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第27話
評定の間は、戦の勝利の報告と、神月迅を神凪将軍という最高位に就けたことの余波で、異様な緊張感に包まれていた。玉座を見上げる譜代の家臣たちの視線には、いまだ納得しきれない屈辱と、王への忠義がせめぎ合っている。
「……異論はあるまい」
暁斗は、目の前の重苦しい静寂を断ち切るように、静かに、だが、有無を言わせぬ響きを持った声を発した。
「神月迅が、朽木 骸晶 の首級を挙げ、この神凪の国を滅亡の淵から救った事実は、天地が覆ろうとも変わらぬ。故に、彼に神凪将軍の位を賜った。これは、王としての裁断であり、公の理 である」
筆頭家老である石動 玄頼 は、その場で平伏したまま、全身を小刻みに震わせている。彼は、王の寵童 が、己の地位を遥かに超えた権威を纏 ったことが許せないのだ。
「―――我が君の御威光に、臣 として、異存はございませぬ」
石動が、絞り出すようにそう答える。他の譜代たちもそれに倣った。ここで私的な感情を露呈すれば、王に対する謀反と見なされることを知っているからだ。
暁斗は、家臣たちの魂胆をすべて見透かした上で、迅の隣に立つ、朱鷺田を見る。朱鷺田は、いつものように冷静沈着で、玉座の上の王を、まるで観測対象のように、静かに見つめている。
「しかし、」
暁斗の声が、一段階、低くなった。
「迅は、その身に荒ぶる神気を宿す。我の宝剣として、あまりに強大すぎる。野に放てば国を斬り、鞘に収めれば錆びつく。故に、王たる我自身が、その剣の力を制御せねばならぬ」
暁斗は、そこで初めて、迅の方へと視線を向ける。迅はただ無表情に立っているが、その銀の髪、琥珀の瞳は、評定の間のどこよりも強く、王の光を浴びて輝いている。
「よって、我は、毎月満月と新月の夜、神月迅の神気と我自身の神気を合わせ、剣を調伏 する儀式を執り行う。これは、迅の力を国のために正しく導き、我が神凪の安寧を守るための、王の責務である」
この宣言に、一瞬、ざわめきが広がった。儀式という名の下で行われる「公的な愛の行為」。私を公で支配する王の狂気。
石動は、顔を上げ、言葉を詰まらせた。
(調伏、だと? 儀式とは、王の寵愛を公然と行うための、口実……!)
しかし、その口から出るのは、王の論理を肯定する言葉しかない。
「―――御君 の御覚悟、まことに天晴れにございまする」
暁斗は、冷たい笑みを唇に浮かべた。誰も反論できない。これで、満月と新月の夜は、迅を独占するための、「国定の祭日」となった。
神凪南茂は思った。
(……そうか。私の「情 の楔 」という教えを、こう使ったか)
私は甥に、情を捨てよとは言わなかった。情を、国を乱す毒とするな、と教えたのだ。だが、この若き王は、自らの狂気の愛 を、あえて王の最も重要な責務として儀式による統御という名の、強大な楔に変えて打ち込んだ。この男を排除すれば、王の荒ぶる神気が暴走し、国が危うくなる。そう、この最高位の親類たちに公然と宣言したのだ。
情を、理で固める。これは、情を捨てきれない王の、最も狂った覚悟の証明だ。私の血を引く姉の子が、ついに「神」から「王」へと完全に覚醒した。この狂気と知性を兼ね備えた王の御代は、長く、そして血塗られたものになるだろう。だが、これで私の甥の心は、あの依り代によって、しばらくは安定する。それでよい。それが、この国を繋ぐ、唯一の鎖だ。
石動玄頼は思った。
(調伏……! なんたる詭弁! なんたる冒涜!)
あのお方は、完全に、あの妖 に誑 かされておられる。私的な愛欲の行為を、「王の責務」、「国の安寧」という名で、この最高位の席にいる者たちに認めさせるとは。我らが反論すれば、「王の国の安寧を乱す不忠者」となる。なんという狂気! なんという屈辱!
だが、王の論理は、絶対的な勝利 によって裏打ちされている。今、公に排除することは、王の権威の否定となり、私が謀反人となる。あの男 は、この神凪の清浄を汚す穢れであり、王の最大の瑕瑾 だ。
このままでは、王の権威は地に落ち、国軍の規律は崩壊する。必ず、あの男を引きずり下ろす。この石動の命をもって、神凪家の秩序と、王の清浄を護り抜いてみせる!
