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〈2〉この世界のキスの意味-2

 その後の授業はいつもの如く隣に誰も座られず、ポツリと隅の席で講義を聞く。  もうみんな自分の座る席が決まっているみたいで、今後も隣に誰かが座ってくれることはないのだろう。  授業が終われば即寮へ。  上着だけ脱いでベッドへ寝っ転がり、さて現実逃避を止めてあの大惨事を考えなくては。 「──まぁ、どう考えてもキスだけど……」  しかしなぜ?  普通、友人同士でするものじゃないと思うのだけど、俺の認識が間違っているのだろうか。  だって、あの後の先輩は本当に何事もなかったみたいにゲームをしていたし、その後も普通に俺と話していた。  俺の常識とこの世界の常識は違うのだろうか。  なんせここはBLゲームの世界だ。俺が考えるより同性との距離が近いのかもしれない。  誰かに相談できればいいのだけど、残念ながらそんな友人は居ない。ましてや親になんてこんな話ができるはずもない。  テレビで突然ラブシーンが始まったとき並に気まずくなる予感がする。 「……やっぱり先輩に直接聞くべきなのかな……」  だけど、それは正解なのだろうか。友人としてそんなことをいちいち気にするのは間違っている?  わからない、この世界での友達付き合いが。  何より、先輩との友人関係を壊したくない。やっとできた、隣を許してもらえる存在を失うのが怖いのだ。  黙っていよう。気にしないでいよう。先輩だって気にしてなさそうだったから、俺もそれに倣えばいいのだ。  それに先輩だって本当に俺が嫌うことはしない……いやされたな。コーラ飲まされたわ。  まぁいい。もうすぐ試験だし、とりあえず今は勉強をしておこう。  再び現実逃避をした俺だったが、考えた所で答えは出ないように思えたから、一時保留とした。あくまで保留である。  いつか先輩の他にも友人ができたなら、自然とわかることだろうから。  そんな日が来るかはわからないが、そんな日が来ることを望んで、俺は勉強机へと向かったのだった。  その日の夜に、何度か届いた白伊先輩からのメッセージ。  ホントにどうでもいい、くだらない内容のメッセージだったけど、いやきっと、だからこそより嬉しかった。  先輩のマネをして無料のスタンプを取り、意味不明なスタンプを送り合ったり。  そんなくだらなくも楽しい時間を過ごしたから、寝る時間は少し遅くなった。      * * * 「ふわぁあ……」  翌朝、あくびをしながら登校する。  ほんの少し睡眠時間が短くなっただけなのにやたら眠い。常日頃から規則正しい生活をしていると少し生活リズムがずれただけで体に響くようだ。  それだけ夜ふかしをする相手もいなかったわけだが。  とはいえ授業中に寝るわけにもいかない。この時期は授業で「ここテストにでるぞー」なんてサラッと言ってくる教師がいそうだからだ。  聞き逃しても教えてくれる友達が居ない俺は聞き逃すわけにはいかないのである。  というわけで、俺は初めて食堂へ向かった。  もちろん食堂でご飯を食べるなんて迷惑行為をするわけではなく、自販機が目的である。  効くかどうかはわからないが、気休めでもいいから珈琲(コーヒー)を飲んでおこう。効いてくれカフェイン。  食堂へ一歩踏み入れると、朝から賑わう食堂が僅かに静まった気がした。  朝から俺みたいなのが来てすみませんねー、と早足で自販機へ向かい、さてどれを買おうかと悩む。思った以上に自販機が多い。  かといってあまり時間をかけたら迷惑になるので、とりあえず手近の自販機で買うかと財布から小銭を出していたら、すぐ隣でピッとスマホを自販機にかざして購入する生徒がいた。  眠気覚ましに! と手書きのPOPが貼られた缶珈琲を買っているのを見た俺は、なるほどマネしようと考える。のだが── 「……ん?」  ──なぜだか、その缶珈琲を差し出されてしまったのだ。 「受け取りなさい」 「え、なんで……、あっ、兎月先輩!」  