3 / 6
〈2〉この世界のキスの意味-1
「よぉ」
「ホントに来た……っ」
「ンだよ、文句あんのか」
いつもの昼休み。いつものようにぼっちの俺。
だからいつものように階段の踊り場でおにぎりを食べようとしていたのだが、そこへポケットに手を突っ込んだヤンキーの白伊先輩が上ってきた。
先輩の姿を見て、俺は顔には出さないが大げさに喜ぶ。
だって、本当に来てくれた。正直期待していなかったし、きっとまたすぐに距離を置かれるのだろうと思っていたのだから。
「お前メシそれだけか?」
「はい」
そしてごく自然に隣に座って話しかけてくる存在に、俺は人知れず感動する。
これが友人の距離。実に小学生ぶりの距離感だ。
そんな些 細 な出来事に感動していた俺だったが、先輩が訝 しげに俺の手にあるおにぎりを見ていることに気づき首をかしげる。
すると先輩はおにぎりから俺に視線を移して質問を重ねた。
「そんなんで足りるのかよ」
「まぁ……」
足りない。食べざかりの男子学生には足りません。
しかし売店で全部済ませようとすると割と高くつく。
本当は食堂の方がタダ同然なほど安いし量もあるのだが、俺が行くと食堂の和気あいあいとしていた雰囲気が悪くなるから行けずにいるのだ。
「……おら」
「はい?」
悲しい現実にしみじみしていたら、突然目の前にペットボトルを差し出された。反射的に掴 めば、まだ封の開いていない良く冷えたコーラだった。
「ちったぁ腹ふくれるだろ。やるから飲め」
「え、でも……」
「うるせぇ飲め」
どうやら奢 ってくれるらしい。そうわかると乱暴な言葉で優しさを見せる先輩が嬉しかった。
だがしかし──
「──……すみません。俺、炭酸苦手なんです」
「……」
二人でコーラを見つめながら沈黙が訪れた。気まずい。
とはいえ苦手なものは苦手なのだ。たぶん無理に飲もうとしても一口が限度だ。それではあまりにも勿体 ないし申し訳ない。
「……せ、先輩……ホントすみませ──」
「──うっせぇ飲めっ!」
「うぐぅ……っ!」
だから再度謝ろうとしたのだが、そんな俺の口に無理やりペットボトルを突っ込まれる。
このヤンキー覚えてろよ! と悪態をつきたい口に甘くてよく冷えた液体が流れ込んできて、発言などできるはずもない。
味は嫌いじゃないんだ、味は。問題は喉を刺激する炭酸である。
「うぅ……」
「吐き出すなよ? ほら頑張って飲み込め」
隣でニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべる先輩が憎い。明らかに面白がってるじゃないか。やっぱり全然優しくない。このヤンキー野郎。
かといって吐き出すわけにもいかず、手で口を押さえて何とか少しずつ飲み込む。
コクリコクリと喉を鳴らし、炭酸の刺激にちょっと涙目になりながらも俺はやりとげた。良かった吐き出さなくて。
どうだ! と先輩を見上げれば、思った以上に近くに先輩の顔があったので驚いた。
しかし、先輩の顔がなんか変だ。あの意地悪い笑みも消えて俺の顔を凝視していて、ゴクリ……っと先輩の喉が鳴る。先輩も喉渇いてるのかな。
「……白伊先輩?」
「……あ?」
先輩の視線が、ゆっくり移動して俺の視線と絡み、わりと露骨に顔をそらされた。それ傷つくから止めてくれ。
「……あー……、上手に飲めたじゃねえか」
「先輩は思ったよりいじわるですね」
「……あんま可愛いこと言うな」
「は?」
「何でもねえよ」
よくわからないことを言いながらチョコレートを渡されたが、これは謝罪のつもりかな?