神月迅は思った。
(へへっ……王の責務、ね。公的な儀式、か)。
あの必死な王の不器用な愛の行為が、こんな大層な「国の儀式」になるとはな。あの爺 の顔ときたら。怒りと屈辱で真っ赤になりやがって。
だが、あれを見ろ。誰も、暁斗に反論できない。俺は、あの王にとって、「王の理 」をも凌駕する、絶対的な存在となったのだ。あの王の孤独な仮面の下にある、不器用で必死な素顔を知っているのは、この世で、俺だけだ。
俺は、暁斗に必要とされている。それが、俺がこの命を捧げる唯一の理由だ。俺の身体は、もう誰かの道具ではない。「王の最も大切な存在」として、国に認められたのだ。これで、あの爺 の殺意すら、俺の地位を揺るがすことはできない。王に命じられたなら、俺は満月と新月、喜んでこの身を捧げよう。王の唯一であることが、俺の生きてる実感だ。
「朱鷺田」
評定の間を出てすぐ、謁見の間へと朱鷺田を呼び入れた暁斗は、玉座から立ち上がり、窓の外の月を見上げた。満月にはまだ少し欠けているが、その光は強い。
「評定の間で石動たちに言ったことは、嘘ではない。だが、真実のすべてでもない」
「……は、承知しております。神月将軍は、我が君の情を映す鏡。調伏とは、王の孤独を埋めるための、私的な儀式であると」
朱鷺田は感情なく答えた。
暁斗は、朱鷺田の冷めた、しかし的を射た分析に、少し苛立ちを覚えた。しかし、この男には真実を共有すべきだ。
「違う。……否、それも真実の一部だが。より本質的な理由をそなたにだけ明かそう」
暁斗は、自らの胸に手を当てた。
「朽木軍との戦で、我の神気は荒んだ。怒り、憎悪、そして、迅を奪われかけた狂気によって、王としての神気が制御不能な状態にある」
朱鷺田の琥珀色の瞳が、初めて微かに動く。
「このままでは、我は、王の理性を失う。国を滅ぼすのは朽木ではない。我自身の暴走だ」
暁斗は、朱鷺田をまっすぐに見つめ、吐息のような声で告げる。
「神月迅は、荒ぶる宝剣ではない。我の荒ぶる神気を、新月と満月の光を借りて整えるための、依り代(よりしろ)なのだ」
「彼の生命力、そして、我への純粋な忠誠。それらすべてが、我が身の神気を吸い上げ、そして、清浄な光として、我が魂に戻す。彼なくば、我は遠からず、鬼神と化すだろう」
朱鷺田は、目を閉じ、しばし沈黙した。彼にとって、これは王の弱みではなく、「王を支配するための鍵」という、この上ない研究材料だった。
「……なるほど。王を安定させるための、生きた神器、と。理解いたしました」
朱鷺田は深く頭を垂れた。
「王の安定こそ、国の安定。神月将軍の存在は、公的に不可欠となりました。この件、他言は無用。王を護るための、二人だけの真実として、この朱鷺田が、確かに肝に銘じましょう」
朱鷺田は、「王を護る」という言葉を使いながら、既にその心の中で、この「依り代」の仕組みをどのように利用し、この国の統治を掌握するかという冷酷な計画を立て始めていた。
(これは、愛ではない。究極の生存の術 だ)。
私の道理は、またもや敗北した。しかし、王は私に「依り代」という名の要 を与えた。迅という存在は、王の荒ぶる神気を鎮め、統治の理 を安定させるための生きた神器なのだ。彼がいなければ、王は暴走する。
この儀式は、迅を「王の弱み」としてではなく、「王を操る秘鑰 」として公然と定められた。私が探求すべきは、もはや「道理」ではない。「愛」という名で王が固執する、あの規格外の力の根源だ。
神月迅。お前は私の知性が看破すべき、道理の外側にある理 だ。その孤独、生存の術、そして王への依存、そのすべてを読み解き、証 とする。そして、王の統治の秘鑰を掌握し、この国を理 をもって統べる。
私の野心は、今、お前を標的としたのだ。
暁斗は謁見の間から去る朱鷺田を見送り思った。
(見たか、石動)
(見たか、朱鷺田)
(見たか、叔父上)
家臣たちは、誰一人として、この裁断を覆すことができなぬ。この瞬間から、迅は私の半身であり、王の責務だ。
これでいい。これで、迅を私の傍に置く「俺の私的な愛」は、「公的な支配」として永遠に公認のものとなった。迅を護るため、我は情を捨てたことにして、その実、最も大切なものを護り抜いた。
あの儀式が、狂気でも、欺瞞でも構わない。
迅さえいれば、俺の神氣が安定し、その結果、誰かを狂わせることなく、俺自身も狂わずにこの国を統治できる。俺の神気は安定し、孤独から解放される。
それに、これで、迅は二度と俺から離れられない。
お前は我の宝剣であり、我の命綱だ。お前を愛するこの狂気を、俺はもう、誰にも咎めさせたりしない。お前を永遠に、俺のものだ。
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