あまり人と目を合わせないようにしてたから気づくのが遅れたが、俺に缶珈琲を差し出すのは兎月生徒会長だった。  けれどなぜ生徒会長が缶珈琲を俺にくれようとしているのだろうか。  そんな疑問が残って、俺は差し出された物を受け取れずにいた。  しかし生徒会長も俺が受け取るまで動く気がないようだ。 「そんな眠たそうな顔では授業に身が入らないでしょう」 「……っ」  ずっとこのままではいられないのでひとまず受けとってみたのだが、そのまま流れるように頬と目元に触れられる。  その手は髪を触られた時と同じように優しくて、最初は驚いたがついときめいてしまうのだ。  しかしそれは俺じゃなくて女子にしてあげてくれと切実に願う。もしくは夢乃。俺には刺激が強すぎるから。あと周りの視線が怖いから。 「ありがとうございます……」  俺が礼を言うと、生徒会長はそのまま去ってしまった。さすがはクールキャラだ。  そういえば今更だけれど、最近図書室の準備室に行けてないことを謝罪するべきだっただろうか。 「……いやでも、来いって言われたわけじゃないしな……」  そうだ。使っていいとは言われたが、来いと言われた訳じゃない。なのにいちいち謝罪なんておかしいんじゃないだろうか。  そもそも生徒会長だって俺を待ってるわけじゃないだろうに、そこで謝ったらなんだか自意識過剰に思われる気もする。  けれどいつかは俺も生徒会へ差し入れを持って、あの時はありがとうございましたって言おうかな。  だってあの時は嬉しかったから。謝罪じゃなくて感謝の言葉を送ろう。  生徒会長から渡された缶珈琲は砂糖控えめでちょっと苦かったけど、不思議と優しい味がした。  缶珈琲を飲み終える頃には、食堂に人が増えてきた。いつもこんなに賑わっているのだろうか。  そんな疑問を持つ俺の耳に、不意に『ホントに姫が居る……!』との声が聞こえてきた。  食堂に来たばかりの生徒の驚きの声に、俺は『姫?』と疑問に思ったが、すぐにピンときた。  夢乃アリスのことだ。間違いない。  ゲーム内でも彼は姫と呼ばれていたはずだからだ。  それに可愛い彼ならば、姫と呼ばれるのにピッタリだろう。  そう思い人と目が合わないよう気をつけながら食堂を見渡すと、案の定、夢乃が奥の席に座って他の生徒と話していた。  なるほど、夢乃目当てで人が集まっていたのか。  なら早々に退却しよう。せっかく夢乃目当てで来た人も俺が居たら視界的にも邪魔で仕方ないだろう。  飲み干した缶珈琲をゴミ箱に捨て、俺は早足で食堂を後にする。  兎月生徒会長からもらった缶珈琲のおかげなのかはわからないが、ひとまず授業で居眠りする失態は免れた。  さて来てしまった昼休み。  つまりヤンキー先輩、もとい白伊先輩に会う時間である。  昨日あんなことがあったから少し、いやだいぶ、いや凄く、すごーく気まずい。  先輩は昨日は何でもない感じだったが、俺も同じようにできるだろうか。何なら今日は先輩は来ないなんてことにならないだろうか。  試験前だし忙しくて来れない、なんて可能性も無くはないはず。  そんな逃げ思考のままパンをかじっていたのだけど、なんと、本当に来なかった。  いつも来る時間になっても姿が見えないのだ。  あれ、本当に来ないぞ、ラッキー。なんて思っていたのもつかの間、だんだんと気持ちがざわついてくる。  本当に来ないのだろうか。もしかして、もう二度と……? 「……どうしよ」  ざわつく胸の意味も分からず、でもつい(あふ)れた言葉に自分で驚く。  来ないで欲しいと思ったはずなのに、いざ先輩が来ないと嫌だなんて我ながら自分勝手だ。 「何がだよ?」 「……っ!」  そんなタイミングで現れたもんだから、俺の心臓は派手に跳ねる。狙ってやってるのだろうか。 「……せ、先輩」  そして先輩の姿に、俺のざわついていた胸が別の意味で騒ぎ出す。 「で、何が『どうしよ』なんだよ」 「いや別に……そ、それより今日ずいぶん遅かったですね!」 「ああ、食堂にジュース買いに行ったらすげぇ混んでてよ……なんか安売りとかしてんのか?」 「へー……あまり食堂行かないので知りませんけど、何でですかね」  朝に夢乃が居たから昼も夢乃が居ると思って人が殺到したとか?  