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一 ‐ 5

 興味がない、そう言い切ったくせに。  シンは、皇位継承のための勉学に対し、非常に熱心だった。少なくとも、フィオにはそう見えた。打ち合わせや会合、騎士としての鍛錬や道具の手入れの時間以外はずっと難しそうな本を読んでいた。時折年経た獣人たちを招いて、国がどう、(まつりごと)がどう、とフィオにはほとんどわからない話もしていた。彼らのことをシンは先生と呼んでいた。  豊穣の祝祭が行われている間もしかりで、シンが部屋にいることは殆どなかったけれど、戻ってくると寝るか本を読んでいるかだった。  雪鷹の雛が部屋にいるため、フィオは長時間留守にすることはできなかった。領土中の皇族や貴族が集まっている今、情報を収集するにはうってつけだ。雛なんて放っておいてもと何度も過ったけれど、やはりできなかった。  雪鷹は、フィオの故郷では幸運をもたらす鳥だった。渇きの季節の終わりごろにやってきて、眠りの季節を越して、雪解けとともに去っていく。巣を飛び立ったばかりの若鳥たちが厳しい寒さの中で狩りの腕を磨く姿に、村の人たちは皆いつも励まされていた。  シンが助けたこの雛も、上手く育てば渡りに間に合うかもしれない。そうすれば、フィオの村があった辺りの森を、飛ぶかもしれない。命を大切にしなさいというじいの教えも相俟って、とうてい放っておくことができなかった。  幸い雛に怪我はなく、食欲旺盛で、フィオが部屋に戻ってくるたびにピーピーとよく鳴いた。大口を開けて伸びあがる姿は可愛らしく、ついへにゃりと笑いながらまろい頭を指で撫でてしまい、慌てて部屋の主が帰ってきやしないかとハッとすることも何度かあった。  祝祭が始まって四日目、宵が深まっても宴の喧騒は絶えない。  ──よくまあ飽きないもんだな……。  フィオは食事の配膳をしながら、大広間で騒いでいる獣人たちを観察した。  石造りのテーブルにずらりと座っているのではなく、豪奢で分厚い絨毯の上に各々好きなかっこうでくつろぐ形式だ。すっかりくつろいで寝そべっている大きなヒョウの獣人もいた。比較的身体の小さな狐族の獣人たちは家族でぎゅっと集まっていて、顔がよく似ている。  中央では、踊り子が音楽隊の音に合わせて飛び跳ねたりくるくる回ったりしているのが見える。鳥族の獣人たちだ。背中から生えた羽や尾羽はもちろん、髪の色までも赤、緑、青、黄と鮮やかだった。  いくつかの獣族が集まっているとはいえ、大半はやはりエルドラの皇族、灰色狼の獣人が占めていた。老若男女、みな一様に黒灰色の毛をたっぷりと伸ばした彼らは、それこそヒョウ族にも劣らない体格の良さを誇っているのが、こうやって集まるとよくわかる。対立関係にあるヒグマ族は、もちろんいないようだ。  フィオは頭を低くし、あちこちに置かれているテーブルの肉や果物を入れ替えながら、顔を顰めないように努めた。耳に入ってくる話は、自慢や他人の噂話ばかり。やれいつの戦ではどうだっただの、税収がどうだっただの、最近太っただの痩せただの、どこそこの皇子と姫が婚約しただの、指のささくれがしぶといだの。  なにか彼らの弱みになるようなこと、と思いながら耳を澄ませるけれど、情報として役立ちそうなものは聞こえてこない。  それは元老院の老獪たちが集う座も同じだった。いずこの森の鹿が美味いとか、ついに曾々孫が三十人になったとか、呑気な話ばかり。  この国は前皇帝によって領土が拡大され今の規模の国へと成長したが、現皇帝は今の領土で侵略はやめ、安定を図ると同時に政に関して様々な改革を行ったと、フィオは使用人学校で習った。元老院がそのひとつで、皇帝が任命した貴族出身の獣人が、政治的な決定に関わっている。独裁政治で滅びて来た様々な国の歴史を参考にしたらしい。  不意に顔をあげたら、シンと目があった。 「……」 「仕事か」 「見ればわかるでしょう」  言い返してしまい、口をつぐむ。つい部屋と同じような喋り方をしたが、ここは城の大広間。耳のいい獣人たちが溢れている。幸い音楽や踊り、お喋りに夢中でこちらを注目している皇族たちはいない。というか、そもそもシンがいるのが広間の端も端ではないか。  輪から外れて何をしているんだ、と思ったが、彼の横に小さな老人が座っている。