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第3話

 たぶんあの時から、俺は砧が好きだったのだと思う。でも竜人に対して想いを告げようなんて、ちっとも考えなかった。単に種族がちがうというだけじゃない。砧は月人なのだ。地上の種族に興味をもつはずがないし、俺は鷲族のできそこないときている。  それでも砧への想いを自覚したあと、俺の生活にはそれまでなかったはりあいができた。秋から春にかけての都会での暮らしも、夏に砧に会えると思うとむなしさが消えた。春もおわるころから夏を期待して、いつ宙船が到着するか、電報を待ってそわそわするようになった。  今年になって、竜人が地上の種族をそばに置くことがあると知った。竜人に選ばれて〝花〟と呼ばれる彼らは、単なる従者ではなく、伴侶も同然に扱われる存在らしい。  俺がこれを知ったのは、狼族の同僚が「竜人の司令官が狼から花を選んだ」と興奮して話していたせいだ。竜人に選ばれるのはとても光栄なことで、種族の名誉になるという。これまでは熊族から選ばれていたとか、ついに狼の時代が来るんだとかいって、同僚は新聞に載った狼族の〝花〟の写真をみせてくれた。敏捷そうな狼族の若者が大柄な竜人の隣に立っている写真である。  でも、俺の目を引いたのは別のことだった。ふたりのうしろに小さく写っている竜人が砧に似ているような気がしたのだ。俺は目を細めたが、新聞の写真は荒すぎてよくわからなかった。にらんでいるうちに眼鏡がずりおちそうになり、俺は新聞を同僚に返した。竜人に選ばれる〝花〟なんて、どうせ俺には縁のない話だ。でも夏のみじかい間だけでも砧に会えるのなら、それでいいと思った。  ところが今年、電報はなかなか来なかった。  そして俺もこの夏を――そしてそのあと、どうするか迷う状況になっていた。  なぜかって? 鴉と狼のあいだで戦争が起きたからだ。  最初は地区単位の小競り合いだった。それがだんだん大きな争いになって、ついに種族間の戦争になったとき、鳥の種族――鷲族と白鳥族は自然に団結して鴉に味方し、獣の種族のうち、熊族と猪族は狼側についた。狐と鹿は中立を保ったが、まもなく月人が地上の戦争を支援するようになった。天人はもともと交流のあった鳥の種族に――鴉に味方し、竜人は狼についたのだ。  戦争がはじまるとめずらしく村の長老から便りがとどいた。鷲族は斥候として徴集されているが、飛べない俺は帰ってこなくていい、という連絡だった。俺が狼族の統治する地区で暮らしているのが好都合だとも書いてあった。そちらで何が起きているか、手紙で知らせるようにという。  長老からそんな指示がきて、俺は困惑した。戦争がはじまってから、都会での生活はだんだん不便になっていた。狼の統治する地区は戦場にはならなかったが、物の値段はあがったし、工房への注文は減った。暇な時間がふえたせいか、獣の同僚は狼側のニュースや噂をしょっちゅう話すようになり、俺はどうしたらいいのかわからなくなった。  どっちが勝ってもいいから、戦争なんかすぐに終わってほしい。俺は最初からそう思っていた。工房への注文がどんどん減って、やがて仕事は一日おきになり、三日おきになって、しまいには閉鎖になった。  夏が来たのに、俺は行き場をなくした。  村に仕事がなくなったと手紙を書いたが、返事は来なかった。もちろん砧からの連絡もない。  これについては、俺はとっくにあきらめていた。鴉と狼の戦争で地上の鳥と獣は争い、月人もふたつに割れているのだ。獣の種族と同盟を組んだ竜人は鷲族の敵になった。砧が山に来られるわけがない。  都市での俺の生活も、ものすごく居心地が悪くなっていた。人の姿で街を歩いていても、顔立ちや髪の毛――鳥の種族は尖った鼻とぴょこんと跳ね上がった髪の房を持っている――で、じっと見られればわかってしまう。しかも俺は鷲族らしくない白い髪だ。出かけるとき俺はフードをかぶり、顔や髪を隠そうとしたが、ときにそれが裏目に出た。