だとしたら夢乃も罪作りな男だ。サイン会とかしたらいいのに。  どかりといつものように先輩は俺の隣に座る。  いつも通りの先輩の様子に俺はホッとした。避けられている訳じゃなくて良かった。  そして俺も、おそらく普通に話せているだろう。 「あっ」  なんて油断してる間に、またもや手に持ってたパンを食べられてしまった。  人が食べてるのは美味しそうに見えるのはわかるが、だからって毎回奪うのはどうかと思います。  そして代わりに渡されたのはカツサンド。毎度思うが物じゃなくて言葉で謝るべきだ。(もら)うけど。 「毎回俺の食べないでくださいよ」 「いいじゃねえか、代わりのやってんだろ。ケチケチすんな」  ケチじゃない正当な抗議だ。……てことをカツサンドを食べ終わってから言った。じゃあ返せって言われたら困るからである。 「おらこれもやるよ」 「だからコーラはいらな……あれ?」  そんなしょうもない押し問答の末、先輩が今日もペットボトル飲料を押し付けてきた。  またコーラかと思い身構えたが、それは白いジュース。カル◯スだった。 「ありがとうございます!」  カル◯スは好きなので素直に受け取ってお礼を言う。  先輩もやっと俺にコーラを飲ませることに飽きてくれたらしい。今まで何が楽しかったんだか。  そんなことを思いながらプシッとペットボトルの蓋を開け、ニコニコしながらカル◯スを飲んで── 「っ!?」  ──吐き出しかけた。  炭酸入ってる! 何で! とペットボトルをまじまじ見ると、カル◯スソーダと英語で書いているじゃないか。  こんなのあるのか。炭酸に興味なかったから知らなかった……てか(だま)された! 「~~っ」 「ほーら頑張れ」  口元を押さえて吐き出さないように堪えてる俺の横で、先輩はニヤニヤと腹の立つ笑いを浮かべていた。この不良、許すまじ。  予想外の炭酸の刺激にうっすら涙を浮かべながら、少しずつコクリコクリと飲み込んでいく。本当に何が楽しいんだこの先輩は。  先輩を恨みながらも、俺は口に含んでいた液体を全て飲み込み、(あん)()から大きく息をつく。  そしてそのまま怒りを込めて先輩を睨んでやった。 「……っ」  しかし、先輩の顔がなぜかとても真剣な顔をしていたもんだから意表を突かれる。てっきりまだニヤニヤ面白がっていると思っていたのに。  予想外の表情に、俺の感情は怒りよりもどうしたのだろうという疑問が勝った。 「あの、先輩……?」 「……やべぇな……」 「は? ちょっ、んんっ!」  口元に吹き出しかけたカル◯スが付いていたらしく、先輩にベロリと()められてそのまま唇を塞がれる。  逃げようとする俺の腰と頭を先輩がホールドするものだから、さらに体が密着して戸惑いは大きくなるばかり。  昨日の今日でまたキスをされている事実に、俺の思考は追いつかない。  ただ、昨日より長くて、呼吸が苦しかった。  酸素を求め口を開けば、ぬるりと先輩の舌が入ってきて、嘘だろ! と体が強張った。  何がどうなってこうなったのかと混乱している間に縮こまっていた舌を絡め取られる。  舌同士を擦りつけられたり吸われたり。次第に苦しいだけじゃない別の感覚が込み上がってくるのがわかった。  押し返そうとしていた俺の腕は、いつの間にかすがるように先輩の胸元の服を掴んでいた。  クチュクチュと湿った音が狭い階段の踊り場に響く。  素人の俺には長すぎるキスに力が入らなくなってきて、今は先輩の腕に支えられてかろうじて座っている状態だ。  気持ちいい……のだと思う。  絡まる舌も、上顎を舐められるのももちろん初めての体験で、時折意思と反して体がピクリと揺れてしまう。  やっと離れた時にはほとんど押し倒されているような体勢になっていて、後ろに壁が無ければ完全に階段に横たわっていただろう。  混ざり合った唾液が口の端から流れ、きっと情けない顔をしてると思う。けれど俺を見下ろす先輩の顔は、俺を笑うでもなく真剣なまま。  そんな先輩の顔が、ゴクリと喉を鳴らしてまた近づいてきた。  