眉毛が長すぎてにこにこしすぎて目が開いているのかわからない。大きな耳は灰色というかほぼ真っ白で、シンの白銀とはまた違う感じだから白髪なのかもしれない。尾も斑だった。 「この人は、元老院のダン爺さん」 「じ、……、お初にお目にかかります、フィオと申します。先日より、シン様のお部屋係をさせていただいております」  頭を下げるとダン元老師は、うほほだかおほほだか、籠った声で笑った。のんびりとした仕草で絨毯に並んだ皿のひとつに手を伸ばす。残ったハムを長い爪に引っ掛け裂きながら、うんうん頷く。不思議な雰囲気の持ち主だ。 「……」  それきり、ダン元老師もシンも静かになった。二人して並んで座っているのに、喋りもせずにぼーっと踊りを見ているだけらしい。フィオは首をかしげたくなるのをこらえ、仕事に戻ります、ともう一度頭を下げてから、空いた皿を重ねて盆に載せ、新しい肉と果物の盛り合わせを置く。葡萄酒の瓶は全然減っていなかった。  黙ってさがろうとした刹那、ガシャン! と大きな音がする。 「あなた今私の尾を踏んだわね!?」 「も、申し訳ございません」  立ち上がって喚いているのは、獣人の姫だった。その足元で蹲っているのは、フィオと同じく使用人のヒトの少女、レレーナだ。彼女の傍らを、カラカラと杯が転がる。 「信じられない侮辱よ! これだからヒトは!」 「申し訳ございません、申し訳ございません」  まあまあ、肉の部分ではないんだろ? と姫の傍の老いた狼獣人がなだめるも、姫は顔を真っ赤にして耳の毛を逆立てている。  ヒトには当たり前だが尾がない。獣人たちの、特に狼族や狐族の尾はたっぷりとした毛で太いため、どこまでがいわゆる身の部分なのかわかりづらい。毛だけのところはヒトの髪の毛みたいなものだろうけれど、彼らにとって尾は敏感な部分だともいう。  フィオは今にも爪で使用人を切り裂きそうな姫の傍に進み出て、地面に手をつき頭を下げた。 「なによあんた」  後ろで括った髪の先が石畳につくほど地面に顔を近づけながら、声を張った。 「突然のご無礼をお許しください。先ほどお片づけをさせていただく際に、姫は手指が乾いてひび割れることに苛まれていらっしゃると聞こえました」 「……だったら何? 今何の関係があるっていうのよ」  フィオは、隣でガクガク震えている少女に耳打ちした。彼女はハッとして、スカートのポケットから折りたたまれた油紙を取り出し、姫のほうに両手で差し出す。 「何それ」 「この、ヒトの娘・レレーナは、西の海辺の出身です。彼女の故郷では、浜辺になる果実の種から絞った油を練ったものを塗り、塩で荒れた肌を守っていたそうです。ヒトは、皆さまに比べてか弱く肌も薄いためです。もしかして、お役に立つのではと思いました」 「貸して」  油紙に包まれたそれを奪い取ると、姫は長い爪でそれを開き、くんくんとにおいを嗅いだ。隣から先ほどの老狼の獣人も鼻を近づけ、確かに果物のにおいがするぞ、と目を丸くした。  白っぽい油の塊みたいなそれを、彼女はよく仕事を終えた手指に塗っていたのをフィオは見ていた。本来捨てられるはずの種から作られるそれを塗ると、酷いひび割れや皮めくれがマシになると使用人たちの中で評判になっていたのだ。  姫は指先で恐る恐るその塗り薬をすくうと、自分の爪の脇に擦りこむ。そして、 「すごい、痛みがましになったわ!」  と黒茶色の目を輝かせた。  私にもちょうだい、と近くにいた貴族の姫や妃たちが集まってくる。あっというまに少女は見上げるほどの獣人の女性たちに囲まれて、あなたこれ、どうやって作るの、とか、他にはないの、と明るく声を掛けられて頬を染めている。  フィオは、彼女の生まれ故郷の技術をすごいと思っていたので、認められてなんだか誇らしい気持ちになる。必要以上に責められないように咄嗟に喋ったことだったけれど、実際に獣人たちより肌が弱いヒトだからこそ、生みだした技術には違いないのだ。それが認められて、重宝されるのはなんだか自分のことのように喜ばしい。  頭を下げて静かに踵を返すと、何故かシンと目が合った。慌ててゆるんでいた表情を引き締める。何故自分を見ていたのだろう。  ──考えても仕方ない、監視してたとかそういうんだろ……。  きっとそうだ、と頷き、仕事に戻った。

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