鷲族なのに白い髪だというので、偽装しているのではないかとか、変な疑いをかけられたのだ。  都市で砧と再会したのは、まさにその時だった。狼の警備隊に引っ張られようとしたそのとき、俺は名前を呼ばれたのだ。 「おい、彼をどこへ連れていく? ゴーシェナイト!」  俺はふりむき、ずれおちかけた眼鏡のレンズごしに砧をみた。    それから俺は戦争が終わるまで、竜人の基地にある砧の家で過ごした。砧は空き部屋に俺を住まわせ、鷲族にこの街は危険だからここにいろといった。戦争はもうすぐ終わるともいった。  たぶん新聞の写真――竜人の司令官と〝花〟のうしろに砧がいたように思ったのは、俺の見間違いではなかった。砧は司令官の友人で、ただの医者以上の存在らしく、基地ではいつも忙しそうだった。いつ帰ってくるのか、いつ寝ているのかもわからないくらいだ。砧の家に住んでいたというのに俺はほとんど本人に会えなかった。  竜人の基地は俺がみたこともない最新の機械でいっぱいだった。洗濯や掃除も機械がやってくれるし、食べるものは毎日竜人の兵士が配達してくれる。彼らの多くは月人の言葉しか話せなかったから、俺はほとんど会話できなかった。  生活に不自由はなかったが、暇で暇でたまらなかった。いつまでここにいなくてはいけないのだろうとも思った。でも砧の家を離れたいとは思わなかった。砧の持ち物――俺には読めない言葉で書かれた本や、砧の匂いのついた服や、あれこれに包まれているのが良かったのだ。たまに砧に会えると、俺の胸はどきどきした。  またふたりで山に行って、森で過ごせたらどんなにいいだろう。砧の腕に抱かれて飛んだらどんなにいいだろう――ベッドに横になって砧のことを考えていると、体がむずむずして落ちつかなくなってくる。  できそこないで厄介者の鷲族として、俺は誰かと一緒になるとか、ましてや交合するとか、考えたことがなかった。同族は俺に見向きもしない――つまり、つがいにしようなんて思わない。  もっとも、同族の雄が何をするか知らないわけじゃない。単なる欲望のはけ口にされたことなら何度もあるからだ。そもそも俺が村を出て都市で働くことを選んだ理由のひとつはそれだった。鷲族はおなじ年の卵から孵った者からつがいを選ぶが、雌が少ない年に生まれた連中には、長年あぶれている者がいる。選ばれそこねた連中が俺を狙うようになったのが十五歳になるかならないかの頃だった。  連中は俺の眼鏡をとりあげては、欲望を満足するまで返してくれない。鷲に変身した男の爪で背中を傷だらけにされたあと、人の姿に戻って肛門に欲望をつっこまれる、そんなことが何度もあった。一度に三人にされたこともあるし、しつこい一人に閉じこめられて、二晩つきあわされたこともある。村に住んでいたらずっとこんな目にあう。だから俺は都市へ行ったのだ。  俺が獣の匂いをつけて帰省すると、鷲族のあぶれ者はあまり手を出してこなくなった。獣くさい、とはっきりいわれたこともあったし、都会で獣とやってんだろう、といわれたこともあるが、俺は無視して森へ行き、そして砧に出会ったのだ。  竜人は――砧はいったいどんなふうにするんだろう?  砧の家のベッドで、俺はむずむずする体を手でまさぐりながら、ぼんやり想像したものだった。俺は砧に抱きしめられて、空を飛んでいる。ふわりと足を浮かせたまま、砧の手が俺を触り、気持ちよくさせて、そして……。  はっと目をあけると砧が上から見下ろしていた。俺はいつのまにか眠っていたのだ。俺は顔の前に落ちてくる髪を払い、目をこすった。 「どうしたんだ?」  砧の顔が俺に近づいてくる。優しくて、でも熱のこもったようなまなざしに、俺の耳の奥はどくどく鳴った。あのとき砧は何を考えていたのだろう。砧は低い声でささやいた。 「ゴーシェナイト。戦争がおわった」  

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