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2.背中合わせの世界 ②
円卓とは、地位の上下をつけないことによってフランクな話し合いの雰囲気を作り出すためなのだという。
というよりも、依存症の集団カウンセリングみたいだな。
毎度毎度車座に置いた椅子に座って話をするブリーフィングの形に、フェンヴァーンは今度もそう思った。
「さて。俺が久しぶりに始末書を上に書かされた昨日の案件について今からおさらいをしようか、諸君。まずは事件のあらましを誰か説明してくれるか」
鬼の班長が一〇人ほどのメンバーを前に受口気味の下あごから飛び出した牙をふがふがと動かして言った。円陣はフランクな雰囲気を、とはいうものの、やはりホワイトボード前の席は上座であるし、そこに座るのは集団の座長ではあった。
事件の発端は人間世界時間でいうところの3ケ月前。
埠頭の広い荷揚げ場にくすんだ赤の液体が広範囲にまき散らされていた。その周辺は錆びた鉄の匂いが広がっていて、それが何らかの生物の血であることはまちがいなかった。
だがその血の本体が見当たらない。
まるで高所から叩き落されたような血痕だった。肉の破片がどこかに落ちていてもおかしくない。なのに骨の欠片一つ見つからなかった。
なにか生物を違法に解体したのだろうか。
所轄警察署が調べたところ、近くの使われていない倉庫の一つでも大量の血痕を見つけた。倉庫としては機能しておらず、ジャンクフードの食べ残り、酒瓶や注射器、吸入器などの爛れた生活臭が残っていた。
大きなケージがあった。血痕が集中していたのはそのケージの中だ。動物の毛が大量に落ちていて、違法な闘犬か動物を使った拷問でも行われていたのではないかとみられた。
問題は、その中にサンプルとしては見たこともないDNA型を持つイヌ科の動物の毛があったことだ。
「イヌ科の動物と人間のキメラなんて、人間世界 では生きて存在などできるはずがないのよ」
軍服と祭服を足して二で割ったような真っ黒な式服を纏った赤髪の少女が、ビロードの表面を軽く払って言った。マローニ=クエラという。バチカン教皇庁から出向してきた在留管理支援局 支援課の人間だった。
彼女はポケットからビー玉のような赤い玉をいくつか取り出して膝の上に広げた。昨晩の狼男たちが持っていたものと同じだった。
「最近出回ってる魔薬 を飲んだんだわ」
「効果は?」
「まずものすごい万能感に満たされるみたい。実際、人間に比べたら万能になるわけだし、当然よね」
魔薬は人間の理性が司る部分を破壊し、生命維持器官に働きかけて猛烈な代謝を促す。不適合の場合はこの段階の副作用で気が触れたまま爆散する。支援課の薬事分析班によると、荷揚げ場の血痕はその時のものだろうとのことだった。
「適合すればキメラ化が起こって、爆発的に神格があがるみたいね」
「それって、みんな人狼になるのか?」
「体質によるみたいよ。ほら、日本にあるじゃない。なんかレバー回したらカプセルが出てくる奴」
「ガチャか」
「一度適合したら、もうそれで何に変化するかは確定するみたいね」
「昨日の奴らは人狼、それも銀狼だったわけか」
「銀狼みたいな特殊な種の場合は、薬に特殊な呪的処理を行うみたいだけどね。その分適合率がタイトになる。あの爆散跡はわざわざ適合者をふるい分けした時のものじゃないか、って」
「倉庫の中も?」
「それはね。選別したのよ」
「選別?」
「とりあえず適合した奴らの中から、優秀な兵隊をこれまたピックアップしたの」
「トーナメント?」
「または総当たり 」
「昨日のあいつらはそうやって作られた『エリート』だったわけか」
「そう。もうね、人間世界の武器なんて、そんじょそこいらの銃もナイフもききゃしないわ。マフィアの抗争、戦争、誘拐、監禁なんでもござれね」