またキスされる、と慌てて手で先輩の口を覆ったら不満げな顔をされたが、不満があるのは俺の方だ。 「……何がしたいんですか……」 「キスに決まってんだろ」 「じゃなくて……」  先輩は眉間にシワを寄せたまま口を覆った俺の手を掴むが、無理やり除けようとしないあたりとりあえず俺の言い分を聞いてくれる気はあるようだ。 「俺と先輩は……友達なんですよね?」 「……まぁ今はな」 「今は?」 「不満かよ」 「いや、今友達でいてくれるならそれでいいんですけど……じゃあ……──」  抗議中、先輩が掴んでいた俺の手のひらを舐めてきたもんだからビクッと体が跳ねてしまった。くそぅ、負けないぞ。  黙っていよう、気にしないでいようと決心していたが、やっぱり気になって仕方ないのだから。 「──……友達同士でするもんなんですか?」 「何がだ?」 「だから、その……」 「あ?」 「き……っ、キスですよ! 友達が居たことないから知らないけど、普通友達同士でするものなんですか!?」 「……」 「……」  長い静寂が訪れる。俺は負けないぞ、と気合を入れて先輩を見つめ、先輩も、良くわからないが俺をじっと見つめていた。  そして出された答えは── 「…………そうだ」 「そうなんですか!?」  ──そうなんだそうだ。 「あぁ、俺がお前に嘘ついたことあるかよ」 「わりとあります」 「今日はホントだ」 「……」  本当だろうか?  かなり疑わしいのだけれども、もし本当だとして、それを拒んだらもう友達としていられなくなるかもしれない。  そう考えるとこれ以上問い詰めるのも怖くなり、俺は何も言えなくなってしまった。  先輩と友達じゃなくなるのは、嫌だ。 「ひゃぃっ!?」  どうしようとぐるぐる考えている間に掴んでいた手をまた舐められて、また変な悲鳴を上げてしまう。  俺は慌てて手を引っ込め、キッと先輩を睨んでやった。 「と、とにかく! 俺はキスも友達付き合いも慣れてないので初めは手加減してくださいっ!」 「……手加減したらしていいのか……」 「はい?」 「いや、何でもねぇよ」  視線をそらした先輩は俺の頭をクシャクシャと撫でて、覆いかぶさっていた体を離した。  同時に予鈴が鳴り、俺も壁に寄りかかっていた体を起こし立ち上がる。 「あの、じゃあ俺行きますね」  疑問は晴れた。とはいえ、たとえ友達同士で当たり前にされていることだと知った後でも、やっぱり俺は気まずい。 「木戸」  だからつい視線を合わせないまま立ち去ろうとしたのだが、その前に先輩に呼び止められる。 「はい……んぐっ!」  無視するわけにもいかず振り返ったら、またもや不意打ちで口を塞がれてしまったじゃないか。  慌てて先輩の体を押したから一瞬だったけれど、顔は離れても体は全然離れてくれない。  なので代わりに俺が後ろへ身を引こうとしたが、うまく力が入らなくてよろけて転びそうになる。  そんな俺を見る先輩は非常に上機嫌で、俺は無性に腹が立った。 「~~っ、き、キスは一日一回ですっ!!」  なんだか悔しくなった俺は、思いっきり叫んだ後に逃げるように階段を駆け下りた。 「……だから、キスするのはいいのかよ……」  慌てて駆け下りた俺には、先輩がぼそりと呟いた言葉は届かなかった。 「ルイ? なんか顔赤いけど大丈夫?」  白伊先輩とのあれこれの後に教室へ帰ると、さっそく夢乃が話しかけてくる。  俺なんかの心配をしてくれるなんてやっぱり夢乃は優しいと思うが、今だけはスルーしてほしかったとも思う。 「だ、大丈夫……。暑いからかなぁ?」  ヤンキーな先輩とキスしてて顔が赤くなりました。などと言えるはずがないので、誤魔化しながら制服の上着を脱ごうとしたら全員から止められた。  ホントに全員。夢乃だけじゃなくて、いつも夢乃を連れて行ってしまう夢乃の友達、と言うより取り巻きのような人たちにまで。  そんなに見苦しかったのだろうか。  嬉しくはないがひとまずクールダウンができた俺は、普通に授業を受けることができたのだった。

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