本当は物ではなく言葉で言わないといけないんだぞと思ったが、チョコレートは好きなのでもらっておく。
これで一応仲直り……あ、ちょっと友達っぽい。そう思うと胸がポカポカして、なんだか青春してるって感じで嬉しかった。
不器用だけど、まぁたぶん、先輩は優しいのだろう。
無理やり飲ませられたけれど、コーラをくれたのも優しさからだ。
「なぁ、もっかい飲んでみろよ」
「絶対いやです」
優しい……いややっぱりいじわるだ。
* * *
「ルイ!」
「ぅわっ!?」
そんな楽しい昼休みも終わり、午後の授業も終えた時だった。
それなりに気分良く寮に帰っていたら、突然物陰に引きずり込まれたのだ。
何だこら喧嘩なら買うぞ……なんて俺が言えるはずもない。だいぶビビりながらかまえてた俺だったが、その正体が知人だと知り力が抜けた。
「あ、アリス……?」
「ごめんびっくりさせて……それよりルイ! 連絡先教えて!」
「連絡先?」
「そっ! お願いっ!」
切羽詰まったような夢乃の気迫に押されて、俺はスマートフォンを取り出す。
連絡先を教えるぐらい別に構わないのだけど、いったい何をそんなに急いでいるのだろうと疑問に思いながらもトークアプリを開いて、俺の手が止まった。
……自分の連絡先ってどうやって教えるんだっけ?
誰かと連絡先を交換するなんて家族と以来で、操作の仕方がわからないことに気づく。
戸惑っている俺に夢乃はしびれを切らしたのか、俺のスマートフォンの画面を覗き見た。
「ここ押したら二次元コードが出るからそこを……──」
「夢乃くーん! ちょっと聞きたいことがあるからいいかな!?」
「ちょっ……! まだ話して──」
「夢乃、先生呼んでたよ! 急いで行かないとな!」
「ちょっと待っ……!」
手間取っていた俺に操作方法を教えてくれようとしていたのだろう。
そんな夢乃の名前が呼ばれたと思ったら、あれよあれよと彼の周りに人が集まり、気がつけば俺一人取り残されていた。
ポカーンと夢乃たちが去って行った風景を見つめる。そんな俺の手には、二次元コードが表示されたスマートフォンが誰かに読み取ってもらうのを待ち構えていて、なんだか虚しくなった。
「……なにあれ……」
あれは、明らかに妨害だ。俺と夢乃が連絡先を交換するなど許されるはずがないと言うように。
「……そこまで嫌わなくても………」
急に連絡先を交換しようと言われて驚きと焦りの中でも、喜びがあった。
だって同級生と連絡先を教え合うなんて小学生の年賀状を書くとき以来だから。
なのに、それは許されないのだと現実を突きつけられ、さらに気持ちをしぼませた。
まぁ交換する際の予習ができたと思えばいいかと無理やり前向きに考えて、二次元コードを読み取っている手元のスマートフォンを眺めていて──
「……ん?」
──我に返った。
自分のスマートフォンの画面を読み取るもう一台のスマートフォンに気づいたからだ。
え、何、誰? とスマートフォンに伸ばされた腕を視線で辿ったら、そこには猫野が立っていた。
「よっしゃ! げっとーっ!!」
「チエ!? いつの間に……」
彼は読み取り終えたらしい自分のスマートフォンを両手で天にかざし、崇めるように真剣な目でそれを見ている。
ジャージ姿の猫野は汗をにじませ呼吸も早い。部活途中で来たのだろうか。
しばらくスマートフォンを崇めていた猫野だったが、はっと我に返ってスマートフォンを胸に隠すように抱き、周りをキョロキョロと伺いだした。
「チエ? どうかした?」
「あ、いや、何でもない……そんじゃメッセージ送るから返事くれよな!」
そう言い残し、爽やかなスポーツマンらしい笑顔を振りまきながら猫野は去っていった。
またもや一人残された俺は猫野の姿が見えなくなるまでぼーっと見送った後、スマートフォンに視線をおとす。
そこには、友達の枠に新しい名前が表示されていた。
