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第3話

 店からほとんど外に出ず、仲間と雑談に興じることもあまりないマルは確かに世間知らずだ。三年ほど前に新しい王様が即位して、よい国作りをしてくださっているということくらいは耳にしていたけれど、王弟殿下のことまでは知らなかった。 (そんなすごい方が、このお店に来られるの……?)  お城から近いとはいえないのにわざわざ足を運ばれるなんて、ダンの店の評判がたまたまお耳にでも入ったのだろうか。なんだかマルまで誇らしくなってくる。 「ほらほらみんな、静かにおし! そろそろ殿下がお見えになるよ!」  パンパンと手を叩きながら、立派な顎髭がトレードマークの店主のダンがそわそわと姿を現した。鳥たちはいったんおしゃべりをやめるが、小声で囁き合ったりクスクスと笑ったり興奮を抑えきれない。 「わしの愛しい子どもたち、今日はお行儀よくな。殿下にお声をかけられたら、礼儀正しくお答えするのだよ」  は~いと応じる声もどこか上の空で、皆最後の羽繕いに余念がない。 「ああ、マル、おまえはちょっとおいで」  仲間のおめかしの手伝いに一生懸命だったマルに声をかけ、ダンは隅のほうへと連れていく。 「マルや、おまえは少しの間、奥の部屋で休んでおいで。お客様が帰られたらまた呼ぶから」 「あい、お父さん」  マルは素直に頷く。  大切なお客様が来られるときは驚かせたりしないように、マルは奥に隠れていることが多い。マルを見ておかしな鳥がいると気味悪がった客が、そそくさと出ていってしまうということが何度もあったからだ。 「マルはお部屋におります。大丈夫です」  申し訳なさそうに眉尻を下げる店主を安心させたくて、マルは精一杯明るく言った。けれど残念な気持ちが、やはり少しだけ顔に出てしまっていたのかもしれない。  思案顔でしばし考えこんでいたダンは、 「いや……うん、そうだ。ちょっとおいで」  と、ひょいっとマルを持ち上げ、背の高い草が茂っているあたりにそっと置いた。店の一番隅なので目立たないし、そこなら草がマルの姿をうまく隠してくれる。 「いいかい、お客様がいらしている間はそこを動くんじゃないよ。いい子だからね」 「あいっ」  ダンはうんうんと頷き、客を迎えるために両手を揉みながらあたふたと店から出ていった。  店主の心遣いが嬉しかった。ここなら草に隠れながら、噂の騎士団長様のお姿をチラリと拝見することができそうだ。 (お父さん、ありがとうございます!)  マルは心の中で何度もお礼を言った。  ダンが消えてほどなくして、入口のほうがにわかに騒がしくなった。若い男性の声が微かに届いてくる。  店内に緊張が走り、仲間たちはそれぞれ自分が一番美しく見えるポーズを取って静止している。 「本当にようこそお越しくださいました、ルーカス殿下! さぁさぁどうぞどうぞ、こちらでございます!」  店主のいつもよりワンオクターブ高い声が響く。  マルは精一杯伸びをしてみるけれど、大柄なダンの陰になって客の姿は見えない。 「ご主人、すまないな。突然寄らせてもらって」  澄んだ美声が隠れているところまで聞こえてきて、マルは首を傾げた。 (あれ、どこかで聞いたようなお声……?)  周囲の仲間たちは皆声の主のほうに首を向け、目を潤ませて感嘆の溜め息をついている。これはどうやら噂に違わぬ麗しいお客様のようだ。 「いえいえとんでもございません! このような僻地の店にお寄りいただき、光栄の極みでございます! 狭い店ではございますが、どうぞごゆるりと」 「いい子をそろえてるんだろう? 聞いてるよ。……へぇ、本当だ。評判どおり、美しく優雅な鳥ばかりだな」  ダンが道を譲り一歩下がった瞬間、伸び上ったマルの目に客の姿が飛びこんできて思わず声を上げそうになった。  眩しい金色の髪。すらりとした長身。欠点のない華やかな美貌。凜としたたたずまい。  それはまぎれもなく三日前市場で出会った、親切で素敵な旦那様ではないか! あの日と同じように、すぐ後ろに鋭い目の黒服の人が従っているから間違いない。 (え……えっ? じゃあ、あの方が国王陛下の弟君で、騎士団長様なの……?)  確かにこうして改めて見るとまとっている気が普通の人とは違い、気品と凜々しさにあふれている。仲間たちもぼうっとなって、噂の王弟殿下に熱い視線を送っている。 (本当に、あのときの方なのかな……。それとも、よく似てる人……?)  マルを愛らしい、可愛いとほめちぎっては楽しそうに笑っていた人と、目の前のしゃっきりとした高貴な人がちょっと重ならない。けれどあんなに美しい人がそうそういるはずがないし、そもそも今日彼がこの店を訪れたのは、あの日マルの話を聞いて興味を持ってくれたからではないのか。 「殿下、今日こちらに見えられたのは、お守り鳥をお求めなのでしょうか?」  ダンが満面の笑みで両手を揉む。鳥たちも一斉に身を乗り出す。 「そのつもりだ。自分には必要ないと思っていたんだが、急に気が変わってな」 「そうでございますか! いやいや、騎士団長様として危険な任務に就かれることもおありでしょうし、当店のお守り鳥をお連れくださればきっとお役に立ちましょう」  ダンは自慢の鳥たちをぐるりと見渡す。 「どの子がよろしいでしょうかね? 戦いの場に連れていかれるようでしたら、ある程度そういった能力の高い鳥のほうが……」 「ああ、ご主人すまない。実はもう決めてるんだ。マルはいるか?」  王弟殿下ルーカスは、まるで八百屋で果物や野菜でも求めるかのようにさらりと言った。  マル本人はもちろんのこと、店内の鳥たちは同時に動きを止める。  聞き間違いだろうか。今自分の名が呼ばれたような気がしたが……。  たっぷりと間を置いてから、ダンの上ずった声が届く。 「は……あの、マル、でございますか?」 「そう、マルだ。この店にいると聞いてきたんだが?」 「マルというと、その、こういう鳥の、マルのことでございましょうか」 『こういう』と、ダンは両手をくるりと回して丸の形を作る。予想外の展開に相当動揺しているようだ。 「ああ、まさしくそれだ。こういう、マルだ」  ルーカスはクスクスと笑いながら、同じように両手で丸を描いてみせる。 「ん、いないのか? まさか売れてしまったのかっ?」  顔色を変える上客に、ダンはあわてて両手を振る。 「ああいえ! おりますおります! マルは、その、そこに……」  ダンの顔がおもむろにマルのほうを向く。仲間の鳥たちの唖然とした顔も、一斉にマルの隠れている草むらへと向けられる。  マルはといえば、完全に固まっていた。自分の身に何が起ころうとしているのかまったくわからず、小さい体をますます縮めて震えていた。  もしかして市場で会ったとき、何か失礼なことをしてしまっただろうか。気づかなかったが、お怒りに触れてしまったのだろうか。思い返してみるけれど見当がつかない。  草の先から、マルのふわふわの白い羽毛が少しだけ見えてしまっていたのだろう。 「なんだ、そこにいるじゃないか。マル!」 「あいっ!」  呼ばれると元気に返事をしてしまうのは、もはや反射だ。  ルーカスの顔がパッとお日様のように明るく輝いた。まさしく、あの日と同じ笑顔だ。 (ああ、やっぱりあの方だ……)  そう思ったら胸がじんとし、涙が出そうになってきた。もう一度会えるなんて、全然思っていなかったから……。

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