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第23話

出陣を控えた、評定の間。 その空気は、これまでの軍議とは比べ物にならぬほど、張り詰めていた。 神凪の正規軍は、長谷部を総大将とし、街道で敵本隊を迎え撃つ。そして、迅が率いる二百の別動隊が、山を越え、敵本陣を奇襲する。その作戦の骨子までは、決まっていた。 問題は、その直後に、暁斗が告げた一言だった。 「―――余も、迅と共に行く」 「「「なりませぬ!!」」」 家臣たちの絶叫が、玉座に叩きつけられる。 筆頭家老の石動が、血相を変えて進み出た。 「我が君! 御身に万が一のことがあれば、この国は、神凪の家はどうなるのです! 軽挙の極み、断じてお許しできませぬ!」 「そうだ! そもそも、あの素性の知れぬ童どもに、御君の御身を預けるなど…!」 口々に上がる反対の声。それは、王の身を案じる忠義であると同時に、得体の知れない迅たちへの、侮蔑と不信感の表れでもあった。 その、反対の嵐の中、暁斗は、玉座から静かに、しかし、絶対的な王の威厳をもって、彼らを見据えた。 「―――黙れ」 その一言で、広間は水を打ったように静まり返る。 「余は蟲どもに、頭を垂れる気など毛頭ない。ならば、道は一つだ」 暁斗は、一度言葉を切り、続ける。 「迅が失敗するなら、余もそれまでだ。それが運命と思って受け入れる。本陣にいようと同じ事。ならば我は、迅と共に行く」 その言葉は、もはや理屈ではなかった。迅と自らの運命を、完全に一体化させるという、狂気にも似た愛と、執着の宣言。 家臣たちが、そのあまりの覚悟に息を呑む中、暁斗は、さらに冷徹な言葉を続けた。 「―――だが、お前たちはだめだ」 その紫の玻璃の瞳が、家臣一人一人を射抜く。 「その時は、神凪の神子(みこ)を連れて都へ逃れよ。領土を失っても、神凪家を守れ。―――これは、王の、命令である」 個人的な情と、王としての理。 愛と覚悟、そして、万が一の場合に家を守るための、冷徹な命令。その完璧な理論武装の前に、もはや、誰一人として、反論の言葉を見つけられなかった。 重い沈黙の中、静かに前に進み出たのは、石動だった。 彼は、もはや王の決意を覆せないと悟り、最後の手段として、深く頭を垂れた。 「……ならば、せめて、我が孫・玄忠(くろただ)を、護衛としてお連れください」 「ほう?」 「神凪の次代を担う若武者。剣の腕も、確かでございます。必ずや、御君の盾となりましょう」 暁斗は、石動の真意――王の傍に『石動家の目』を置くという、老獪な深謀――を瞬時に見抜きながらも、その提案を、静かに受け入れた。 「……よかろう。玄忠を呼べ」 やがて、評定の間に、一人の若者が現れる。 歳の頃は、迅と同じ十七ほど。しかし、その立ち居振る舞いは、裏社会のそれとは全く違う、武家の嫡男として、厳しい教育を受けてきた者だけが持つ、洗練された鋭さを持っていた。 「石動玄忠、ただいま参りました。我が君の御前(ごぜん)にて、お仕えできること、身に余る光栄に存じます」 その涼やかな声が、静まり返った広間に響き渡った。 その時だった。 それまで、玉座の脇で壁のように控えていた迅が、音もなく、すっと前に進み出た。 彼は、王である暁斗に一礼するでもなく、玄忠の前で足を止めると、その全身を、品定めするように、じろりと見上げた。 玄忠の顔ではない。 その、肩幅、胸の厚み。腰の据わり方、そして、袴の下の、ふくらはぎの張り。 この、道なき道を行く過酷な行軍に、その体躯は重すぎないか。その足腰は、最後までついてこられるのか。 評定の間にいる誰もが、その、あまりにも無礼な所作に息を呑む。石動が、苦虫を噛み潰したような顔で、孫の前に立つ素性の知れぬ若者を睨みつけた。 だが、迅は、そんな周囲の空気など、全く意に介さない。 査定を終えた彼は、初めて玄忠の顔を真っ直ぐに見据えると、暁斗の方をちらりと振り返った。 (……まあ、いいだろう) 無言のまま、彼は小さく頷く。暁斗が連れていくというのなら、連れていく。だが。 「おい」 迅は、玄忠に向かって、顎をしゃくった。その口調は、王の近衛に対するものではなく、新入りの舎弟にでも話しかけるような、ぞんざいなものだった。 「足手まといになるなよ」 それだけを言い残すと、迅はさっさと踵を返し、再び、暁斗の隣の定位置へと戻っていく。 侮辱ともとれるその言葉に、しかし、玄忠は表情一つ変えなかった。 ただ、その涼やかな瞳の奥で、かすかな闘志の炎が、静かに揺らめいたのを、まだ誰も知らなかった。

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