「……──ふふっ」
たったそれだけの事なのに顔が緩むのが止められない。
誰かに見られたらまた顔をそらされそうだから気合いを入れて表情を引き締めるが、それでも変な顔になってそうだ。
そんな浮かれきったまま寮へと帰り、先に部屋でシャワーを浴びてベッドへ寝っ転がり、再びスマートフォンの画面を眺める。
何度見ても嬉しくて顔が緩むけど、今は誰も見ていないから許してほしい。
まだ連絡は来ていないのでこちらから何か送ってみようかとも考えたが、猫野が「メッセージ送るから」と言っていたし、ここは来るまで待っていよう。
それに部活もしているし、何より人気者の猫野のことだから俺以外にもいろいろな人と連絡をし合っていて忙しいかもしれない。
こちらから催促してうざがられたら嫌だし、やっぱり待つに限る。というより何を送ったらいいのかわからない。
友達同士って普段どんな会話をトークアプリでしているのだろうか。
「連絡が来たら……夢乃の連絡先も教えてもらってもいいかな」
少しの不安とたくさんの希望を持って、俺は猫野からの連絡を待った。
しかし、その日は誰からも着信は無かったのだった。
* * *
さて、猫野と連絡先を交換して数日経った。
連絡は、無い。
いいよ別に期待してなかったし……嘘 ですめちゃくちゃ期待してました。
『ごめんルイちゃんっ!! スマホが壊され……壊れちゃってさ……──』
連絡先を交換した翌朝、申し訳なさそうにあの後スマホが壊れてしまったのだと謝られた。
俺も長く使いすぎて突然電源がつかなくなった経験があるから仕方ないと思う。
だったらまた新しいスマホを買った頃にコチラから訊 けばいいのだけど、もしスマホが壊れたのが嘘だったら? 俺に連絡するのが面倒になったことへの言い訳だったら?
猫野はそんな人間じゃないのはわかっているけれど、どうしても被害妄想が止められなくて、俺は新たに連絡先を交換できずにいたのだった。
「何見てんだよ」
「白伊先輩……」
そして昼休み。階段の踊り場でパンを食べながら、諦め悪く鳴らないスマホを見ていたら、ヤンキーの白伊先輩がどかりと隣に座った。
そのままパンを持っていた手を掴まれて、俺の手からパンを食べられた。代わりの物をよこせ。コーラはいらないぞ。
「……ンで? 誰とトークしてんだ」
「してませんよ」
「トークアプリ見てたじゃねぇか」
「見てただけです」
本当のことを言ったのに怪 訝 な顔をされ困ってしまうが、ぼーっと意味もなくスマホの画面を見ていたら怪訝な顔にもなるかと俺は苦笑いを浮かべる。
「まぁいいけどよ……それじゃ俺にも教えろ」
「えっ!?」
「えっ、て……何だよ、嫌なのか」
「いえっ、嫌じゃないです……!」
「じゃあいちいち驚くな。おら教えろ」
「はい!」
突然の申し出に驚くが、俺はなんとか夢乃に教えられた通り交換用の二次元コードを開いた。スムーズに出せてちょっとドヤ顔になる。予習って大事だな。
しかし白伊先輩はそんな俺の誇らしげな顔にも気づかずさっさと自分のスマホで画面を読み取っていた。
ちょっとぐらい褒めてくれたっていいじゃないか……いや褒められるようなことでもないんだけど。
とりあえずまたトークアプリに名前が増えたのだ。嬉しいことだけど、同時に、また来ない連絡を待つのは嫌だなって思った、のだが──
「わっ」
──ピロンと、着信音が鳴って肩が跳ねる。
「お前驚きすぎだろ」
その様子を隣で笑われてしまい恥ずかしいが、過剰反応した自覚はあるから何も言えない。
くそう誰だよこんなタイミングで連絡してくるのは、まぁ母からしか送られてこないけど……と思っていたのだが。
「えっ……」
相手は隣の先輩だったのだ。
目つきの悪いウサギが中指を立てているスタンプだけが送られてきた。
可愛いのか可愛くないのかよくわからないウサギが、画面越しに俺を睨んでいる。
