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第5話
「それで。どーんなすっげー店連れてってくれるのかと思ったら、普通の居酒屋だろ。ここ」
部下に連行された意趣返しに、意地悪く言ってやる。眞島は俺の上着をハンガーに掛けながら、慌てた声を出す。
「でも、あれです、落ち着いた雰囲気の全室個室ですよ!」
サイトの謳い文句だろ、それ。
「それも普通だよな」
「まあ、課長クラスならそうなんでしょうけど……本気でそちらに合わせると、おれ今月の昼ぜんぶ日の丸弁当になっちゃいますから」
掘りごたつ式の座席にも関わらず正座をして、上背のある背中を丸めてしょげ返る眞島の姿が可笑しくて吹き出した。
「嘘ウソ。飲めればなんでも良いって。お前も足崩せよ」
「はい!」
明らかにヘコんで見せていただけの現金さに、また笑みが溢れる。
そして、ハッキリと気が付いた。確かにここ最近は、作り笑いしかしていなかった。意識すらせず。それを、眞島に見透かされたのか──。
「あー……そっかー。新人君に慰めてもらうだなんて、俺もまだまだだなー」
「課長っ、とんでもないっ!そんなつもりないです俺。ホントに、なんにも知らずに……。俺が!ただ一緒に飲んで欲しくてですね!」
必死、だ。また自然に笑えてくる。
まだ酒も入っていないのに『良い部下持ったなあ』と少し感慨深くなった。やっぱり感傷的になっているらしい。今からこれじゃ、こいつの前でどんな失態を犯すか分からない。──先に酔い潰してしまおうと人の悪いことを目論む。
「──俺、すごい此枝さんのこと尊敬してます。憧れなんです」
次々と酒を頼んでガンガン飲ませていたら、気付くと眞島は何度も同じことを繰り返す、壊れたおもちゃのようになっていた。
「はいはい。ありがとう。でもな、それもう十回は聞いたから」
やり過ぎたなーとは思うが、意外と眞島の滑舌はしっかりしたものだしフラフラもしていない。エンドレスリピート以外はそれほど酔っているようにも見えなかった。俺の視界の方が、ぼやけて来たくらいだ。
「三十回は言ってます。三分の一しか聞いてないじゃないですか!」
やっぱり、酔ってはいないんじゃないかと思えてくる。
「おまえ絡むねー」
「……すいません。でもこんな機会、今度いつあるか分からないし。本当おれ、尊敬できる此枝さんの下で働けて幸せなんです。それを分かって欲しくて。つい」
飲みに行くくらい、いつでも誘えばいいのにな。
酔っ払って繰り返しているんじゃないのなら、本当にそう思っているらしい。
けれど眞島は少し俺に心酔しすぎというか過大評価しすぎだった。俺はそんな御大層な人間じゃない。
「──参考にするのは良いけどな、お前は自分の遣り方ちゃんとみつけるんだぞ。俺を目指すなよ」
「どうしてですか──」
眞島は不満そうだ。
「そんなの見れば分かるだろ?現に結婚だって失敗してる」
酔っているのは俺の方か。眞島は仕事の上での俺を、買ってるんだ。俺こそつい、口が滑った。
けれど、いったん口火を切ってしまったら、溜め込んだ感情が雪崩のように流れ出し、止めることができなかった。
「俺は別に、出来た人間じゃないんだよ。仕事は性にあってるから上手く行ってるけど、人間的にはどっちかっていうと屑だ。俺はな、浅くて薄い付き合いしか出来ない奴なんだよ。特に恋愛面は最低だ」
愛する人ほど傷付ける。失くすことを恐れて触れられなくなる。自分から距離を作っておいて、相手が離れて行くとこんなにも脆い。人として欠陥があるとしか言いようがない。──だからなのか。普段の自分が必要以上に他人と接触したがるのは。
間違いなく酔っている。こんな頭で考えても仕方ない。しかも今考えることじゃない。眞島だって返答に困って黙り込んでしまったじゃないか。
「すまん、つまらんこと言った。仕事と全然関係ないわ。今のは忘れろ、俺が恥ずかしい。上司命令だ」
本当に新人にこんな醜態を晒すくらいなら、同期の奴にでも早々に愚痴っておけば良かった。弱った心の内を見せるなんて、上司の威厳もあったもんじゃない。だけど俺自身、こんなに深く傷付いていたとは自覚していなかった。──考えることを放棄していたせいだ。
「おれ此枝さんを尊敬してますけど、それ以上に──好きなんです」
また慰められてるな。
好きという言葉はそぐわない気がするが、ここは会議室じゃない。正誤の差異など問題ではなく大事なのは、眞島なりに元気づけてくれているということだろう。
「ああ。ありがとうな」
「違う此枝さん──お礼なんか、言っちゃ駄目だ」
「ん?」
真摯な……というよりまるで怒ったように眞島が言い切る。その声に違和感を感じて見ると、厳しい表情で目を伏せていた。何かに抗っているような、思い悩んでいるような顔をした後、それを振り切るように立ち上がって俺の隣で膝立ちする。
「すみません。──此枝さん」
何を謝るのかを問う前に、その胸の中に抱き寄せられた。
「俺が好きっていうのは、こういう意味です。あなたを困らせるだけなんだ──」
予想もしていなかったその抱擁は、あまりに衝撃が過ぎたのか、ただ温かいと感じただけだった。それよりも直接耳に響いてくる眞島の鼓動があり得ないほど速く脈打っていて、心臓が破綻しやしないかと使い方を間違えた心配をした。
「自分からしておいてすみません……でも此枝さん、早く俺を突き飛ばして下さい」
「なんで、だよ」
アルコールで頭が鈍っていたせいもあるだろう。実感が湧くには短かすぎた。浅はかだったと思う。
けれどその時は本当に、どうして突き飛ばす必要があるのかを知りたかった。それが眞島を煽ってしまう結果になるとも分からずに。
「俺から離せるわけ、ないじゃないですか」
俺を胸から引き剥がし苦しそうに息を吐くと、眞島の顔が近づいて唇を塞がれた。
キスされている。そう認識するまで数秒かかった。
眞島は激しい渇きを、そうすることでしか補えないように荒々しく唇を貪る。俺は抵抗したかどうかすら定かではない。
その時間は数時間にも数秒にも感じた。起きた事態を処理できないまま、いつの間にか俺はタクシーに乗せられていた。
「本当に済みません。今日のことは忘れます。此枝さんも──忘れて下さい」
ドアが閉まる間際、そう言った眞島が深く頭を下げた。
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