなさるのですか。お子様にどうやって教えるのですか」 「暁斗。お前が神氣(かむけ)の『真実』をそのまま語っても、神気なき世界で生きているものには、『狂気』としか映らぬ。ゆえに、神気なき者に、お前の真実をそのまま語る必要はない。彼らが欲しいのは、『理解できる物語』だ。なぜあの者を王の傍に置くのか。お前が、『物語』を語ってやることだ」 「物語……」 「そうだ。……ただし、その少年には必ず、一つだけ繰り返し、真実を言い続けることが肝要だ。それは『お前を失いたくない』という、その()だ。それは、お前が、王の理で何重にも本意を塗り固めていたとしても、その少年にだけは繰り返し伝え続けろ。それはいつか必ず、その者の心を動かす『情の(くさび)』となるだろう」 「情の楔……」 「そうだ。まあ、理屈が立たぬのなら、まずはやったもん勝ちということもあろうがな」 それは、王に対する諫言ではなく、ただ、一人の甥を思う、叔父としての言葉だった。 暁斗は、何も答えず、ただ、眠る迅の銀髪を、指で梳いていた。

ともだちにシェアしよう!