「傭兵としては優秀だ。高く売れる」
「銀行強盗としてもね。仮面被らなくても顔が変わってしまうんだから」
「指紋採取した鑑識 はビックリしたろうな」
「そうみたいね」
警備課や支援課の潜入班は人間社会の関連機関へ多数入り込んでいる。情報は逐次そこからもたらされていた。
「売り捌いているのは?」
「ルートはまだ割れてないが、卸してるのは不法越境人で間違いない。殺された警備課潜入班の内偵がその情報をこちらに送ってきていた。そうだな、ユーリ弁務官?」
トウゴウはじっと黙ったまま目の前のやり取りを聞いていたユーリに尋ねる。ユーリは答えない。長い前髪で隠された顔からは表情もうかがえなかった。
「あんたが動いたってことは、例の薬の出所は反境界純血至上主義集団 だったんだな」
「ええ」
ユーリは頷いた。
薬を売っていたのは死んだ吸血鬼達。そこに境界管理庁のネズミが入り込んだことがバレて、グループごと組織から粛正の対象になった。結果、薬の効果を見るべく手始めに人狼の力比べに利用されたのである。
しかし人狼たちは巧妙に人の社会に紛れ、そのくせ鼻が利き、耳もいい。目撃情報を元にただ踏み込んだだけでは尻尾の先も捕まらない。
だから今度はユーリ自らが囮になった。
鼻が利くからこそ好物の匂いにはどんな遠くにいても敏感であろうし、半分獣に支配されているからこそ欲望を我慢することはできない。
そこへきてユーリの誘因香は特別だった。
辛抱が利かない彼らは必ずおびき寄せられるから、それを抑えればいい。その勝算があってトウゴウを半ば騙すようにユーリは口説き落としていた。
「吸血鬼族というのがよく言えば結束力の強い、悪く言えば秘密主義なのは知っているが、そのために我々の仲間が一人、犠牲になってしまった。このことは真摯に受け止めてもらいたい」
「わかっています。もう少し早い段階で、課長に相談するべきだった」
ユーリは俯いた。
「以後気をつけます。始末書はこれが終わった後いつものとおりに」
「結構。では次に、自分の始末書の理由はわかるか、フェンヴァーン」
「班長の命令前に勝手に出てったからです。……でも犯人は捕まえたじゃないか」
フェンヴァーンはいけしゃあしゃあと、悪びれもせずに言った。
その様子を見ていたマローニが腕を組んで椅子にふんぞり返った。
「あのねえ。秘蹟聖庁 の治癒師 班がいるから命までは落とさないけど、ふつう人間が維持聖府 側に殴られたら死ぬのよ。褒められた確保の仕方じゃないわ」
「あいつらどうしてる?」
「全身打撲と複雑骨折。口と意識は無事みたいよ。アメリカ研究所の呪的培養ポッドの中でうなされてるんじゃない?」
「俺たちの仲間に手を出したのが悪い」
「っていっても顔もみたことない相手でしょ? 不可抗力よ。向こうだって結局誰が潜入者かってわからなかったわけだし」
「人間ってのは、淡泊なもんだな」
「あなた達と違って去って行く時間にじっくり感傷を覚えてられるほど寿命が長くないからよ。狼が仲間意識の強い生き物だってのは理解するけど。それを逆手に取られて敵の罠にのこのこ引っかかってどうすんの?」
「罠?」
フェンヴァーンは顔を曇らせた。
「何故、薬なんだと思う? 兵隊を人間世界に送り込みたいなら違法越境者で構わないわけでしょ? 弱小でも特殊能力においては人間を必ず圧倒するはずよ」
「銀の契約が定めた神格結界があるからだろ? 存在級位が高い、つまり力を持つ者であればあるほど、境界を超えるときに抵抗が生まれる」
「そうだな。抵抗とはつまり自分の合わせ鏡。自分をぶち殺す勢いでぶつからないと、基本境界は越えられない。自然発生的にあく穴を超える程度の若い小者ならともかく、長く生き残ってきたような強い存在じゃあ、境界を超えたら死ぬ」
