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「今回の任務は、シンガポールから横浜へ帰国するVIPの〈クルーズ船上のパートナー〉だ。要するに船内での付き添いが仕事だ。すぐ準備してシンガポールに飛んでくれ。詳細は現地で。対象は地球環境技術機構(GETO)の創設当時からの後援者だから、くれぐれも粗相のないように」 「単独任務ですか? 大神がいないからといって」  こんな任務をふるのか。思わず文句をいいかけた遠夜を、上司は表情も変えずに見返した。 「大神はいずれ復帰する。香西(こうざい)をシングルオペレーション専門にする予定は今のところない。希望するなら別だが」 「いえ、俺も……バディ解消など望んでいません」  大神の家族が環境テロ組織、JSXRに関わっていると判明し、バディ任務が停止されて一カ月以上。聞こえてくる範囲ではたいした問題でもなさそうなのに、遠夜はいまだに単独(シングル・)行動任務(オペレーション)しか与えられない。  もっともこれに自分が苛立ちを覚えているのは、遠夜にとっても奇妙なことではある。大神と組む前は、バディをうっとうしいお目付け役のように感じていたはずだ。 「うちとしても、帰国ついでにクリスマス・ニューイヤークルーズを使う婦人の付き添いに二人も割けないからな。香西がちょうどよかったというだけだ」  そういうことか。渋々うなずいた遠夜に向けられた上司のまなざしがほんのわずかだけ柔らかくなる。 「わたしにいわせればこれは羨ましい任務だぞ。庶民には手が出ない豪華客船体験ができるんだからな」 「……富豪の大型ヨットなら何度か乗りましたが」  上司の唇の端がかすかにあがる。遠夜の過去任務について思い出したのだろう。 「今回は秘密も冒険もない。のんびりやりたまえ」  そうはいっても、予想と実体は解離するものだ。  横浜への帰国のために飛行機ではなくクルーズを選んだVIPは、上層部のあいだでは気難しいことで有名な老婦人だった。足腰が不安なときは車椅子も使うし、身の回りの世話のために看護師がついているが、遠夜の役目はそれ以外のさまざまな雑用をすべて任されたコンシェルジュのようなもの。  通訳はもちろん、音楽会や観劇の予約、食事についての細かな注文を船の責任者に伝えること、ランチやアフタヌーンティー、ディナーに同席すること、社交ダンスのパートナーになること、それに毎日の天気予報まで。のんびりする暇などほとんどない。  とはいえ「付き添い」と聞いたとき、ある程度は予期していたことでもあった。この任務がはじまって遠夜がもっとも驚いたのは、乗船して三日目に「部屋を変われ」と命令されたことである。  なんと老婦人は船の上層階、一日中海を眺められるスイートルームの寝心地が気に入らなかったのだ。  遠夜は中層のインサイドにある客室――窓のない部屋だが、エレベーターには近く船内アクセスはよい位置にある――を老婦人に明け渡すことになり、代わりにスイートルームへ移った。どうやら本物の富豪にとっては自身の快適さだけが問題であって、客室のランクなど些末なことらしい。  実際に遠夜もスイートで何日か過ごしてわかったのは、船の揺れはインサイドの部屋よりずっと感じやすいということだった。ひょっとしたら老婦人も遠夜のように奇妙な夢を見たのかもしれなかった。

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