「……ぷっ、フフ」
これを先輩が送ったのかと思うとおかしくて面白くて、でもそれとは違う他の感情が笑いを誘う。
「あははっ……変なスタンプ」
「そうか? 無料で似たようなのたくさんあんだろ」
「そうなんですか? でもこれ……ふふ、先輩にちょっと似てる……」
「喧嘩売ってんのか」
いつまでも笑いが治まらない俺を先輩が睨んできたが、それでも止められない。
そんな俺が不満だったのか先輩がさらにメッセージを送ってきた。
『笑うなバーカ』
『そんなにおかしいか』
二通続けて送られてきた言葉にまた笑いがこみ上げる。「笑いすぎだろ!」とまた隣で怒られたが、だってこんなの笑わずにいられない。
だって、だって……
『先輩からのメッセージが嬉しくて笑っちゃうんです』
「……は?」
友人からの連絡、これをどれほど俺が待ちわびていたか先輩にはわかるまい。
だから、嬉しくて嬉しくて、笑ってしまうのはどうか許してほしいのだ。
そんな思いを込めて送ったメッセージ。ちょっとはわかってもらえただろうかとスマホの画面から先輩へ視線を移すと、見たことのない顔をした先輩が俺を見ていた。
「先輩?」
ずいぶん近くに顔があるな、とか、ずいぶん体が密着してるな、とかいろいろ気づいちゃって気になるけど、そんなことより、何で先輩はそんな顔をして俺を見ているのだろう。
熱を持ったような瞳に捕らえられて、俺はそらすことができない。
どうしたの? 何がしたいの? と問う前に先輩の顔が近づいてきて、これ以上近づいたらぶつかってしまうと頭を引こうとした。
けれどいつの間にか後頭部を大きな手のひらで押さえられていて、とうとう俺と先輩はぶつかってしまったのだ。
「~~っ!?」
唇と唇が、接触事故を起こしてしまった。
ぶつかってしまった唇が熱い。
この後の対応なんてわかるはずもない俺は固まってしまい、そんな俺の下唇を先輩の唇が食むもんだからビクリと体が揺れる。
「んん……っ!」
離れようとするのに後頭部を押さえる先輩の手の力が緩まず、むしろさらに強く押し付けられてしまった。
この大惨事をどうすればいい? だってこんなの、キスしてるみたいになってるじゃないか。
先輩の手の力が弱まり、やっと離れられたと思ったら角度を変えてまたぶつかる。
どれだけそうしていたかはわからないが俺にはとても長い時間に感じた頃に、先輩の唇が音もなく離れていく。
「……お前が悪い……」
「……へ?」
見つめ合う形のまま気まずさで何も言えない俺に、先輩が不機嫌な声で言う。
え、俺が悪いの? 何がダメだったの?
そう聞こうとした俺へ、先輩は焼きそばパンとコーラを押し付けてきたから聞くタイミングを逃してしまう。
「……ありがとうございます」
お腹が空いていたのでありがたく受け取るが、元はと言えば先輩が俺のパンを食べちゃったのが悪いんだからな。そしてコーラはいらない。
……じゃなくて、さっきの大惨事は何だったんだ。
焦る俺に反して、先輩は何事も無かったかのように惣菜 パンを食べながらスマホでゲームを始めてしまった。
だから俺も焼きそばパンを食べながら先輩のゲームを隣で見ることにした。だってゲームをしている時に邪魔されたら嫌だろうし。
ゲームが済んだ先輩はまた俺にコーラを飲ませようとしてちょっとした攻防戦があり、その後はテレビの話題とか他愛ない話をして休み時間は終わってしまった。
先輩があまりにも普通にしてるからなんだか先程の大惨事を蒸し返すのもどうかと思って、結局聞けずじまいだ。
「……メッセージぐらいいくらでも送ってやる」
「えっと……はい」
去り際、目を合わさず言われた言葉。後になってじわじわと嬉しさがこみ上げ、頬が緩んだ。
意味のわからない行動もあるが、何だかんだやっぱり、優しいのかもしれない。
書籍の購入
ともだちにシェアしよう!