「実質無理だ」
「だが『餌』はほしい。人間は鏡面世界 では『需要』がある」
「人間自体はさほど存在級が高くないから、人間世界 から鏡面世界 に密輸するのは、こっちから密越境するほど難しくない」
「では誰がそれを助けてくれるのか? こっちの世界はここ数百年近く我々が目を光らせてる。うかつには派手に動けない」
「かといって魔方陣であけた穴に、人間が落ちてくれるのを待つなんて、俺たちの寿命が長いっつっても、気が長すぎる」
「なるほど。協力者を『作った』のか」
「そ。人間世界の利害関係を利用して人間 を狩るための人間 を薬で作ったのよ」
「薬なら神格云々は関係ないもんな」
「そして我々はソロモン法 上、人間を殺せない」
ぼそり、と呟いたユーリにその場にいた全員の視線が集まった。
「どんなに悪辣で、堕落的で、テロリストの下僕に人間が成りはてようともな」
「人間を手下に作り替えたのは、境界管理庁 の動きを封じるためでもあるわけか。文字通り人間の盾だ」
「ボナンツァ! だから貴方が第4局送りにならないように、こっちは必至で回復させてるのよ、フェンヴァーン。あなたを犯罪者にして、うちの戦力を削られるわけにいかないから」
「そりゃどうも」
フェンヴァーンはバツの悪そうな顔をして癖の強い焦げ茶の髪をバリバリと乱した。そうしてふと手を止めてから、尋ねた。
「だが確保した奴らの裁きは人間世界の官憲でなんとかなる話なのか? 人間の法では裁けないだろう」
死体は骨一つ残っていない。これは人間世界において罪を立件する際に大変な欠点になる。被害者が存在しないという扱いになるからだ。
被害者が存在しない犯罪として売春や薬物があるが、この場合の薬物も魔薬では人間が想定している範疇外のものになる。
「たぶん秘蹟聖庁直接の管轄になるわね。しばらくは入界者収容所 の解呪課で除霊班のやっかいになるじゃないかしら?」
「うわ」
フェンヴァーンは顔を顰めた。
解呪課除霊班というのは聖職者、天使、エルフ、妖精、聖霊等、魔術特性が高い聖属性の者が多く所属する部署である。なので基本的には穏やか……とされる。
が逆にいえば基本静かだからこそいきなり激高することもあり、自分たちの正義を疑わないから手心等はくわえない。
彼らの最終目標はあくまでも「種族としてクリーンでデフォルトな状態に戻す」ことだ。呪いを解き、記憶を消し、元の世界に返す。結果がすべてで過程はどうでもよく、必ず目的は完遂する意志の強さが半端ではない。
症状によってはかなりの力業を駆使して魔薬の除染や憑依の分離をすることもある。精神と肉体がボロボロになり、死んではいないが廃人同様になることも珍しくない。しかしその状態でこの先どうしていくかまでは彼らの業務管轄の範囲ではないという。
よく言えばやり手、悪く言えばサディストの集まりであるというのは境界管理庁内で有名だった。
「一度味わった殺しも、人間を捨てて味わった肉の味も、死ぬほどの怪我や刑務所程度じゃやめられないでしょ」
「鏡面世界 だったら、食って食われての関係はどの種族においてもあたりまえだけどな」
「自分が食べられる側になる覚悟をした上で鏡面世界 に生きてりゃ問題ないわ。でも自分だけ食物連鎖の頂点にあって、他を虐げて悦に入るなんてのは、この民主主義と自由と平等を愛する人間世界では問屋が卸さないって話よ。ローマではローマ人のようにしないと」
マローニはそう言ってニヤニヤと笑った。
いささか彼女の示す郷の範囲が大きすぎる気もしたが、フェンヴァーンはそのあたりを突っ込むことはなかった。
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